第二十七話 木の街
四日間の砂漠の旅を終えて、再び、緑豊かな山々を眺めながらの旅に戻った。
不思議なもので、西から東に大陸を横断しただけなのだが、風景がどことなく違って見える。きっと、葉を茂らせている樹木の種類が違うからだろうが、西の国と同じような気候なのに、樹木はわずかな違いを感じ取っているのであろう。
すぐに東の国の国境を遮っている巨大な石作りの壁が見えてきた。
壁の向こう側は、東の国の西端にある、国境の街「バリョウ」だ。
城門をくぐると国境警備の審査が待っている。
ゆっくりと荷馬車を進めていくと、槍や剣を持った警備兵が五名、通せんぼをするように荷馬車の前に立った。
もちろん、その言葉は理解できる。この大陸の人々は、多少のイントネーションの違いくらいはあるが、基本的に同じ言葉を話すからだ。
俺とコーネリアは荷馬車を取り囲んだ警備兵たちに西の国の市民証を見せた。そしてレイは左手の甲にある俺の刻印を見せた。
警備兵たちが俺をじろじろと見つめた。幼気な少女の奴隷を連れている旅商人など珍しい。いや、俺以外にはいないだろう。そして当然のごとく、俺は少女趣味の変態だという目で見られるわけだ。
「良いだろう。通れ!」
武器を大量に携えているとか、言動がおかしいなど、よほど危険な人物だと思われない限り、基本的にスルーだ。俺たちは通行税を支払って、バリョウの街に入った。
そこは、西の国の街とは明らかに違う景色が広がっていた。
建物がほとんど木造なのだ。
西の国の家は基本的に石造りが多い。それは、建築用の石材が大量に、かつ安く手に入るからだ。西の国ももともとは木造の建物が多かったが、多発する地震で火事になることも再々あったことから、石造りの家に切り替えられていったのだ。
一方、東の国では石材や鉱石といった鉱物資源の採取量は少なく、代わりに木材が豊富に取れている。また、東の国は、西の国と違い、地震が少なく、木造の建物でも何十年と存続させることができるのだ。
表通りでは、白壁に朱色に塗られた柱、屋根には金色の装飾が施された瓦が葺かれた、高貴な雰囲気の建物が目立っていたが、少し裏通りに入ると、壁は薄っぺらい板で作られ、屋根も板葺きか茅葺きのみすぼらしい家が立ち並んでいた。
そんな西の国とは違う景色に、レイはまたもお上りさん状態で、目を丸くしながら、あちこちと見渡していた。
いろんなことに興味を持つのは子供の特権かもしれないが、レイは特にその傾向が強い気がする。まあ、ついこの前まで遊牧民の奴隷で、毎日毎日、十字路高原の変わらない景色の中で暮らしていたのだから、レイにとっては「目新しい物」ばかりなのだ。
俺は東の国にも何度も来ていて、当然、ここバリョウにも馴染みの旅商人御用達の宿屋がある。
「睡蓮亭」というその宿屋に着くと、荷馬車を鍵付きの専用車庫に入れてから、宿屋のフロントに向かった。
「ギース、久しぶりだね」
穏やかな話し方をする恰幅の良い中年の人族の男性がここの主人だ。黒髪に黒の瞳をしている。
「ああ。最近は南と北から西に運んでいることが多かったからな。一年ぶりくらいかな」
「それぐらい経つかもね。あれっ、その娘は?」
「十字路高原で仕入れた奴隷だ。レイ、この人がこの宿の主人だ。挨拶をしろ」
コーネリアとつないでいた手を外し、レイは行儀良くお辞儀をした。
「初めまして。レイと言います。よろしくお願いします」
「ほ~う、レイちゃんか。よろしくね」と、主人もレイに会釈をしてから、俺を見て「ギースにこんな趣味があったなんてねえ」と面白そうに笑った。
「だから、違う!」
まあ、馴染みの宿屋に泊まるたびに同じ説明をしてきて、うんざりではあるが、仕方ねえだろう。
チェックインすると早速に宿の中にある浴室に向かった。
天然温泉から湯を引き入れている西の国の公衆浴場のような大規模な入浴施設は東の国にはなく、各住宅や宿屋の中に一人ないし二人用の木製湯船を設置し、湯は薪で沸かしている。
睡蓮亭の風呂は男女別にあり、宿泊客が指定された時間ごとに交替で入るようになっていて、一番風呂を出た俺は食堂の前で、一緒に女風呂に入っているレイとコーネリアを待った。
十字路高原を旅している間は、ずっと風呂には入れないが、それを苦痛に思うことはない。しかし、各国の領土内に入り、宿屋で泊まるようになると、途端に風呂に入りたくなる。
俺も久しぶりにさっぱりとしたが、やって来た風呂上がりのレイを見ると、レイだけでも毎日、風呂に入れてやりたいと思った。
見違えるほどに輝いていて、商品としてのレイの価値が何倍にも上がっている。
いや、待て待て!
