第15話 義兄弟
元亀元年(1570年)6月 上総国天羽郡 佐貫城
皆さんこんにちは。酒井政明こと里見梅王丸です。今日は城が大騒ぎになってます。
近習の宗右衛門に聞いたら、里見義継さんが、佐貫に来るって先触れが届いたって言ってた。
義理とは言え、息子である義継さんが、里見家当主であり、実兄でもある義弘さんに会いに来るだけで、なんで大騒ぎになってるかって?
そりゃあ2人の仲が微妙だからだよ。
ま、微妙になった原因は、俺のせいなんだけどね!
実は、俺が生まれてから、義弘さんと義継さんの間はギクシャクし始めてしまったらしく、義継さんが佐貫城を訪ねる機会がどんどん減ってたんだって。
普段の義弘さんの親馬鹿ぶりを見てれば見当が付くけど、多分、史実どおり、梅王丸に家督を継がせたくなって、早くも動き始めたんだろうね。
義弘さんは脳筋だから、継嗣を変えたいって意図があるってことを周囲に隠せない。そして、義継さんは政治力が半端ないから、義弘のそんな思惑に気付けないはずがない。
そんなことが積み重なって、最近は、顔を合わせるのは、里見義堯さんの住んでる久留里城に行ったときぐらいになってたらしい。
義弘さんの行動は、『梅王丸のことを思って』だってことは分かるけど、俺にしてみれば間違いなく『ありがた迷惑』だ。
だって、俺、まだ2歳なんだぜ!? 30過ぎで実績もたくさんある義継さんを差し置いて、なんの功績もない(あたりまえだw)2歳の梅王丸に家督を譲ろうとするなんて、俺が義継さんの立場でも、損得勘定抜きで絶対に止めようとするよ。
だってそうだろ? ちんまりとした国人領主ならともかく、幼児が戦国大名なんて、常識的に考えたら、よっぽどのアホでもなきゃ『お家滅亡』の未来しか見えないじゃん。
チートがあるだろ、って?
馬鹿言っちゃいけない! 確かに、俺はいっぱいチートを貰ったけど、どんなチート持ちだったとしても、それを周囲に信じてもらえなかったら、政治的には全く意味がない。
そして、人間、自分の目で見もしないことを簡単に信じられるもんじゃない。どんな超自然的なことをやったとしても、現状では、まともなメディアは無いんだ。その場の人間にしか正しいことは伝わらない。その場にいない奴らにとっては、どんなチート話を耳にしたとしても、『際限なく尾ひれが付いた話』か『狂人の世迷い言』にされて終わりだろう。
つまり、功績は無視され、当主が幼児だという事実が残るわけだ。
と、いうわけで、常に反乱や紛争の種をかかえた状況になるのが分かってて、ほいほいと家督なんか継げないよ!
せめて、元服ぐらいまでは、義弘さんと義継さんが手を携えて頑張ってもらわないとね。
ごめん。自分の将来の危機だから、ちょっと脱線しちゃった!
こんな感じで、義弘さんと義継さんは疎遠になりかかってた。
そんな、『義継派』と『梅王丸派』のお家騒動になりそうな種が蒔かれた状態で、義継さんが、『当主義弘公へのご機嫌伺い』って、いきなりやってきたから、みんな慌ててるってわけだ。
義継さんの本意が分からないみんなにとっては、いろいろ勘ぐっちゃうのも仕方がない。だけど、裏を知ってる俺にとっては、「やっと来たか!」って感じだ。
まだ義継さんと話は出来てないから、ぬか喜びは出来ない。けど、俺の意図通りに義継さんが動いてくれてるとしたら、これでやっと大々的に動き出せるよ!
義継さんは、義弘さんとの話を早々に切り上げたらしく、すぐに俺の所へとやってきた。
「元亀への改元、織田の越前攻めと、浅井の裏切りによる撤兵、全て事実であった! 梅王丸殿。疑って申し訳ない」
流石は義継さん、情報が早い!
