第二十五話 星の王国の残滓
教会の周りは、聖職者たちの手植えと思われる花壇が作られ、こぢんまりとしているが、よく整備された庭があった。
星の教団の本部を兼ねた教会だが、太陽と月の教団の大聖堂とは比べものにならないほどに小さく、すぐに裏庭というべき場所に着いた。そこだけ辺りと少し景色が変わっていた。
そこは、今は暗くて見えにくいが、星が示す方向から言って、ザ・クロスの山腹まで続いているように少しずつ盛り上がっているような地形に、大小の岩が自然のまま放置されている様子で、庭というより何かの遺跡跡のように見えた。
岩の一つの前で輿を停めた教祖様が辺りを見渡しながら告げた。
「ここが星の王国の名残をとどめる場所です」
「星の王国? 星の王女様が降臨された場所ということか?」
「そうです。この岩岩をよくご覧なされ」
月と星で明るい夜で、俺は岩の一つに近づいて、よく見てみた。
他愛もない岩だったが、その岩の所々が小さく緑色に輝いていた。
「魔石か?」
「そうです。ここにある岩には魔石の欠片が含まれているのです。これを削り出して、ペンダントの小瓶に入れているのです」
「その魔石の欠片が入ったペンダントは、星の教団の聖職者以外には配っていないのか?」
「こんな所ですが、ごくまれに巡礼者が来ます。そういった巡礼者にはお土産代わりに配っておりますよ」
太陽と月の教団は、それぞれの帝国の中に大聖堂を構えていて、それぞれの国の中で巡礼ができる。各都市の宿屋に泊まりながらの快適な旅で行けるが、星の教団の巡礼者は俺たち旅商人と同じように何もない十字路高原を旅しなければならない。それだけの苦労をしてたどり着いた本部がこんな状態であれば、お土産くらいは奮発してやろうという気にもなるだろう。
もっとも、星の教団の信者のほとんどは奴隷たちで、旅することなどできないはずだ。ご主人様の許可が出ないだろうし、馬や馬車といった移動手段を持っているはずもない。
「星の教団にも巡礼者がいたとは意外だな」
「まあ、数えるほどしかおりませんが、意外と裕福な市民の熱心な信者さんもおります。その方々の寄付で食料以外の物品を買うこともできていますが、絶対数が少ないですからなあ。通りがかりの旅商人さんの善意にすがっているところなのです」
今まで出会った星の教団の聖職者には布施として物品を恵んだこともない俺は、内心、耳を塞いで、もう一度、岩岩を眺めてみた。
ざっと見渡してみたが、レイのペンダントに付けられているほどの大きさの魔石の欠片は見当たらなかった。大きくても小豆くらいの大きさであった。
「そう言えば、オグナスはこの魔石があった場所にこの教会を建てたと言っていたな」
「ええ。ここは、我ら教団の先駆者たちが『声』に導かれてたどり着いた場所です」
「声というのは、星の王女様ではないかという『声』か?」
「そうです。レイ様も聞こえていらっしゃるのですよね?」
レイの顔を見て訊いた教祖様に、レイは「はい」とうなずいた。
「俺には、その『声』はまったく聞こえないが、その声は魔法が使える者だけに聞こえるのか?」
「魔法が使える者は全員が聞こえますが、魔法が使えない者も聞こえることがあるようです。きっと、魔法の封印を解く力が潜在的に強い者ではないかと思われますな」
「それじゃあ、声がまったく聞こえない俺には魔法の封印を解く能力もまったくないということか?」
「そこは何とも。ギース殿自身も、自分が魔法を使えるはずがないと決めつけておりませぬか?」
「それはそうかもしれないが」
俺が魔法を使える可能性もあるのだろうか?
どうせ魔法使いデビューできたのなら、もっと早くデビューしたかったぜ。そうすれば、退屈な旅も少しは面白くなっていたかもしれないのにな。
「この緑色の魔石は、星の王女様が魔法を封印したと我が教典で示されている緑の石に間違いないと考えております。そうすると、ここ以外に星の王国はあり得ないでしょう。だから、我々の先駆者たちは、ここを本部と決めたのです」
「他には遺跡的なものはないのか? 星の王女様が鎮座されていた宮殿の跡とか?」
「星の王国は、星の王女様が降臨された場所をそう呼んでいるだけで、今のような形の街や国があったものではないと考えております」
「そうか。まあ、そこはそちらがそう信じているのであれば、それで良いけどな」
「ほっほっほ、信者ではない方と教典論争をしても仕方ないですからなあ。では、荷馬車を停められている所までお見送りいたしましょう」
この狭い盆地の中心部に建っている教会から見ても、出入り口の洞窟が小さく見えていた。この大陸第二位の信者数を誇る教団の本部なのに慎ましやかすぎる。
「ここには何人くらいが暮らしているんだ?」
歩きながら教祖様に尋ねた。
「五十人ほどですかな」
「その者たちの家もないそうだが?」
「ええ。好きなところで横になっているはずです」
ザ・クロスはまさにこの大陸のへそで、四つの国の中で気候がちょうど良い西の国と東の国を結ぶ線上にある。薄手の毛布があれば、そこがベッドになる。俺も今まで旅をしてきた中でこの線上で寒さや暑さを感じたことはなかった。
「ギース殿は、これからどちらの国に向かわれるのですかな?」
荷馬車の所まで戻ると、教祖様が尋ねてきた。
「東の国だ」
