第六話 初めてのコーヒー
すべてを終えてコーネリアが戻って来ると、もうそろそろ眠る時間だ。
俺は愛用の毛布とともに予備の毛布を荷馬車から取り出した。
「レイ、これを使え」
「毛布を使って良いんですか?」
ニジャルの部族では、女子供は幌馬車の中で寝るが、奴隷だったレイは馬車の中には入れてもらえず、また、毛布なども与えられずに、そのまま地面に横になっていたのだろう。
もっとも、遊牧民たちは基本的に羊の飼育に適した地域を回っており、毛布がないと寒くて眠れないということはなかったはずだ。
「ああ。おまえは大事な商品だ。病気にでもなられると大損することになるからな」
レイは俺から毛布を受け取ると、たいして高級な毛布ではないのだが、うれしそうにその手触りを確かめていた。
「じゃあ、ギース、お先に」
「おう」
そんなレイを横目に、毛布を体に羽織ったコーネリアが、荷馬車の近くにゴロンと横になったと思ったら、即、寝息が聞こえてきた。
まったく、昼間もいつも居眠りしてやがるくせに、よく眠れるもんだと感心する。
「おまえもコーネリアの近くで眠れ」
「ギースは眠らないのですか?」
「夜中にコーネリアと交替する。ニジャルの部族でも戦士たちが交替で見張りをしていただろう?」
「はい」
「俺たちのような少人数の一行では、自分たちが順番に見張りをするしかないからな」
一人旅をしていた頃には、体は眠らせながらも神経は常に目覚めていて、賊の気配を感じたら、即、起き上がっていた。それでも体力的につらくなかったのは、ひとえに若かったからだが、最近は、短時間でも熟睡しないと体の疲れが取れなくなっているような気がしていて、それもコーネリアを雇った理由の一つだった。
「私は起きてなくても良いんですか?」
「ニジャルの部族では寝ずの番をさせられていたのか?」
レイはかぶりを振った。
ニジャルという男は人情に厚い男だ。いくら奴隷でも幼気な少女であるレイをそこまで酷使することはなかったはずだ。
それにそもそも、この大草原のど真ん中で風の音と賊の気配を感じ分けることができなければ、見張りをする意味はない。
「おまえに寝ずの番が務まるのであれば頼むが、おまえには無理だ。言ったはずだ。おまえにはできる仕事を頼むとな」
「は、はい。ごめんなさい」
自分が役に立てないことが申し訳ないと感じているようで、レイは悲しそうな顔をした。
「謝ることはない。おまえはまだ子供だ。もっと大きくなればできることも増えるだろう。その時に、まだ、俺たちと一緒に旅をしていたら、いろいろと頼むだろうぜ」
「わ、わかりました」
「とりあえず寝ろ」
「はい。お、おやすみなさい」
「ああ」
レイは、体に毛布を巻き付けるようにして、コーネリアの近くに横になり、目を閉じた。
俺はレイから視線をはずし、辺りをぐるりと見渡してみた。
満天に輝く星の明かりでまったくの暗闇ではないが、身を潜めて近づいて来ている者がいても、すぐ近くまで来ないと見えないだろう。先ほどみたいに気配を感じ取れなければ対処できないのだ。
視線をレイに戻す。何回か寝返りを打った間に、頭まで毛布にくるまり、毛布の先っぽから金色の髪が生えているように見えていた。今は、身動き一つしないことから、もう寝入っているようだ。
夜中にコーネリアと交替して眠りについたが、日の出前にはいつもどおり目が覚めた。
おそらく四時間ほどしか眠っていないはずだが、それで十分だ。長年の旅の習慣のせいか、ショートスリーパーになっていた。
「おはようございます」
昨日まで聞いたことのない女の子の声がして、一瞬、戸惑ったが、レイが既に起きて毛布にくるまり、膝を抱えて座っていた。
コーネリアは? と見ると、寝ずの番をしていたはずなのに、すでに消えた焚き火の近くに座り、舟を漕いでいた。
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい! 毛布が暖かかったです!」
