第1話 キャンプ
平成14年(2002年) 7月 千葉県安房郡富浦町(現南房総市) 富浦漁港
俺は酒井政明。25歳の公務員だ。
俺は今、高校時代の友人たちと太房岬にキャンプに来てる。
今回、俺は、食材確保係・釣り班として、釣り好きの友人、山辺と、近所の漁港で釣り始めたところだ。
釣りが得意なのか、って?
……だったら良かったんだけどな。
俺は、アウトドアマニアじゃないし、料理も得意じゃない、その上、今回は車も出してない。
特段できることはない。だからといって、タダ飯はよろしくない。何でもいいから働かせろ!
と、いうわけで、「酒井は泳げるから」って消極的な理由で『釣り班』配属になった。
普段だったら、別に問題ないんだけど、今回に限っては、ちょっとばかし問題があった。
俺、今、2日間寝てないんだよね。
国立大学の農学部を卒業して、県の農業試験場に就職してから3年。バブル崩壊の後から延々と続く就職難の時代に、公務員なんて安定した職種に就職できたのは、めっちゃラッキーだった。
だけど、まさか公立の農業試験場が、あんなにもブラックな職場だとは思わなかった。
農地や畜舎で疫病が出れば、すぐに飛んでいき、その処理にあたる。戻ってきたら報告書。農家のおっさん(多分)からの、わけのわからない苦情電話への対応。1時間以上かかることだってざらだ。で、電話が切れたら、まず上司に口頭で報告。そして、さらに報告書。
仕事がこれだけだったら、まだ何とかなるかもしれないけど、俺は『緊急対応枠』や、『苦情窓口担当』として雇われているわけじゃない。当然、これらは日常業務の外だ。
同輩や後輩がいれば、手伝ってもらうこともできるんだろうけど、県も採用枠を減らしてるみたいで、同輩は無し、後輩も2年間入ってこない。
『永遠の下っ端(笑)』 それが俺だ!
こんな職場は、常に『辞めてやりたい!』って思ってるんだけど、辞めたらまともな就職ができるかっていったら、まず無理だ。事実、大学の同期で大学院に進んだヤツがいるんだが、就職先が見つからず、今は、アルバイトで糊口をしのいでる。理系の院卒がだぜ!?
ただ、今日が2徹なのは、俺にも原因がある。
キャンプが楽しみでしょうがなかったから、休みを取るために、2日分の仕事を無理して終わらせた。これが失敗だった。
「こんなの終わるわけありませ~ん」とか言えるぐらい、図太くなれればいいんだろうけど……。小心者はダメだね!
「なあ、山辺」
「何だ? マチャアキ」
「俺は政明だ! 断じてマチャアキではない!!」
「えっ!? お前、『サカイ・マサアキ』だろ?」
「俺は酒井政明、マチャアキは堺○章!」
「一緒だろうが!!」
「くそっ! 馬鹿にしやがって!! うちの家系はなぁ、江戸時代には旗本で、その昔は大名だったんだぞ! お前なんか世が世なら打ち首にしてやんのに!」
「え、マジ!? 旗本で『酒井』つったら、あの徳川四天王の?」
「……いや。酒井忠次の系統じゃなく、東金城主だった酒井家の系統」
「おお! それでも城主かよ! すげー!
……おい。でも、俺は生まれてこの方ずっと千葉県に住んでるけど、『東金城』なんて聞いたこともねーぞ」
「うん。だって、秀吉の小田原征伐のときに北条に味方したせいで、酒井家は取りつぶし。城は廃城になっちゃったからな!」
「そんなの旗本じゃね-じゃん!!」
「旗本なんだよ! 徳川譜代の酒井家、徳川四天王の方な。そこに『同姓の誼』って頭下げて、旗本として採用してもらったみたいだぞ」
「うわ! そんなんでOKなら、山辺家なんかもっとすごいぞ」
「え?」
「聞いて驚け。『山辺家』は、上総の山辺国造の流れだ。そして、戦国時代にお前ん家で治めてた東金は、山辺郡。
お前なんか、世が世なら、俺んちの古墳造営とかに駆り出されて、ムチで打たれながら、土運びとかしてたんだぞ!」
「残念でした~。俺ん家は室町時代に移住してきたんで。お前ん家の古墳なんかつくりませ~ん。むしろ盗掘しちゃろうか!」
「くそ! お前ん家なんか、大和朝廷に言いつけて、『強制労働』を増やしてもらっちゃうんだからな!
……で、何よ?」
「……いきなり現実に戻ったね」
「ああ。こんなに騒いでたら、いつまで経っても魚が釣れんからな」
「そのことだ! 俺、釣りしなきゃダメか? 今『2徹』なんだけど」
「え、マジ!? 初耳なんだけど!
でも、ダメ。やらなかったら、キャンプに来てるのに、晩飯は野菜と『缶詰』になるぞ! それが嫌なら、最低でも6匹。さっさと釣り上げるんだ!!
……それにしてもマチャアキよ。農業試験場ってそんなに忙しいのか」
「聞くな! 色々あるんだよ! それから俺はマチャアキではない」
「お約束の台詞をありがとう」
「話を戻すが、俺が2徹なのはともかく、こんな白波が立った状態で、魚が釣れるとは思えんのだが」
「大丈夫だ。狙いはテトラポットの間にいる、カサゴとかアイナメとかだ。多少波があろうが、あんまり関係ない。
それにほれ、見てみろ。あそこにバナナボートで遊んでるヤツがいるだろ?
安房のこの辺じゃ、このぐらい荒れてるうちに入らないんだよ。……きっと」
「ホントだ。そんなもんかね。それにしても、よく見ると、乗ってるヤツは、ずいぶん必死な形相に見えるんだが。あ、落ちた。
……あれ、溺れてないか!?」
「……溺れてるな。海難救助隊に連絡しなきゃ!」
「なあ、山辺。救助隊が来る前に、助けに行った方が良くないか?」
「あの状況は、助けに行けるなら動きたいところだが……。
すまん! 酒井。俺は泳げん。……お前行けるのか?」
「おおよ! 中・高水泳部、大学ヨット部の実力を見せてやる。ちょっくら行ってくるわ!」
「悪いな酒井。絶対無理すんなよ! 無理だと思ったら途中で引き返せ!」
「おお! わかった!」
俺は、上着を脱いで水着だけになり、ライフジャケットを身につけると、白波が立つ海に飛び込んだ。
波をかき分け、ボートにたどり着いたとき、面倒なことに落水者は2人になってた。
先に落ちた子どもを助けようと、父親が飛び込んだらしい。
しかも、父親はライフジャケットを身につけてないときた!
「この大馬鹿野郎め!」
心中かなり毒づきながら、泣きわめく子どもを後ろから捕まえてボートに上げた。
その後、父親も羽交い締めにして落ち着かせ、ボートにしがみつかせる。
聞くと、「俺、あまり泳げないんだ」とか言うし、溺れかけてかなり消耗した様子。しかも酒臭いときた!
全く、ふざけやがって!!
仕方がないから、着てきたライフジャケットを脱いで、身に付けさせた。
山辺が海難救助隊に連絡をとってくれてたし、ここは漁港のすぐそばだ。ボートにしがみついてれば何とかなるだろ。
そう思ってたんだけど、今の俺は2徹明けだった。瞬きをしたつもりが、寝てしまったらしい。
微睡みの中、力が抜け、ボートから手を離してしまった俺は、水中に滑り落ちた。
そして、いきなり海中で目が覚めて、パニックに陥った俺を、折悪しくも大きな波がのみ込んでいった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・