第168話 小田原征伐
天正10年(1582年)7月4日 相模国 西郡(足柄下郡) 小田原沖
皆さんこんにちは。梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
やってきましたよ小田原。小田原征伐に参戦するためにね!
ちなみに、安土からは、総大将である滝川一益さんと同道してきたんだけど、一益さんは先に武蔵の六浦の湊で降ろしたんだ。だから今は別行動だよ。
六浦は北条領じゃないのか、って?
当然、もう占領済みだよ。だって、10万近い兵が東西から攻め込んできてるんだ。その辺の小城なんか、ひとたまりも無かったね。
圧倒的な兵力差があったおかげで、今回は湊の焼き討ちはせずに済んで良かったよ。だって、元々焼き討ちやら略奪やらをしまくってたせいもあって、里見へのヘイトはかなり大きかったから、これ以上溜めすぎるのもねぇ?
現在のところ、小田原城に籠もってる北条勢は、約1万6千人。強攻策でも落とせそうだけど、今後に色々と問題が出そうだから、先に説得から始めてるんだ。
どんな説得をしてるんだ、って?
うん、鶴さん経由で、瑞渓院さんに『降伏するなら全員の助命を約束する。必ず北条の家名も残す』って手紙を送ってる。
どんな手段でだ、って?
鶴さんの側仕えには、風魔衆が混じってるんだよ? そいつらを使えば一発だよ!
ちなみに、瑞渓院さん宛なのは、彼女たちが早まらないようにするためもあるんだ。なにせ、史実の小田原征伐では、包囲の途中で氏政さんの継室 鳳翔院さんと一緒に自害してるらしいからね。
『自分の参加した戦で嫁さんの祖母さんと義母さんが自害』とか、流石に避けたいだろ?
あ、鶴さんを離縁するつもりはさらさら無いよ。いくら戦国時代だって俺の意志って物があるからね。
そんなこんなで、降伏勧告はしてるんだけど、城内はまだ揉めてるみたい。風魔小太郎からの報告では、毎日毎日結論の出ない評定を続けてるらしいよ。まだ包囲されてそんなに時間が経ってないから、『小田原評定』って言って良いかは微妙なとこだね。
上杉謙信さんや武田信玄さんの攻撃を跳ね返したって成功体験もあるんだろうけど、里見が敵に回ってる時点で、籠城戦は間違いなく悪手だね。
俺も到着して準備は整ったんで、とりあえずそれを知らせてやらないとね。
天正10年(1582年)7月4日 相模国 西郡(足柄下郡) 小田原城 本丸
小田原城内では、この日も軍議が行われていた。
何しろ敵は、永禄4年(1561年)の上杉謙信の侵攻に匹敵する、10万近い大軍を擁している。その時よりも城地は広がり、防衛設備も充実しているとは言え、味方の城兵は、上野と甲斐での外征軍の大敗によって、最近の攻囲戦の中では最少の1万6千を数えるのみである。
そんな状況下である。「敵は大軍であるから、早々に兵糧が尽きて撤退するに違いない」と言う者あり、「『攻城戦3倍』と言う。現時点で兵力差が6倍もあるのだから、強攻が始まる前に和睦すべきだ」と言う者あり、なかなか話がまとまらない。そんな話し合いを日々繰り返す間に、既に包囲は10日目に突入していた。
ところが、ここにきて新たな情報が入ってきた。今朝、風魔小太郎が、『信長の葬儀のために不在であった総大将の滝川一益が、昨日着陣した』との報告を上げてきたのである。
『総攻撃が近いのではないか?』
この日の軍議は、いつにも増して緊張が高まっていた。
「松田憲秀、東側の山王口、江戸口は如何じゃ?」
「氏政様、内藤、真田らの上州勢は、炊煙は普段通りにござった。伝令の数なども普段と変化無く、特に大きな動きはございませぬ」
「大道寺政繁、早川口の様子はどうじゃ?」
「はっ! 早川口に陣を構える武田勢も、特に変わった様子はなく、出撃の構えはございません。その北側に連なる里見勢も同様にござる」
惣構えの各門を守備する諸将から上がってくる話では、滝川一益が到着したにも関わらず、前日との差は一切見受けられない。氏政は、軍議に限り、特に下座での同席を許された風魔小太郎に、疑いの目差しを向ける。
「風魔よ。本当に滝川一益めは着陣しておるのか?『虚報を掴まされました』では済まされぬぞ!」
「間違いなく上方より帰還いたしております。昨晩、酒匂川東岸の本陣に、内藤や真田などの上州の諸将のみならず、里見義頼や武田豊信まで入り軍議が行われた由にございますれば」
「で、そこでどのような話がなされたのじゃ?」
「流石に軍議にまでは参加できませんでしたので、しかとは……」
「ふん! 役に立たぬの! どれだけ犠牲を払っても構わぬ。必ずや探り出して参れ!」
「……はっ」
と、その時、ドーン、ドーン、ドーンという大きな音が、不規則に何度も繰り返されるのが聞こえる。そして、数瞬後、ドスーン、ドスーンという鈍い音や、バリバリと何かが破壊されるような音、さらには震動が襲ってきた。
「砲撃じゃ! 大砲が発射されたぞ!」
諸将が慌てて庭に飛び出す。見れば、隣の曲輪の物見櫓が一基、崩れ落ちていた。それだけではない、よく見れば、広間のすぐ側にある築山にも一つの砲弾がめり込み、薄い煙を上げているではないか。
「炸裂するぞ! 逃げよ!」
一人の男が叫ぶと、諸将は悲鳴を上げて我先にと逃げ出した。
そんな中、落ち着き払っている男が一人。
「やれやれ、情けない連中だわい。しかし、これでは熱くて触れぬな」
男は近くの井戸に行き釣瓶を手に取ると、すぐに水をくみ上げ、落ちた砲弾に浴びせた。水を浴びた砲弾はパッと湯気を上げながら、シュゥゥゥッという音を立てる。
それなりに冷えたところで、鍬を使って砲弾を掘り出すと、焼け焦げた木栓を抜く。中から出てきたのは、事前に聞いていたとおり、ただの『砂』であった。
「うん、御屋形様・若様から聞いていたとおりじゃ。ふふふ、強突く張りの阿呆どもには良い薬になったであろうて。さてと、臆病者どもを連れ戻しに行くかな? やれやれ、面倒なことだ!」
風魔小太郎は一人呟くと、逃げ散った氏政らを探しに行くのであった。