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第177話 新領地の行方

天正10年(1582年)12月 伊勢国 度会わたらい郡 田丸城



 皆さんこんにちは。梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。

 論功行賞はまだ継続中だよ。


 南伊勢での加増は上総・安房からの移封が多かったかな。なにせ、織田信雄さん(旧の支配者)が、家臣一同をそっくり引き連れて尾張に移ってくれたんで、純粋に直轄領が増えたんだよね。


 おかげで支配体制が大きく変わることになったんだけど、でも、こういう時って得てして反乱とか一揆とかが起こりがちじゃん?


 ただでさえ、信雄さん、北畠家(義実家)をほぼ根切りにするわ、北畠の娘(妻・雪姫)に自害されるわ、最後は織田に復姓して北畠を名実ともに潰しちゃうわ……。「これでもか!」ってほど不義理を働きまくって去ってくれたんで、南伊勢には織田方への遺恨が山のように積もってるんだよ。領地を空けてくれたのはありがたいけど、火薬庫みたいな状態で去られても、こっちが困るんだけど。



 伊勢(策源地)がこんな有様じゃぁ、紀州征伐なんかできっこない。だから、領地の安定のために、ちょっとした策を弄することにしたんだ。



 今度はどんな悪どい事をしたんだ、って?


 人聞きが悪いなぁ。悪どいことなんかしてないよ? 『北畠家の再興』を餌に、伊賀に隠れてた北畠具教(とものり)さんの弟の具親ともちかを召し出しただけだからね。


 史実では何度も反乱を起こしたくらいなんだから、そのパワーを紀州征伐(外征)に使えば、俺たちとしては反乱の心配が減って、士気の高い兵士が手に入る。北畠旧臣にしてみれば、念願の血縁者による御家再興が叶う。まさに一石三鳥の策だと思わない?


 たださ、こっちはその気があっても、信雄さんたちが不義理を働きまくったおかげで、俺が直接招聘すると警戒して出てきてくれないかもしれない。だから、本家筋に当たる京都の久我こが家に依頼して、呼び出してもらった。献金は必要だったけど、随分リーズナブルな価格で喜んでやってくれたよ。


 こんな碌でもない仕事でもホイホイやってくれるのは、武士に所領をほとんど横領されちゃって、収入が激減してたせいだろうね。ホントこの時代は、お公家さんも気の毒だよ。



 で、久我家からの働きかけが功を奏し、北畠具親が6月中に京都にやってきたんで、『紀州征伐に従軍すれば、伊勢国内に所領を与える』って条件で合意した。


 ちゃんと誓紙も交わしたよ。何せ俺は『熊野観光大使』みたいなもんなんで、『誓紙(熊野牛王符)』は大量に抱えてるからね。



 あ、当然、織田信雄さんには許可を取ってるよ。話を持ってった時には怒られるんじゃないかってドキドキしたけど、あっさり了承してもらえた。うん、はっきり言って拍子抜けだったよ。織田への復姓で舞い上がってたのかもしれないね。


 そんなこんなで、紀州征伐に参加した具親だけど、話を聞きつけた北畠旧臣が1,500人ぐらい集まったんで、紀伊では、なかなかの働きをすることができたの。


 約束通り具親には、旧根拠地だった霧山城(多気御所)周辺に領地を与えたよ。そんなわけで、本日晴れて北畠家の再興が成ったってわけだ。



 陪臣になっちゃったけど良いのか、って?


 良いも悪いも、陪臣になるのを俺が勧めたわけじゃないんだよ。俺としては、京都で公家として再興するのも良いんじゃないかと思ったんで、その案も提示したんだけど、本人が伊勢に領地を欲しがったんだ。本人がそっちが良いって言うんだから、それで良いんじゃないかな?



 伊勢で特筆するのはこれぐらいかな。


 さて、最後にお待ちかねの紀伊だよ。





 正直なところを言うと、紀伊に関しては、本当に貰えるかは正直半信半疑だったんだ。だって、自力で解決せずに、織田信張さんたちの助っ人も得て獲得した領地だもん。


 確かに、信長さんからは『切り取り次第』って御墨付きは貰ってたけど、「自力で平定した」って自信をもって言えるのは、南の有田ありだ郡・日高郡・牟婁むろ郡の3郡だけだもん。



 まあ、ぶっちゃけると、俺としては、自分の取り分は、南の山がちな3郡だけで、穀倉地帯でもある北の4郡は、信張さんや蜂屋頼隆さんにあげちゃっても良かったんだけどね。



 何でそんな勿体ないことを言うんだ、って?


 だって、いくら『穀倉地帯』って言ってもさ、雑賀荘も根来寺も粉河寺も高野山も全部、北の4郡にあるんだよ?


 ルイス・フロイスさんは「紀伊は4つか5つの共和国的存在がある」って言ったそうだけど、紀伊一国を制するってことは、永らく大名家に支配されたことがない、宗教勢力きょうしんしゃの相手を一手に引き受けなきゃいけないんだぜ? そんなの嫌だろ?



