夏の日差し
彼女が云った。それは木の葉の葉擦れに消えてしまいそうな、細い声だった。天真爛漫な彼女にしては珍しい、それが彼女のその時の第一印象だった。
飲まれそうな濃い闇。優しさと明るさと、この世のすべてをはらんだような瞳をする彼女の、初めて垣間見た闇だった。
一抹の寂寥と微かな苛立ち、欠片ほどの衝動のような色香、そして大多数を占める諦観。それらがかき混ぜられ一種のカオスとなり、それでもなお鍋の底で煮凝って固まってしまってこびり付いてしまったような……これを一言で言うなら、病んでいる。
一目見ただけでそうとわかる、この瞳は其処を見ていない、其れを見ていない、人を見ていない。
故に今の彼女を形容するなら、それは肉体の殻から剥き出しになった恒星の核なのだ。どうしようもなく笑顔の下でその病みを深めてしまって、超新星爆発を起こしそうなのに質量も密度もスカスカな搾りかすとなってしまってその鬱憤を爆発させられない。
そんな闇が溜まりすぎて膿んでしまってどうしようもなくなって、助けを求めたいのに求められないジレンマに耐えきれないから、その殻がほんの少し、爪で裂け広がった避妊具の先端みたいに、その目は沈黙を答えとして語っていた。
だから彼女はそんな彼女のそれから目を背けるしかなかった。彼女に彼女をどうにかできるという覚悟も責任も、ましてや自信も持てないからだ。
ずるいと知りながら、それでも彼女は聞こえなかったふりをして聞き返した。普通の友達がそうするように。
「ん、なんだい? ……悪い、聞いてなかった。出来ればもう一度聴かせてくれないかな?」
「―――――――――――」
嘘吐き、目がありありとそう語っている。それでも彼女は、自分もまた言わなかったふりをして笑顔の仮面を被り直してさっきと同じ、どうでもいいことをどうでもよさげに話して聞かせた。諦めたように。
あぁ、暑いな。このままでは日射病か熱中症にでもかかってしまうな。
彼女はそう他人事のように思いながら彼女の肩を抱き寄せて、彼女の後頭部を自分の胸に押し当てるようにして抱きしめた。
自分よりも一回りは小さいだろう彼女のぬくもりを胸元に感じ、まだここにいるという狡賢い安心感に浸りながら。
暑さを厭うなら全く真逆の行為だと嗤いながら、もしかしたら同じように事情と理由があってそこに存在するしかできない彼女に自分を重ね合わせていたのかもしれない。
軽く抱きしめてやるともがくでも潜り抜けるでもなく、かといって安らぎといった風情もなく、彼女はその細い両手を己を抱きしめる同様に細い腕に添えていた。
「油蝉が煩くて煩わしくて暑苦しいのはね……松○修○の子孫だからなんだよ」
何の因果関係もないことに軽く吹き出しながら、強めに抱きしめた。
煩わしげに抱かれる位置を調整しようとしているが、どうにも思ったような体位にならないことにやがて諦めると為すがままになって不貞腐れたような顔をした。
人生は抜け出せない。誰しもが事情と理由を抱えて生きている。彼女がそうであるように、彼女もそうであると、彼女は自嘲していた。自分の問題に踏ん切りをつけられない半端者が、どうしてほかの人間の問題に口を挟む資格を持てるものだろうか、と。
でもだからこそ、彼女が壊れて人形になってしまわないために、ならないことを強制するために――あからさまな楔を打ち込もうとする自分は果して善人なのか、はたまた一人の女の子を洗脳し依存させようとする魔女なのか、わからない癖に分かった風な口をきいて、善人面をして彼女の頭を撫でながら、それでも彼女はそれを言葉にした。
「大丈夫だよ。わかっているから。全部、わかっているから。俺が付いているから」
少なくとも、彼女にはこれだけはわかっていた。だからこそ彼女は心の中でひとりごちた。
あぁ間違いない。俺は、魔女だ――儚い少女をかどわかし、迷わせる悪い魔女だ。
一昨日シャワーを浴びて髪の毛をH&S(銃器メーカーのS&Wの系列会社でもH&Kの系列会社でもない)で洗っていた際に、まだ外で微妙に蝉が鳴いていたのを聞き、思いついたネタ台詞に合わせて肉づけした結果わけのわからないものになりました。これの正しいジャンルがわかる方、感想欄あるいはDMにおよせください。