第十二話 迫害される教団
俺たちは、帝都クラウンズヒルまであと一日という場所にあるソルズムーンという街に入った。ここは、西の国の「太陽と月の教団」の本部と大聖堂があり、「聖都」という異名を持つ街だ。
唯一無二の存在である太陽の神と月の神を崇拝する「太陽と月の教団」の教義は各国の支配層の支持も得ていて、西の国でも皇室の支援により、この壮大な宗教都市が建設されているのだ。
俺たちは、夕暮れ前にソルズムーンの宿屋に入ると、歩いて大聖堂に向かった。
この大規模な建造物に興味津々のレイを連れて行ってあげようよとコーネリアが言い出したからだ。
俺は一人ででも公衆浴場に行こうと思っていたが、レイがどうしても俺も一緒に行ってほしいなどと言い、コーネリアも味方して無理矢理、俺を引っ張って来やがったのだ。
ということで、俺も大聖堂には久しぶりに入った。
大きく開かれた鉄製の巨大な扉を入ると、そこは誰でも自由に出入りできる礼拝室だが、「室」と言うには不相応な広大なスペースが広がっている。幅の広い中央通路の左右にベンチのような長いすがいくつも置かれ、三百人以上は一度に入れるだろう。
礼拝室の奥にある祭壇には、創造神と太陽神そして月神の三体の巨大な石像が安置されていた。
西の国に入って、レイもさまざまな建造物を見ていたが、今までの建造物など比較にもならないほどの巨大さに、レイも口をあんぐりと開けて荘厳な天井画を見上げたり、通路のあちこちにさりげなく置かれている芸術的な石像に近づいて見つめたりと、まさにお上りさん状態であった。
「レイは、風の神様を信じているのか?」
放心状態のレイに尋ねた。
ニジャルのような遊牧民たちは「風の教団」が崇拝する「風の神様」を信仰している。十字路高原を吹く風が、牧草が豊富に生えている所を教えてくれるらしい。羊の放牧などで暮らしている遊牧民は、農耕民のように太陽や月の恵みを実感しにくいのかもしれない。
「いいえ。風の神様は族長たちの神様です」
「では、おまえは何の神様を信じていた?」
「私たちには神様はついていないと仲間が言っていたので、私もそれを信じていました」
街に住む奴隷たちは星の教団の信者が多いが、十字路高原を旅する遊牧民の奴隷にまで布教はできていないのだろう。
そんな奴隷たちには神の祝福すらないということか。
まあ、俺も神など信じていないがな。俺が信じているのは、俺自身と金だけだ。
その俺が信じる俺は、そろそろ風呂に入りたくなってきた。
十字路高原を旅する際には、風呂に何日も入れなくても平気なのに、西の国の領土内に入り、毎日、風呂に入れるようになると、一日の終わりには風呂に入りたくてたまらなくなる。
まったく、人というのはその環境にたやすく影響されるものだ。
そういう意味では、初めて文明社会という環境に浸ってしまったレイがこの先どう変わっていくのか、少し興味はある。
そのレイは、大聖堂を見物するのにまったく飽きていないようであったが、宿屋の夕食の時間もあることから、俺はレイとコーネリアを急かして大聖堂を跡にした。
公衆浴場に向けて歩いていると、後ろからドカドカと足音がした。
何事かと振り返るまでもなく、すぐに四名の憲兵隊員が俺たちを追い抜き、更に前方に駆けて行った。
どこに行っているのかと見ていると、前方で辻説法を行っていた犬人族の男性の周辺に集まっていた二十数人の群衆を蹴散らしているようであった。
「何だろうね?」
コーネリアが興味津々という表情で俺に尋ねた。
「群衆の真ん中にいる犬人族の男が着ている服に描かれているマークを見てみろ」
「あっ! ザ・クロスのところで会った?」
「ああ、星の教団の聖職者だな」
しかし、太陽と月の教団のお膝元で説法をするたあ、良い根性をしているぜ。
