第178話 風魔衆の新たなお仕事
天正10年(1582年)12月 伊勢国 度会郡 田丸城
皆さんこんばんは。梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
昼間に論功行賞が終わった田丸城の奥の間で、風間隼人を待ってるところだよ。実は、前々から極秘任務を出しててね。
そんなわけで、この部屋は小姓も含めて全員人払いしてある。だから、今、部屋にいるのは俺だけだよ。他の誰にも聞かせられない話なんでね。
しばらくすると、灯明の火が微かに揺らめいて、掛け軸の裏から隼人が姿を現した。
「若様お待たせいたしました」
「なに、さほど待ったわけでもない」
「それよりも若様、此度の大勝利、誠におめでとうございます」
「いやいや、皆が頑張ってくれたおかげだよ」
「御謙遜召さるるな。ここしばらくあちらでも若様の御活躍の話をきかぬ日は無いほどでござった。あちらの大将は口こそ出しませんが、だいぶ悔しそうな様子でしたぞ」
「……すると、だいぶお主らに無理をさせてしまったのではないか?」
「幸い、北条氏政公よりは人使いは荒からず……。おっと! そう言えば、氏政公は若様の御舅様でござった! くれぐれも御内密にお願いいたします」
「ははは。言えるわけがなかろう! まあ、被害がなかったのは畳重だ。……しかし、状況が状況だけに、乱破働きに使うのを控えておるのかもしれぬ。だが、くれぐれも気を付けるのだぞ?」
「……若様、ありがたきお言葉にござる」
「それはそうと、隼人、これまでよく働いてくれた。これを機に風魔衆にも加増をいたす。紀伊国日高郡の内と、志摩国英虞郡の内で、計3万石を風魔衆の取り分といたすゆえ、お主の差配でこちらに来ている者どもに分配いたせ。その代わり、安房国長狭郡の領地は小太郎に返却するように」
「若様、我らにそのような大領をよろしいので?」
「ああ、お主らの働きからすれば、そのぐらい安いものよ。ただ、英虞郡の賀田には造船所を造っているゆえ、その警備も頼むぞ?」
「そのぐらい、お安い御用にござる!」
「ところで、隼人、あちらには、一体どうやって取り入ったのだ? 折角だから聞かせてもらえぬか?」
「はっ!」
小気味よい返事をすると、隼人は数か月前のことを滔々と話し出した。
天正10年(1582年)7月 阿波国 板東郡 勝瑞城
阿波守護所でもある勝瑞城本丸。人払いのなされた板の間に平伏するは、一人の偉丈夫である。そこに、近習と小姓を伴って、浅黒い顔をした小男が現れた。
小男は、平伏する男が口上を述べるのを待つ時間も惜しいのか、高座に腰を下ろすと、いきなり口を開く。
「間大和とやら、遠路はるばる坂東より良う来たの! 儂が羽柴秀吉じゃ。して、此度は如何なる用向きで参ったのじゃ?」
「はっ! 秀吉様は、先日、北条家が滝川様に降伏した話は御存知でしょうか?」
「おお。聞いておるぞ! 滝川一益殿が上手くやったらしいの。我らも、あやかりたいものじゃ」
一度話を止めた秀吉は、口角を上げてニヤリと笑い、さらに続けた。
「……と、言うことは、お主は北条の家臣か! で、お主はどのようなことができるのじゃ?」
「流石は秀吉様! お話が速い!! 実は我らは北条家に仕え、忍び働きをしておりました。隠密、速飛脚、乱破等、様々な働きをいたしまする」
「待て! 『我ら』と言うたか? 仕官を求めておるのは、お主一人ではないのか?」
「はい。此度の敗戦で領地が半減した北条家では忍びを抱えきれず、帰農した者も多くございます。しかし、己の田畑を持たぬ下忍どもは、小作になるか雑兵になるかしか道がありませぬ。哀れに思った中忍の私が、仕官先を探しに参った次第にございます」
「ふむ。事情は分かった。しかし、何故羽柴家なのじゃ? 関東でも滝川殿や里見義頼殿もいらっしゃるであろうに。それに、上方でも信包様や信雄様、戦を求めるならば信孝様にお仕えすれば織田家直臣じゃぞ? わざわざ陪臣となる羽柴家に仕えずとも良かったのではないか?」
一転して訝しげな様子で問い返す秀吉。それに対し、間大和は『然もありなん』といった体で、答えた。
「はい。まず、里見家は北条氏綱様以来、長らく難敵でござった。それゆえの因縁も多うござる。ですから、仕えた後で我らの素性が知られると問答無用で誅殺されかねませぬ。その上、里見の奥方様が北条の出ゆえ、我らを見知っている者がおらぬとは限らず、仕官先として大変危険なのでございます。
