第158話 各将の6月5日③(閑話)
※今日も第三者視点です。
天正10年(1582年)6月5日 甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
「この火急の折、わざわざ下総より里見義弘様にお運びいただき、感謝に堪えませぬ。
ここ甲府盆地では、年貢を減らし、仕置きを緩めてはおりましたが、色々と変わったところも多い故、在の国人衆には不満をもつ者も多いはず。我らの手勢だけでは、果たしてどうなっていたことやら……。何度考えてもゾッといたします」
「いやいや、武田豊信殿には武田宗家の相続という火中の栗を拾わせてしまったのじゃ。推した里見家が支えるのは当然のことにござる」
「もう戻れぬと思うておった甲斐に戻していただいたうえ、そのように謙られては……。この御恩は終生忘れませぬ。
それにしても、此度の一報を入れてくださったのも信義殿とか。甲州征伐の折も幾度となく感じましたが、信義殿の慧眼には驚かされるばかり。必ずや上方でも本懐を遂げられることでしょう」
「なんの! 信義など、まだまだ尻の青い童同然でござる。豊信殿には今後とも是非お引き立てを願いた…………」
と、そこへ、和やかな空気を吹き飛ばすように、新生武田家の老臣に収まった跡部勝資が飛び込んでくる。
「失礼いたします。『勝沼・黒駒方面で不穏な兆候が見られる』との報が入りました」
「早速来ましたな。義弘様、到着早々に恐縮ですが、御助力願ってもよろしいですかな?」
「おお! 我らそのために参ったのですぞ。いくらでもお使いくだされ!」
「有り難し! 皆の者、聞いたか! 里見家の後詰めをいただけるのだ、後ろは一切気にする必要が無いぞ! 不届き者を平らげ、我らが武威を示そうではないか!」
「「「応!」」」
勢いよく立ち上がった武田家家臣団の後について、義弘たちも歩き始めた。すると、その義弘の隣に、一人の男が音も立てずにスルスルスルと近づき、スッと1枚の奉書を差し出した。
受け取って中身を開いた義弘は、しばし立ち止まり、ぼそりと呟く。
「おのれ、舐めた真似をしてくれるではないか……」
一揆鎮圧まであと2日。上方から吉報が届くまであと3日。本格的な戦闘に入るまであと5日。
天正10年(1582年)6月5日 常陸国 新治郡 土浦城
鎮守府将軍 里見義頼の下には、次々と情報が入ってくる。中には『徳川家の後見役になった』とか、『徳川信康未亡人を側室として娶った』とか、耳を疑う……。と言うか、頭がおかしくなるような代物もあった。しかし、それらを除けば、ここまでは義弘・信義と3人で話し合った予想の範囲から大きく外れてはいない。
今後問題になってくるのは、里見信義が明智光秀を討ち取れるかだ。しかし、徳川勢を併せ、美濃・尾張で味方を募れば、早々に負けることは考え難い。
東国はあらかた落ち着いた。上杉が残ってはいるが、予定どおり我らが抑えてやれば、現状を大きくかき乱すことはできまい。
我らの仕事は、信義が頑張っている間、東国を乱さないこと。
このような決意をもって、里見とその与力大名たちを差配していた義頼の下に、今朝方から次々と不穏な知らせが飛び込んできていた。
『なぜ、そのようなことを考えたのだ!?』
義頼は頭を抱えながらも、的確に指示を出していく。
上方よりの吉報に胸をなで下ろすまであと3日。2万5千を率いて土浦を出陣するまであと4日。
天正10年(1582年)6月5日 相模国 西郡(足柄下郡) 小田原城
まさか織田信長が討たれるとはな。
里見信義殿は、第一報で『尼崎に落ち延びたらしい』と書いてきたが、明智光秀のような才覚者が、よもや取り逃がすことはあるまい。事実、以後の情報は『討死』一色。これは運が向いてきたわい。
滝川には『織田信長討死』を伝えてやったから、今頃厩橋は大混乱であろう。
運が良いことに、越後攻めのため、3万の兵を送り出したばかり。あの軍勢を上野に入れれば、濡れ手に粟で一国を掴み取れよう。さらに、領主が代わったばかりの甲信も間違いなく乱れるはず。どこまで行けるか楽しみじゃ!
領主が代わったと言えば駿河もか……。うむ、駿河は手出しできぬな。全てが徳川の領地ならばともかく、間に里見の領地があるからの。信長に勝るとも劣らぬくらい恐ろしいのが里見じゃ。里見に手を出しては、ならぬ。
こんなことを考えながら、北条氏政は裏庭を見下ろす縁側に立つ。
庭の白州には一人の男が這いつくばっていた。
「いたな小太郎。小山田信茂は何と?」
「はっ! こちらに書状が」
「どれ、見せよ!」
差し出された書状を奪うように手にし、しばし目を通した氏政は、口角をつり上げる。と、我慢しきれなくなったのか、大きな声で笑い出した。そして一頻り笑った後、機嫌良さそうに腰の袋を庭に放り投げた。
「良うやった。去ね!」
袋の中の金子、銀子が、白州に散らばる。それを拾い集める男を一瞥すると、高らかに笑いながら氏政は去っていった。
野洲川合戦の結果が届き、氏政が落胆するまであと3日。己の決断の結果に気付き、卒倒しそうになるまであと5日。
しばらくして、男は立ち上がり、さっと木陰に身を隠すと、今拾った袋の中身を改める。
「ほう、ドケチの北条氏政にしては気張ったではないか! 本貫には遠く及ばぬが、良い小遣い稼ぎになったわい。さて、こうしてはおられぬ。早速御屋形様に報告せねば!」
遠くで響く、「小山田の後詰めをいたすぞ! 出陣じゃ!」という氏政の叫びを聞きつつ、風魔小太郎は足早に城を去るのだった。
風魔衆から、全ての情報が里見に流れていることを、氏政はまだ知らない。




