第二十二話 聖地へ
十字路高原の旅はいつにも増して平和だった。
レイが作ったとしか思えない土の壁で、西の帝国軍が盗賊に扮した追っ手を振り切ってからは、「本物の」盗賊たちに襲われることもなく、順調に荷馬車を走らせた。
遠くにザ・クロスが見えだしたその日、二回目の休憩時間になった。
俺が荷馬車を停めると、レイが御者台から元気よくジャンプして飛び降りた。子供からすればけっこうな高さにある御者台で、レイも最初はこわごわ降りていたものだったが、今ではもうすっかり慣れていた。
荷馬車の側面にぶらさげている麻袋から飼い葉を抱きかかえ、二頭の馬の前に置くと、二頭とも元気に飼い葉を食らい始めた。
「ああん、ダメ! そっちはライトちゃんの!」
――ライトちゃん?
背伸びをしていた俺は、聞き慣れない言葉に途中で背伸びを止めて、レイを見つめた。どうやら、一方の馬がもう一方の馬の飼い葉を横取りするように食べていたようだ。
「レイ!」
「は、はい」
夢中で馬の世話をしていたレイが振り向いた。
「もしかして、『ライトちゃん』というのは、馬の名前か?」
「は、はい」
恥ずかしげに答えたレイは、進行方向に向かって右の馬を指さしながら、「ライトちゃんです」と微笑んだ。
俺自身は、馬に名前を付けることは今までしていなかった。別にそれで困ることもなかったからだ。
「すると、もう一方は、『レフトちゃん』か?」
「そ、そうです。二人とも可愛いです」
「あのな、馬は、一頭、二頭と数えるんだ。一人、二人は人の数え方だ」
「そ、そうでした」と後頭部をかいたレイだったが、俺に指摘されて気づいたようではなかった。
レイは、わざと「二人」と言ったのではないだろうか?
レイは、西の国の国境の街「シャーケイン」の宿屋の女将からもらった文字の参考書二冊をもう何度も「読破」している。また、西の国では、街中で接するさまざまな文字に興味を持って、俺もよく質問をされた。そして、俺の答えはちゃんと憶えているようであった。
文字を憶えていくに伴って、語彙や言い回しについてもどんどんと吸収していっている気がする。毎日えさをやって可愛がっている馬を擬人化するということも、もう応用範囲内なのだろう。
レイの物分かりの良さからすれば、レイがもし学校に通っていたら「神童」と呼ばれていたかもしれない。
いや、レイは、別の意味でも「神童」である可能性が高い。魔法を、それも超強力な魔法が使えるかもしれないのだからな。
俺たちは、ザ・クロスの麓にあるという星の教団の本部を目指していた。
荷馬車の荷台には鉄鉱石が満載されていて、それを東の国で売り払うことにしているが、十字路高原の交差部分にあるザ・クロスは、どこからどこに行くのにも必ず通る所だから、それほど大きな回り道ではない。
もっとも、俺ももう三十年、旅商人をやっているが、星の教団の本部は見たことがない。おそらく、旅商人が一般的に通るルートより、ザ・クロスにより近い所にあるのだろう。
しかし一方で、夜、野営をしている時には、その焚き火を頼りに、星の教団の聖職者たちが物乞いにやってくることがある。前回、レイを連れて初めての旅の際には、南の国から西の国へのルートを取っていて、物乞いの聖職者たちがやって来た。つまり、ザ・クロスの南側を迂回するコースを取ると、再び、彼らと会える可能性が高いはずだ。
俺は、ザ・クロスを左側前方に見ながら、荷馬車を進めた。
「レイ」
「はい」
御者台の隣に座っているレイが立てていた膝を降ろして、読んでいた本を閉じ、太ももの上に置いた。
「また、声は聞こえるか?」
「はい」
「その声はペラペラといつもしゃべっているのか?」
「いいえ。ずっとしゃべっているのではなくて、……ハミングしているというか、ささやいているというか……、慣れたら、むしろ心地良い声です」
「そうか」
星の教団の聖職者たちもここで星の王女らしき声が聞こえるらしい。そして、レイと聖職者たちは、ともに緑色の魔石の欠片を持ち、魔法が使える。
つまり、レイと星の教団の聖職者たちには共通点が多い。だから、星の教団の本部で情報を収集したかった。
オグナスという星の教団の西の国の支部長が、実際に目の前で魔法を使ってみせた。もっとも、それはオグナス自身が「見世物小屋で評判になる程度」と卑下するほどの威力でしかなかった。しかし、レイが使った力が魔法だとすれば、とてつもなく大きな力だ。仮に魔法だったとして、最大でどれくらいの威力があるものなのか? 自由自在に使えるようにするにはどうすれば良いのか?
