第143話 甲州征伐⑫後始末
天正10年(1582年) 3月13日 美濃国 恵那郡 苗木城
「この戯け者が!!!!」
ドスッ
「グァッ……。も、申しわけございません!」
「上様! お待ちくだされ!」
ゴンッ
「うッ」
「勝手に口を挟むな! 光秀! 今は此奴に話を聞いておる! 控えておれ!!」
「……失礼いたしました」
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
えーと、武田家の始末について、信長さんへの報告役を買って出たんだけど、信忠さんの書状を手渡したら、蹴られて転がされた感じ?
止めようとした光秀さんも、とばっちりで殴られてるぐらいなんで、間違いなく怒り心頭だね。
うん、控え目に言って、人生最大級の危機かも?
こうなることは予想はしてたんだよ。結構武田への処置が甘かったって自覚はあったからね。でも戦後の処理を考えると、あんまり厳しくしちゃうとこっちがキツイんだ。だから信忠さんの恋心に便乗して、甘めの条件を出したんだけど……。予想どおり信長さんは気に入らなかったみたい。
予想してたのに、何でわざわざ自分から出てきたんだ、って?
だって、俺が信忠さんに献策したのはみんな知ってることだから、必ずどこかでバレるでしょ? 怒り狂った後で、俺の仕業だってバレて、それから釈明に行くよりか、最初から説明しといた方が傷は小さいんじゃないかって思ったんだよ。
結果、この有様だけどね!
まあ、いきなり斬られることはなかったんで、それだけでも良しとしないと。
「梅! 一応話は聞いてつかわす。しかし、事と次第によっては成敗いたすゆえ、そう心得よ!」
「お聞きいただけるとは、有り難き幸せ!」
「……む。まず、そもそも、なぜ開城を許した?」
「はい。高遠城は我が策で兵を削りましたので、力攻めでも確実に落とせました。しかし、残された者は、精鋭なうえに死兵にござる。
しかも、城を囲んだ段階で、既にお味方は、団忠正殿、毛利長秀殿、穴山梅雪殿らを失うておりました。これ以上名のある将を失うのは織田家の損失と考えました。
また、死を恐れぬ連中は何をしでかすかわかりません。万が一、打って出た勝頼が西楚の項羽のごとき働きをして、後世に英雄のような扱いをされては業腹ではございませんか。
このように考え、信忠様に降伏勧告をするよう献策いたしました」
「なるほど。我も長島の連中の最後っ屁には苦杯を舐めさせられたゆえ、わからんでもない。しかし、此度の戦は正親町天皇陛下より『東夷武田を討て』との勅命を受けておる。女はともかく、なぜ男児や出家まで許したのだ!」
「はい。前九年の役、後三年の役、奥州征伐の例を引きましたところ、安倍貞任、清原家衡、藤原泰衡ら、征討された者らの親族で生を全うした者も多くおりました。しかも出家せずとも助命された例も多く見受けられました。
此度は生かした男の全てを出家させ、さらに甲斐・信濃から追放する条件ですから、前例に照らしても軽い条件ではないと存じます。ですから、朝廷への申し訳は十分に立つかと」
「なるほど、それなら勅命に背いたことにはならぬか……」
「なお、助命された武田の男については、私に腹案があるのですが」
「何じゃ? 話してみよ」
「はい。これは信忠様にも申し上げていないのですが、皆まとめて高野山に預けてはいかがかと」
「は? 高野山とな! はははははは! そうか! 高野山か!! 梅、でかした! そこまで考えておったのであれば、文句はない。許してつかわす」
「ありがとうございます」
いや~助かった! 事前に奥州征伐の故事とか調べといたんで、質問にもポンポン答えられたよ。何でも準備しておくもんだね!
え? 何で『高野山』で信長さんの機嫌が直ったのか、って?
実はね、信長さん、高野山とは今とっても険悪な関係なの。具体的には、本能寺の変がなかったら、比叡山と同様に“焼き討ち”されてたんじゃないかって説もあるくらい。
だから、今『高野山に送る』ってことは、『まとめて焼き討ちにする』って言ってるのと一緒なんだよね。
織田家としては、約束を守ってる。でも、合法的(?)に武田家の連中を排除できる。信長さんが喜んだのはそんな理由だよ。
えげつない?
うん、それはわかってる。悪いけど、俺だって死にたくないからね。ただ、俺が助かるための策ではあるんだけど、こっちとしては高野山送りはなるべく遅くしてもらいたいところだよ。何てったって寝覚めが悪いからね。
どうしても送らなきゃいけなくなったら、船が難破したことにして、小笠原に送ってもいいかな。今を凌げれば後は何とでもなるから、ここは口八丁だよ。
それにしても信長さんの武田への憎悪……。いや、恐怖かな? ちょっと尋常じゃないかも。もうここまで領地が拡大したんだから、そんなに気にしなくても良いと思うんだけど……。
「ちなみに梅! いつ安土に来るのじゃ?」
おっと、いけない! 信長さんが目の前にいるのに、また考えごとをしちゃった。
「はい。今率いている兵を関東に帰しまして、一度再編してから参りますので、6月ぐらいには上洛できようかと」
「うむ、そのぐらいならば良かろう」
「ちなみに、信濃や上野から上杉征伐に参加するならば、もう少し早く陣に加わることも可能ですが、いかがいたしましょう?」
「いや、柴田勝家と滝川一益、川尻秀隆に里見義頼殿、北条や蘆名や新発田までおる。そちらの手は足りておる。船戦が得意な梅には西国で働いてもらうぞ」
「はい。しっかりと準備をして伺います(よし! これで話は終わったな!)」
「ところで梅。せっかく来たのじゃ、蒲焼きを焼いていけ」
「ハイ! ヨロコンデー!!(終わりじゃなかった~!)」
結局その後は、木曽川で獲ってきた鰻をひたすら焼いて終了したよ。
あ、せっかく来たんで恩賞の希望も出しといた。こっちの方は、基本的に全部OKを貰えたんで、最初の怒りは完全に鎮まったみたい。
まあ一発蹴られたけど、それだけで済んだんで、こっちとしては御の字かな?
ちょっと明智光秀さんは気の毒だったけど……。こりゃあもしかして、『怨恨説』もあるかな?




