第十七話 売買交渉
乾燥果物を売り切った俺たちは、空の荷馬車に乗って、まず、鉄鉱石の卸し業者の店に行き、東の国に運んで売る鉄鉱石の買い付け契約を済ませた。
明日には納品されるということだが、昨夜、宿屋に訪ねてきた近衛兵たちには明明後日まで、つまり明後日まではこの街にいると約束していたから、出発は明後日にした。近衛兵たちと約束をしたわけではないから、明後日まで待つ義務もなかったが、さっきの「あの男」の様子から言って、レイを買うと言ってくることは確実と思われ、そんな大儲けのチャンスを自ら放り投げることもあるまい。
そして、途中、雑貨屋に立ち寄り、刻印器を購入した。
奴隷を有している者は、その奴隷を解放する際には、左手の甲に刻印している自分のサインを消す必要がある。レイが売れたら、俺の刻印を消して納品しなければいけないからだ。
刻印器自体は遊牧民のニジャルも持っていたように、けっして高い物ではない。しかし、これによって刻印された者はその刻印をした者の「もの」となるという、人の運命を変えるほどの力がある機械なのだ。
まだ日が高いうちに涼風亭に戻った俺たちは、夕食までの間、それぞれの部屋でゆっくりすることにした。
しかし、すぐに俺の部屋のドアをノックする者がいた。
ドアを開くと予想どおりコーネリアだった。
「レイは?」
「お昼寝してる」
「そうか」
そんな短いやりとりの間にコーネリアはツカツカと俺の部屋の中に入ってきて、俺と向かいあった。その顔はもちろん怒っていた。
「ギース! レイを売る話はちょっと待ってよ!」
「待つって、いつまで待てってんだ?」
「少なくとも、この国を出るまで」
「それは、あいつにレイを売りたくないということか?」
「そうだよ! ギースも見たでしょ? キモいよ! キモすぎだよ!」
「おいおい、自分たちの国の次期皇帝に向かって、キモいはねえだろ」
「だって、メチャクチャ、キモかったじゃん! ギースだって思ったよね?」
「まあな」
「だったら!」
「レイを見つめるその目は確かにキモかったが、それだけ、レイを気に入ってくれたということだ。大切にしてくれるだろうよ」
「でも、やっぱり、レイが心配なんだよ! まだ、レイは子どもなんだ。もう少し大人になって、レイ自身も望んで行ける所が良いじゃない!」
「今さら、何を言っているんだ? 何度も言っているが、レイは奴隷として、商品として仕入れたんだぞ。レイの気持ちを考慮する必要がどこにある?」
「そ、そうだけどさ。で、でも……、アタシは反対だよ! 大反対!」
コーネリアは、俺を刺そうかというほどの気迫で俺に迫ってきた。
「コーネリア。おまえはどうしてそこまでレイのことを心配するんだ? つい最近、出会ったばかりで、人族の、それも奴隷の少女だぞ? おまえとは何も関係はないはずだろ?」
「アタシにもよく分からないんだよ! でも、絶対にレイを売っちゃ駄目だって、アタシの勘が言っているんだ!」
これだけ感情的になられると冷静な話などできない。どうしたものかと考えていると、ドアがノックされた。
出ると、宿屋の主人で、俺に来客とのことだった。
「いよいよ来たな」
「ギース! 契約しないで!」
「レイは俺のものだ。おまえにとやかく言われる筋合いはない」
冷徹にそう言い放って、俺は宿屋のロビーに向かった。
そこには、いかにも高貴な所の女官といった風情の年配の女性がソファに座って待っており、その後ろには護衛らしき近衛兵が一人、立っていた。
俺が近づくと、女性は立ち上がり、「旅商人のギースじゃな?」と尋ねてきた。
「そうだ」
「わらわは赤の宮殿の女官長ヒルダという。こちらは護衛のコイゾじゃ」
会釈することもなく顎が上がったままのヒルダと向かい合ってソファに座った俺は、まずは先制攻撃を仕掛けた。
「今日、あんたらのご主人様が青の広場に来ていたか?」
「よく分かったの?」
ヒルダは目を丸くしていた。普通の市民であれば、皇太子の顔も知らないだろうし、俺たちも知らなかった。しかし、俺たちからすれば、これまでの経緯から容易に相手の素性は分かるというものだ。
「商品を確認した上で、具体的な商談をしに来たということで良いのか?」
「さようじゃ。レイなる娘、買い受けに来た」
「回りくどいことは省略しよう。まず、そっちはいくら出せる?」
「先に、そなたの売値を知りたい」
「良いだろう」
俺はにやりと笑うと、指を三本突き出した。
「金貨三百枚だ」
二人が目をむいた。
「正気か?」
護衛の兵士がすごんだ声を出した。
「当たり前だ。レイはそんじょそこらの美少女ではない。金貨三百枚は正当な対価だと思うが?」
二人は戸惑った顔を見合わせた。
想定していた価格よりも遙かに大金だったからだろう。
「ちなみに、そっちはいくらまでなら出すつもりだったんだ?」
「最大で金貨百枚だ」
それでも、普通に豪邸を建てることができる金額だ。
「三倍以上の開きがあるな。合意は無理かな」
俺の言葉を聞いて、二人は焦ったように「少し待ってくれ」と言った。
おそらく、皇太子から必ず手に入れてくるように厳命されているのだろう。
