第十六話 視察
果たして、その夜。
涼風亭に来客があった。
宿屋の主人が言うには、近衛兵が俺に似た人相書きを持ってきて、この男を知らないかと訊かれたそうだ。
さっそく来やがったかと内心ほくそ笑みながら、ロビーに出てみると、近衛兵が二人、ソファにも座らずに立って待っていた。
俺が近づくと、近衛兵は懐から人相書きを取り出し、俺と見比べた。
「つかぬことを訊くが、おまえは今日の午後、皇太子殿下の行列を見物していたか?」
「ああ」
「その時、小さな女の子を連れていなかったか?」
「連れていた」
「その子を見せてほしい」
「良いが、まず、おまえたちは誰なんだよ? 自己紹介くらいしたらどうだ?」
「この格好を見て分からぬか?」
今日の行列に参加していた兵士たちと同じ制服を着ていて、近衛兵なのは明らかだったが、両親の死亡以降、俺は皇室への敬意も忠誠心も捨てていて、かしこまることもしなかった。
「ああ、分からないね。偽物かもしれねえだろ」
「貴様あ!」と怒りをあらわにする若い方の近衛兵を、少し年配の近衛兵がなだめながら、「われわれは赤の宮殿の近衛兵だ」と、その証である赤い宝玉が埋め込まれた剣の柄を示した。
「赤の宮殿の近衛兵が、俺の連れの娘にいったい何の用だ?」
「皇太子殿下が昼間、見初められた娘がいたそうで、それがこの人相書きの男と一緒だったということだ。おまえの連れの娘が殿下の見初められた娘かどうかを確認したいのだ」
「分かった」
俺は、レイを部屋から連れ出し、ロビーで待たせていた近衛兵の前に連れてきた。
近衛兵たちは、俺の人相書きとは別の人相書きを懐から取り出して、レイと見比べた。俺の時と違って、ジロジロと見なくとも、実際に見たレイの可憐さから、皇太子が好意を抱いた女の子とすぐに確信したようだ。
「この娘を赤の宮殿に召し抱える。光栄なことだと思え」
年配の方の近衛兵が胸を張って偉そうに宣言した。
「ほ~う。それは確かに光栄だ」
「明日、迎えの馬車をよこす」
「対価はその時にもらえるのか?」
「対価?」
「そうだ。この娘は俺の奴隷だ。つまり売り物だ。只で差し出すつもりはない。買いたいというのなら、適正な値段で売ってやる」
「おまえは我が帝国の臣民ではないのか?」
憮然とした表情で年配の近衛兵が問いただしてきた。
「そうだが?」
「貴様の持ち物の奴隷であっても、皇室のお役に立てるのなら、臣民としては喜んで差し出すべきではないのか?」
「確かに皇室は尊敬しているが」と心にもないことを言ってから、「俺は商人だ。そしてこの娘は売り物だ。だから、そちらが買わないのであれば、別の買い主を探すまでだ。この娘の器量なら買いたいという要望は多い。そんな儲けを台無しにするほど、俺もお人好しじゃないんでね」と、ハッタリをかました。
近衛兵二人は顔を見合わせると、年配の近衛兵が俺に「分かった。出直す」と言って、あっさりとあきらめた。
「いつまで、この宿屋にいるつもりだ?」
「今、青の広場で、この娘とともに商品を売っている。明日か明後日には完売できるだろう。その後、商品を仕入れると、すぐにでも発つ。そうだな。最短だと四日後には発つだろう」
「分かった。おまえの名前を訊かせてくれ」
「ギースだ」
「この娘は?」
「レイだ」
近衛兵二人はうなずきあって宿屋から出て行った。
次の日も俺とコーネリアとレイは青の広場で乾燥果物を売った。
どうやら、レイが評判になっているようで、昨日に増して、むさ苦しい男どもが多く集まってきていた。
まあ、俺としては、乾燥果物を買ってくれるのであれば、誰が買いに来ようと関係ないがな。
ちょうど昼時になったことを正確な腹時計を持っているコーネリアが伝えた。
「じゃあ、俺が店番をしているから、レイと一緒に何か昼飯を買ってきてくれ」
「了解だあ」
敬礼をしたコーネリアに銅貨を十枚渡すと、コーネリアはレイと手をつないで、広場のあちこちに露店を出している食い物屋に歩いて行った。
レイの物珍しげな要望を叶えてやろうとコーネリアがあちこちと連れ回すだろうと踏んでいたが、そのとおりに、しばらくしてから二人が戻ってきた。
「おまたせしました」
時間が掛かって申し訳ないという風に恐縮した表情のレイが抱えた紙袋の中からハムとチーズとレタスを挟んだパンを一つ、俺に差し出した。
「こんなパンで良かったですか?」
