第二十六話 オアシスの危険
星の教団の本部を出て、東に向かって順調に走り、十一目には東の国の国境前に広がる広大な砂漠に到達した。
それまで小高い山々をたくさんの葉を茂らせた木々が覆っていたが、徐々にその数が少なくなってきて、はげ山が多くなってきた。
そして今、目の前には、あちこちに丘を成している砂漠が広がっていた。
当然、レイには初めての景色だ。
「どうしてこんなに砂が集まっているんですか?」
目をキラキラとさせながら、レイが俺を見た。
「東の国では、家を建てたりするのに木材が多く使われる。ここももともとは森だったようだが、木を切りすぎたのではないかと言われている。本当かどうかは知らないがな」
その反省から、東の国では古くから「森林管理」という概念が徹底されていて、計画的に植林や伐採をするようになっている。
この砂漠を越えて旅商人たちは商品を運ぶ。旅商人の荷馬車で踏み固められた轍が残っている所もあるが、頻繁に起きる砂嵐で轍の上に砂が降り積もり、すぐに跡形もなくなってしまう。
新しく積もった砂に馬たちも足を取られるし、荷馬車の車輪も空回りする。西の国の手前に広がる湿地帯と同じように、前に進むのにかなりの労力と気を使う。
それほど気温が高い地域ではないから、体が焼かれるほどの熱はないが、ずっと同じ砂の景色が続くと精神的にも参ってくる。
何の準備もせずにこの砂漠に足を踏み入れると、何日もオアシスに着かずに水不足で野垂れ死にする危険性もあるが、すでに何度も往復している旅商人は、手持ちの地図にオアシスの位置を書き入れていて、方磁石や太陽の位置で方角を確かめながらオアシスをたどる、約四日間掛けての、やっかいな砂漠の旅だ。
今、荷台に積んでいるのは鉄鉱石で、かなりの重さがある。できるだけ新しく積もった砂ではない箇所を選んで進むようにしているが、馬たちも苦労しているようだった。
馬がつぶれたらアウトだ。ここでは休息を多く取るようにしている。
砂漠に入って最初の休憩になると、レイは御者台から飛び降りて、足を砂の中を通したり、砂を左右の手にサラサラと落としたりしながら、砂の感触を確かめていた。
「子供は元気だねえ」
コーネリアがそんなレイの様子を見ながら老人のようなつぶやきをした。
気温自体ははそれほど高くはないが、太陽にずっと熱せられている砂はけっこうな熱を帯びていて、地面に寝転がることはできない。俺やコーネリアは荷馬車に乗ったまま、背伸びをするなどして体を休めた。
一人、レイだけが無邪気に砂で遊んでいて、そんな姿を見ていると、魔法が使える「すごい奴」ということを忘れてしまう。
しかし、レイの魔法は十字路高原の東半分を移動中にも確実に進歩していた。
荷馬車での移動中、レイはほとんど本を読んでいるが、星の教団の教祖様から教わった魔法の練習も欠かさず行っている。
今では、いとも簡単に手のひらで二個のガラス玉を浮かべることができるようになっていた。
そのガラス玉を手のひらの上で回すことには多少の練習が必要だったが、今では失敗することなくできるようになっている。まるで二つのガラス玉が意識を持って躍っているように、ぐるぐると回せるようになっている。
レイ自身も自分がちゃんと魔法が使えるんだという自覚めいたものも芽生えたようで、その気持ちも自由自在に魔法が使えるようになるのに大きなプラス作用になっていると言えよう。
その日、ここまでは着いておこうと決めていたオアシスまで着いた。
まだ明るかったが、馬の負担も考えて、ここで野営をすることにした。
三百六十度見渡す限りの砂漠の中にある泉の周辺にだけ樹木が茂っているが、焚き火をするための小枝などが徹底的に不足している。だから、途中、十字路高原を走る道すがら、多少の小枝を余分に拾ってきていて、少なくとも夕餉の時間に干し肉を火で炙ることくらいはできるようにしている。
狼などの獣はこの砂漠には生息していないので、夜の間、火を燃やしておく必要はないのだ。
コーネリアと夜中に交替して眠っていたが、いつもどおり日の出前に目が覚めた。
上半身を起こして、背伸びをする。今日も良い天気だ。
太陽が沈む夜、砂漠の気温は下がるが、朝日が昇るとすぐに気温が上がり、カラッと乾燥した気持ちの良い晴天だ。
ふと違和感を覚えた。
レイだ。
最近は、俺が朝起きると、いつもレイが「おはようございます」と挨拶をしてくれるのだが、今日はそれがなかった。レイと一緒に旅を始めて二か月ほどになるが初めてだ。
辺りを見渡してみる。燃え尽きた焚き火の近くに座ったコーネリアが舟を漕いでいる。これもいつもどおりだが、レイの姿がなかった。
急いで立ち上がり、コーネリアの頭をポカリと殴った。
「痛て~」