「それは良かったな」
「あ、あの、何かすることはありますか?」
「そうだな」
改めて、見渡す限りの草原である辺りを見渡すと、まだ薄暗いが人の気配はもちろん、獣の気配もしなかった。
「辺りにある木の枝を集めてくれ。また火を起こす」
「はい!」
元気よく返事をしたレイは、綺麗に毛布をたたみ、荷馬車の指定場所に毛布をしまってから、荷馬車の周りで灌木の小枝を拾い始めた。
俺も立ち上がると、コーネリアに近づき、その額を中指で弾いた。
「痛て~」
額をさすりながら、コーネリアが顔をしかめて目を開けた。
「まったく! 寝ずの番が眠っていてどうするんだ!」とコーネリアに怒ったが、毎朝繰り返される台詞で、既に生活リズムの一環という感じだ。
「コーネリア! おまえは水筒に水を補給してこい! レイの分もな」
「分かったよお」
泉の周りには、夜、水を求めていろんな動物たちが近寄ってくる。その動物たちを追って、狼などの肉食獣も来る。だから、泉のすぐ近くで野営をすることは危険だが、少し離れれば、狼どももわざわざ人を襲わなくとも、たやすく腹一杯になれる泉の方に行くから安全というわけだ。
コーネリアは、「う~ん」と背伸びをした後、昨日、場所を確認しておいた泉に向かって、本当の猫ほどの速さで駆けていった。
朝食は、乾パンにチーズが付く。チーズも固く乾燥させたもので、ナイフで削りながら食べるのだ。
そして、小さなヤカンを焚き火に掛けて、お湯を沸かせた。
俺の唯一の道楽と言って良い、コーヒーを淹れるためだ。
コーヒーは南の国の特産品で、俺がまだ若かりし頃、初めて南の国に行った時に、その香りと味の虜にさせられた。
それ以来、毎朝、一杯のコーヒーを飲むことが習慣となっている。
旅に出る前に、焙煎されたコーヒー豆を旅程分買い込んでいて、毎朝、一杯分を小さなコーヒー挽き器で挽く。俺の神聖かつ荘厳な儀式だ。
レイはそんな俺の儀式を興味深げに眺めていた。
挽き終わったコーヒー豆を布製の漉し器に入れて、上から沸騰した湯を金属製のカップに注ぎ込むと、コーヒーの匂いが漂ってきた。
「良い匂いです」
俺の隣に座っているレイが、コーヒーが満たされつつあるカップを見つめながら、声を上げた。
「そうだろう」
「匂いだけは良いんだよね」
コーネリアがそう言うと、レイは「味は良くないんですか?」と訊いた。
「飲んでみれば分かるよ。ギース、レイにもちょっと飲ませてあげなよ」
初めてコーヒーを飲ませた時、すぐに吐き出したコーネリアがおもしろそうに言った。
「良いだろう。レイ、飲んでみろ」
俺のカップを渡たすと、レイは、しばらく口をつけずに、真っ黒なその液体を不安げに見つめつつ、その香りをかいでいた。
「飲んで良いんですか?」
上目遣いにレイが俺に訊いた。
「ああ、熱いから気をつけろ」
「はい」
レイは、何度もふうふうと息を吹きかけてから、ゆっくりとカップに口をつけた。コーネリアが「そんなに美味しいものじゃない」とあらかじめ言っていたからか、レイも用心しているように、ゆっくりと口に含んだ。
「……」
「どうだ?」
固まってしまったレイだったが、上を向いて、むりやり喉を通すようにして飲み干した。
コーネリアのように吐き出さないのは、レイの真面目な性格もあるだろうが、食料を無駄にしないというこれまでの生活の中ですり込まれた習性のせいもあるだろう。
「あ、あの、あまり美味しいとは……」
涙目になりながら、レイは俺にカップを返した。
「ははは。まあ、この旨さが分かるのは大人になってからだな」
「それじゃあ、アタシもお子ちゃまってこと?」
コーネリアが頬を膨らませたが、そのとおりじゃねえか!
カップを口元に持ってきて、香りを楽しんでから、ひとくち口に含む。
この一杯で、今日も一日、頑張ろうという気合いを入れることができる。
空を見上げると、東の空があかね色に染まっていた。
今日も良い天気になりそうだ。