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クロスロード  作者: 粟吹一夢
第一部 西の国〈フランツガルト帝国〉編
12/30

第十話 宿屋

 公衆浴場から出て、荷馬車を預けた宿屋「朝日亭」まで徒歩で戻った。

 その間、コーネリアはレイとずっと手をつないでいた。

 レイの方も今まで手をつないで一緒に歩いてくれる相手もいなかったはずで、うれしそうに他愛のない話をしながらニコニコとうれしそうに微笑んでいた。

 宿屋に戻ると、玄関から中に入った。

「おかえり、ギース」

 フロントにいた、熊の顔をした女将が笑顔で出迎えてくれた。

 熊人族ベアーノイドと呼ばれる種族で、黒いドレスを着て、白いエプロンを掛けている。

 この女将も昔はもっとスリムだったのだが……。

「ああ、また世話になる」

「あれ、その子は?」

 コーネリアはこの宿屋にはもう何度も泊まっていて顔なじみになっているが、レイは初めてだ。

「ギースの隠し子かい?」

「馬鹿言うな! 新しく仕入れた奴隷だ。もう少し育てて高く売るのさ」

 女将が視線だけを動かして、俺の刻印を確認した。

「そうなんだ。確かに可愛い顔をしてるねえ」

 女将からジロジロと見つめられて、レイは恥ずかしげにコーネリアの背中に隠れた。

「あれあれ、怖がらないでおくれよ。あんた、名前はなんて言うんだい?」

「レイです」

 照れながらも、一応、コーネリアの後ろから出て、レイは女将に名乗った。

「レイちゃんかあ。よろしくね。ギース、レイちゃんは部屋で泊まらせるんだろう?」

「ああ、コーネリアと相部屋で頼む」

「じゃあ、料理も一緒で良いね?」

 奴隷だから別メニューという選択肢もあるが、いちいち、それを指示するのも面倒くさい。

「一緒で良い。ただし、量は少なめで」

「分かったよ。じゃあ、歓迎の意味を込めて、今晩の夕食には、レイちゃんにだけ甘いものをつけてあげるよ」

 にこやかに笑った女将に、レイもはにかんだ笑顔を見せた。

 そんなやりとりを見ていた俺は、先ほど感じた疑問を女将にぶつけた。

「女将。レイが可愛いと思うか?」

「そりゃあ、もう! 可愛いから、ギースも『仕入れた』んだろ?」

「それはそうだが、熊人族のあんたが人族の娘を可愛いと思ったことに少し驚いたんだ」

「それもそうだねえ」

 女将も俺の疑問にやっと気づいたようだ。

「でも、何というか、レイちゃんは種族なんて関係ない可愛さがあるよね」

「分かる分かる!」

 コーネリアが大袈裟に同意した。

 女将が言うところの「種族を越えた可愛さ」がレイにあるとすれば、俺は良い商品を仕入れたことになる。

 四つの帝国の支配層は人族だけだが、商人などの富裕層には人族以外の種族もたくさんいる。レイの可愛さをそんな人族以外の者も感じるのであれば、レイの買い手は人族に限定されないということだ。性的な意味ではなく、近くに置いて愛玩したいという者は人族以外にも大勢いるはずだ。

 レイを欲しいという者が多ければ多いほど、レイの売値は跳ね上がる。

 内心決めていたレイの希望売値は、さらに上方修正できそうだ。



 俺は個室に、コーネリアとレイは相部屋にチェックインすると、さっそく、三人で食堂に入り、七卓ある丸テーブルのひとつに着いた。

 すぐに宿屋の召使いが料理を運んできた。

 今日のメインディッシュは子羊のローストで、もちろん葡萄酒付きだ。

 さっそくナイフでひとくち大に切った肉をフォークで口に運ぶ。

 ニジャルのところで食べた野性味溢れる羊の丸焼も、干し肉続きだった中では旨く感じられたが、香辛料などで“ちゃんと味付けをされた料理”はやはり旨い。

 俺は心の中でうなりながら、ふたくち目の肉を口に入れようとしたが、じっと俺を見つめるレイの視線を感じて、手を止めた。

「どうした?」

「そうやって食べるのですか?」

 そうだった。こいつはナイフとフォークの使い方も知らないんだった。

「そうだ。俺やコーネリアの真似をしながら食べてみろ。右手にナイフ、左手にフォーク。ひとくち大に切って、口に入れるんだ」

「はい」

 レイは、俺とコーネリアを交互に見ながら、たどたどしく肉を小さく切って、口に入れた。

 途端に、レイの目に涙が浮かんだ。

「ど、どうした?」

「お、美味しいです! どうして、こんなに美味しいんですか?」

 どうやら感激の涙だったようだ。

「この料理には肉の味を引き立てる香辛料と呼ばれるものがふんだんに使われているからさ。そのほとんどは南の国で採れる。俺と同じ旅商人がこの国まで運んできているのさ」

 香辛料がないと、西の国の飲食店は商売あがったりだ。だから、香辛料は、俺が仕入れた乾燥果物のような嗜好品と違い、必需品として扱われる。そして、飲食店などの組合ギルドが複数の旅商人と専属契約を結んで、絶え間なく輸送をしている。ソロの俺が香辛料を扱うこと自体は禁止されていないから、俺も乾燥果物ではなく香辛料を南の国から運んでくることもできるのだが、専属旅商人たちが必要な量の輸送をしているだろうから、大きな儲けは期待できない。

