第二章「動きだ出す影、揺らめく闇」1
十年前――。
少女――沢田弥生は、見知らぬ部屋で目が覚めた。楓や父親の孝則、母親の梓の姿はなかった。家に帰って宿題をしようとしてその後、何があったのか、意識を失っていたせいで思い出せない。
ようやく、周囲を見渡す余裕ができた。
腕には点滴がつけられている。色々なコードが見たこともない機械に取り付けられていた。一瞬、病院かと思ったが違うらしい。
バイオ水槽が並び異様な室内だった。
異彩を放っている。
だが、連れて来られた弥生にとって、そんな大和の企みを知る由もない。
(気持ち悪い。何かの研究施設?)
あまり、いい気分ではなかった。気持ちのいい場所ではない。目を逸らしたくなるが、どうしても視界に入ってしまう。
すると、部屋の扉が開いた。
「起きたのか? いずれ君もあそこに入ることになる」
男性――森川大和が、研究員らしき人を連れて入ってきた。研究員たちが弥生のバイタルチェックをしていく。人間をアンドロイドにすることが、大和の目的でもあった。
「――誰なの?」
弥生は震える声で問う。
「私は森川大和。ここ、アンドロイド研究所の所長だ。今のところは、経過は順調なようだな」
大和の瞳は濁りきっており、正気ではなかった。何に取り憑かれたような瞳をしている。優しさなど感じない。心に闇をもっている者の瞳である。人を殺すことに迷いがない人物の瞳だった。
弥生は全身に鳥肌がたつ。ここから、逃げ出さないと危険だと、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
本能が警告している。
「――何をするつもりなの?」
怪我を無視して抵抗をする。その抵抗も虚しく手足に繋がれている鎖が、ジャラジャラと音を立てるだけだった。沢田家を襲撃したあの日、まだ、息があった弥生を何かに使えるだろうと、仲間たちが連れて帰って来たのである。
「もうすぐ、自分が自分でなくなる時が来る」
大和はニヤリと笑う。
「私の家族はどこにいるの? 家に帰らしてよ。皆に会いたい」
「両親はすでに、死亡。弟は行方不明。その状況で希望なんてあるのか?」
「あるわ。私は家族が生きていると、希望をもちたいだけよ」
「はっ……脳天気な考えだな。その希望を壊してやる。ムダな抵抗はやめろ」
「希望をもって何が悪い――んっ」
大和は弥生の唇を奪う。舌を絡ませて、薬を飲ませる。弥生は反射的に飲み込んでしまう。大和が飲ませた薬は、家族の記憶を消すための効果と、人間からアンドロイドへと変化させるためのものだった。
「やぁ……いやぁっ」
呼吸ができない。全身から汗が流れ出す。楓たちの記憶が書き換えられていく。書き換えられていく感覚がとても不快だった。
薬の影響もあるのか、意識が朦朧としてくる。頭の中に霧がかかっているかのようだ。
弥生の記憶はそこで途切れた。
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「目覚めろ。弥生」
大和の声に、バイオ水槽の中にいた弥生が目を覚ます。楓と同じ青灰色の瞳が、ゆるりと大和を見る。研究員たちが弥生をバイオ水槽から出す。
身体を拭いて服を着させる。
「ご主人様」
「私のことは大和と呼べ」
「かしこまりました」
弥生は大和に膝をつく。その姿は洗礼されていた。ここに来て、弥生をアンドロイドに出来たのが大きい。それなりの戦力にもなるだろう。大和は弥生に期待していた。
「調子はどうだ?」
「気分はいいです。すぐにでも、戦えそうです」
「家族のことを覚えているか?」
確認の意味をとって、弥生に尋ねる。
「いえ、全く。それがどうしましたか?」
「それでいい」
大和は満足そうに応える。
弥生の癖のない髪をさらりとすいた。