自分の頭をさすりながら、コーネリアが俺を睨んだ。
「コーネリア! レイはどこだ?」
「ほえっ? いない?」
「いないから訊いているんだ!」
「そういえば、明るくなったら水筒に水を入れてくるからって言ってたような……」
俺は、すぐ近くにある泉に駆けていった。
「レイ! レイ! どこだ? 返事をしろ!」
泉はそれほど大きくはない。全周が一目で見渡せるほどだが、泉の周りにだけ草が生い茂っている。
俺は泉の岸辺を回りながら、レイを呼んだ。
「レイ! レイ!」
「はーい」
レイの返事が聞こえた。すぐ近くだ。
ガサガサと草をかき分ける音がして、両手に三つの水筒を抱えたレイが出てきた。
「おはようございます」
ニコニコと微笑みながらレイが俺に挨拶をしたが、俺が険しい顔を緩めなかったからか、すぐに泣きそうな顔に変わった。
「何をしている、レイ?」
「何をって……水筒にお水を」
「誰がそんなことをしろと言った?」
「……」
「ギース! 何でレイを叱るのさ? アタシらの水筒にも水を入れてきてくれているのに?」
「コーネリア!」
居眠りのことを叱っている時と違い、本気で怒っている俺の剣幕に、俺を追ってきたコーネリアも首をすくめた。
「レイに危険なことをさせるんじゃねえ! 水筒への水の補給は、おまえの役目だろうが!」
今まで毎朝、レイには馬の世話や焚き火を起こす手伝いを命じていたが、水筒への水の補給はコーネリアにやらせていた。
「水の補給をなぜレイにやらせていなかったか、分からないのか?」
「ご、ごめんよ。分かっていたけど、もうレイなら大丈夫だって思ったんだよ」
「大丈夫かどうかは俺が判断する! レイは俺が仕入れた商品なんだ! レイが死んでしまったりしたら、俺は大損するんだ! レイに危険なことをさせるな! 良いな!」
レイの容姿を価値として売ることはもうしないと決めているが、魔法が使えることで、レイの価値はもっと上がっているのだ。
「コーネリアを叱らないでください!」
雇い主である俺に叱られてショボンとしているコーネリアを見て、珍しくレイが俺に言い返してきた。
「私が勝手にしたんです。だから、コーネリアを叱らないで……」
最後は涙を流しながら口ごもってしまった。
「レイ!」
感激した様子でコーネリアがレイに駆け寄り、しゃがむと、水筒を抱えたままのレイを抱きしめた。
「ありがとう、レイ! でも、ギースが言うとおりだよ。あんたから水筒に水を入れてくるって言われた時、アタシもうつらうつらしてて、つい、お願いしちまったんだけど、泉の近くってけっこう危険なんだ。アタシが行くべきだったんだ」
「コーネリア……」
俺は二人の近くに立ち、二人を見下ろした。
「良いか、レイ。さっき、コーネリアが言ったとおり、泉の周りは危険が一杯なんだ。まず、泉に落ちる危険がある。浅い泉なら良いが、オアシスにはいきなり深くなっている泉が多い。ここもそうだ。おまえは泳ぐことなどできないだろう?」
レイがこくりとうなずいた。
水浴びは市民たちでもするが、「泳ぐ」ということは、軍事行動の一つであり、兵士なら訓練の一環として泳げるようになっている。将来は近衛兵にと思っていた俺も子供の頃に泳ぐ訓練はしている。格闘術を学んでいるコーネリアも独学だが泳げるようだ。
しかし、それ以外の市民たちは「水浴び」はしても「泳ぐ」ということはしない。遊牧民の奴隷だったレイならなおさらだ。
「その他にも、泉の近くには、毒を持った動物がいたり、触ると皮膚がかぶれるような植物が生えていることもある。子供のおまえが知らない危険はやまほどあるんだ。だから、俺がやれと指示していないことはするな」
涙を拭きながら、レイはまた、こくりとうなずいた。
「分かれば良い。しかし、今回、一番悪いのはコーネリアだ。罰として、朝と昼の乾パンを一枚減らしてやる」
「ええ~! そ、そんな! アタシが悪かったよお! もう二度とやらせないから許して~」
コーネリアの少々大袈裟な嘆願に、レイがくすりと笑った。
そして、「コーネリアが一枚少なくなるのなら、私も一枚減らします」と言った。
「おまえはいつも一枚しか食べてないじゃねえか。飯抜きは、それはそれで許さねえ。途中で倒れられるとそっちが迷惑だ」
「そうだよ! アタシも一枚少なければ、倒れちゃうかも!」
ちゃかりとコーネリアが俺の言質をとりやがった。
「分かった分かった。とりあえず飯だ。早くコーヒーが飲みたい。レイ、俺の水筒をくれ」
「はい」
レイが両手に抱えていた三つの水筒のうち、一番大きい俺の水筒を差し出した。
「レイ」
「はい」
「とりあえず、今回の水汲みはごくろうだった。しかし、次回からはコーネリアにやらせろ」
「は、はい」
「さあ、飯にしよう」




