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クロスロード  作者: 粟吹一夢
第一部 西の国〈フランツガルト帝国〉編
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第十八話 商品引き渡し

 俺が買った本を大事そうに胸に抱えながら、レイは通りを歩く大勢の人に目を丸くしていた。

 青の広場でも多くの人出があったが、広場だけに人の密度という点ではそれほどでもない。

 ここは、富裕層をターゲットにした高級店が建ち並ぶ商店街であったが、そもそも帝都だけに富裕層が多く、今も着飾った老若男女が溢れるほどに行き来していた。

 俺はいかにも旅商人だという服装だし、コーネリアも戦闘に適したシンプルな服で、この街には場違いな雰囲気を醸し出していたが、見た目だけはどこぞの貴族令嬢にしか見えないレイは、キョロキョロと辺りを見渡している、いかにもお上りさん的な挙動を無視すれば、この街の風景に溶け込んでいるようであった。

 その街のど真ん中に、西の国で一番有名な高級レストランがあった。

 俺も過去数回しか入ったことがない店だが、レイが赤の宮殿に売れることを確信している俺は惜しげもなく入った。店員が案内にやって来たが、その視線はレイに向いていた。

 レイの容姿に見とれていることもあるだろうが、貴族令嬢とそのお付きと護衛の三人と思われたのかもしれない。

 きっと、こんな店に入ったのは初めてであろうコーネリアが緊張しているのが分かった。

 逆に店の格式などの知識がないレイは、緊張することなく、普段どおりの所作で、それが自然な振る舞いとなっていた。そして、十数日前に初めてナイフとフォークを使って食事をしたのにもかかわらず、今のレイはテーブルマナーも完璧で、貴族令嬢だと誰もが思っているだろう。

 これなら、皇室に入っても恥ずかしくはないはずだ。

「レイ、どうだ? ここの料理は?」

「はい。おいしいです」

「そうだろう。今まで食べた飯の中でも最高に旨いだろう?」

「えっと……」

 レイが答えに詰まった。

「そうでもないか?」

「い、いえ。あの、何かいろんな味がしておいしいです」

 確かに、これでもかというくらい贅沢な素材や調味料を使用して味付けがされているはずで、レイはそれを「いろんな味」と表現したのだと解釈した。

「おまえはどこの飯が一番うまいと感じたんだ?」

「あ、あの、シャーケインの女将さんがごちそうしてくれたプリンが一番おいしかったです」

「……まあ、おまえが最初に食べた甘いデザートだったからな。その印象が強く残っているんだろう」

「そうかもしれません。でも、また、食べたいです」

「……」

 珍しく俺が言葉を詰まらせたので、変なことを言ったのかと、心配そうな表情でレイが俺の顔をのぞき見た。

 レイには最初から「おまえを売る」とは言っているが、その話が具体化していることは話していない。

 コーネリアがレイを可愛がるようになって、レイも俺たちと一緒にいることがさらに居心地が良くなっているのかもしれない。

 あらかじめ引導を渡しておく方が良いだろう。

「レイ」

「はい」

「おまえはもうシャーケインに戻ることはないかもしれないぞ」

「はい?」

「最初におまえに言ったはずだ。おまえは俺の商品だ。俺はおまえを高く買ってくれる人に売る。いつまでも俺たちと一緒には旅はできない。そうだったな? 憶えているか?」

「……はい」

「実は、今、おまえを買いたいという話が来ている。条件次第では契約が成立するかもしれない。契約が成立したら、おまえは俺たちとは別れて、その新しい主人の元で暮らすことになる」

「……」

「心の準備をしておくんだ。良いな、レイ」

「……はい」

 せっかくのごちそうだったが、レイとコーネリアが放つダウナーな空気のお陰で、俺まで旨く味わうことができなくなった。

 宿屋に帰る道すがらも、帰ってから食べた夕食でも、今までのような会話はなく、二人とも押し黙ったままだった。

 さすかの俺も気まずい雰囲気に心が折れそうになったが、レイを売ることは最初から二人には言っていることだ。

 俺は何もひどいことは言っていないし、やってもいない。そうだろ?