普通の帝国市民であれば、金貨百枚という値段を聞けば、目をむいて二つ返事で承諾するだろう。
しかし、一回の取引で金貨一枚近くの金額をやりとりし、年に金貨十枚の貯蓄ができる旅商人の俺には、金貨百枚という金額は夢のような金額ではない。俺の基準で言えば、夢のような金額とは、三十年以上掛けて貯めた金貨三百枚なのだ。
「金貨三百枚からビタ一文まける気はないからな」
「検討させてくれ」
「良いだろう。明後日の朝にはここを発つ。それまでに結論を出してくれ」
「分かった」
ヒルダとコイゾは、困惑した表情で宿屋から出て行った。
次の日。
とりあえず、昨日はレイの売買契約は成立しなかったが、結論は今日出ることになっていると、朝食の席上、小さな声でコーネリアには告げた。
「そ、そう」
昨日のように言い返してはこなかったが、コーネリアの目は怒っていた。
レイはと言うと、いつもどおり「おいしい」を連発させながら、うれしそうに朝食を食べていて、自分の身に起きている事柄には予想もしていないようであった。
朝食後、俺は、一人で鉄鉱石の納品を受けるため、空の荷馬車で卸業者の所に行き、即決で代金を支払い、無事、仕入れを終え、涼風亭に戻ってきた。
大切な荷物を積んだ荷馬車を「車庫」に入れ、宿屋のロビーに入ると、コーネリアとレイがロビーのソファに座っていた。
「ギース、仕入れは終わったの?」
「ああ。おまえら、何をしているんだ?」
「ギースを待っていたんだよ。天気が良いから散歩にでも行こうよ」
「はあ? 何、言ってるんだ? 俺が一銭の儲けにもならないことに体力を使うことはしない主義なのは知ってるだろうが?」
「この西の国で一番賑やかな街をもっとレイに見せてあげたいんだよ」
「おまえとレイの二人で行ってくれば良いだろうが?」
「女二人だけだと痴漢に襲われるかもしれないし、男のギースが一緒だと安心できるからさあ」
コーネリアなら痴漢など一捻りにできるだろうがと反論しようとしたが、俺を見つめるレイの視線で言葉を飲んだ。
「レイもギースと一緒に行きたいんだって」
ワクワクしているような、心配しているような表情は、俺が一緒に行くという返事を言ってくれると期待しているような気がした。
今日、赤の宮殿からの使者が来て、契約が成立するかもしれない。そうすると、レイと一緒にいることも今日限りということになる。
俺に大金をプレゼントしてくれるかもしれないレイにお礼の意味を込めて、その願いを叶えてやることも良いだろう。
「分かったよ。俺も行こう」と答えると、レイがうれしそうに微笑んで、コーネリアと顔を見合わせた。
「やったね! レイはさ、ギースのことが大好きなんだってさ!」
取って付けたかのような台詞で、コーネリアの狙いが分かった。
情に訴えて、レイを売ることを俺にあきらめさせようという魂胆だな。
「せっかくだ。昼飯は宿の飯じゃなく、街中で美味いと評判の店に連れて行ってやる。前祝いだ」
「前祝い」という言葉にコーネリアも少し顔をしかめたが、「そうだね。行こうよ」とレイに表情を読み取られまいとしたのか、すぐに笑顔になった。
しかし、こうやってクラウンズヒルの街中を歩くのも久しぶりだ。
俺たちは、いろんな店が軒を連ねている、クラウンズヒルで一番の繁華街を歩いた。
基本的に富裕層向けの店舗が並んでおり、歩いている人々も優雅に着飾っている人が多かったし、華麗に飾り付けがされた馬車も行き来していた。
レイはここでもお上りさんのようにキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。
突然、レイが立ち止まった。
そこは書店の前だった。
店の中には革張装丁の豪華な本が並んでいたが、店の前に出されている木製のワゴンの中には、子ども向けの絵本などが無造作に置かれていた。表紙もペラペラの紙で、値段もそれほど高くはないものばかりだ。
「レイ、欲しい本でもあるのか?」
「あっ、いえ。あ、ありません」
「変な遠慮はするな。欲しい本があれば、俺が一冊買ってやる」
「良いんですか?」
「ああ、どれにする?」
「はなむけの品だ」と心の中で付け加えてから、レイと一緒にワゴンの中を見た。
ワゴンの中を夢中で見ていたレイが、おずおずと手を伸ばして、一冊の本を手にした。
表紙には「夜空の星」というタイトルとともに、デフォルメされた夜空の絵が描かれていた。まだ完全には字が読めないレイは、この絵でこの本を選んだのだろう。
本を受け取り、パラパラとめくると、西の国の夜空で見ることができる、季節ごとの星の位置と名前が書かれていた。
旅をする上で、方角を知るには方位磁石なる便利な道具もあるが、星を見ればすぐに分かることもある。だから、俺もそこそこは星には詳しいと自負していたが、俺も知らない星の名前も掲載されていて、子ども向けの本としては、なかなかに出来が良いものだった。
「これが良いのか?」
こくりとうなずいたレイは、「いつも星を見ながら眠っていたから、星は大好きなんです」と照れながら言った。




