第150話 本能寺の変の余波
天正10年(1582年)6月2日酉の刻 三河国 渥美郡 吉田城
「織田信忠様は、二条城に入られた由にございます」
「二条城は明智が大軍に取り囲まれております」
既にあれから数回早舟が飛び込んできた。情報にタイムラグがあるから、今後どうなるかは正確には言えないけど、浄三師匠の星読みも合わせれば、京の情勢は史実どおりに展開してると考えてよさそうだ。
俺は徳姫さんに面会を求めると、今、入ってる情報を全て話して聞かせた。
だいぶ青い顔にはなってたけど、流石は戦国の女性、肝が据わってる。事実をしっかりと受け止めたみたいだった。
ならば! ってことで、俺は同盟者として軍を出すことを勧めてみたんだ。
「徳姫様、信康殿にお許しはいただいておりませぬが、今はお家の一大事、私の判断で酒井忠次の出向を解き、徳川家に帰参させようと存じます。
兵の移動につきましては、我らが船をお貸しいたします。それに我らは遠征の途中でしたから、兵糧もふんだんに持参いたしております。徳川家の皆様は、身一つで参集していただければ結構です。
どうか、信康殿を救出し、ともに信長様の仇を討とうではありませんか!」
「信義様、何から何まで……。お心遣い感謝いたしまする。どうぞ、夫、信康を救い、父、信長の仇を討ってくださいませ。
皆、聞いたかえ? 信義様がここまで助けると言ってくださっているのです。ここで逡巡するようでは武士の恥、領内の将兵にすぐに参集するよう狼煙を上げなさい」
「はっ! 直ちに」
「信義様、とりあえず明朝集まった分だけで構いませぬ。共にお連れください」
「確かに承りました。必ずや良い結果を持ち帰ることをお約束いたします」
「力強いお言葉、私としても心強うございます。さて、酒井忠次、先陣は其方に任せます。信康が何も言えぬくらいの目覚ましい活躍を期待していますよ」
「必ずや徳姫様の御期待に沿う手柄を上げてご覧に入れましょう!」
気丈な徳姫さんの様子を見て、否応なしに戦意の向上する広間だったけど、そこに新たな急使が飛び込んできた。
ただ、この使者、今までの使者とちょっと違ってた。なんと、戸板に乗せられて運ばれて来たんだ。
俺らもビックリしたけど、徳川家の面々はもっとビックリしてるみたいだった。
その疑問はすぐに解けたんだけど……。
「服部正成! 其方のような手練れが斯様な有様になるとは、一体如何したのじゃ?」
この人が服部半蔵さんなの!? あれ?、半蔵さんって確か……。
混乱する俺を尻目に、半蔵さんは同胞の助けを借りて身を起こすと、徳姫さんの前に進み出て平伏した。
「徳姫様、見苦しい姿をお見せいたし、申しわけございませぬ。殿が!」
「信康様がいかがいたしたのじゃ?」
「我ら一行は、妙心寺に滞在しておりましたが、本日早朝、惟任めが謀反を起こし、信長様を討ち果たしましてございます。それを聞いた殿は『逃げて落ち武者狩りに遭うよりは』と、信忠様と同心なさり、二条城に入られましてございます。こちら、殿から徳姫様へのお手紙と、御髪にございます」
そこまで言うと、精も根も尽き果てたようで、半蔵さんは床に崩れ落ちた。
どうやら京都から一人で走り通してきたみたいなんで、無理も無い。
当然、大広間は大騒ぎになってたけど、俺はそれどころじゃなかった。
え? え? え? 信康さんも二条城に入っちゃったってどういうこと!?
それに、確か、石川数正さんとか、井伊直政さんとかも、お供してなかったっけ?
どうすんだ、これ!? 徳川家、シャレにならないんじゃない?
完全に混乱する俺を、現実に引き戻したのは徳姫さんだった。
「信義様、斯様な次第となってしまいました。家康には信康の他に男子は無く、信康が男子は2人ともまだ幼少。このままでは徳川家は早晩崩壊いたします。
つきましては、信義様に息子らの後見をお願いしたいのです。我らを助けると思うてお引き受けいただけませぬか?」
「私のような若輩者でなく、もっと力のある方がいらっしゃいましょうに」
「なにを仰いますか! 齢15にして、既に幾度となく戦地に出、元服前から領地を立派に治められているではございませんか! それに信義様は名高き里見家の御嫡男、徳川より大身の里見家を継がれる方でございます。お任せしても家を乗っ取られる心配がございません。これ以上の方が、一体何処にいらっしゃいましょう?」
「……なるほど、徳川家が大変な状況になったのは良くわかります。私でよろしいのなら謹んで後見人をお受けいたしましょう」
「ありがとうございます。では、側室としてで構いませぬゆえ、徳川ゆかりの者を娶ってくださいませ」
「え? 何もそこまでせずとも……。私とて受けたからには、やり遂げる所存で……」
「信義様。こういったことは、縁戚でもないと納得しない者が多いのです。徳川家を四分五裂させぬためにも、どうかお願いいたします」
「このような急な縁談、しかも側室とは。相手の方がお気の毒で……」
「ご心配なさらなくても大丈夫です。なにせ相手は信義様を大層気に入っておりますので」
「はあ、ならばこちらは否やはございませぬ」
「では、早速今晩寝所に向かわせます」
「ええっ!? いくらなんでも早すぎでは?」
「明日、早速弔い合戦に向かうのです。その前に徳川の後見人になっていただきませんと、こちらは身動きが取れなくなってしまいます」
「……わかりました」
「ありがとうございます! これで両家も安泰です!!
皆の者、聞きましたね? これ以降、竹千代の元服までの間、徳川家は里見信義様の後見を受けることとなりました。信義様を主君としてお仕えするように。そして、最初の大仕事は、信康様の仇討ちです。憎き明智めの首を必ずや墓前にお供えしなさい。よいですね!」
「「「「「「はっ!」」」」」
うーん、なんかとんでもないことになっちゃったな。いつかは側室の話も来るとは思ってたけど、こんな流れで決まるとは全く予測してなかったよ。
夜になると、約束どおり俺の寝所に一人の女性がやってきた。
『いたした』のか、って?
ええ、いたしましたよ。だって、そのまま追い返しちゃったら相手に恥をかかせたことになっちゃうじゃん?
でも、この娘、誰なんだろう? 暗いし、終始無言だったから、よくわかんなかったんだよね。
順番的に言うと、家康さんの次女の督姫さんかな? 史実では北条氏直さんに嫁ぐんだけど、今生では姉の亀姫さんが嫁いじゃったから、まだお相手がいなかったはず。大大名の娘なのに、初婚で側室ってのは気の毒だけど、これも戦国の倣いかね?
でも、「俺のことを気に入ってる」ってのは本当みたい。ずいぶん積極的だったからね。これだけ気に入られてるんなら、罪悪感も減るってもんだよ。
あ、鶴さんには罪悪感いっぱいだよ。どうやって謝るか、今から気が重いや……。
天正10年(1582年)6月3日早朝 三河国 渥美郡 吉田城
「ふぁああああ、朝か」
「あら、信義様、おはようございます」
「これは徳姫様、おはや……。ゑ!?」
と、と、と、と、徳姫さん!? 督姫さんじゃなくて、徳姫さんなのお!?
信義:あの~、徳姫様? 喪に服さなくて良いんですか?
徳姫:信康様の手紙に「離縁する。好きにして良い」と。
信義:……………………。
徳姫:いたすことはいたしましたし、四人の子供たちともども末永くよろしくお願いしますね!
信義:(……女は強い! 女は怖い!!)