訊いてみたいことはたくさんあった。もちろん、動機は金だ。仮に、レイが自由自在に魔法を使えるようになれば、レイ自身を売るよりも何倍もの儲けを手にすることができるはずだからだ。
夜になると荷馬車を停め、焚き火を焚いて、野営を始めた。
果たして、しばらくすると遠くに揺らめく炎の光が見えた。
少しずつ近づいてきたその明かりは、松明だと分かった。
どうやら待ち人が来たようだ。
近づいてくると、手に松明を持った聖職者が二名、ロバに乗って来ているのが分かった。
「おお! そなたたちは!」
二人のうち、犬人族の聖職者が驚いた声を上げた。
「二か月ほど前にお会いしたギース殿とレイ様か?」
前回会った聖職者のようだが、はっきり言って、その顔を俺はまったく憶えていなかった。
「そうだ。よく憶えていたな?」
「忘れるわけがない」
感激したかのような面持ちの犬人族の聖職者が「どうだ? 魔石が震えておろう?」と連れの熊人族の聖職者に問い掛けた。
「確かに! この方が噂の御方なのだな?」
「そういうことだ」
「それより」
俺は、仲間内で感激しあって話している聖職者たちの話を中断させた。
「これから、あんたらの本部に連れて行ってくれないか?」
「レイ様も一緒にか?」
「勘違いするなよ。西の国で会ったオグナスと話したことで確かめたいことがある」
「良いだろう。教祖様もレイ様にはお会いしたいとおっしゃっておられた。ついてこられよ」
俺は荷馬車で二頭のロバの跡を追った。
満天の星が遠くの景色を浮かび上げているが、すぐ目の前は真っ暗で、先導する聖職者たちが持った松明の明かりがなければ、荷馬車を走らせることは危険だ
どんどんとザ・クロスに近づいている。まさか、山登りが始まるんじゃねえだろうな?
馬にはあまり負担を掛けたくないが……。
前方に垂直に切り立った壁のような岩が見えてきた。かなりの高さまでそびえ立っている一枚岩のようだ。
二頭のロバは、その岩の壁を迂回するように左に進路を変え、壁が途切れた所から壁の裏側に回り込むように曲がった。
そこには薄暗い洞窟の入り口があった。壁のような岩が目隠しのように洞窟の入り口を隠していたのだ。遠くから見たら、ここに洞窟があるとは見えないだろう。
「こちらだ。その馬車でも出口まで通ることができるはずだ」
聖職者たちは振り返って、俺に告げた。
その言葉のとおり、洞窟の中はけっこう広く、また、地面はできるだけ平らになるように加工されているようで、俺の荷馬車もらくらく通ることができた。
聖職者が持つ松明の明かりで照らされながら洞窟の中を進んで行くと、前方が明るく見えてきた。どうやら出口のようだ。
洞窟から出ると、そこは三方を小高い山で囲まれた盆地のような場所であった。残りの一方はそのままザ・クロスの山腹へとつながっている。
その盆地のあちこちに松明が灯されていて、狭い盆地の中を見渡すことができた。
洞窟の出口には、木製の門が設けられていた。今は開かれているが、非常時にはこの門を閉めて、敵の侵入を防ぐのだろう。
まさに隠れ里だ。洞窟の入り口は目立たないように壁のような岩でカムフラージュされているし、四方を山で囲まれたこんな場所に人が住んでいるとは、鳥でなければ分からないはずだ。
「ここからは徒歩で行く」
木の門の付近で聖職者たちはロバから降りた。
「荷馬車もこの辺りにつないでおくが良い」
俺は聖職者たちの指示どおり、木の門のすぐ近くで荷馬車を停め、車輪止めをかませた。
「こちらだ」
先に立つ聖職者二名の跡について歩き出した。
まずは、畝で区切られた畑が五面あった。それほど広くはないが、小麦やジャガイモ、ニンジンが植えられていて、その奥には小さな牛舎があった。乳牛を飼育しているようだ。さすがに夜だからか、作業をしている人影は見えなかった。
盆地の中心には、こじんまりとした木造の建物があった。造りからすると教会としたものらしい。他には建物はなかった。
「あんたらはどこで寝泊まりしているんだ?」
俺は、その教会に向けて歩く聖職者の背中に問い掛けた。
「この星空の下だ」
聖職者たちは立ち止まらずに答えた。
「……家はないということか?」
「そうだ。雨が降れば、教会で過ごせば良い。天気が良ければ畑を耕し、乳を搾り、そして風とともに休むのだ」
聖職者の一人が小走りに教会に向けて走り出した。
俺たちを連れてきたことを、教会の中にいる偉い方々にあらかじめ告げておくためだろう。
「あの教会には誰がいる?」
「我らが教祖様だ」