改元は知ってたけど、まだ俺のところには、『金ヶ崎の退き口』関連の話は噂レベルでしか入ってないんだよね。
「あにうえ。あたまをあげてくだされ。しんじられなくて、あたりまえです」
「お許しくださるか!」
「はい、もちろんでございます!」
「して、梅王丸殿。貴殿は何をなさるつもりじゃ?」
「まずは、ときけとわぼく……」
義継さんには、今後の情勢の見通しと、俺の考えている策を全て語って聞かせた。
今年はまだ良いけど、このまま行けば、来年には北条氏康が死んで、甲斐-相模の同盟が成立する可能性が高い。この同盟を結ぶことによって、北条は後背が安定して息を吹き返すことになる。
しかも、上野の西半分が武田の勢力下に置かれた現状では、越後からの圧力も限定的にならざるを得ない。
そうなれば、北条からの圧力は間違いなく増す。放置しておいては国府台合戦の直後の状況を上回るだろう。
上杉と断交状態にある現状で、里見家が生き残るためには、どこかで北条との和睦を視野に入れておく必要になる。
ところが、里見義堯と里見義弘は、三船山合戦の勝利と、『北条憎し』で凝り固まっていることもあって、北条とまともに交渉してこなかった。
おかげで現在、当家は北条への伝手がほとんど無い。
しかも、本国のすぐそばに、万喜の土岐家という、北条方の有力国人がいる。これもどうにかしないといけない。
そこで、土岐家との和睦だ。
まだ負けていない状況で、いきなり北条との交渉は難しいだろうが、過去に共闘していた土岐家なら、どうか。
大人同士は、色々な柵があるから、簡単にはできないかもしれないが、幼児である私を間に挟めば、成功率は上がるのではないか。
和睦にあたっては、私が『土岐為頼を訪ねる』という名目で人質になっても構わないと考えている。
最終的に、土岐家と、盟約を結べれば上々だ。しかし、今回は、北条へのつなぎを作っておくことの方が目的としては大きいので、国境線を決めて、相互不干渉の約束ができればそれでいい。欲張って、破談になることだけは避けたい。
土岐家との和約が成れば、後は、遠慮無く北進すればよい。
全力を挙げれば、房総では良い勝負ができるはず。上総だけでなく、下総東部3郡(※香取、下海上、匝瑳)。上手くいけば、千葉郡、下埴生郡辺りも獲れるかもしれない。
ただし、どんなに優勢でも、下総の関宿城が落ちたら、確実に交渉を始めないと大変なことになる。
上総からは遠いが、関宿城は関東の要。ここで梁田氏が睨みを効かせているから、北条も好き勝手に東関東に入れない。
関宿を奪われたら、大河が連なる下総・武蔵国境の低湿地を避けて、地盤が安定した台地上で軍勢を動かすことが可能になる。そうなれば、下総はもとより常陸や下野の南部も、北条の軍勢が瞬く間に席巻することだろう。
里見家だって小櫃川以南を保てるかどうか。そうなる前に和睦の交渉に入ってしまいたい。
いち早く交渉にかかれば、それなりの条件が引き出せるはず。なるべく良い条件でまとめたい。そのためには、梅王丸が、餌となって、条件を引き上げることも厭わない。
父や母は反対するだろうが、「北条とて、里見の力、執念は身に染みてわかっているから、決して粗略に扱われることはない」と言って、説得する。
切り札による成果が出て、東総3郡を勢力圏に残せれば、水軍衆を香取海に入れて、常陸に進出すれば良いし。上総までなら、内政に力を注ぎ、国力を増せば良い。
私は御仏にお言葉を頂戴したが、最善を尽くせばどんどん先のことは変わっていくはず。だから、あまり先のことは何とも言えない。しかし、直近の10年間で、北条が更に強大化するのは間違いない。
その後は、北条が、もっと強くなるなら、同盟者として大きな顔で振る舞えば良し、取って変わる勢力が現れたら、そちらに誼を通じても良い。ただ、少なくても、北条一辺倒の外交は避けたい。
舌足らずの子どもの口なので、だいぶ長い話になっちゃったけど、義継さんは、一切口を挟まず、俺の話を聞いてくれた。
そして、話が終わると、おもむろに話し始めた。
「氏康は武田の同盟破りに腹を立てていたから、生きていれば、武田との同盟はないと思っていました。が、死んでしまえば話は別。氏政は同盟に動くでしょうな。そして、武田-北条の同盟が成っても、簡単に上杉と再同盟はできぬ当家は、このままでは先細りになるのは必定。この義継、感服いたした。
ときに梅王丸殿。このことを、義堯様や義弘様でなく、なぜ某にお話しくださったのかな?
某でなく、このお2人に話せば、『御仏の声が聞けるうえ、3歳(※数え歳)にして、お家の行く末まで考えられる神童じゃ!』とお喜びくださるであろうに」
「だからでございます。わたくしは、こがくぼうけと、つながっています。とはいえ、よつぎはあにうえです。ところが、『みほとけのこえがきける』などというはなしを、ちちうえがしったら、きっと、わたくしを『よつぎに!』と、つよくいいだします。そんなのは、おいえのみだれのもとです」
「……そこまで考えておいでであったか!」
「あ、そうだ。もし、わたくしが、いせの、ひとじちにおくられるときは、わたくしをあにうえのようしにしてください」
「……なるほど! 考えましたな! 梅王丸殿が義弘様の子であり、古河公方家の連枝である事実は同じだが、義継の養子になることで、家督の継承の道筋もできる。それほど重要な人間を人質に出すとなれば、北条も相当譲歩せざるを得まい」
「さすがはあにうえ! さいしょに、おはなししてよかった!」
「いやいや、驚きましたぞ! この策が成れば、里見家もしばらくは安泰ですな」
「はい! あにうえの、おちからぞえを、よろしくおねがいします。それから、わたくしは、おとうとなのですから、たにんぎょうぎなことばは、むようにねがいます」
「心得た。梅王丸殿。……いや、梅王丸。今後も何なりと、この義継に申せ!」
「はい! あにうえ!」