また、主君の指図とは言え、此度の戦では、滝川勢にも散々乱破働きいたしましたゆえ、滝川家も同様でござる。それから、織田家御一門の皆様は、伊賀や甲賀に領地が近く、家中の忍びは足りていらっしゃると考えました。
それに引き換え羽柴様は、毛利攻めで大手柄を立てられたことで広大な領地を抱えながら、忍びの者との接点が少のうござる。さらに四国征伐でさらに手柄を立てられることでしょうから、我らの働きがいもあろうかと考えました次第」
「なるほどな。儂の将来性を買ったか。よし、わかった。下忍まで含めて召し使うてつかわす。……ところで、阿波には何名連れてこられる?」
「は! 20名は行けまする」
「わかった! その20名を含め、全員合わせて50貫で召し抱えようではないか」
「は!?」
「なんじゃ、不満か?」
「い、いえ、失礼いたしました! 実は、我ら、北条家では俸禄がございませんでした。ですから、まさか最初から俸禄を頂戴できようとは夢にも思わず……」
「わははははは! どうやら北条氏政殿は随分と吝かったようじゃな。安心せい、儂はそのようなことはせぬ。その上、働けば働いただけ加増もあるでの。楽しみにしておれ!」
「有り難き幸せ! 下忍どもも涙を流して喜びましょう」
「うむ! 関東より戻り次第働いてもらうゆえ、疾く下忍どもを連れて参れ」
「は!」
「……という遣り取りがございました」
「いや、ご苦労だった。それにしても50貫とはな」
「はい。『羽柴様は気前が良い』と聞いておりましたので、期待しておったのですが、いやはや。まさか、たったの50貫とは……。
信義様は、もっと領地が狭かったにも関わらず、最初から1人10貫くださいました。そこと比べると、どうしても人間が小さく見えてしまいます。ま、北条よりはだいぶマシですから、ちょっとした副収入と思うことといたします」
「うむ。扱いが軽いと氏政殿のように無理な注文を出してくるかもしれぬ。お主らを失うことが里見にとって何よりの痛手だ。無理をせず適度に手を抜いて取り組むのだぞ?
それから、里見家の情報を求められた場合は、今まで通り適度に流して構わぬからな。苦労をかけるがよろしく頼むぞ」
「はっ!」
この後、隼人からは四国征伐の進捗状況の説明があったよ。
聞いたら、侵攻ペースは俺の予想よりもかなり遅かった。8月に侵攻を開始して以来、讃岐を制圧し、阿波の平野部を押さえたとこまでは、こっちでもよく耳にしてたんで『快調だな』って思ってたんだ。
ところが良かったのはそこまでで、山岳地帯に入るに従って抵抗が凄まじくなってきた。結局、土佐への主要侵攻ルートである吉野川沿いのルートは、三好郡の白地城で、南側の海岸沿いは那賀郡の西方城で、長宗我部勢が堅固な拠点を築いてて、そこで戦線が膠着状態に陥っちゃったらしい。
それどころか、冬の農閑期に入って土佐の一両具足が戻ってくると、神出鬼没の行動に逆に押され気味になってる場所もあるみたい。
史実では10万の兵を動員した四国征伐だけど、この世界線では6万ぐらいしか動員できてない。相手の長宗我部は、農閑期には3万5千ぐらいはいるらしい。史実より兵力差が少ない上に、相手のホームで戦ってるわけだから、なかなか押し切れないんだ。
今、秀吉さんは毛利を巻き込んで一気に決着を付けようとしてるみたいだけど、信孝さんが自己解決を目指して、首を縦に振らないらしいよ。
それだけじゃないんだ。長宗我部からは和睦を求める使者も来てるらしいんだけど、こっちも信孝さんが強硬で門前払いしてるんだって。
信孝さん、華麗に決着の付いた武田征伐の再現を求めてるのかもしれないけど、ちょっと事情が違いすぎるんだよね。武田は数年にわたって織田・徳川の攻勢に痛めつけられて落ち目だったけど、長宗我部にはこれから飛躍しようとする勢いがある。一度休戦するのも手だと思うんだけどね。
ただねぇ、信孝さんが頑ななのは俺のせいでもあるんだよなぁ。
え? どんな関わりがあるのか、って?
いや、俺がさ、紀伊で鮮やかに勝ち過ぎちゃっただろ? どうやら信孝さん、俺にライバル意識を燃やしちゃったみたいなんだよ。
……あ~あ、変に意識されちゃったな。頭痛いよ。後々のことを考えるとどうしてもね。




