第100話 伊王野合戦・暗転(閑話)
天正6年(1579年)7月 下野国 那須郡 伊王野
「追えや!」
諸将の下知を受けて、土塁を乗り越えた兵士たちが猛然と敵兵を追う。しかし敵の捨てていった竹把が邪魔になり、なかなか敵に追いつけない。
ここで騎兵がいれば、逃げる敵兵をいとも簡単に突き殺せたのであろうが、残念ながら馬で越えられるほど土塁は低くはなかった。自ずと騎馬は、虎口の役割を果たしている東西1か所ずつの出口に集中する。
東西の出口で渋滞が起こっているうちに、敵兵は三蔵川を渡りきり、河岸段丘上に作られた里見の陣地に逃げおおせた。必死で追いすがる奥羽連合軍の兵士は、少し遅れて陣地の柵にたどり着く。その柵は穴だらけで、容易に突破することができた。里見の兵は抵抗する気力もないのか、さらに奥へと逃げていく。そして、2番目の柵を突破し、3番目の柵にたどり着いたその時、朝の谷間に轟音が鳴り響いた。
鉄砲の一斉射撃だ。
その木霊が鳴り止まぬうちに、弓から矢が投石紐から石弾が、連合軍の将兵に雨霰と降り注ぐ。生き残った兵たちは慌てて逃げようとするものの、後ろから味方の軍勢が津波のように押し寄せてくるので、退くことができぬ。疎らに立てられた柵も後退するためには邪魔以外の何物でもない。混乱する兵士たちに、2度目の鉄砲の雨が降り注いだ。
このようなことが5回ほど繰り返された頃であろうか。本陣で指揮を執る連合軍の諸将も流石に何かがおかしいことに気が付いた。
「兵を退かせよ!」
蘆名盛隆の指示を受けて、引き鉦がかき鳴らされる。
梁瀬山の頂上に、深紅の旗が翻ったのはその時だった。
訝しがる諸将だったが、すぐにその意味を理解させられることになる。
旗が立って100を数えた頃であろうか。ほぼ、時を同じうして、四方の山の各所に光が生じた。そして、一瞬遅れて轟音が、さらに、数瞬後、安全なはずの本陣に、大量の鉄片が降り注いだのだ。
大砲による砲撃であった。
幾度となく繰り返されたその砲撃によって、連合軍の本陣は壊滅。大将格の蘆名盛隆すら命を落とす惨状となった。
土塁に守られているはずの本陣に、四方の山から砲弾が降り注ぐ。己の目と鼻の先で起こっている惨状を目の当たりにし、恐慌を来した奥羽連合の将兵は、我先にと遁走を開始した。ところが、里見陣内では二重に作られた柵が障害となり、思うように逃げることすらできない。
まさに阿鼻叫喚のるつぼとなった梁瀬山の里見陣内。狭い出口に殺到し、味方に踏まれて圧死する者。柵を倒そうともがくうちに、後ろから追いついてきた敵兵に斬り殺される者……。老若、貴賤の関係なく連合軍の将兵は次々とその命を散らしていった。
その日の夕刻、山のように折り重なった遺体の中から、小峰白河城主 結城義親は、物言わぬ骸となって発見された。奥羽連合の先陣を務めた勇将の呆気ない死であった。
陸奥大館城(※平城)主 岩城親隆は、東山道を白河の関に向かって駆けながら、己の運の強さを噛みしめていた。
今朝の戦で、連合軍の一番東側に陣取っていた岩城勢への里見の攻撃はなく、反撃の機会を逸してしまった。本来なら悔やむべきことなのだが、結果的にこれが幸いした。
里見陣へ攻めかかるのが遅れたことで、鉄砲の一斉掃射による先鋒の潰乱に巻き込まれず、本陣を離れていたことで、大砲による集中砲火からも逃れることができた。更には、陣の東端にいたことで、混乱を極める中央の味方を尻目に、いち早く撤退を始めることができたのだ。
あれだけの人死が出たということは、勝った方も首取りで忙しく、追撃の脚も鈍ろうというもの。その隙に白河の関を越えてしまえば、容易く平までたどり着けよう。里見は降伏する者には甘いと聞く。義兄である佐竹義重殿に仲介を頼めば何とかなるであろう。連合軍に内通を図っていた証拠をちらつかせれば、よもや断ることはあるまい。
そのようなことを考えながら、国境の峠道にさしかかれば、峠の頂点にたなびくは、『五本骨扇に月丸』の佐竹扇の旗印。
佐竹の援軍が峠を抑えているではないか!
これで助かった! 早く佐竹の陣地へ逃げ込まねば!
己の幸運を感謝するとともに、その幸運を逃すまいと、親隆は峠に向かってさらに馬を急がせた。
親隆の耳に鏑矢の高い音が届いたのは、その時だった。驚いて周囲の尾根を仰ぎ見れば、そこに林立するは『三つ引き両』。里見が家老、正木時長が旗印である。
おのれ! 佐竹義重。謀りおったな!!
嵌められたことに気付き、憤る親隆の前に現れたのは、当の義重である。
「親隆殿、逆ろうても無駄じゃ。下りなされ。里見義頼様は寛大なお方ぞ。今なら義兄弟の誼で、ワシが口を利いてつかわそう」
「この二枚舌が何を申すか!! こうなっては是非も無し。血路を開かん! 皆の者、我に続……」
「殿、御免!!」
親隆が下知の全てを口にすることはなかった。
後ろに控えていた、岩城一門の将、富岡隆宗の手によって討たれたのである。
「義重様! 我が主岩城親隆は、我が身をもって将兵の命を救わんと、自害いたし申した!! 岩城家の降伏と、一子常隆様への家督相続につきまして、里見義頼様への取りなし、御願い申し上げまする」
「隆宗殿。介錯大儀! ご安心召されよ。佐竹義重、この件、しかと承った!」
「ありがたき幸せ! しからば御免!!」
富岡隆宗は、義重の答えを聞くやいなや、自刎して果てた。
こうして、海道四郡に権勢を張った岩城一族は当主を失い、その精鋭も全て捕虜となり、完全に里見の軍門に降ることとなったのである。
今回でとうとう100話達成です。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。まだまだ続きますので、これからも、応援よろしくお願いいたします。