 旅商人として大きな利益は上げるコツは、需要と供給のアンバランスを的確に掴むという商売の鉄則を守るだけだ。

 その点、生活必需品ではない、乾燥果物のような嗜好品は、トレンドになれば大きな利益を生み出してくれるが、トレンドが去ってしまえば儲けがまったく出ないということもある。よりハイリスク・ハイリターンな商品を取り扱うことが、俺のモットーだ。



 食堂の中の他のテーブルには、男性二人のグループが二組いて、それぞれ食事をしていた。俺と同じ旅商人とその護衛だろうが、俺をさげすんだ目で見ていた。

 あいつらもきっと、俺を少女趣味の変態野郎と思っているに違いない。

 どう思われるのも勝手だが、おまえらよりも上に立ってやるからなと心の中で対抗心を燃やして、視線を無視した。

 ナイフとフォークの使い方も少しは慣れてきて、周りを見る余裕ができたのか、レイはテーブルの上に置かれている「今日のメニュー」と書かれたメモを見つめていた。

「レイ、おまえはそれに何が書いているのか、分かるのか?」

 レイはかぶりを振った。

 ついこの前まで遊牧民たちの奴隷として生活していたのだ。文字を知らなくて当然だ。言葉は話せるが、文字は読めないのだ。

「レイ、心配しなくて良いよ。アタシも分からないから」

 それ、胸張って自慢げに言うことじゃねえだろ。

 だが、恥じることでもない。

 この国では、文字が読めない者の方が圧倒的に多いのだ。

 帝国が設立している学校は、貴族層や富裕層の子弟が通っており、それ以外のある程度、金銭的余裕がある市民層の子弟は、没落貴族や食えない学者が開いている私塾に通わせて文字や算術を教わっていた。しかし、その日暮らしの多くの市民層の子供たちはその親が文字を知らない以上、読み書きができなかった。

 父親が近衛兵だった俺は私塾で文字や算術を習うことができた。そのおかげで読み書きや算術が必須な商売ができているのだ。

 だが、コーネリアは父親に早くに死なれて、母親とずっと二人暮らしで、それほど裕福ではなかったそうだから、今も読み書きはできない。

 雇われ護衛という商売柄、文字が読めなくても支障はない。ニジャルのような遊牧民たちも文字を必要とする場面はほとんどないだろう。

 だから、これまで生きてきた中で、レイが文字に接する機会というのはなかったはずだ。

 

 

 俺たちがメインディッシュを食い終わった頃、女将が焼きプリンが盛られた小さな皿を持って食堂に入ってくると、レイの前に皿を置いた。

「さっき約束したとおり、私からのサービスだよ。こんな小さな子のお客様ってのも初めてだから、ちょっとうれしいよ」

 子連れの旅商人など俺も知らない。危険な旅に小さな子供を同行させる奴などいない。俺以外は。

「レイ! それは、この女将がおまえにだけあげるんだとよ。ちゃんと礼を言え」

「あ、ありがとうございます」

 頭をちょこんと下げたレイに、女将が「食べてみな。美味しくできたと思うから」と優しく勧めた。

 スプーンを握るように持って、プリンをひとくち頬張ったレイは、また涙目になってもだえた。

「甘い! 美味しい! 美味しいです!」

 その素直な感情の吐露に、女将もうれしそうだった。

「でも、さっきコーネリアちゃんが言っていたけど、レイちゃん、本当に可愛いねえ」

「でしょでしょ! ほんと、何なんだろうね? アタシもレイが本当の妹みたいに思えてきて、もう可愛くて可愛くてたまんないよ」

 コーネリアは自称「超美人」だし、女将も昔は「ミス・シャーケイン・オブ・ザ・ベアーノイド」だったらしいが、人族の俺は、コーネリアや女将がその種族において美人なのかどうかはまったく分からない。逆もまたしかりのはずだ。

 しかし、コーネリアと女将がレイを見つめる視線は、二人が言っていることが嘘ではないと語っていた。



 飯を食い終わり、俺は自分の部屋に戻った。

 ここ朝日亭に限らず、宿屋には何組もの客が雑魚寝をする大部屋と、俺が泊まっているような個室がある。当然、大部屋の方が安く、経費を節約したい旅商人は大部屋に泊まる。しかし、俺は若いときから、どこの宿屋でも個室に泊まるようにしている。

 もったいないとは思わない。

 大部屋だと病を移されるかもしれないし、俺の育ってきた環境のせいかもしれないが、なんとなく落ち着いて眠れない。

 長い目で見れば、宿屋の個室で泊まり、ゆっくりと休息を取って体力を回復しておくことが、長く旅商人を続けることができる秘訣なのかもしれない。

 実際にこの年齢としまで俺は病気で寝込んだことは一度しかない。それは俺がまだ二十歳台の時、ここ朝日亭の大部屋で宿泊していたときに高熱を出した時だけだ。同室に「ケホケホ」と咳をしている男がいて、気にはなっていたが、案の定だった。

 その時には、まだスリムだった女将が医者を呼んでくれて、その医者が調剤した薬を飲むと、翌日には体調が戻っていた。それ以来、宿泊は個室にしている。

 朝日亭の清潔で寝心地が良いベッドに横になる。

 体に溜まっている疲れが溶け出て行く気がする。

 俺はあっという間に眠りに落ちていった。


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