第179話 とあるチートの成果物
天正10年(1582年)12月 近江国 甲賀郡 水口城
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
今日は伊勢から安土に向かう途中、山岡景隆さんの居城になった水口城に寄ったとこなんだ。
一応、先触れを出してはいたんだよ。でもさ、とある事情があって、先触れから訪問までの期間があんまり無かったんだよね。城の様子なんかを見てると色々と整ってるのが分かるんで、これは慌ただしくもてなしの準備をさせちゃったのかも……。
だとするとメッチャ申し訳ないよ。これは、まず謝罪からだよね。
「山岡景隆殿、いきなりの来訪にも関わらず、ご対応いただき、誠に忝い」
俺の謝罪を聞いた山岡景隆さんは、いかにも恐縮そうな様子で言葉を返してきた。
「いやいや、里見信義殿は、この景隆の恩人にござる。信義殿に御推挙いただかねば1郡の主など夢のまた夢。その御恩人がいらっしゃると聞いては、もてなさねば罰が当たると申すもの」
うーん。感謝してもらうのは嬉しいけど、本質はそうじゃないんだよね。
何度も言うように、明智討伐における山岡景隆さんの功績は絶大なんだよ。間違いなく明智討伐の『勲2等』だね。
え? 1等? 俺に決まってるじゃん!
そんな功労者なのに、みんなその重要さをまるで分かってない。その分かってない人の内に本人まで含まれてるんだから困ったもんだよ。
だから、論功行賞の前には、俺の方で色々運動したわけ。縁の地である甲賀郡を与えられるようにしたり、桃の婚約者の長丸くんの付家老に推薦したりね。
本人は遠慮してるようだけど、戦場で敵を倒すだけが戦じゃないんだ。せめて当の本人ぐらいには分かってほしいよ。
そんな思いで俺は答えたんだ。
「それは逆でござる。景隆殿が瀬田の唐橋を焼いてくださらねば、明智は易々と安土を押さえ、その軍資金を元にさらに勢いを増したやもしれませぬ。それに、野洲川合戦の折、偽兵を立ててくださったおかげで、我らの援軍が間に合い、信包様も徳川家も救われ申した。ですから、此度の景隆殿の勲功は、1国にも等しいと思うております。にもかかわらず、行賞がたった1郡になったのは、私にとって痛恨の極み。
まあ、織田家による天下統一が成った暁には、私も東国に戻ることになりましょう。その折には、伊勢の所領は『引き出物』代わりに、長丸君にお譲りするつもりでござる。空いた伊賀の国主には景隆殿を推薦いたしますゆえ、それで御勘弁くだされ」
「……そこまで評価してくださっていたとは! この御恩、決して忘れませぬぞ。その御恩には万分の一も届きませぬが、宴の用意もしておりますので……」
うーん、イマイチ理解してはもらえなかったみたいだけど、折角準備してくれたんだからここは快くもてなして……! おっと! 今日、水口に立ち寄ったのは、景隆さんを褒めちぎって歓待されるためじゃないんだ。まあ、俺としても歓待は嫌いじゃないけど、まずは主目的を済ませないとね。
「景隆殿、少々お待ちいただきたい。お気持ち有り難く頂戴いたしとうござる。が、その前に一つ御覧いただきたいものがありまする」
「それは如何なる物にございましょうか?」
「実はこの度、三法師君への献上の品が完成いたしまして、これから安土に持参するところなのです。皆様に披露申し上げる前に、景隆殿に是非ともお目にかけたいと思いまして」
「そのようなものを、私ごときが先に拝見してもよろしいので?」
「景隆殿だからお見せするのです。まあ、百聞は一見に如かずと申します。まずは御覧あれ!」
合図をすると、近習の手によって大きな桐箱が運ばれてきた。きつく結わえられた紐がほどかれ、箱の中から現れた物を見て、景隆さんは息を呑み。そして、わずかに一言呟いた。
「……これは、あの時の」
「はい、あの時の」
景隆さんはしばらくの間時の流れるのも忘れたかのように、それを見続けてたんだ。
え? 何を見せたんだ、って?
