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金平糖の箱の中  作者: 由季
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 夕霧が少し乱れた着物を直していると、狐男が襖を開ける。


「喜八の旦那さま来られたから、はやく準備しなさい」

「……」


 先ほどされた酷い仕打ちもあり、わかってるよと心の中で呟く。狐男には返事を返さなかった。ヘソを曲げるのは日常茶飯事なのか、夕霧しか変えがいないからなのか、特に叱る様子もなくピシャリと襖を閉める。先ほど打たれた手をみて、下唇を噛む。何故か無性にやるせない気持ちになった。思いだせば、目の奥がジワリと暑くなるのを感じた。


 しばらくすると襖が開く。夕霧は振り返るとそこに腕を組んだ喜八が立っている。穏やかな笑みを浮かべている喜八に、打たれた手が疼いた。


「やあ」

「旦那様」


 夕霧は、先ほどあったことを微塵も感じさせない笑みで喜八を迎える。舐められたうなじの気持ち悪い感覚を思い出し、綺麗な袖でぬぐった。


さあ、もう一仕事だと笑みの中に落胆を隠したが、喜八は抱きしめるでも布団に入るでもなく、先日同様に座布団に座った。一直線に布団に行った、先ほどの客と真反対だった。その様子に夕霧はきょとんとしていると喜八は不思議そうに、座らないのかい?と尋ねる。


「あ……いえ、座ります」

「今日も生け花、綺麗じゃないか」


 梅の枝が伸びていてとても素敵だよと夕霧にほほえむ。


「いや、そんな……」


 夕霧は、言われもしなかったことを言われ演技ではなく、素直に照れてしまった。いつもの客であったら、花など見ないものを。会った時から少し調子が変な夕霧の顔を喜八が覗き込むと、照れてしまった顔を見られまいと俯く。


「どうした?」


 これではいけないと、またいつも通りの笑顔に戻り、大丈夫ですと笑った。


「そういえば、あの残りの金平糖、食べたかい?」

「ええ、私ともうひとりで、美味しくいただきました」


 東雲の「白い金平糖は煙管の煙味だ!」と下手な芝居をしていたのを思い出し、夕霧はクスリと笑ってしまった。夕霧の笑い声に、喜八が首をかしげると、夕霧は、なんでもありませんと言った。


「なんだ、面白い話は独り占めかい?」

「いや、そんな大した話ではなくって……」


 隠そうとすればするほど、あの変な演技やら顔やらが思い出されてきてクスクス笑ってしまう。喜八が、なんだなんだと問い詰めてくるものだから夕霧は堪らず話した。


「仲のいい女郎が、白い金平糖は煙管の煙味だって……」


 喜八は目を開き、それはおもしろいと手を叩いた。素直に笑ってくれる様子に夕霧も気を良くしたのか、こんな変な芝居もしてたんですよ、と真似したりしていた。


 生け花の前で2人、どちらも飾らず笑っている。喜八は、先ほどの作ったような笑顔とは違い、素の笑顔を見れたような気がした。しかしその笑顔は、恐ろしく朝霧に似て、喜八は内心驚いていた。


 この部屋だけ、昔に戻って、自分も若いまま朝霧と話しているような感覚になった。はあ、おかしい、と細い指で滲んだ涙を拭う。夕霧は自分の手の甲を見て一瞬、こわばったような顔をした。喜八はそれを見逃さず、どうしたと手の甲を取ると、先ほど叩かれたところが赤くなっている。


「これは?」

「これは……さっき、ぶつけてしまって」


 そういうと、手をさすりながら苦笑いをした。この笑顔も、喜八は知っていた。朝霧も、都合の悪いことを隠そうとすると、この夕霧に全く似た苦笑いをする。嫌な、苦い思い出が喜八の中に蘇る。


「本当に?」

「ええ」


 眉ひとつ動かさず、私、お転婆でと微笑んだ。それ以上話そうとしない夕霧の手を取り、赤い部分をさすった。


「……疲れたろう」


 おつかれさま、と喜八は低い声で言う。いつもの夕霧なら、なにもわからない癖にと思うところであったが、その低い声とさすられた硬い手に、じわりと心が温かくなっていった。弱った心に漬け込むのはズルいと、夕霧は俯く。


 その空間に夕霧は、安心感と暖かさで微睡んだ。喜八はすっくと立ち上がり、いきなり襖のほうへ歩いていく。夕霧は当たり前に布団に行くと思っていたので焦って立ち上がると、自分の裾を踏んでしまい転んだ。


「あ……」


 喜八は、大丈夫かと駆け寄ると腕を夕霧に掴まれる。喜八の目の前にこぶりな小さい顔がある。まんまるな目は確実に喜八を捉えている。初めての。いきなりの近さに年甲斐もなく胸が跳ねた。


「どうし……」

「あの、し、しないのですか?」


 “する”という言葉が意味するものが一瞬、喜八はわからなかった。その問いかけに喜八は少し苦笑いをした。


「私は、君と会話してるだけで楽しいよ」


 今日はきっと、休みたいだろう。と呟いた。転んだ夕霧の手を取り立ち上がらせた。じゃあまた、と襖を開け出ていってしまう。


 夕霧は、ぼんやりしながらその後ろ姿を見つめ、さっき喜八にとられた手を撫でたのであった。

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