第126話 『出向』の裏側で
前話の裏話的なお話です。
※前半と後半で視点と時間が変わります。
天正9年(1581年)3月 論功行賞前日 三河国 渥美郡 吉田城
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
実は、昨日、吉田城に入った俺が与えられた部屋でくつろいでると、いきなり信康さんがやってきて、こんなことを言い出したんだ。
「信義殿。私は明日の論功行賞で、酒井忠次めを放逐しようと考えております」
「(おいおい信康さん正気か!?)信康殿、その話は以前にも伺っておりましたが、真でございますか?」
「ええ、苦節8年、我慢に我慢を重ねてまいりましたが、高天神城も落ち、大きな憂いが無くなった今こそ絶好の機会と存じます」
「(しばらく話を聞かなかったからもう消化できてるかと思ったんだけど、ダメだったか~!)しかし、いきなりでは、他の家臣の動揺も大きいのではございませぬか?」
「いやいや、信長殿も、昨年、筆頭家老の林秀貞たちを追放しております。しかし、今の織田家に動揺など見られませぬ。当家も織田家に倣うのです。できない理由などございましょうか?」
「(いや、表向きは見えないかもしれないけど、家臣が動揺しないわけないじゃん! あの追放が『本能寺の変』の引き金だって説もあるんだよ!? 何とか穏便に治めないと……)しかし、いきなり追放して武田のところにでも走られたら、目も当てられないのではございませんか?」
「うーん、確かにそうですな」
「(『そうですな』じゃないよ。もうちょっと早く気づいてよ……)織田領から武田領に抜けるのは簡単ではありませんが、徳川領は、『一つ山や川を越えたら武田領』という場所がたくさんございます。同じようにするのはちと拙いかと存じます」
「いっそのこと刺客を伏せるか……」
「(コイツなんてことを言いやがる!)お待ち下され! 謀反を企んだのならいざ知らず、譜代の家臣をいきなり闇討ちしては、家中が大変なことになるは必定。信康殿には不本意かとは存じますが、私といたしましては、以前にもお話しした『出向』をお勧めいたしますぞ」
「……そうですか。言われてみれば徳川家の中だけで完結させるのは難しそうですな」
「(やっと納得したか! やれやれだぜ)ええ、俸禄は全て『出向』先の里見家が持ちますので、現在の所領は全て没収しても大丈夫です。ですから、信康殿から見れば『追放』とほとんど変わりませぬ。しかも、敵に走られる心配も、破れかぶれで謀反を起こされる心配もほとんどありませぬ。加えて、先祖代々の本貫地を親族の誰かに管理させてやれば、より安全になりますな」
「しかし、『出向』となれば、いつかは戻ってきてしまうのではありませんか?」
「(うん、流石に気付くよね。そんな時はと……)まずは、『武田が滅亡するまで』とか期限を区切ってやればよろしい。そして、武田が滅亡してしまえばいくらでもやりようがありましょう。『正式に移籍せよ』と命令するも良し。命令を拒めば『主君の指示を聞かないヤツ』ということで、本当に『追放』すればよろしいではありませんか」
「流石は信義殿! それで行きとうございます。では、具体的の話し始めは……」
「それは、『援軍』の話から入れば円滑に……」
「なるほど! しかし、このような場合は……」
「それでしたら…………」
こんな感じで、『出向』話がまとまったんだ。いや~、こんな付け焼き刃じゃ絶対揉めると思ったんだけどね。酒井忠次さんがあっさり受け入れてくれて本当に助かったよ。
―――――――― 論功行賞後 ――――――――
吉田城三の丸にある酒井忠次の屋敷では、一族郎党総出で、主人忠次と嫡男家次の帰還を待っていた。
「今、帰ったぞ」
「「「「お帰りなさいませ!」」」」
「兄上、よくぞご無事で……」
人の輪の中から末弟の酒井恒城が進み出る。
「酒井恒城、出迎え大儀! ははは、この通り、五体満足で帰って参ったぞ! これから主だった者を広間に集めてくれ。話はそこでじゃ」
「はっ!」
「皆の衆、此度は心配をかけた。先に申しておくが、表だっての当家へのお咎めは無い。それどころか、大きくご加増をいただくことになる」
それを聞いて、たまらず各所から歓声が上がる。
しかし、その歓声は一瞬でかき消された。
「静まれ!! お主ら、喜ぶのは、儂の話を最後まで聞いてからにいたせ!」
「はっ! お二方がご無事でしたので、よもやと思い、舞い上がってしまいました。失礼いたしました」
「うむ。加増は加増じゃが、国替えじゃ。しかも、替え地は遠国となっておる」
「なんと! 遠江の新領に国替えでございますか?」
「はははは! 遠江は隣国ではないか。斯様な場所ではないわ!
