第11話 賭に勝つ
永禄11年(1568年)2月 上総国望陀郡 久留里城
次に義弘さんと顔を合わせたのは翌朝のことだった。
俺が目を覚ますと、目の前に義弘さんが不安げな面持ちで座っていた。一瞬びくっとしたが、ここが正念場だ。すぐに満面の笑みを湛えて義弘さんに向かって手を伸ばした。松の方さんに促され、不安と期待が綯い交ぜになった表情で、義弘さんは俺を抱き上げ、語りかけ始めた
「梅王丸。わかるか? ワシがそなたの父ぞ」
至近距離からのチェック……! OK。臭くない!
俺は嬉しげにキャッキャと笑いながら、義弘さんの顔に触れた。
「うおおおおおおおおお! 松! 見よ!! 梅王丸が笑ったぞ!!!」
「殿! お声が大きゅうございます! 梅王丸に嫌われますよ」
「お、おお! いかんいかん! 喜びを抑えきれなんだ。梅王丸、驚かせてすまんの」
「まだ赤子なのですから。お気を付けくださいね」
「わかった! 次からは気をつける」
「では、改めまして。殿、おめでとうございます」
「いや、誠に! それもこれも松のおかげじゃ。礼を申すぞ!」
「何をおっしゃいますか。殿が大好きな御酒を我慢なさったからではありませんか」
「「「殿、奥方様、おめでとうございます!」」」
「よし! 祝いじゃ! 酒をも……」
「殿!」
「あ、いかんいかん! また梅王丸に泣かれてしまうところであった」
「「わはははははは」」
「「ほほほほほほほ」」
いやー、助かった! 何度も繰り返さなきゃいけなくなったら、どうしようって思ってたんだよね。大声で泣きわめくのって辛いんだよ。
話を聞くに、どうやら、松の方さんの方が察してくれたらしい。母ちゃんナイスプレイだ!
義重さんの記憶があるから、義弘さんは、『超』の付くほど親バカだったことはわかってた。だから、大丈夫だろうとは思ってたんだけど、これはちょっとした賭けだった。
だって、下手したら、会うたびに泣きわめくことになるんだぜ? 義弘さんだって、いつまでも子煩悩でいてくれる保証なんてどこにも無い。ここでしくじって嫌われでもしたら、人生の初っぱなから大きく方針転換しなきゃいけなくなってたかもしれないんだ。
赤ん坊のうちから、いきなり賭に出るなんて馬鹿じゃないのか?
まあ、俺も多少は思うところはあるよ。でも、これに関しては賭ける価値があったんだ。
理由?
史実だと、義弘さんは永禄12年(1569年)に中風を発症してる。原因は酒の飲みすぎらしい。その上、天正6年(1578年)に他界しているんだけど、当時の記録を読むと『大酒して臓腑破る』と書かれてる。その記述を信じるなら、酒の飲み過ぎで吐血したことが死因ってことになる。
飲み過ぎて命を縮めるなんて、どんだけ酒好きなんだよ!
これが、20年、いや15年先のことなら、まだいいんだけど、義弘さんが中風を発症する1569年っていうのは来年なんだよ。死ぬのだって、たった10年後だ。
で、梅王丸は、現在ピチピチの0歳児。どんなチートがあって、どんなに足掻いたって、1歳や10歳の子どもにできることなんてたかが知れてる。
義重さんは、最終的に、義弘さんが史実どおりに死んでも何とかしちゃったけど、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」じゃないんだから、俺は無駄な苦労はしたくない。
生存確率を少しでも高めるためには、最大の庇護者である義弘さんの健康の維持が不可欠だ。
ただ、ラッキーなことに、義弘さんの死因は、手術が必要な癌とかじゃなくて、アルコール由来っぽかった。あらかじめ節制させておけば、発症を遅らせたり、発症そのものを無くすこともできるかもしれないんだ。
でも、義重さんの記憶だと、話せるようになったときには、既に義弘さんは中風だった。しかも、口が利けるようになってから、「酒を止めるように」と何度言っても、『子どもの戯れ言』と、真面に受け取ってもらえなかったそうだ。
何度繰り返してもダメなんで、義重さんは途中で諦めてたけど、俺は一度試してみたいことがあった。それが、この『梅王丸酔っ払い大嫌い』作戦だ。
しゃべれないなら態度で示せばいい。そして、10歳の子どもに、本気で家督を譲ろうとするぐらい親バカな義弘さんだ。目に入れても痛くない我が子から猛烈に拒否られたら、禁酒はしないまでも、休肝日(?)ぐらいは設けるんじゃなかろうか?
節制するようになれば、中風のリスクは下がるだろうし、きっと寿命だって延びるだろう。
まあ、分の良い賭けではあったけど、最初の賭けに勝つことができた。幸先がいいぜ!
大喜びする父母に抱かれながら、俺はそんなことを考えていたのだった。




