第140話 甲州征伐⑨献策
天正10年(1582年) 3月9日早朝 信濃国 伊那郡 山田城
皆さんおはようございます、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
義頼さんと連れだって、織田信忠さんの本陣がある山田城に来てるんだ。これからどうやって高遠城を落とすかの献策をするためだよ。
いや、もう城兵は2千人ぐらいしかいないはずなんで、史実から考えると、普通に強攻しても半日もあれば落とせるとは思うんだ。
ただね、この段階で既に追い詰めすぎちゃってるし、残ってるのは間違いなく武田の精鋭だ。破れかぶれで討って出られたり、本丸に籠もって最後の一兵まで戦われたりすると、こっちの損害も馬鹿にならない。
史記に描かれてる項羽みたいに、突撃を繰り返して『其の両騎を亡う耳』とかやられちゃったら目も当てられないし、後々勝頼さんを英雄にしちゃうことになりかねない。そうしないためにも、慎重に事を運ぶ必要があると思うんだ。
正直言うとね、「ここまで追い詰めておいて、弱音を吐くとは何事だ!!」とか責められることも予想してドキドキしてるよ。でも、俺の命を危険にさらさないためには、ここは頑張らないと!
って気合いを入れて来たんだけど、先触れを出したばっかりなのに城の前に信忠さんがいて、恵比寿顔で迎えてくれたよ。で、挨拶もそこそこに本丸に通されたんだけど、信忠さんメッチャ食い気味に来てる。そう、こんな感じで。
「いや~、義頼殿、信義殿の策は凄まじいものでござるな!まさかたった1日で、武田の精鋭のほとんどを消してしまうとは! 間違いなく戦功第一。信長が聞けばきっと喜びましょう」
「勿体ないお言葉にござる。信義は時折、いきなり突拍子もないことをしますので、いつも我らもハラハラしながら見ております。此度の戦果は、信義の策を信忠様が取り上げてくださったからこそでござる。信忠様無くしては信義の戦果もござらぬ。突拍子もない息子でござるが、今後もお引き立てのほどをお願い申し上げます」
「そのように謙遜なさるな。いや、それにしても、このような知恵者が我らに仕えてくれるとは、織田の世も明るうござる。……ところで、このような早朝からお越しいただいたのは、また良い策でも思いつかれたかな」
「流石は信忠様、何でもお見通しでござるな! 実は、これからの城攻めについて、信義が献策をしたいと申しまして。お耳汚しとは存じますが、聞くだけ聞いてはいただけませんか?」
「おお! 信義! 今度はどのような奇想天外な策を持ってきたのだ? 早う言うてみよ」
早速来たよ! 早すぎじゃね!? でも、この件に関してはまずはリサーチかな?
「これは奇策と申すほどのものではございませぬが……。まず信忠様にお伺い申し上げます。此度の武田への仕置き、信長様より何か御指示がありましたでしょうか?」
「うむ、『兵を少なめにせよ』と、『勝頼めは、きっと決戦を求めてくるゆえ、気を抜くな』といわれたぐらいであるな。後は我らの裁量に任されておる」
「……なるほど。では、松姫様のことはいかがなさりたいとお考えですか?」
「な、なぜここで松殿が!」
あ! 信忠さん、あからさまに狼狽え始めたよ。元婚約者の松姫さんに未練があったのは本当だったんだね。じゃあ、こっちの方向で押させてもらおうかな?
「松姫様ら武田の女房衆は、今、新府城にて武田の旧臣、横田尹松らに守られながら、恙なく過ごしておいでです」
「おお! それは畳重!」
「そこででございます。信忠様は、松姫様を、罪人として裁かれますか? 勝頼らの菩提を弔わせますか? それとも、妻として娶られますか?」
「妻として娶ろうと思うておった。松殿は婚約者だからな。……そうか! そこで仕置きが絡むのか!」
流石は信忠さん。理解が早くて助かるよ!
「御明察にございます。勝頼を始め、主だった武田の一門は、処罰を免れますまい。では、女子供はどうするのか? 男でも子供は『仏門に入れる』で許すのか? 既に出家の者はどうするのか? それとも根切りにするのか?
子供まで根切りにしてしまえば後腐れはございませぬ。が、それを妻となられる松姫様はどう思われましょうや?」
「なるほどな。では、お主の策を聞かせてもらおうか」
「はい。まず、…………………………………………」
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天正10年(1582年) 3月9日 信濃国 伊那郡 高遠城
本丸。重苦しい雰囲気の漂う中、最後まで残った忠義の諸将を前に武田勝頼は口を開く。
「昨日までは何とかできると思うておったが、見てのとおりの有様だ。
我らは2千、敵は10万。これでは万が一にも勝ち目はあるまい。
思い返せば、諏訪家より武田家に戻って以来、亡き父、信玄公に恥じぬようにと奮闘してきた。出来れば信勝にしっかりと家督を継がせてやりたかったが、どうやらそれも叶わぬようじゃ。
これはひとえに儂の不徳のいたすところである。このような不徳の者に対し、今のような苦しい状況になっても従うてくれている皆には、心から礼を言いたい」
「……御屋形様」
「お労しや」
「さて、ことここに至っては、儂は命を惜しむ気はない。織田信忠の本陣へ突撃し、父祖に恥じぬ死に様を遂げるつもりだ。ただ、ここまで従うてくれた忠義の者を、犬死にさせては父祖に申し訳が立たぬ。一門の者以外は城を出るが良い。紹介状を書いてつかわす」
「御屋形様! そのような情けないことをおっしゃいますな!! ここまで来ればもう命がないことぐらい我らとてわかっております。武田の家臣として地獄の底までお供させてくださいませ!」
「跡部勝資! 付いてきてくれるか。その言や有り難し!
……しかし、勝資。先ほど『地獄の底まで』と言っておったが、我らの行き先が極楽ならばいかがいたす? お主だけ地獄に送るのは申し訳ないぞ?」
「ええい! 地獄でも極楽でも付いて参りますわい!」
重かった空気は吹き飛び、広間は束の間の笑いに包まれたのである。
織田方の軍使が来たのは、その直後であった。