 俺は自分にそう言い聞かせた。



 辺りが暗くなり、夜のとばりが降りたが、赤の宮殿からの使者はやってこなかった。

 さすがに金貨三百枚はふっかけすぎたかと心配になったが、夜遅く、赤の宮殿の女官長ヒルダと護衛の兵士コイゾが宿屋にやって来た。

 ヒルダと向かい合って、ロビーのソファに座る。

「もう今日は来ないのかと思ったぜ」

「いろいろと調整を要しての。なにせ大金が必要じゃからな」

「ということは?」

「そなたの条件で契約を結びたい」

 さすがの俺も金貨三百枚という大金が現実に手に入ることの実感が、すぐにわかなかった。

「支払いはいかがする?」

「小切手で」

 三百枚の金貨など持ってこられるわけがないし、受け取った俺も困る。

「分かった。ところで契約書は作成しなくても良いか?」

 少女一人に金貨三百枚という大金を国庫から支払った証拠を残したくないのだろう。

「それでも良いが、後日のトラブルを避けるために、赤の宮殿と俺との間には、お互いにいかなる債権債務は残っていないという確認書は交わしたい」

「それであれば了解した。では、明日の夕刻、迎えの馬車を寄越すので、『商品を持参の上』、宮殿に出頭されたい。そこで小切手と確認書をお渡しする」

「分かった」



 翌朝。

 朝食を食べ終えてから、俺は丸テーブルの隣の席に座っているレイを見た。

「レイ。今日の夕刻、赤の宮殿に行く」

「はい?」

「おまえの新しいご主人様の所に行くのだ」

 コーネリアは、悔しそうに口を結んでうつむいた。

 そもそもコーネリアも俺が雇っている身分だし、俺がレイを奴隷として仕入れ、将来は売りに出すということも最初から言っている。俺に向かって、いろいろと文句を言うことは自由だが、俺が決めた契約に口出しできる立場にはないのだ。

「おまえは、この国で二番目に偉い人のものとなる。今までよりも豪華な服や美味い食事を楽しむことができるだろう。何よりも名誉なことだ」

 昨日、前振りをしておいてから、レイも覚悟はできているはずだと思っていたが、レイの目には途端に涙がたまった。

「……ギースは?」

「えっ?」

「ギースは一緒じゃないんですか?」

「俺はおまえを売るんだ。おまえを買い主に引き渡すため、宮殿までは一緒に行く。そこで代金を受け取れば、おまえはもう買い主のものだ。おまえは宮殿に残る。だから、おまえとは今日、お別れだ」

 レイの目からポロポロと涙が落ちた。

「お、おい! そんな目をするな!」

 俺の心が揺らぐ。

「物だ! レイは売り物なんだ!」と心の中で叫びながら、「良いか、レイ。俺と一緒に旅を続けるより、ずっと幸せな人生がおまえを待っているんだ。だから笑って宮殿に行け。新しいご主人様には涙を見せるな! ご主人様の気に入ってもらえるようにしろ! 良いな?」とレイに言い聞かせた。

「……はい」

 レイは、消え入るような声でうつむきながら答えた。



 その日の夕刻。

 俺がロビーで待っていると、コーネリアに手をつながれて、レイがやってきた。

 俺が買ってやった白い長袖で膝丈のチュニックに、足元は編み込み式の革製サンダル。輝くばかりに可憐な姿は皇室に入るのにふさわしいとさえ言える。

 しかし、羊の胃袋でできた水筒をたすきにかけ、シャーケインの宿屋でもらったものと、昨日、俺が買ってやった、いかにも安っぽい本を二冊、大事そうに抱えていた。

「レイ、おまえはもう水筒を使うことはない。水が飲みたいと言えば、召使いが水を持ってきてくれる。それに、もっと綺麗に印刷された本も読み放題だろう。そんな生活がこれから始まるんだ。だから、水筒と本は置いていけ」

 うつむき加減のレイはゆっくりとかぶりを振った。

「この水筒は族長が私のために作ってくれたものです。シャーケインの女将さんとギースがくれたこの本を読むのは大好きです。だから、持っておきたいんです」

「……まあ、好きにしろ」

 約束の時間ぴったりに赤の宮殿から迎えの馬車が宿屋にやって来た。

 皇族が乗る豪華な装飾がされたものではなく、一般的な乗合馬車だ。

 どうしても一緒に行くとごねたコーネリアを入れた三人で乗り込む。俺がいつも乗っている荷馬車よりもはるかに良い乗り心地だ。

 レイとコーネリアが並んで座り、向かい合った席に俺が座った。

 だが、馬車の中では誰も言葉を発せずに、しーんと静まりかえっていた。

 コーネリアは歯を食いしばっているように渋い顔つきだったし、レイはずっとうつむいていて、その顔は今にも泣きそうだった。

 

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