第115話 初陣に向けて①
天正8年(1580年)12月 摂津国 西成郡 大坂城
「津田信澄殿、色々とお骨折りいただきありがとうございます」
「いやいや、里見信義殿。そのように畏まられてはこちらも困り申す。いかに初陣のためとは言え、外から見れば織田家の戦をお手伝いいただくのです。その上、戦後には侵攻に用いた軍船まで御提供いただけるとか。本来でしたらこちらが頭を下げねばならぬところです」
「しかし、余計な注文も付けてしまいましたので、交渉が大変だったのではございませぬか?」
「そのあたりは私の得意分野でござれば大したことはござらぬ。それどころか、私の立場としては渡りに船。誠に有り難きご注文でございました。家中がギクシャクするのは困りますからな! ……それにしても、その当事者が遅い。信義殿、お待たせして申しわけない」
「いやいや、信澄殿、お気になさらないでください。まだ定刻には少し時間がありましょう。こちらが早く来すぎたのです」
皆さんこんにちは、梅王丸改め 里見上総介信義こと酒井政明です。
今日はここ大坂に、初陣の打ち合わせに来てるんだ。今、話してたのは、俺の初陣に関わる戦の大将を任された津田信澄さん。信長さんの甥で、若き日の信長さんと家督争いを演じた信勝さんの息子だよ。
あ、言ってなかったけど、俺の初陣は、淡路島の岩屋城になったんだ。
実は、俺の初陣には幾つか条件があったの。
1つ目は『織田家の大将の下で初陣をすること』なんだ。以前に交渉で決まってたことなんだけど、実はこれ、限定要因として大きかったんだよ。
織田家は『方面軍制度』みたいなものを採用してるんだけど、その方面軍の司令官になってるのって、北陸:柴田勝家さん、山陰山陽:羽柴秀吉さんみたいな重臣なんだよね。
ところが、俺、同盟国の嫡子だろ? 『同盟者の嫡子を家臣の下に付けて働かせた』ってなると、信長さんとしても流石に体面が悪かったみたい。だから、大将になるのは織田家の親族に限定されることになる。
ここで2つ目の条件が入ってくる。
初陣で大事なことって何だと思う? それはね、『負けないこと』なんだ。
戦は時の運だから勝ち負けとかわからないだろ、って?
いやいや、普通はそうなんだけどさ、『初陣』となると、ちょっと意味合いが違ってくるんだ。だって、初陣って、ある種の通過儀礼なんだよ。だから、きちんと“通過”できなきゃ意味がないの。
足軽や雑兵ならともかく、端武者だって、先輩たちが手伝って、どうにか手柄首を挙げさせてやろうとするぐらいなんだよ。ましてや、俺は里見の御曹司。結果が見えてる相手じゃ無いと大変だ。間違って死のうものなら同盟関係に修復困難なぐらいの罅が入るからね! だから間違っても初陣の相手に武田とか毛利とかは選べない。
そんなわけで、信長さんからは候補として3か所の提示があったんだ。
1つ目が、天正伊賀の乱で反抗した伊賀。
2つ目が、向背がはっきりしない南志摩。
3つ目が、毛利の東瀬戸内海に残された毛利の拠点、淡路。
まず伊賀は真っ先に除外。だって、去年、織田家は8千で攻め込んで、完膚なきまでに敗れてるんだ。信長さんは「伊賀攻めなら3万の兵を用意する」って言ってくれたけど、史実なら5万だからね。それでも被害を出してるんだよ? そんな忍者大国に攻め込みたくない。
俺にとってみれば、できれば今後伊賀忍者もスカウトをかけていきたいところだから、あんまり反感買いたくないってのもあるけどね。
でも、一番大きいのは、伊賀を攻めるとなったら大将は間違いなく信雄さんになることなんだよ。信長さんは親バカだから構ってやってるけど、俺、バカ大将の下での初陣は嫌だよ。
ちなみに、2つ目の南志摩。ここは動機としてはこれ以上ないくらいにあったんだよね。
実は今回の上洛は、初陣のために将兵を3千ほど引き連れてたこともあって、船で大坂まで来たの。ところが、あの辺の水軍連中、沖合を航行してる俺らに襲いかかってきやがった! 大砲を撃ったら一目散に逃げてったけど、逃げずに斬り込んできたら、これが初陣になるとこだったよ! 一歩間違ったら、計画が丸狂いになるところだったんだ!!