うん、完成したばっかりの『惟任退治図屏風(原案※下絵含む:里見信義、作:狩野永徳)』だよ。
俺、アウトプットチートがあるから、見たものをそのまんま絵にすることができるの。今までも夢の中から入れる異次元空間で、設計図やら外観図やらを拾ってきて、船や炉の製造に役立ててきたんだ。
今回は、その能力を活かして、明智光秀が近江に入ってから討死するまでの様子を6つのシーンに分けて、屏風絵として仕上げてみたんだよ。あ、6つのシーンはこんな感じ。
1 山岡美作守、唐橋を焼き賊軍を足止めす
2 蒲生左兵衛大夫(賢秀)、女房衆を守り日野に退く
3 野洲川合戦図① 徳川勢突撃す
4 野洲川合の図② 明智勢総崩れ
5 里見上総介ら、湖水を渡り坂本城を攻略す
6 惟任日向守の最期
狩野永徳さんに任せず、自分で全部描けばよかったんじゃないか、って?
本当だったら、それもアリだったんだけどね。でも、俺、絵はメッチャ写実的に描けるけど、金箔を付けたり、独特な形の雲とか、時代のお約束を描いたりはできないんだよ。
だから、最終的に屏風絵として仕上げるのは他の人に頼ろうってことになったの。で、織田信包さんに「誰かいい人いませんか?」って聞いたら、永徳さんが推薦されちゃったと。
色々仕事を抱えてる中、さらに仕事を増やすのは気が引けたよ。なにせ、史実の狩野永徳さんの死因は『過労死』だし。でもさ、信包さんの推薦は蹴れないだろ? それに、永徳さん自身、俺の下絵を見て、その気になっちゃってね。『頼む』以外の選択肢、俺には無かったよ……。
ちなみに、名匠に仕上げてもらっただけあって、屏風は素晴らしい出来だったと思う。なにせ、景隆さんも顔を赤らめながら何度も溜息を吐いてたんでね。将来は国宝とかになっちゃったりして!? そうなれば俺も苦労した甲斐があったってもんだよ。
え? チートを使ってんだから『苦労』なんか無いだろ、って?
いや、そうでもないんだな、これが。俺の能力は、『夢の中とかも含めて見た物をそのまま描く』ってものなんだ。だから、体験してきた坂本城の攻略とかは描けるけど、実際には見てない野洲川合戦を、想像だけじゃ描けないんだよね。
だから、まず、数日間かけて、戦場跡を歩いて地形を確認し、背景を描いたんだ。次に、その背景に重ねるように人物を描いた。俺が経験した合戦のワンシーンと、人物の顔とかを融合させてね。だから、まだ会ったことがない人の顔はテキトーだよ(笑)
こんな感じでパーツごとに融合させて描いたんで、細部はリアルだけど、縮尺なんかは微妙な下絵になっちゃった。まあ、そこまでリアルに描いてたら、人の判別とか無理だから、これで良しとしちゃった。
だって、これ、合戦から論功行賞が終わるまでの時間で仕上げなきゃいけなかったんだよ? いくらでも時間をかけられるならともかく、こんな短期間じゃ無理でしょ!?
最終的には狩野永徳さんに丸投げしちゃった(!)んだけど、ちょっと縮尺がおかしかったのも、良い感じにデフォルメしたみたいになってて、とっても素晴らしかったよ。流石は狩野永徳!
後日談
安土で披露した『惟任退治図屏風』は絶賛の嵐だったよ。まあ、流石に3歳の三法師さんはそんなに関心が湧かなかったようだけど、後見役の織田信包さんは大変気に入ったみたい。自分で説明したり、俺や同行してた景隆さんに色々と詳しく説明をさせたりした。
さらに、その話を聞いて、参陣できなかった家臣たちや女房衆がいちいち歓声を上げるわけ。おかげで景隆さんも一躍ヒーローの仲間入りだよ。
この時代の人たちには『名誉』って現代とは比べものにならないほど大切なんで、景隆さんにとっては、良い感じで追加の褒美になったんじゃないかな?