特段、興味があったわけではないが、たまたま公衆浴場がその方向にあったので、そのままその場所に向かいながら見ていると、憲兵たちが星の教団の聖職者を取り囲み、詰問をしており、その様子を今まで集まっていた群衆たちが心配そうな顔で遠巻きに見つめていた。
それらの群衆は皆、みすぼらしい格好をしていた。おそらく信者の奴隷たちだろう。
神話の昔、奴隷として虐げられていた人族以外の四種族を解放した星の王女は、今では種族を問わずに奴隷となっている者たちの希望なのだ。
しかし、現実問題として、現在の世界の秩序は奴隷制度抜きでは成り立ち得ない。なぜなら奴隷たちの過酷な労働により産み出された産物が欠かすことができないものだからだ。賃金を払わなければいけない市民層の労働者の作る品物はその賃金が品物の価格に上乗せされる結果、商品の値段は高くなる。品物の値段を安く抑えて大量に売りさばくためには、賃金を払う必要がない奴隷たちに作ってもらった方が良いに決まっている。
奴隷の全面的解放を唱えることは、良いことを言っている感があるが、実際にそんなことをしたら、この大陸の経済的秩序がぶっ壊れてしまうことは目に見えている。
俺に言わせると、奴隷の全面的解放などは、机上の空論であり、理想と現実の乖離を理解していない空想論者の主張でしかない。
憲兵たちに取り囲まれていた星の教団の聖職者は、杖をつき、少し腰も曲がっていて、かなりの高齢者ではないかと思われた。
近づいていくと、次第に憲兵たちの声が聞こえてきた。
「まったく! この聖都で白昼堂々と説法をするとはな!」
「本来なら騒乱罪で捕らえることもできるのだぞ!」
「神のご加護に従い、見逃してやるから、早くこの街から出ていけ!」
憲兵の一人が容赦なくその聖職者の背中を強く押すと、聖職者は前に数歩よろめき、足がもつれたように、俺たちの目の前で転んだ。
反射的にレイが飛び出して、杖を拾ってから老人の近くにしゃがみ、老人に手を差し伸べ、「大丈夫ですか?」と問い掛けた。
「ああ、大丈夫じゃ。すまぬのう」と聖職者服の膝の部分に付いた土埃をはたきながら立ち上がった老人は、杖を差し出しているレイを見て固まってしまった。
「あなたは……」
そしてすぐに周りを見渡した老人が俺に視線を止めた。
「もしかして、旅商人のギース殿か?」
どうやらこの爺さんは、ザ・クロスで出会った星の教団の連中が言っていた「西の国の同胞」のようだ。連中の言葉によると、レイの周りにはオーラが輝いているらしい。この爺さんも、おそらくレイのオーラを見て気づいたのだから、今更、知らんぷりなどできないだろう。
「ああ、そうだ」
「おお! これも星の王女様のお導きか!」
老人は両手を空に向けて大きく挙げて、天を拝んだ。
近くには憲兵たちがまだいて、俺たちがこの爺さんのシンパではないのかと疑いの眼差しを向けていていた。厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「爺さん! 金は持ってきているのか?」
俺は憲兵たちにも聞こえるよう大きな声で尋ねた。
「金?」
「ああ、そうだ。この娘を買えるだけの金を持ってきていないのであれば、俺にはもう話はない。そう伝えていたはずだ」
「金貨百枚という話か?」
「そうだ」
「愚か者めが! 人の命を金で売り買いするなど許されるはずがない!」
「こちとら、別にあんたの説法を聞きに来ているわけじゃねえんだ。ビジネスの話だ。金が払えないというのであれば、そもそも話にならねえ。ということだ」
俺は爺さんを置いて去ろうとした。
「待て! 少し話を聞いてくれ!」
憲兵たちを見ると、俺たちはこの爺さんの仲間ではないと判断したようで、肩で風を切るごとく偉そうな後ろ姿を見せて、歩き去っていた。
一方、犬人族の老人は、俺の側まで来て、「わしは星の教団フランツガルト帝国支部の支部長をしておるオグナスと申す。わしの話を聞いておくれ」と切実な表情で哀願した。
支部長自らが説法か?