 ところが、蓋を開けてみれば、『紀伊一国を与える』って裁定が……。



 俺は、ヤバい! って思って、言ったんだよ。


「こたびの戦は、私のみの手柄ではございませぬ。織田信張(左兵衛佐)様、蜂屋頼隆(兵庫頭)殿にも褒賞を賜りとうございます」ってね。


 そしたら、信包さん「信張(左兵衛佐)殿や頼隆(兵庫頭)には、別に褒賞が用意してある。亡き信長公(兄上)も苦労した紀伊の平定を、少ない兵力で、その上、2か月少々という短期間で成し遂げたのだ。しかも、おぬしは、『紀伊一国切り取り次第』の許可を公衆の面前で与えられておる。後方で指揮にあたり、戦場に立っていないとかなら兎も角、ここで褒賞を減じては織田家(当家)吝嗇ケチだと思われてしまうわい」だって。



 これ、絶対、面倒事を丸投げされた口だよ。あーあ、上手くやられたね。


 元々抱えてた熊野三山だけでもお腹いっぱいなのに、さらに、雑賀に根来に粉河に高野山だよ?


 紀伊だけの統治すればいいならともかく、伊勢も伊豆も徳川領も統治しなきゃいけないだろ? ちょっと俺だけの手には余るわ。




 こう考えた俺は、思い切った措置を取ることに決めたんだ。




かん達長(越後守)殿」


「はっ!」


「ここ数年来の水軍の働き見事である。特に明智討伐においては淡海で湖船を指揮し、坂本城、大溝城の制圧に大功があった。よって、紀州田辺領にて3万石を与える」


「恐れながら申し上げます!」




 この発表を聞いて声を上げる男が出た。誰かと思ったら菅達長本人だったよ。

 いきなりの大規模な加増に声を上げたくなる気持ちも分かる。だけど、俺は何も知らない風で尋ねる。




達長(越後守)如何した?」


「私は2年前に仕官した新参者。3万石はいただき過ぎでございます」


「それに関しては理由があるのだ。当家の水軍は正木堯盛(淡路守)が一手に仕切っておったが、今年に入り、伊勢、伊豆の水軍が指揮下に加わった。これは流石に一人では手一杯。よって達長、其方には熊野水軍の統括を任せたい。


 統括ともあれば格が必要であろう。3万石はそのためだ。それに其方であれば、瀬戸内の連中にも顔が利く。将来、西国で戦う折には先鋒のみならず、調略を任せることもあるであろう。つまり将来を見越しての加増分もあると捉えてもらいたい」




 俺の話を聞いて納得したようで、達長は下がった。さて、ここからが本日のメインイベントだよ。




「栗林義長(下総守)殿」


「はっ!」


「明智討伐では会戦に決着を付ける大功を上げたばかりか、紀州征伐では本隊の半分に満たない兵を率いて紀伊半国を制圧するなど、当家の武名を大いに高めた。その功は古今比類ない。よって、畠山尾州家の継承を許すゆえ、本日より畠山義長(尾張守)と名乗るように」




 城内にどよめきが起きる。まあ、それも当然だね。没落したとは言え、畠山家と言えば、細川、斯波と並んで室町幕府の管領を輩出する家柄だ。それを継ぐんだから、どよめきの一つも漏れるだろう。でも、それで終わりじゃないよ。




「また、これまでの安房郡、平群へぐり郡に替えて、牟婁むろ郡を除く紀伊一国を与える」


「は?」


義長(下総)、いや、尾張守。済まん! 本当は『紀伊一国』と言いたかったところだが、牟婁むろ郡は熊野三山があるからな。今後の働きにも期待しているぞ」


「は、ははあ!」




 そんなわけで、栗林義長、いや、畠山義長か。紀伊は彼に丸投げすることにした。



 酷い、って?


 ……うん。自覚はあるよ。でもさ、全部一人でするのは無理なんだよ。それにさ、俺の役割を見直すと、今のところ紀伊か伊勢ぐらいしか、他人に代わってもらえる場所って無いんだ。それに、安心して紀伊国(難治の国)を任せられるのって義長以外いないんだよね。


 何はともあれ、明らかに貧乏くじを引かせちゃったんで、『畠山尾州家継承』って名誉を与え、領地も5倍ぐらいに増やしたけど、これじゃあ足りないよね。与力領とか寺社領も多いし。足りない分は何かしらの形で必ず報いてやらなきゃ!







―――――――― 栗林改め畠山義長 ――――――――



 9年前、岡見家から出向を求められた時、信義様(若様)は、「活躍次第で岡見家にも同じだけの領地を加増するが、3郡までにしてほしい」と仰った。


 あの時は皆で大笑いしたものだが……。まさか、10年も経たぬうちに、この私が3郡どころか一国を差配するまでになるとは。なんとも感慨深いものよ。


 思い返せば、前主の岡見治広(治部大輔)様から「帰参無用」と言われたときには、己の全てが否定されたようで、目の前が真っ暗になったものだ。しかし、信義様はそんな私を常に信頼して使うてくださった。


 今、私は一国のあるじとなっただけでなく、畠山貞政(左衛門佐)様の養子に入ることで管領畠山尾州家の当主となったのだ。その上、信義様は、息子の力丸には貞政様の娘を娶せる約定までしてくださった。一介の浪人であった私が管領畠山家を継ぐなど、誰が考えたろうか。


 それもこれも、全ては信義様のおかげ。私は必ずや信義様の信頼に報いねばならぬ。



 そう深く心に誓った義長は、紀伊の統治に東奔西走することになる。


 最初の1年こそ、一揆や反乱が散発的に起こったものの、2年目以降の紀伊は完全に安定し、彼が内政にも非凡な力を持つことが証明されることになったのである。






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こちらは前作です。義重さんの奮闘をご覧になりたい方に↓ ※史実エンドなのでスカッとはしません。
ナンソウサトミハッケンデン
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