第108話 梅王丸家臣団 ※地図あり
後書きに地図を載せました。
天正8年(1580年)3月 上総国 天羽郡 湊城
皆さんこんにちは、上総介 里見梅王丸こと酒井政明です。
1か月半ぐらい揉めてた栗林義長の帰属がやっと決まったんだ。これで元服後の梅王丸領の陣容がやっとはっきりしたよ。
全員は書き切れないけど、大雑把に言うと、こんな感じ。
※◎:親族、○:譜代、●:外様
まず付家老ね。これは義頼さんの指示で、家老として付けられてる家臣のことだよ。
○加藤信景(佐貫城主)1万2千石
○正木堯盛(造海城主)2万石
元々の佐貫城主で、俺の傅役でもあった加藤信景と、内房正木氏の頭領で水軍大将の正木堯盛が、任命されてる。
ちなみに、加藤信景は3歳ぐらいから俺がフリーダムに動き回ってたからあんまり目立たなかったけど、実は最初に学問を教えてくれたのは彼なんだ。義重さんの記憶でも、最後まで一緒に戦ってくれた忠臣だよ。飛び抜けた能力はないけど、何事にも手堅いっていうのが長所だね。
それから、正木堯盛だけど、俺は『安房・上総の総大将』だっていう立場だろ? 安房・上総は里見水軍の根拠地ってことで、半ば自動的に付けられることになったんだ。
まあ、これまでも『堯盛が出陣して、信景が俺に付いて後を守る』って形ができてたから、この辺は順当な結果かな。
その他にも、里見本家の所属だけど、戦時には麾下に参集する『与力』武将が何人もいる。だから、俺は「上総・安房を支配」ってことになってるけど、全部が自由になるわけじゃないんだ。
主な人は以下の通り。
●井田胤徳(坂田城主)1万2千石
●酒井政辰(津辺城主)1万石
○忍足高明(三直城主)5千石
○藤平弘昌(千本城主)3千石
◎土岐為頼(万喜城主)1千石
他
土岐為頼さんの領地がが小さいように見えると思うけど、これは隠居料だからだよ。息子の頼春さんは、陸奥白河で12万石が与えられてるんだ。
それから、上総には、半ば従属してるんだけど名目上は『同盟者』扱いの大名家が2つある。
●武田豊信(庁南城主) 長柄郡・佐是郡 7万2千石
●酒井康治(土気城主) 山辺郡 4万8千石
両家とも、過去には里見や北条を相手に離合集散を繰り返してたんだけど、少なくとも俺が生まれてからは一貫して同盟関係を継続中なんで、切り捨てるとかは一切考えてない。条件が変わるとしたら、相手の方から何か言ってきた時だね。
今のところ一番可能性が高いのは「臣従させてほしい」って申し出てくることなんじゃないかと思ってる。このままだと、安全ではあるんだけど発展性もないからね。
ここまでは実家の紐付き、ここからが俺がスカウトしたり、俺の陪臣扱いに所属を変えてもらった人たち。言わば直臣だよ。
まずは、家老クラスの4人ね。
●栗林義長(岡本城主)2万6千石
●白井浄三(小糸城主)1万石
○戸崎勝久(南島守護代)5千石
○岡本実元(小笠原代官)1千石
義長は陣代として、俺の代わりに指揮を執ってもらってた。正式に俺の麾下になったけど、基本的に役割は変わらない。強いて言うなら俺と轡を並べて戦場に立ってもらうことぐらいかな?
浄三師匠にも結構な所領を渡してる。だけど師匠は、基本的に軍師として本陣にいて、『戦場の風を読む』仕事をしてもらってる。領兵? 息子の胤宣が率いて参陣してるよ。そっちの働きは……。まあ、普通かな(苦笑)
天神山城主だった戸崎勝久は、マリアナ方面に送って、開発責任者をさせてる。こういう仕事は性に合ったみたいで、島の南西部に温野城を築き、安振港を整備し、ドックを造りと、半年足らずの間に、いっぱしの拠点ができあがった。今も与力として3千人ほど送り込んでるけど、この調子なら中々のペースで開発が進むんじゃないかな?