俺はレイを売るつもりはなくなっているんだ。売るつもりがない商品の見栄えを良くする必要はないではないか。
東の国の食事は、西の国とは少し味付けが変わっている。これも長い年月の間に培われてきた各地の味というものだろう。
出身国以外の料理は舌に合わないという者もいるが、俺は四つの国それぞれの味はそれぞれに好きだ。
東の国の食事の特徴的なことは、米を主食にしているということと、箸を使うということだ。
睡蓮亭の今夜のメニューは、鶏肉の唐揚げに青椒肉絲で、それぞれ大きな皿にてんこ盛りにされていた。そして、一人一人に、炊きたての白米と卵のスープが配られた。
「こんなに食べるんですか?」と大皿に盛られた料理の量にレイが目を丸くしていた。
「ここでは、自分が食べる分だけこの小皿に取り分けて食べるんだ。それで、箸はこうやって使うんだが、使えなければフォークでも良いぞ」
レイは俺の真似をして箸を右手で持ったが、まったく使えそうになかった。ナイフとフォークをやっとうまく使えるようになったばかりで無理というものだ。
「アタシもフォークで食べるから、レイもそうしなよ」
三年前から一緒に旅をしているコーネリアも東の国に来たのも五回目ほどで、まだ箸を使えなかった。というか、使う気がないようだ。
「でも、せっかくだから、お箸で食べてみます」
レイは新しく知ったことに、とりあえずチャレンジする根性を持っている。そして意外と負けず嫌いだ。
さすがに、唐揚げや青椒肉絲を大皿から自分の取り皿に取るのはスプーンを使ったが、箸で挟んだ唐揚げなどを口まで持ってくるのに苦労していて、仕方なく取り皿を持って口に近づけて、何とか食べられていた。
ひとくち唐揚げをほおばったレイはその新しい味にまた感激の涙を浮かべた。
「美味しい! 美味しいです!」
「美味いよねえ。アタシも東の国の料理は大好きなんだよお」
フォークに唐揚げを刺してムシャムシャと食べているコーネリアが幸せそうな笑顔で同意した。俺の護衛になって初めて東の国に来た時には、コーネリアも恐る恐る料理を口に入れていたが、食いしん坊のコーネリアの好みにも合致したようだ。
「北の国と南の国のご飯も美味しいんですか?」
「南の国のご飯はお肉が中心だけど、北の国は海の幸が美味しいんだよね」
「海って何?」
「ああ、そっか。レイはまだ海を見たことなかったよね」
少し得意げになっているコーネリアだって初めて海を見たのは三年前。俺の護衛となって北の国に行った時だ。
北の国以外の三つの国にも当然、海岸線はあるが、少し沖合に出ると風が荒れて遭難する危険性が高いことから、船で海に出ることはほとんどない。あったとしても、ごく近海で細々と漁や貝類の採集をするくらいで、基本的に海岸線沿いに大きな街はない。帝都もほぼ円形の領土の中心点付近にある。
一方、北の国の海岸線は他の国と違い、ジグザグに入り組んでいたり、内陸に切れ込んできている湾があったりで、その沿岸で漁をしたり、魚介類の養殖が盛んに行われている。北の国の養殖業者の話ではその海岸に流れ込んでくる潮流に栄養が豊富に含まれていて、また、低い海水温が魚介類の生育に適しているらしい。
「アタシは北の国の食事が一番好きだなあ」
「私も食べてみたい」
「じゃあ、この次は北の国に旅しようか?」
「はい」
「おい! 行き先を決めるのは俺だ。何、二人で勝手に決めているんだ?」
「アタシらの希望だよ。ねっ、レイ」
「は、はい」
レイがコーネリアに返事をしてから、俺を上目遣いで見た。
無意識だと思うが、遠慮がちにおねだりしているように見えるこのレイの仕草は、少女趣味の連中を瞬殺するほどの威力があるだろう。
「でも、東の国の料理は、東の国でしか食べられないんですか?」
レイが俺に訊いた。
「西の国と東の国は気候が似通っているから、今、テーブルに出ている料理の材料は西の国でも手に入れることはできる。だから、西の国でもここの料理を作ろうと思えば作れる。しかし、大部分の西の国の市民たちは自分たちの国から出たことがないから、東の国の料理はこんな味なんだということを知らない。また、味付けに使う調味料なども西の国では作っていないから東の国から取り寄せることになる。だから、西の国で東の国の料理を提供する店を出すことは、商売として成り立つかどうかは微妙なところだな」
「こんなに美味しい料理を、みんなが食べられるようになれば良いなあ」
レイが独り言のように呟いた。
「だからさあ、もっと楽に旅ができるようになれば良いんだよ」と言ったコーネリアに、俺は「そうすると、旅商人は失業しちまうぞ。その護衛のおまえもな」と言い返した。
「そ、そうだった! レイ! ということだから、東の国の料理は東の国でじっくりと味わおうよ」
四つの国の間を、もっと楽に旅ができるようになれば良い。
それは旅商人たちの悲願でもあるが、反面、新規参入者が増え、競争が熾烈になって、値引きが行われるようになると、旅商人も儲からない商売になってしまうかもしれない。
だが、現実には、そんな未来はやって来ないはずだ。
旅商人の旅でやっかいなのは、道も街もない十字路高原の走破だが、そこに道路を敷こうという者はどこにもいない。そもそも個人でできる事業ではないし、四つの国も他国の軍隊を容易に自国に引き入れることになりかねない道路の整備などしたくはないだろう。
「みんなが鳥さんみたいに飛んで行けたら良いのに」と、レイが年相応の子供ぽいことを言った。
「レイなら魔法で飛べるんじゃないの?」
コーネリアがレイに尋ねたが、レイは手を扇ぐように振りながら「できないですよお」と否定した。
本当にできないのだろうか?
レイなら少し練習をすればすぐにできるような気がする。




