第133話 甲州征伐②穴山梅雪
天正10年(1582年) 2月2日 申の刻 駿河国 有渡郡 江尻城
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
面談を申し込んできた穴山梅雪さんが広間に護送されてきたんだけど、この人、むすっとして、何もしゃべんないの。話したいことがあったんじゃないの?
……あ、もしかして!
「里見義頼が嫡男、信義にござる」
「武田一門衆の筆頭、江尻城主の穴山信君である。そのワシに対してすぐに名乗りもせぬとは、なんたる傲慢か!」
「(うわ! 面倒くさ!! あと、血筋を言うなら俺だって関東公方の孫なんで、ブーメランになってる自覚あるかな? まあ、ろくでもない話にしかならなそうだ。さっさと終わらせよう)……はあ、それはそれは。それで穴山殿のお話とは何でございますか?」
「里見家の嫡男ともあろう者が、此度の卑怯な振る舞いは何じゃ!」
「(マジで言ってんの⁉︎ コイツ、ダメじゃん! もう扱いを下げよう)ははは! 面白いことを仰るものですな。穴山殿は朝倉宗滴公を御存知ないようだ」
「何を言うか! この若造が!! 朝倉宗滴公のことぐらい知っておるわ!」
「ほう? 宗滴公は『武士は犬とも言え、畜生とも言え』と仰いましたが? それを知っていて『卑怯』と仰るのですな? ご立派なお考えです」
「む……」
「(何が『む』だよ!)ま、私は『ずるい・卑怯は敗者のたわごと』と思っておりますので悪しからず。
おい! 穴山殿はお話が済んだようだ。ここは危険ゆえ、安全な『伊豆大島』にお連れしろ!」
「待て待て待て! まだ話は終わっておらぬ!! ワシは密かに織田信長様にも誼を通じておるのだ。それを知ってのこの扱いか!!」
「(おいおい! コイツ既に内通してるじゃん!! どの口で『卑怯』とか言った?)はあ。私、信長様の直臣として仕えております(予定だがな!)が、信長様からこの話は伺っておらず……。誠に申しわけございません」
「下っ端には伝わっていなかったのであろう。ま、よい、許してつかわすゆえ、丁重に……。」
「しかし!」
「!?」
「此度の戦では、我らが軍勢が穴山殿の兵に倒されております。内応をするのであれば、最初から潔く開城すべきところを抵抗なさった。これは信長様に背く行動ですな? さて、二枚舌を弄する者はどう“処分”すべきか……」
「待て待て! 待ってくれ! 誰とも知らぬ軍勢にいきなり襲われたのじゃ! 抵抗もするであろう!」
「はて? 駿河に攻め入る話は信長様には伝わっているはずですが……。あ! 下っ端なので伝わっていなかったのですね。そうであれば仕方ありません。許してあげましょう」
「ぐぎぎぎぎぎ」
「(ははは! 怒ってる怒ってるw)ま、下っ端と話していても埒が明きませんな。
おい! 穴山殿は落ち着かれぬようだ。心穏やかにしていただくため、深い渓谷が走り、原生林が生い茂る『御蔵島』にお連れしろ! ああ、『丁重に』な!」
「待て! 待ってくれ! 待ってくだされ!!」
「何ですか? 私には、このようなつまらない話をしている時間はないのですが? さっさと御蔵島に……」
「重要な話でござる! 勝頼めは信玄公の息子とは言え、一度諏訪家を継いだ身でござる。甲斐の国衆は心から信奉しているわけではござらぬ。それに比べて、我が息子 勝千代は、武田信虎様の曾孫にして信玄公の孫にあたります」
「それで?」
「勝千代を甲斐源氏の正統として認めてくださるのでしたら、穴山家の河内領はもちろん、他の国人衆も雪崩を打って里見殿の軍門に馳せ参じましょうぞ」
「なるほど!『武田の当主の地位が勝千代殿に渡ることを条件に、甲斐の国人衆を調略をしてくださる』と言う話ですな」
「その通りでござる!」
「穴山殿は何か勘違いをしていらっしゃるようだ。勝頼殿が亡くなられても、勝千代殿が武田本家を継承する未来はございませんぞ?