小笠原代官に任命した岡本実元は、外交を担当してる岡本元悦の次男だよ。実家は兄貴が継ぐんで部屋住みとしてくすぶってた所をスカウトしてきたんだ。彼も戦闘センスは今一だけど、内政のスキルはありそうだったんで、小笠原の開発を任せてる。こっちに与力として送れるのは500人ぐらいだけど、基本的には父島に港と町を整備するのと、香辛料の採集・加工ぐらいだから、これで十分に足りてる。もうちょっと整備が進んだら、移住者も募っていく予定。
あと、家中では義頼さんしか知らないナイショが。
●風魔小太郎(長狭郡の内)1万2千石(※非公表)
以前は個別に与えてたんだけど、小太郎が来てから、まとめて小太郎経由で与えるようにしてるんだ。どう見るかは人次第だけど、江戸時代だったら立派な大名クラスなんで、報いてるとは思うよ?
あ、数字は風魔衆の所領の全てを合わせたもので、諸経費は別にあげてるよ。
半年ごとにノルマは与えてるんだけど、彼らの働きはそれ以上に大きいんだよね。そろそろ次に与える領地をどこにするか、考えなきゃならなくなってきたよ。これは嬉しい悲鳴かな?
続いて、者頭、言い方を変えると足軽大将クラスの5人だよ。
○勝又義仁 500石
○山本胤禮 300石
●山川貞孝 300石
○御子神重 250石
○堀江頼忠 200石
筆頭の勝又義仁は宗右衛門のこと。今は『猛将』として順調に活躍してくれてる。やっぱり素手で葛の蔓を引きちぎったっていう事実(笑)が自信になったのかね? 兵の統率力なんかはまだ心許ないけど、忠誠心も高いし、まだまだ若いんだ。今後の更なる成長に期待してる。
山本胤禮は、史実では義頼さんに抜擢されて久留里城代を務めてた才人だよ。だけど、今生では俺と義頼さんが対立することがなかったせいか、閑職でくすぶってたんで、数年前にスカウトしてきた。槍働きはもうちょっとだけど、内政や兵の統率には適性がありそうだって報告を受けてる。
山川貞孝は、元々は結城家の一族だったんだ。親が家中の権力闘争に負けて流浪してきたところを召し抱えた。中々の武辺者で、戦の先手として活躍してるんだって。史実でも里見家に仕えてたんだけど、戦で大将を務めることもあったんで統率力もあるはず。
御子神重は、義重さんも色々と絡みがあった兵法家で、こっちもまた『猛将』として活躍してる。内政センスはないけど、武芸はピカイチなんで、戦には欠かすことができない人材だよ。
堀江頼忠は、実は義康・忠義の代に家老を務めたほどの男だよ。だから頭角を現す前に、青田買いで引っ張ってきた。彼も槍働きは普通だけど、内政や外交には適性がありそうだから、大事に育てていかなきゃね。
ちなみに、今、胤禮と頼忠はグアムの開拓のために勝久の与力として派遣してる。勝久の手腕を吸収して、早く戦闘以外でも力を発揮できるようになってほしいな。
そして現在、近習を務めてるのがこの10人。実際に出陣する時には馬廻を務めさせる予定なんだ。
●荒川秀景 100石
●梅津道金 100石
○安西悌三郎 35石
○勝重兵衛 30石
○板倉八郎左衛門 30石
○木曾庄兵衛 25石
○黒川権兵衛 25石
○中黒源左衛門 20石
○南条小六 20石
○御子神次郎右衛門 20石
ちなみに、荒川秀景は小山家を、梅津道金は宇都宮家を出奔してきたんで俺が拾った。どっちの家も里見家に逆らって領地が激減しちゃったから、リストラされちゃったらしいんだ。
その他の8人は、ここ数年の間に領内を回って、俺自身の目で選抜してきた活きのいい若手だよ。極一部を除いて全国的には無名だけど、英才教育を施してるから、きっと何人かはものになるんじゃないかな?
この馬廻衆のメンバーは、基本的に湊城下で暮らしてて、何かあった時に即応できるようになってる。言わば俺の親衛隊みたいなもんだね。余所に出かける時は誰かしらが随伴してくるんで、俺としても気安い連中だよ。
城にいる時はいつも何らかの訓練(※座学もある)をしてるんだけど、武芸の稽古には俺も参加してることが多いんだ。
俺には剣豪だった義重さんの記憶があるうえに、『見たことを再現できる』ってチートもある。だけど、鍛えてなかったら体は思った通りに動いてくれないし、目で追えなかったら、『見たこと』自体が頭に入ってこないから、再現だってできない。だから訓練は欠かせないんだよ。
さて今日も稽古に行ってきますかね。では!
 




