第四話 奴隷という商品
丸い団子のような形をした国が東西南北にあるこの大陸は、意外と大きい。
各国の帝都は、それぞれの団子のほぼ中心にある。その帝都から団子の付け根、すなわち国境まで、この荷馬車で十五日ほど掛かる。
その国境から十字路高原の交差部分まで同じくらい掛かる。国境付近には砂漠や高い山脈、湿地帯や密林があり、そこを通り抜けるのに更に時間が掛かる。平均すると、各国の帝都から十字路高原の交差部分まで三十五日程度というところだ。
したがって、ある国の帝都から別の国の帝都まではその二倍、約七十日間の旅ということになる。
各国の領土内であればあちこちに街があり、緊急なことがあれば街に駆け込むこともできるが、十字路高原にはそもそも街がない。ニジャルのような友好的な遊牧民の一団にでも出会えれば助けてくれるかもしれないが、出会える確率はそれほど高くない。十字路高原部分の走破に掛かる日数は三十日から四十日だが、その間は事故が起こらないことを祈りながら進むしかない。
最も困るのが荷馬車を引く馬に倒れられることだ。俺も使っている二頭立ての荷馬車はもっとも多く旅商人に使用されているが、それは、もし馬が一頭倒れたとしても、残りの一頭に乗って、とりあえず十字路高原から脱出できるからだ。
もっとも、荷台には馬一頭の力では引いていけない重さの貿易品を積んでいるから、荷物は置いていくしかない。
だから、荷馬車を引く馬に無理をさせることは厳禁だ。
俺も、並足と呼ばれるゆっくりとした足取りで、約二時間半走らせて三十分休憩というサイクルを守って、日の出から日の入りまで、荷馬車を走らせている。
朝、出立してから二回目の休憩は昼飯休憩でもある。
毎日、コーネリアの腹時計の正確さで昼休憩の時間が分かる。
停めた荷馬車から降りた俺は、御者台のすぐ後ろにあるキャビネットの引き出しから、手のひら大の乾パンを取り出し、近づいてきたコーネリアに三枚を渡した。
「レイ、おまえは何枚食べられる?」
子供が乗ることが想定されていない高さの御者台から後ろ向きに恐る恐る降りたレイに尋ねた。
「それ、何ですか?」
レイは俺が手に持っている乾パンを不思議そうに眺めた。
「これは、パンを乾燥させて固めた物だ」
「パン?」
ニジャルの部族は遊牧民だ。麦などを耕作することはない。羊肉か羊乳が毎日のメニューのはずで、レイがパンを知らないことは当然だ。
「まあ、食べてみな」
俺はとりあえず乾パンを一枚、レイに手渡した後、荷馬車が勝手に走って行かないように車輪止めで固定してから、コーネリアとともに近くの地面に腰を下ろした。
生い茂っている草が自然のクッションの役割を果たしてくれる。
親が生きていたら行儀が悪いと叱られそうだが、俺は体を横向きにして寝転がって、左手で頭を支えつつ、右手に持った乾パンをポリポリとかじった。
馬車を御していると、ずっと同じ姿勢で座っていることになる。当然、体が痛くなるし、血行が滞って、足がむくむこともある。馬もそうだが、人も倒れるわけにいかない。
休憩時間には、できるだけ体をリラックスさせて、心身ともにリフレッシュさせることが、長く旅を続けるためには必要なのだ。
あっという間に三枚の乾パンを食い終えたコーネリアは、いつでも体を柔軟に動かすことができるように、立ち上がってストレッチをし始めた。
一方、レイはそんな俺とコーネリアを見つめて、自分はどうすれば良いのか分からないみたいで、立ち尽くしていた。
「レイ、自分の好きな所に座れ」
「どこでも良いんですか?」
ニジャルの部族では、奴隷たちは部族民たちからは離れて、奴隷たちだけで集まって飯を食っていたのだろう。
「アタシが座っていた所に座りなよ」
コーネリアが指さした先は、寝そべっている俺のすぐ近くだった。
レイは、乾パンを両手で持ったまま、おずおずと地面に座った。
「どうした? 口に合いそうにないか?」
「い、いえ。いただきます」
俺に頭を下げてから、レイは乾パンにかじりついたが、固くて歯が立たないのか、かみ切るのに苦労していた。
「水筒の水で少し濡らしてみろ。少しは、かじれるようになるぞ」
「は、はい」
レイは紐でたすきに掛けている水筒の蓋を開けて、乾パンに数滴、水をしたたらせた。
そして水が十分に染みてから、再び、乾パンにかじりついた。
モグモグと咀嚼を繰り返したレイは、「おいしいです!」と目をキラキラと輝かせた。
「そうか。乾パンをうまいと言うのは、おまえくらいのものだろう。昼飯はこれからずっとこれだからな。口に合って何よりだ」
「本当においしいです!」
自分の言葉がお世辞だと思われたと考えたのだろう。レイが少しだけムキになって言った。
「レイ。おまえはニジャルの部族では何を食わせてもらっていた?」