「アイツら絶対ギタギタにしてやる!」こう決意したね。
でも、それでも南志摩は除外。理由は、こっちも多分大将が信雄さんになるから。あんなb……(以下略)
あ、ちゃんと志摩の旗頭の九鬼嘉隆さんには抗議しといたよ。そしたら、嘉隆さん曰く、支配が及んでるのは、鳥羽から英虞湾一帯までで、それ以南は管轄外なんだって。
そりゃそうだよね、そうでなきゃ初陣の候補地には入ってこないわ!
ただ、アイツらは許さない。『いつか、○すリスト』に入れといた。
で、残ったのがこの淡路ってわけだ。でも、渋々選んだわけじゃないよ。3つの中では一番好条件だからね。
淡路は大毛利の拠点だ。とは言え、既に宇喜多直家さんが織田方に寝返っちゃったんで、陸上では間に備前・播磨を挟んでる。強力な水軍を持つ毛利だけど、そんなに距離があったら簡単には大軍は送り込めない。それどころか第二次木津川口の戦いで大坂湾の制海権を完全に失っちゃったから、大軍どころか物資だって満足に運べるかどうか。
それに淡路国自体が10万石たらずの小国なんで、いくら動員をかけたって5千も集まればいいところだろう。その上、伊賀と違って隠れる山もないから、大兵力を送り込めば難しいことにはならないんじゃないかな?
加えて、前の2か所とは違って、いくら何でも信雄さんは来ないはず。これは大きいよね(笑)
大将が信澄さんになったのは、ちょうど大坂に詰めてたからだと思う。これは、はっきり言ってラッキーだった。
実は、史実の展開を考えると、大将は織田信孝さんかと思ってたんだ。信雄さんに比べたら信孝の方がまだマシだけど、本能寺の変後の動きとか見てると、信孝さんもちょっとね……。
で、淡路に攻め込むのは、関東から連れてきた3千人と、大坂にいる兵のうち5千人。これが主力になることが確定してる。
ただね、これだけだと一城を落とすのは容易いけど、一国を押さえるにはちょっと不安が残るんだ。できれば初陣で小なりとは言え一国を制して『里見信義は使えるヤツだ!』って信長さんに思わせたい。だから、もう少し重厚な布陣にしたくて、信澄さんを通じて誘いをかけてたところなんだ。
で、そろそろ、関係者が来るはずなんだけど……。おっと、やっと来なすった!
トトトトと、廊下を走る足音が近づいてくる。そして、襖が開き、現れた中年の小男は、部屋に飛び込むなり平伏した。
ジャンピング土下座!? 俺、初めて見たよ!
「信澄様、信義様、遅参いたしました! 誠に申しわけございませぬ!!」
「よい。面を上げよ」
「いや、しかし……」
「織田家の大将にそのように頭を下げられては困り申す……。
私が早く来すぎたのです。申しわけございませぬ」
いきなりのジャンピング土下座が衝撃で、その場の雰囲気に飲まれそうになってたんだけど、ちょっと思いついたんで、その小男の前で俺も平伏してみた。
2人が土下座合戦を始めたのを見て、流石に焦った信澄さんが声を上げる。
「信義殿! お直り下され。同盟国の御曹司に頭を下げさせたとあっては、信長様に叱られます! ほれ! 筑前! そなたも早く面を上げるのだ!!」
「こ、こ、こ、これは失礼いたしました!!」
「こちらこそ、色々とわきまえずに失礼いたしました」
信澄さんの言葉で頭を上げた俺は、目の前にいた痩せた貧相な顔の中年男と相対した。
へー、これが豊臣秀吉さんか!




