第12話 2歳の現状
永禄13年(1570年)2月 上総国天羽郡 佐貫城
こんにちは、里見梅王丸こと酒井政明です。この前、2歳になりました。
とは言っても、この時代はみんな数え年だから、正月で3歳ってことで処理されるんだけどね。……数え年とか太陰暦の旧暦とかなかなか慣れないよ。
ともかく、生まれて2年ちょっと経った計算だ。
2年もあれば色々できただろ、って?
何をおっしゃる! 俺は、幼児、いや、乳児だよ! そんなにたいそうなことができるわけ無いじゃないじゃん! だって、ろくすっぽ口だって利けなかったんだよ。
せいぜい、久留里城から佐貫城に移動する途中で、目についた山の木をサトウカエデに交換してみたり、佐貫城の櫓から見える城下の稲を全部ミツヒカリに変えてみたりしたぐらいだ。
だって、たまには甘いもの食いたいし、美味い飯食いたいじゃん!
サトウキビにコシヒカリ?
甘いな! 上総は平成の世でもサトウキビの栽培の北限を超えてるんだ。下手に変えちゃって、枯らしちゃっても嫌だろ? その点サトウカエデは街路樹にもなってるし、山にあるから農業に影響もない。建材や船材としても優秀らしいから、一石二鳥じゃないかな?
それからミツヒカリな。確かにコシヒカリの方が美味いけど、ミツヒカリだって十分美味いよ。少なくても、この時代の米とは大違いだ。それに、ミツヒカリは多収品種なんだよ。コシヒカリだってこの時代の稲より収量が多いんだけど、ミツヒカリはさらに凄い。コシヒカリの1.5倍ぐらい収穫できるんだぜ! しかも自家採種できない苗だから、盗まれても再現できないってのも良いところだね!
米の収穫量がめちゃくちゃ上がったから、みんな大喜び。さらに、炊いた飯を食って、あまりの美味さにみんな泣いて喜んでた!
本当は領内全域でやりたいところだけど、満2歳だと、どうしても移動がネックになるね。
だから、目に見える佐貫城下でしかできないし、メープルシロップにも手を付けられない。
自由に動き回れるようになったら、領内全域多収品種に変えちゃうんだけどな。それに、メープルシロップだけじゃなく、サトウキビも椎茸も朝鮮人参も栽培したい。でも、焦ってふらふら動き回って、誘拐されたり、山賊やらイノシシやらにやられちゃったりしたら元も子もない。やりたいことはいっぱいあるけど、1歩1歩行くしかないね!
そうそう! そろそろ農繁期に入るから、北に出陣してた義弘さんが帰って来るみたいだ。
つい最近、勝浦城の正木時忠を帰順させることができたらしい。
1567年の三船山の戦いで、義弘さんが北条の大軍を打ち破った結果、上総の東京湾側から中央部にかけては、だいたい里見家が取り返してた。でも、反対の太平洋側の里見方は、大多喜(小田喜)城の正木憲時と、土気城の酒井胤治ぐらいだった。
正木時忠は、以前は里見傘下の有力武将だったんだけど、この時期は北条方として動いてた。でも、中風にかからなかった義弘さんが活発に動き回り、本領が脅かされ始めた。その上、味方であるはずの千葉一族の城を攻めるとか、頭の悪いことをしていたこともあって、北条からの援軍も期待薄。あえなく頭を下げてきたというわけだ。
勝浦領は安房と接しているし、正木時忠は下総の香取郡にも領地を持っている。史実でも数年後には帰参してくるんだけど、まだ、武田・北条同盟が復活していないこの時期に帰参させられた効果はかなり大きいはずだ。
本当なら、この時期の里見家はちょっと停滞してたはずなんだけど、ちょっと歴史が変わってきてる。それもこれも、0歳の時、父ちゃんを強制的(?)に節酒させたおかげだね! 史実なら去年には中風になって、今頃は体に不自由が出てたはずなんだけど、今のところ元気そのものだ。
父ちゃん、この調子で元気に長生きしてくれよ!
俺たちの生き残りのために!!
正木時忠:元々は里見傘下の有力武将(※家老レベル)だったが、第2次国府台合戦で里見が大敗北を喫し、上総の大半を喪失したのを契機に、北条に寝返った。でも、単なる裏切り者ではない。実は、国府台の敗戦の時、時忠は東下総の香取郡にいて佐倉の千葉氏が動けないように牽制をしていた。ところが、本隊が一夜にしてまさかの敗走をしたせいで、敵軍に帰途を塞がれて本領に戻れなくなり、進退窮して降伏したとも言われる。
ちなみにその敗戦は、緒戦の勝利に浮かれて、目の前に敵がいるのに盛大に酒盛りなんかしてくれた里見義弘のせいなのは、もはや笑うしかない。