「チーズです」
羊の乳からチーズは簡単にできる。
部族民は、俺がお邪魔した時のように、たまには羊肉を食っていただろうが、奴隷たちには部族の大切な宝である羊の肉は食わしていないのだろう。
「毎日、チーズなのか?」
「はい! チーズ、大好きです!」
俺からすれば、チーズの味しか知らないというのは「かわいそう」だと言うほかないが、レイにしてみれば、毎日、腹を満たしてくれるチーズはご馳走以外の何物でもなかったということだろう。
「レイ」
俺は体を起こして、あぐらをかいた。
「はい」
ぺたんと地面に座っているレイは、座ったまま、俺に体を向けた。
「おまえは、この十字路高原という世界しか知らない。ニジャルの部族の中での生活しか知らない。だがな、この世界は、おまえが想像できないくらいに広い。そして、この乾パンよりももっと旨いものがある。舌がとろけるほどにな」
「……」
「おまえは、ニジャルの部族に一生いた方が幸せだったのかもしれない。でもな、もう、おまえはニジャルの部族とは別れたんだ。おまえの新しい人生を、幸せな人生を俺が見つけてやる」
そして、俺には大金が入る。レイは、俺のこれからの人生をも幸せにしてくれるはずだ。
戦争での敗者の一族に加え、犯罪者及びその一族が奴隷とされる刑罰があるため、戦争がなくなった現在でも、奴隷の供給は絶え間なく行われている。
奴隷階級に落とされた者たちは、それぞれの帝国が設けている奴隷市場に「出品」され、そこで専門の奴隷商人たちが奴隷たちを安く仕入れて、必要とする客に高く売っている。
それだけ聞くと、奴隷商人というのは安易な商売のように思われるかもしれないが、奴隷も商品である以上、在庫として持っている間、経費が掛かる。商品として陳列又は保管をしておくための施設の維持費、生かしておくための食費、仕入れ費用を台無しにしてしまう病気の治療費などだ。
また、奴隷の中には、反乱を企てたり、逃亡を図る者だっている。それを防止するために護衛や私兵を雇うことも必要だ。
このように奴隷を取り扱うには必要経費が馬鹿にならないと聞いたことがある。商品を早く売り払って在庫をなくして経費を削減することは商売の一般的な原則であるが、奴隷の場合は特にその傾向が顕著のようだ。
奴隷商人の中には、食費を軽減するために、奴隷たちには家庭や飲食店から出た残飯を与えている奴もいると聞く。しかし、十分に栄養を与えないと、病気になってしまったりして、かえって経費が掛かることもあり、そこのバランスを適切に取ることが、まさに奴隷商人たちのノウハウなのだ。
レイが大きくなるまで手元に置いておくと、食費などの経費が掛かることは確かだが、レイに残飯を食わせるほど、俺も人でなしではない。
それに、子供一人分の食費などたいしたことはない。
さきほどの乾パンも、俺は四枚、コーネリアは三枚の乾パンを食べたが、レイは一枚食べて腹一杯になったらしい。奴隷の身で、毎日、満腹になるまで飯が食えていたとは思えない。少食が身に付いているのだろう。
また、各国の領土内に入れば、俺は宿屋に泊まるようにしている。コーネリアの宿泊料も全額、俺持ちだ。それも必要経費なのだが、それにレイの分が加わったとしてもたかが知れている。
自分たちは宿屋のベッドで眠るが、奴隷のレイには宿屋の玄関先で犬のように眠らせるという扱いも可能だろう。実際に、行商中の奴隷商人が、売り物の奴隷たちを、男だけでなく女子供であっても、雨が降っていても風が強くても、鎖につないで、宿屋の外で放置しているのを見たことがある。
俺の正義心など親指の爪の先ほどにしかないが、さすがに幼気な少女のレイにそんな扱いができるほど冷酷にはなれない。
俺は専門の奴隷商人ではない。たまたま仕入れたレイを売ろうと思って連れてきているだけだ。何も奴隷商人の真似をする必要もない。
それに考えてみろ!
レイを労働力として欲しいという買い主がいるはずがない。
レイを欲しいという奴は、レイの可憐さを、レイの容姿を求めているはずだ。レイのセールスポイントはそこなのだ。
であれば、レイを動物扱いすることは、売り物としてのイメージをぶちこわすことになる。
西の国に入れば、今の薄汚れた服を着替えさせ、髪や顔を清潔にすれば、きっと見違える。今でも十分に可憐なレイの魅力が何倍にも跳ね上がるはずだ。
レイはそう扱うことで早く、そして高く売れるはずなのだ。
本作における保存食のイメージ
災害非常食としてお馴染みの乾パンは、現在ではクッキーのような形状ですが、この物語では、インド料理でお馴染みのナンを手のひらサイズにして乾燥させた形のイメージで書いています。
また、干し肉は塩漬けにしたローストビーフの薄切りというイメージです。