第160話 織田家の一族・神戸信孝の場合②
天正10年(1582年)6月7日 摂津国 島上郡 水無瀬宮
「……信雄め! 阿呆のすることじゃと思うて、これまでは我慢しておったが、もはや堪忍袋の緒が切れた! これから京に乗り込み、あの阿呆を討ち果たしてくれようぞ!!
信義 続け!!」
「お待ちくだされ!」
いきり立って立ち上がった信孝さんを、俺は制止する。
「信義、何故止める!?」
「(『何故』じゃねぇよ!!)……ここで御兄弟で戦い勝ったところで、何の得にもなりませぬ。場合によっては『信雄様の戦果を奪おうとした』などと、謂われのない誹りを受ける可能性もありましょう」
「ではどうしろと言うのじゃ!!」
「さればでございます。まずは四国征伐を完遂なされませ。信雄様は曲がりながらも伊賀攻めを成功なさいました。黙らせるにはそれを上回る戦果を挙げるのが一番にござる。長宗我部を下すのは伊賀の地侍どもを平らげるのとは訳が違います。征伐を成し遂げ、『流石は信孝様よ』と皆から認められれば、信雄様など屁でもございませぬぞ」
「しかし、情けない事なれど、此度の謀反で兵どもが逃散し、先立つモノがな」
「遠方の伊勢から引き連れてきたのが良くなかったのです。ちょうど良い機会でございますから、この摂津を信孝様の所領といたしませ。摂津は大国、全て手に入れれば1万数千は動員できましょう」
「待て! 確かにそれができれば良いが、儂が国持ちになるなど信雄めが許すまい。それは如何する?」
「信雄様には、尾張に入っていただけばよろいしかと。尾張は安定しておりますし、何よりも織田家の本貫の地でございます。信雄様は浅き方。跳び上がって喜ばれましょう。
しかし、尾張はもはや、周囲全てが味方で、伸びしろは全くございません。それに隣接する徳川家からも嫌われているとなれば、信雄様は、底無し沼に嵌まったような物。『本貫の地を得た』と油断なさっている隙に、信孝様がぐうの音も出ないだけの手柄を立ててしまうのでございます」
「なるほど。信雄めに尾張を譲るのは業腹なれど、『損して得取れ』とも言うな。ここは致し方あるまい」
「さらに、四国攻めに際しては、丹羽殿、蜂屋殿あたりを外すようにすれば、より信雄様はご油断召されるかと」
「う~む。言いたいことはわかった。しかし、それでは、ちと攻め手が手薄にならぬか?」
「信孝様、丹羽殿は安土城の築城奉行もなされた才覚者。その丹羽殿を京の復興のために動かせば、帝の覚えもめでたくなりましょう。
それに、兵力の方は、ほれ、大軍を抱えているにも関わらず、丁度手が空いた方がいらっしゃるではございませんか」
「そうか! 羽柴秀吉か! 確かに秀吉は、毛利と急遽和睦を結んで中国攻めを切り上げたと聞く。奴も暴れ足りずに鬱憤がたまっていよう。ふふふ、せいぜいこき使うてやろうではないか。
……ところで信義、そちは何を望むのじゃ?」
ちょっと悪い顔をした信孝さんが話を振ってきた。こういうのに気付くところが『才覚がある』って言われる所以なんだろうね。
あんまり欲のない芝居をすると足が着くかもしれないから、俺はあえて悪い顔をして言う。
「流石は信孝様でございます。では、遠慮なく申し上げます。まずは、里見家として。我が妹が嫁ぐ信吉様に、信雄様を尾張に移した後、空いた伊賀を拝領できますれば幸いです。また、この度、徳姫様を妻に迎えることになりまして……」
「は!? 徳姫をか? これは驚いた! ならばお主は儂の義弟ではないか」
「畏れ多いことなれど、その通りでございます。して、徳川家の後見を依頼されました故、是非とも徳川家にも厚いお力添えをお願いしたく」
「それは任せておけ! 徳川殿には当家の不始末で大変な迷惑をかけたのだ。しかも此度の仇討ち合戦においても遺臣たちが凄まじい働きをしたそうではないか。その上、今後は信雄めの首根っこを押さえてくれるともなればな。決して粗略には扱わぬ事を誓うぞ」
「有り難き幸せ! これで徳姫様に申し訳が立ちまする!」
「ははははは、お主も若いのに苦労しておるの。
……ところで信義。お主の本当の願いは何じゃ?」
信孝さんは一頻り笑った後、急に真顔になって俺に問うた。
俺はニヤリと笑うと、こう返す。
「紀州征伐のために蓄えて参りました銭穀が、此度の謀反でだいぶ潰えてしまいました。しっかりと征伐を行うためにも、補填をお願いできればと。それから、信雄様が去られた南伊勢は紀伊への良い策源地となりまする。ぜひともこの信義めに下賜いただきたく存じまする。それから、蜂屋頼隆殿ら、河内・和泉衆にも与力として御助力をいただければ最高でございますな!」
「ふははは、ずいぶんと欲張るではないか!」
「ふふふ、私も頑張りましたので、これぐらいはお願いしても罰は当たらないかと思いまして」
「わはははは! 気に入った! 儂の方からも推してつかわそう。その代わり、わかっておるな?」
「はい。お任せくださいませ!」
こうして俺たちは茶室での密談を終えた。
それにしても酷かったね。昨日が酷かったから、今日はちょっとは真面な話ができるんじゃないかと思ってたんだけど、五十歩百歩だったよ。
せめて2人が仲良しだったら、まだ打つ手があったんだけどな……。
こんなことを考えながら、俺は昨日のことを思い出すのだった。