第109話 城の一角にて
天正8年(1580年)3月 上総国 天羽郡 湊城
「キエエエエエエエエ!」
男が俺に向かって奇声を上げながら打ちかかってくる。
俺は手に持った獲物でそれを受け流すと、その反動を利用して手首を返し、男の兜を強かに打ち据えた。
男は一度膝をつくも戦意は衰えていない。すぐに立ち上がり、また俺に向かってきた。
「まだまだ!」
「ではこちらから行くぞ!」
俺は正眼に構えると、男の間合いに入り込む。そして、頭を守ろうと手を差し上げた隙を突いて、相手の脾腹を薙いだ。
「それまで!」
「父上、何故止めるのですか!」
胴を討たれ、倒れた男が、起き上がり不満そうに声を上げる。
「馬鹿者! これが戦場ならば、お前はもう二度も死んでいるのだぞ! しかも、二本目は何だ! 慌てて動くから、あのような隙ができるのだ。もう一度鍛え直して参れ!」
「まあまあ、御子神重、やる気があるのは良いことではないか。それに治郎右衛門も20回に1回ぐらいは、私から1本を取れるようになったのだ」
「なんと! 治郎右衛門、それは真か?」
「はい! 父上、間違いございません。ですから今一度、梅王丸様と立ち合いを……」
「戯けたことを申すでない! 先ほどから見ていれば、お主らは1人余りがいるから時折休んでいるようだが、若様はずっと稽古をし続けていらっしゃるではないか。お主の我が儘にいつまでもつき合うていては、いくら若様とて倒れてしまわれるわ!」
「いや、しかし……」
「しかしもかかしもあるか!」
皆さんこんにちは、上総介 里見梅王丸こと酒井政明です。へへへ、ちょっとビックリしたでしょ? 今日は馬廻のみんなと日課の稽古をしてたとこだよ。
今、対戦してたのは馬廻の中でも一番若い御子神忠明で、止めたのは者頭の御子神重。もうわかったと思うけど、実はこの2人、親子なんだよね。
実はこの2人、義重さんにも仕えてくれてることが多かったんだけど、俺は名前を聞いてちょっと引っかかることがあったんだ。
だって、御子神なんて珍しい名前だろ? なんかの小説で御子神典膳って剣の達人が出てきたような気がしたんだよ。で、調べてみたらドンピシャ! 治郎右衛門の方が御子神典膳そのものだった。
さらに言えば、小野派一刀流開祖で徳川家で将軍指南役を務めた小野忠明ってのも、改名した治郎右衛門だったよ(※小野は母方の姓)。これにはビックリ!
調べたら、史実の治郎右衛門は、一刀流の開祖の伊東一刀斎さんに弟子入りして、里見家を出奔しちゃうんだけど、そうはさせないよ! 何せ一刀流だけでなく新當流も修めてる男がここにいるんだからね。
誰だって?
俺だよ! 俺!! 梅王丸だよ!
義重さんは、人生を繰り返す中で伊東一刀斎さんに弟子入りして一刀流を極め、皆伝を受けてる。で、実際に戦場で敵将を真っ二つにしたこともあるぐらいの剣豪なんだぜ。
俺は義重さんの記憶を全て再現できるから、一刀流については生まれた時から習得してたも同じ。と、なれば、わざわざ一刀斎さんについて行く必要もなくなるだろ?
それだけじゃないぞ。実は里見家は、実際に打ち合える実践的な剣術の稽古ができるんだ。酒井政明の記憶を駆使して、いち早く袋撓を導入したからね。それに、簡単な稽古用の防具も作って身につけさせてるから、稽古で心置きなく打ち合えるんだよ。
え? 他の流派ではどうしてるのか、って?
上泉信綱さんの新陰流だけは撓を使うんだけど、他の流派の稽古はね。木刀だよ木刀!
真剣じゃないなら大丈夫じゃないか、って?
なにとぼけたこと言ってんの! 木刀で殴り合うんだよ!?
打撲で済めばいいけど、殴り合ってるのは筋骨隆々とした男どもだ。骨折なんか日常茶飯事じゃないかな?
それが頭とか腹とかに直撃したらどうなる?
頭蓋骨陥没とか内臓破裂とか、命に関わること間違い無しじゃん? 当たったのが手足だって、単純骨折ならまだいいけど、複雑骨折とか粉砕骨折したらどうよ? 一生障害が残るの確実じゃん!
ほとんどの流派で稽古は、実戦の動きをなぞる『形』か、寸止めでやってたらしいけど、寸止めだって勢い余れば届いちゃう。稽古や試合で有為な人材を失ってたら目も当てられないんでね。
でも、撓の稽古も善し悪しだね。御子神治郎右衛門みたいな意地っ張りは、どんどん向かってきちゃうからさ!
あ、ちなみに治郎右衛門の剣の腕は、馬廻の中では上の方なんだよ? 一番若いのに凄い上達っぷり。やっぱり持ってるものが違うね。
まあ、その上達をいまだに上回れてるんで、俺の方も自信が付いてきた。もうすぐ元服もするからそろそろ頃合いかな。
「重、月末に常陸に向かう。供回りの選抜を頼む」
「は! 若様、畏まりました」
さて、それじゃあ、俺の方でも早速手紙を出さないとね。
うーん、腕が鳴るね!