さて、これから話すことはお主らにとって驚きが多いと思う。儂も最初に伺ったときには、耳を疑うほど驚いた。しかし、今となっては有り難きお沙汰だと思うておる。
で、あるから、儂の話を聞いて、どのようなことを思うても最後まで発言は許さぬ」
忠次はこう言うと、集まった一族郎等たちに事の顛末を語り始めた。
酒井家は徳川家を離れ、関東の里見家に出向になること。
現在六千貫の俸禄が、一万貫に加増されること。
井田郷以外の領地は召し上げられ、新たに関東で領地が与えられること。
少なくても武田が滅亡するまでは、帰参は許されないこと…………。
「このようなことに相成った。なお、『井田郷は恒城に任せよ』とのお沙汰である。恒城、一度出家したお主をこき使うてすまぬが、井田酒井家の社稷を絶やさぬためじゃ。堪えてくれ」
「兄上、私は一向に構いませぬ。が、兄上はよいのでございますか? このような扱い、追放されたも同然ではございませぬか!」
「恒城、滅多なことを申すでない。お主は、林秀貞殿の先例を知らぬわけではあるまい。一歩間違えば儂らもあのようになっていたであろうよ」
「「「「……………………」」」」
「それが『出向』とやらで済んでいるのは、里見信義様が何かお口添えしてくださったおかげであろう。信義様のご厚意を無下にするわけには参るまい。
それに、『里見家に出向せよ』というのは、殿からの命。命を守るが家臣の務めよ。
しかも、俸禄を出してくださるのが里見義頼様とは言え、大きくご加増いただけるのじゃ。『理不尽』とは言えまい」
「……確かに」
「で、あるから、儂はこの話、有り難く承るつもりじゃ。それに、里見家の皆様は、義頼様と言い信義様と言い、よくお話がわかる方ばかりだしの!」
「兄上! なかなかおっしゃいますな!」
「なに、これから里見家に仕えるのじゃ! これぐらい申しても罰は当たるまい。
さて、今、話したように、我ら酒井家は関東に下向することになる。正直なところ三河に戻れるかはわからぬ。其方らの中には、三河を離れ難い者も居ろう。中間・小者も含め残りたい者は遠慮無く申せ。他家への紹介状を書いてつかわす。
また、本貫の地を離れ、我らの供をしてくれる奇特な者は、必ず加増で報いよう。
では、明日から5日間考える時間を与えるゆえ、親兄弟や妻子ともよく話し合って決めるように。わかったか!」
「「「「はっ!!」」」」
結局、酒井家の郎党のうち主君に付いて関東へ下向することを選んだ者は、全体の約7割。荷物もあったため、3回に分けてガレオン船で海を渡ることになった。なお、約束どおり全員が俸禄を倍増されたと伝わっている。
船上にて
忠次:「いや~、今日からあの小僧の顔色をうかがわなくても良いと考えると、心が洗われるようじゃ!」
信義:「(こんなに溜まってたのね。どおりですんなり受け入れるはずだわ……)」