「ああ。俺は引き続き店番をしているから、おまえたちが先に食べろ。それで、ほれ」
俺はコーネリアに手のひらを差し出した。
「な、何?」
「つりは?」
「い、いるの?」
「当たり前だ。おまえに駄賃など必要ないだろ」
「ちえ~」
この手のパンなら一つで銅貨三枚が良いところだ。
ブツブツと文句を言いながら銅貨一枚を返したコーネリアは、レイと一緒に近くのベンチに座り、一緒にパンをほおばりだした。
食い意地が張っているコーネリアがポロポロと自分の服に落とすパンくずを、レイが丁寧に拾って、自分の口に入れていた。レイの場合は、食い意地が張っているというより、食べ物を粗末にしないという習慣が身についているからだろう。
それにしてもそんな二人を見ていると、本当に姉妹のように仲が良いのが伝わってくる。もっともどっちが姉なのか分からないが。
午後には、食堂を経営しているという女性が大量に買い込んでくれて、今日中に完売するかもしれないところまで在庫が一気に減ると、広場を見渡す余裕が生まれた。
「ギース」
コーネリアが俺を呼んだが、コーネリアの視線は俺ではなく、広場の周辺に向いていた。その視線の先を追うと、いつもより多くの近衛兵が広場のあちこちにたむろしているのが分かった。
ここは帝都だ。皇室の身辺警護を任務とする近衛兵たちが宮殿にも近いこの広場を警護していても何ら不思議ではないが、今いる近衛兵たちは広場の治安を守るために警戒しているというより、ある特定の人物に注目しているのが分かった。
広場の中央付近に立っているその人物は、裕福な商人風の服装をした肥満体の男性で、召使いらしき三人の男を引き連れていた。
そしてその男の視線は俺たちの方に向いていた。
「あいつ、誰だろうね?」
コーネリアもその男が近衛兵たちの護衛の対象になっていることが分かったようだ。
「近衛兵に護衛されているんだから、皇室の人間なのは間違いないだろう。むしろ、俺たちを見に来ているとすれば、あいつしかない」
「アタシたちというより、レイ?」
「おそらくな」
その男が俺たちに近づいてきた。
ブクブクと太った締まりのない体、それほど年を取っているとは思われないが薄くなっている頭髪、そして蛇を思わせるような目がレイに注目しているのが分かった。
「いらっしゃいませ!」
レイが近づいてきたその男に、俺が教えたマニュアルどおりの笑顔で挨拶をした。
途端に、その男の目尻が下がった。
「おいしそうだねえ」
レイの両隣には俺とコーネリアが立っているにもかかわらず、その男はレイだけに話しかけるように、身をかがめ、顔をレイに近づけた。
よだれを垂らしかねないほど、欲望がダダ漏れしてやがる! 「おいしそう」なのは乾燥果物のことじゃないのかもしれない。
男の俺が見てもキモい。コーネリアも露骨に嫌悪感を顔に出していた。
当のレイは、十字路高原育ちで、人との交わりということに疎くて、この世の中には「変態」という「種族」がいることを分かっていないはずで、その男に対しても笑顔を崩さなかった。
「あんた、乾燥果物を買ってくれるのか?」
ずっとレイを見つめていたその男に、俺は嫌みたらしく言った。
夢中になっていることを邪魔されて不機嫌になった男がふんぞり返り、でかい腹を突き出しながら「全部買おう!」と豪語した。
もっとも、残りはそれほど多くはなく、残りのさまざまな種類の乾燥果物をかき集めてまとめても、一つの麻袋に詰め込むことができるほどだった。
子供のレイが持てる重さではなかったが、一応、買い主に対するサービスとして、俺が手を添えながらレイから男に麻袋を渡した。
渡す際にさりげなくレイの手を触った男は、名残惜しそうに麻袋を受け取ると、袋をお付きの召使いに渡した。
「君、名前はなんて言うの?」
再びレイに顔を近づけながら男が訊いた。
「レイです」
「レイちゃんかあ。ほっほっほ、本当に可愛いねえ」
「お買い上げありがとうございましたあ!」
買ったんならあとは用事はねえだろと言わんがばかりに、コーネリアが大きな声で言った。
「よし! 店じまいだ! 完売を祝そうぜ!」
俺もその男を無視して、店じまいを始めた。
「レイ! 空になった麻袋をきれいにまとめてくれ」
「はい」
レイに用事を言いつけて、男の目の前からレイをどかせた。
男は、まるでおもちゃを取り上げられた子どものように不満そうな顔をしながら、召使いどもに背中を押されながら去って行った。




