第182話 関東公方家
天正11年(1583年)1月 下総国 葛飾郡 古河 鴻巣御所
皆さんこんにちは。梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。この前15歳になりました。
今日は、って言うか、ここ数日間、ずっと古河に詰めてるんだ。
なんのためって? 『足利義氏さんの葬儀のため』だよ。
元旦に倒れた義氏さん、一度は意識が戻ったらしい。だから、直接古河に向かった義弘さんや松の方さんは、会話することもできたらしいんだ。ところが、湊城を経由した俺が到着する直前に、また倒れちゃったんだって。だから、俺は死に目には会えたんだけど、言葉を交わすことはできなかったの。
あーあ、話ができるんなら、義氏さんには色々と提案したいことがあったんだけどね。ままならないもんだよ。
永田徳本さん? 俺と一緒に動いてたからね。危篤状態のところを診てはもらったけど、流石に如何ともし難かったみたい。
確かにさ、徳本さんは『医聖』って言われてるよ? けどさ、それにしたって戦国時代の基準だから、本人の能力がいくら高かったとしても、できることとできないことはあるんだよ。今回は到着した時点で、既に意識不明で、侍医(※徳本さんの弟子だった!)の気付け薬にも反応が無かったんだって。
そんな状態なんで、一応、脈を取ってはみたけど、やっぱり手の打ちようがなかったんだって。
まあ、俺も状況を聞いた時点でもう駄目だろうと思ってた。ほとんどの人は、俺と同じ考えなんじゃないかとは思うんだ。けど、中には『医聖』っていう肩書きを過信してる人がいるかもしれない。手の付けようがないものを『治せない』=『無能』扱いされちゃうと気の毒だ。それに「『無能』を推薦した!」って、こっちの責任問題になっても面白くない。
だから、ちゃんとフォローはしといたよ。
「坂東の神明のみならず、お伊勢様や熊野様の加持祈祷も通じなかったとあれば、残念ながらこれが天命だったのでございましょう」ってね。
だって、人のせいにはできるかもしれないけど、口が裂けても「神様の力が足りなかった」とは言えないじゃん?
多分に打算混じりのフォローだったけど、口にしてみたら、「もしや、一度回復なされたのは神仏のお力かもしれませぬ」なんて言い出す人も出て、良い感じに話が流れてくれたんだ。最終的に里見家の責任を追及する声は出なかったんで、ホッとしたよ。
まあ、こんな感じで、薬石効なく足利義氏さんは逝去なさり、実は、さっき葬儀も滞りなく済んだとこなんだ。
じゃあ、これから帰るのか、って?
とんでもない! まだ大きなイベントが残ってるじゃん。何って? 関東公方の継承に関する話し合いだよ。
当事者としては、まず、義氏さんの忘れ形見である長女の氏姫ちゃん8歳。家臣筆頭の簗田晴助さん。そして、一色直朝さんや、一色氏久さんたち古河公方家奉公衆だよ。
それから、ここには、小弓公方家当主の足利頼淳さんと、嫡男の乙若丸くん10歳。佐野政綱さんたち小弓公方家奉公衆もいるんだな。
小弓公方家の連中なんか連れてきたのは誰だ!?、って?
そう、俺だよ!
古河公方家と小弓公方家が数十年にわたる確執があるのは分かってる。でも、それを水に流そうってことで、氏姫ちゃんと乙若丸くんの婚約が結ばれたわけだ。ところが、藤政さんが生きてた数年前ならともかく、現時点で古河公方家の血筋は氏姫ちゃんしかいないんだよね。その氏姫ちゃんの婿になる乙若丸くん(※の実家)をないがしろにしたら、後々トラブルが起こるに決まってるじゃん? だから、お見舞いにかこつけて一緒に連れてきたってわけ。
ただし、間違いなくこの場は荒れるだろうけどね。まあ、オブザーバーとして、北条家から、当主になった氏光さんの実弟の氏忠さんが、里見家からは義弘さんと松の方さん、そして俺が参加してる。てなわけで、『収拾が付かなくなる』までの混乱にはならないと思うよ。
お前のマッチポンプじゃないのか、って?
うん、そうとも言う(笑) でも、こんな機会でも設けてやらない限り、絶対に事態が動くことなんてありえない。実は、古河と小弓の両統対立は、里見家中にとっては癌みたいな物でね。実際、里見義重さんの死因の幾つかは、それが原因だったりする。だから、これを機会に無理矢理にでも因縁解消させて、今後、変なところで足を引っ張られないようにしときたいんだよね。
さて、波乱が予想される中、まず口火を切ったのは、古河公方家奉公衆の筆頭である一色直朝さんだった。
「本日皆様には、有り難くもお集まりいただきました。我ら奉公衆、嫡子であらせられます氏姫様を盛り立てて参りますので、皆様には今後ともお引き立てのほどをお願いしたく存じます」
「うむ! 一色直朝、天晴れな心がけじゃ! のう、佐野政綱?」
「まさに! 頼淳様の仰るとおりにございます」
一番文句を言ってくるだろうと思ってた小弓公方家が、まさかの賛同の言葉を示してきたんで、古河奉公衆たちの表情が明らかに緩んだ。でも、佐野政綱さんが続けて発した言葉で、緩んだ表情が一気に強ばった。
「して、氏姫様の輿入れは、いつ頃になりましょうや?」