第163話 妙覚寺にて①(閑話)
※今回は主人公は登場しません
天正10年(1582年)6月8日 山城国 愛宕郡 妙覚寺
昼前、神戸信孝は叔父である織田信包の求めに応じ、彼が宿泊する妙覚寺を訪れた。
内密の話があるからと通された茶室には、信包が一人、待っていた。
「信孝、よくぞ参った」
「この信孝、叔父上に呼ばれたとあれば何時でも参ります。ところで叔父上、今日の話は、もしや家督の件でございますか?」
「……有り体に言えばそうだ。ただな、信孝。まず言うべきはそれか?」
信孝の言葉を聞いた信包は、僅かに眉を顰めると、いかにも残念という風で答えた。
信孝も才子と言われるだけのことはあって、すぐに信包の言葉の意味は理解した。彼は居住いを正し、頭を下げる。
「……失礼いたしました。父上と兄上の仇討ち、ありがとうございました」
「うむ、分かれば良いのだ。其方は高い才覚を持っておる。亡き兄上からも特に目をかけられていたのがその証拠だ。
ただ、兄上や私とは違い、其方は生まれながらにしての貴公子。『家臣どもが動くのが当然』と思い、鷹揚になるのは当然かもしれぬ。得てして、幼少より大事にされておると、自分の事を中心に物事を考えるようになりがちだからな。
しかし、上に立つ者として、周囲の者の心を慮る言動を取ることを忘れてはならぬ」
「叔父上の金言、心に留め置きます」
「それで良……。む、待てよ! まさかと思うが、昨日里見信義殿に会うたそうだが、真っ先に謝意を伝えておるだろうな?」
「『よくやった』と誉めてはおきましたが、『真っ先』かと言われると……」
「なんともはや……。もう少し早く話しておくべきであったわ。
信孝。これほどまでに早く謀反が平定されたのが、誰のおかげかよく考えた方が良いぞ。しかも、信義殿は織田家の家臣ではあるが、同盟国の御嫡男でもある。譜代の家臣のように扱うて、気を悪くされたらいかがいたすつもりだ?」
「しかし、気を悪くしたようには見えませんでしたので……」
「……其方は運が良かったの。しかし、先ほども話したが、家臣どもは木石ではない。誉めるところは誉めてやらぬと、とんだしっぺ返しを食らうことになるぞ」
「肝に銘じます」
「……まあいい。さて、前置きが長くなってしもうたが、本題に入ろうか」
信包は一段と顔を引き締めると、話し始めた。
「織田家の家督のことだが、まず信雄に継がせることはない」
「では!」
「そして、お主も今のままでは無理だ」
「な!」
「何を驚く? お主は仇討ちに参加したか?」
「……いいえ」
「その上、信孝、お主は四国征伐の兵、一万余を預かっていながら、一夜にして過半を逃散させてしまった。いくら信雄に才覚で勝るとは言え、この結果では信雄を納得させられまい。なにせ器量はどうあれ、信雄は一応合戦に参加しておるからな。
そして、信雄が納得しなければ、織田家は割れる。信長公が築き上げた織田家を、実の兄弟が争うて潰しても良いのか?」
「しかし、叔父上。信雄に家督は……」
「ああ、先ほど言ったとおり、信雄もダメだ。私は奴のせいで死にかけたのだ。今回のアレを『戦果』とは、私の目が黒いうちは絶対に言わせぬ!」
「では……! まさか叔父上が!?」
信孝は、自分たち兄弟のどちらでもないという叔父の言葉に、『信包自身が継ぐ』という第三の選択肢を見出した。
確かに、信包は弔い合戦に最初から最後まで参加している。その上、歳も40を超えて円熟味を増してきたところである。30にも届かぬ未熟な己らと比べれば、血筋以外の全てで優位にあるのは間違いない。
信孝は、顔色を変えて叔父を見る。
しかし、信包の口から出てきた言葉は、信孝にとって全くの予想外であった。
「そのような悍ましいこと、まっぴら御免だわい! ……ただな、正直なところ、私に『家督を継げ』と勧める人もいたことは事実だ。しかし、お主たち兄上の子らが健在なのに、私が継いだのでは筋が通らぬ。しかも私は一度長野家を継いだ身でもあるのだ」
「では誰を?」
「三法師よ」
「は? 三法師は確かまだ3つでは!?」
「その通りだ。しかし、よく考えてみよ。兄上は既に信忠に家督を譲っておった。であるからして、筋目から言えば信忠の子が家督を継ぐのが正当だ」
「しかし、流石に3つでは……」
「ああ、私がまずは後見をする。そして、信孝、お主が四国征伐を成し遂げた暁には、その任を譲ろう。四国を平均いたせば、信雄とて文句は言うまい。と言うか、私が言わせぬがな! その後は其方の娘を三法師に娶せでもすれば、織田家は長らく安泰になろうて」
「そこまでお考えとは! 感服いたしました!! ところで叔父上、私は納得いたしましたが、信雄めはいかがいたしますか?」
「それよ! 信孝、何ぞ良い考えはないか?」
「されば、信雄めに尾張を与えては如何でしょう?」
「尾張を? 信孝、お主それで良いのか?」
「はい。『損して得取れ』とも申します。信雄が納得するならばそれで構いませぬ」
「わかった。その方向で信雄とも話してみよう。遅くとも明日中には話をまとめたい故、明日は3人で話せるよう、時間を空けておいてくれ」
「承りました」
こうして、信包と信孝の会談は終わったのであった。