「やっと半分の道のりですな。私は北の国の出身ですが、北の国からここまで旅をした時のことを思い出しますと、もう一度、同じ旅をしろと言われると辟易します。そんな旅をもう何度もしている旅商人の方々には本当に頭が下がります」
「まあ、自分で選んだ商売だ。泣き言など言っていられないからな」
「そうですな。道中、お気を付けください」
ふと、オグナスが言ったことを思い出した。
「そういえば、東の国の支部長のシュウロンという男は信用できないとオグナスが言っていたが?」
「そうかもしれませぬな」
急に教祖様の歯切れが悪くなった気がした。それに、教祖様の視線がすばやく辺りをさまよった。
ここでその話題に触れられたくないのだろうか? もしかしたら、周りにいる聖職者の中にシュウロンのシンパがいるのかもしれない。
俺も空気が読める男だ。その話題は切り上げることにした。
「北の国と南の国には行かれますのかな?」
教祖様もすぐに話題を変えた。
「まだ具体的な話はないが、商機があるのなら行く」
「南の国では、うちの同志がかなり過激な運動をしております。支部長はオサドという男ですが、オサドに不用意に接すると、南の国の憲兵たちから危険視されるかもしれませぬ。気をつけなされませ」
「分かった」
「それと北の国ですが」
そこで教祖様は一息吐いてから話を続けた。
「北の国に行かれるのなら、そこの支部長であるマシュルとぜひ会われるが良い」
「そっちは会っても問題がないのか?」
「そうです。実は、マシュルからの報告によると、北の国には、魔法が使える一団がいるらしいのです」
「一団?」
「サーカスの一座のようで、北の国のあちこちの街で興行をしているようですが、どう考えても魔法を使っているとしか思えないような演目があるようなのです」
「俺も最近はサーカスを見ていないが、かなり手が込んだ演出がされている演目もあるらしいぞ。本当に魔法なのか?」
西の国でも各都市を回って興行をしているサーカスの一団がいくつかあった。俺も子供の頃、両親に連れられて見物に言った記憶がある。南の国で生息している「象」という鼻が長い巨大な生き物を馬のように操ったり、見上げなければならない高さで揺れるブランコに飛び移ったりといった見世物にワクワクしたものだ。
その演目の中には「大魔術」などと銘打った手品もあった。その時ですら種も仕掛けも分からなかったが、あれから何十年と経っている今なら、もっと緻密で手の込んだ内容になっていて不思議ではない。
「わしも実際に見ていないので詳しいことは分かりませぬが、マシュルも経験豊富な聖職者で、かなりの考察をした上でも魔法と疑わしいものなのでしょう。まあ、北の国に行かれるのでしたら、レイ様と一緒にサーカスを楽しんでみてくだされませ」
「分かった。北の国に行くことがあれば、遊びがてら入ってみよう」
「ええ、ぜひ」
俺たちは荷馬車に乗り込んだ。
「では、この近くで今夜は泊めてもらう」
「どうぞ」
「明日の朝は、特に挨拶も無しに失礼する」
「分かりました。では、ここでお別れいたしましょう。皆様方はいつでも歓迎いたします。いつでもここにお立ち寄りください」
洞窟の近くで野営をした俺たちは、翌朝早く、本部を発った。
木製の門も開けっ放しだった。俺たちがいたからというわけではなく、非常事態の時だけ閉めているのだろう。
洞窟から外に出て、目隠し代わりの岩の壁を迂回してから振り向いて見たが、明るい光の中で見ても、岩の壁のカムフラージュで、そこに洞窟があるとはまったく見えなかった。
馬首を太陽が昇りかけている東に向け、走り出した。
「レイ」
「はい」
「昨日、教祖様からもらったガラス玉は持っているか?」
「はい」
レイがチュニックの腰にあるポケットから二つのガラス玉を取り出した。
「昨日も言ったが、それを浮かべる練習を毎日するんだ」
「は、はい。あの」
「何だ?」
「ギースは、私がこれをできた方が良いんですか?」
レイが何となく不安を感じているのが分かった。
「そうだな。だが、できなくても良い。できなかったからといって、おまえを連れて行くことを止めたりはしない」
魔法ができなくても、その容姿で十分、レイの利用価値はあるのだ。
俺はそういう意味で言ったのだが、レイはうれしそうに微笑んだ。
「焦ることはない。できなくても良いから毎日やってみろ」
「は、はい。じゃあ、今ちょっと、やってみます」
「ああ」
荷馬車を御しながら、横目でレイを見ていると、レイは上にして開いた左の手のひらに二つのガラス玉を乗せて、じっと見つめていた。
二個のガラス玉は、小さなレイの手のひらからこぼれそうであったが、けっこう荷馬車は揺れているにもかかわらず、ガラス玉が手のひらから落ちることはなかった。まるでレイの手のひらに吸い付いているように見えた。
「あっ!」
レイの小さな叫び声で、俺は思わず手綱を引いて荷馬車を停めた。
後ろの席にいたコーネリアが何事かと荷台の上を飛び跳ねながら、御者台までやって来た。
「ああ! レイ、もうできたんだ!」
コーネリアも驚いたように、二つのガラス玉がレイの手のひらで浮いていて、レイ自身が驚いた表情で見つめていた。
「できたな、レイ」
「は、はい」
俺から褒められたと思ったのか、レイは、はにかんだ笑顔を見せた。