……ああ! そういうわけでしたか。
おい! 穴山殿はご乱心だ。心を落ち着けるため青ヶ島で……」
「おおお、お待ちくだされ! もしかして信勝殿のことを仰るのでしたら……」
「いや、そもそも、朝廷より逆賊に認定された勝頼殿の息子である信勝殿が、武田家を継承するなど、信長様がお許しになるはずがございませぬ。加えて言うならば、穴山家も逆賊の一門衆であることをお忘れなく。それよりももっと当主に相応しい方がいらっしゃいます。ま、論より証拠、実際にお目にかかればわかり申そう。こちらにお連れするゆえ、しばし待たれよ」
俺はそう言うと、穴山梅雪を残して部屋を出た。
さあて、ヤツの顔色がどう変わるのか今から楽しみだよ。
しばらくして、俺は一人の将を伴って、広間に戻った。
呆気にとられる梅雪に向かって、その人は話し始めた。
「おお、穴山梅雪、久しいな」
「……そなたは一体?」
「なんだ、ワシが分からぬのか? まあ、30年近く会っていなかったのだから無理も無いか。三郎じゃよ」
「三郎? 武田豊信様か!」
「その通りにござる。豊信殿は信玄公の実子。その上、側室腹の勝頼殿とは違い、御母堂は正室の三条の方様です。
さらに、継承なさっているのは分家の上総武田家。諏訪家や穴山家とはわけが違います。
加えて、長らく里見家と同盟を組まれていることから、織田信長様とも敵対したことがございませぬ。
このような素晴らしい方がいらっしゃるのに、何が悲しゅうて、謀反人の息子を担ぎ上げねばならぬのですかな?
と、いうわけで、ここまで伺った穴山殿のお話は、私にとって時間の無駄でしかございませんでした。何か仰りたいのでしたら、役に立つお話をお聞かせいただきたいものです。
ちなみに、現在の私の穴山殿の評価は、『一族総出で、鳥島の開拓をしていただくのが適任』と考えておりますが、何か建設的な意見はございますかな?」
天正10年(1582年) 2月4日 甲斐国 巨摩郡 新府城
新府城の本丸では、昨日から続く軍議が紛糾していた。
裏切った木曾義昌を討つのが先か、蒲原城を落とした里見を追い出すのが先か。どちらの意見にも一長一短があり、当主武田勝頼の決断が待たれるところであった。
新たな急使が駆け込んできたのは、そんな時であった。
「申し上げます! 去る2月2日、江尻湊に里見の海賊が襲来。軍船はことごとく焼き払われましてございます。しかし城の将兵の奮戦により、上陸してきた敵兵は追い払いました。また、我が主 穴山信君は逃れてきた蒲原城の敗兵を糾合し、薩埵峠を挟んで里見勢と対峙しております」
「して、里見の様子はどうじゃ?」
「峠を押さえている兵は千人に届く程度の様子です。また、水軍は精強でしたが、陸兵はそうでもございませぬ。平地で正面からぶつかれば、難なく下せましょう。ただ、里見は、天嶮・薩埵峠を押さえており、ちと攻めあぐねております」
「御屋形様。私が思いますに、里見は皮膚の傷のようなもの。目立ちますし痛みも大きゅうございますが、命に別状はございませぬ。それに対し木曾義昌は内臓の病のようなもの。放置しておけば他に悪影響を及ぼしますし、織田を引き込むことにもなりかねません。蒲原はまず江尻衆に抑えを任せ、木曾を討った後に治療すればよいかと存じます」
「うむ! その通りじゃ! 武田信豊、先鋒を命ずる。兵5千を率いて木曾を討て。ワシは1万5千を率いて後詰めをいたす」
「はっ!」
「駿河の方は『しばらく耐えてくれ』と穴山信君に伝えよ」
「恐れながら申し上げます。我が主信君は、元より覚悟を決めておりますが、遠江との国境に近い田中城や小山城の将兵は、常に徳川の脅威にさらされております。ですから、彼らの志気を上げるため、『援軍無しで耐える』ことへの感状を頂戴できますれば幸いにございます」
「造作もないことじゃ。すぐに出してつかわそうではないか」
「有り難き幸せ! 頂戴いたしましたら江尻に戻りがてら、私めの方で両城に届けて参りましょう」
「おお、気が利くではないか! 頼んだぞ」
勝頼は、使者の男の言うままに感状を書くよう祐筆に指示を出すと、木曾への侵攻計画を錬り始めた。
この感状がどのように使われることになるのか、彼はまだ知らない。