オグナスはコーネリアと手をつないで近くに立っているレイを目で示しながら俺に尋ねた。
「その御方、レイさんとおっしゃったかの?」
「そうだ」
「われらには、レイさんを解放するだけの資金はない。しかし、なぜ、われらがレイさんを求めるのか、その理由を聞いてくれ」
「レイは星の王女様のお気に入りなんだろう? ザ・クロスであんたの仲間が小芝居していたぞ」
「小芝居などではないわ! ザ・クロスの同胞は、まこと、星の王女様の声を聞いたのじゃ!」
俺は、ふと、レイがザ・クロス周辺で女性の声が聞こえるということを思い出した。
レイが嘘を吐いているようには見えなかったし、そもそも嘘を吐く理由がない。
「オグナス。あんたもその声を聞いたことがあるのか?」
「もちろんじゃ。ザ・クロスにある我が教団の本部でな」
「その声は自ら星の王女だって名乗っているのか?」
「名乗りはせん。しかし、心が洗われるような女性の声じゃ。星の王女様以外に考えられぬ」
強い思い込みがあると、無いものが見えたり、誰も発していない声が聞こえることがあるという。星の教団の聖職者たちについては、そういった理由による幻聴で説明がつくかもしれないが、そもそも星の教団のことも星の王女様のことも知らないレイについては説明がつかない。
その声の主が星の王女様なのかどうかは置いておいて、ザ・クロスの周辺では何らかの声が聞こえるのは本当なのかもしれない。
「ギース殿よ。星の王女様が人々から魔法を取り上げて、緑色の魔石に封印したという、我が教団の聖典に記されている話はご存じじゃな?」
オグナスが杖に両手を載せて、まるで辻説法をしているような雰囲気で話し出した。
「ああ、知っている。しかし、神によって魔法が取り上げられたという話は、太陽と月の教団の聖典にもある。別にあんたらの聖典のオリジナルではないだろう?」
「それはそうじゃ」
太陽と月の教団の聖典では、イシュタルの五種族は今と同じように共存共栄していたが、神により与えられた魔法のせいで労働を疎かにし、享楽にふけるようになってしまったことから、太陽の王女と月の王女が罰として人々から魔法を取り上げて封印したとされているなど、星の教団の聖典とは魔法を取り上げられた理由が少し違っている。人族で占められている各国の支配層からすれば、人族が悪いことをしたから罰を受けたという星の教団の聖典は受け入れることはできないのだろう。
「しかし、魔法が取り上げられ、封印されたという結末は共通しておる。そして、我が教団の本部には、魔法が封印されたという緑色の魔石がある。正確に言うと、魔石があった場所に本部が建てられたのじゃがな」
「魔法が封印されている石だ? なぜ、そうだと分かる?」
「その石の欠片を身に付けた者は魔法が使えるようになるのじゃ。もちろん、若干の修行を要するが」
昔、人々は魔法が使えたというのは、神話の中の伝説でしかない。ほとんどの聖典で同じような話があることから、本当に昔は魔法が使えていたのかも知れないが、今、実際に魔法が使えるという話は聞いたことがない。
「……正気か? あんたもその魔石の欠片とやらを身に付けているのか?」
「持っておる。これじゃ」
オグナスは聖職者服の胸元から、ペンダントのように紐の先に付けられている、小さな瓶のような容器を俺に示した。
「この中に魔石の欠片が入っておる」
その容器をよく見ると、中に砂粒程度の小さな緑色の石が入っていた。
「……だとすると、あんたも魔法が使えるというのか?」
「もちろんじゃ」
「じゃあ、見せてくれよ。魔法とやらを」
「良いじゃろう」
そう言うとオグナスは、右手で杖をついたまま、左手の手のひらを地面に向けて広げた。
すぐにその手から風が吹いてきているように感じられた。
いや、確かに吹いている。そよ風程度だがオグナスの手のひらから風が出て来て、地面に向けて渦巻いているように見えた。
「この程度じゃ。しかし、タネも仕掛けもないぞ」
これが魔法なのか?




