首陽大君《スヤンテグン》の独白
遂にこの日が来た。俺が、王になる日だ。
正確にはその為の第一歩を踏み出す日――いずれにせよ、特別な日になるだろう。
思えば長かった。
王の子として生まれた癖に、俺には王位に就く資格は生まれながらになかった。
たった三年遅れて生まれたというだけで。
そう、俺には兄が一人いた。三つ上の兄だ。その兄がいるだけで、俺にはすんなりと、何の揉め事も起こさずに王になる道は絶たれていたと言っていい。
それでも、物心着いた時……いや、五歳で初めて父王にお目に掛かった時から自己の宣伝を怠らなかった。
その時、俺は既に孝経を読みこなしていた。孝経と言うのは、儒者が重視する儒教書の内の一冊だ。それを、五歳で読みこなすということがどういうことか、父上にはお分かり頂けていた筈だ。
頭脳では決して兄上に劣らなかったし、頭脳だけだった兄上と違って、俺は武術も巧みだった。
十三歳の時、王室で行われた狩猟会で、獲物を追う役目の者が追い詰めた鹿の首に、七本もの矢を全て命中させたのも俺だ。
兄上より、他の弟達より、父上の息子の中でどれだけ俺が優れていたか。王子達の中で、最も王位に相応しいのはこの俺だということを、俺はことある毎に示して来た。父上の目にも、入らない筈はなかったのに。
長幼の序を愚直に重んじた父上は、遂に世子〔皇太子〕の座を俺に変更することはなかった。
それどころか、兄上の跡継ぎを、俺ではなく兄上の長男――つまり俺の甥に定めてしまった。
こんなひどいことはない。
俺は、誰よりも王に相応しいのに。
だから、父上が亡くなって、兄上が王位に就いた時、俺は心を決めた。
兄上は、世子時代から摂政を務めていたから、政に疎いことはない。名君になると言っていい資質だけは、俺も認めている。
だが、誰にとっての幸か不幸か、兄上は生まれ付き病弱だった。
病弱な癖に、夜更かしして本を読みふけっていたりするから、体調を崩すことはそう珍しくない。何もしなくても、兄上の治世は長くなかっただろう。
そう、俺が何もしなくても。
けれど、いつになるか分からないその時を待つ程、俺も気が長い方じゃない。それに、兄上の跡継ぎに定められた世子は、兄上が即位した時、既に九つだった。
余命宣告をされた人間だって、その宣告より長く生きたという例は、枚挙に暇がない。仮に兄上の寿命がこの後うっかり十年延びるだけで、世子は十九になり、俺が付け入る隙はなくなるだろう。
これで世子が盆暗なら俺も放置したかも知れない。だが、叔父バカと言われるのを承知で言うが、世子も中々聡い王子だ。
兄上に似たんだろう。それとも、叔父である俺に似たのか。どちらにせよ、頭の回転の速いことと言ったら、九歳児の平均のそれではないことだけは確かだ。
既に四書五経をそらんじている辺り、五歳の時の俺といい勝負である。いや、正直に言おう。俺は若干負けている気がしないでもない。
だからこそ、放っておけない。このまま彼が長じれば、叔父に王位を譲る必要なんてないくらい、立派に国を治められる王になる。
ならば、今の内に何とかするしかなかった。
兄上の主治医の一人を抱き込んだ俺は、何とか不自然に見えない過失と共に治療をしくじるように吹き込んだ。
基よりその主治医――名をチョン・スニと言ったが、チョン・スニ医官は、名医としてその名を宮中に知られていた。彼の診断を、誰一人疑わなかった。
ある時、兄上の身体に吹き出物ができた際に、彼は、王の診断結果を報告する場でこう言った。
「大したことはございません。数日で平癒することと存じます。ご政務にも支障はございませんから、使臣との謁見もなさって大丈夫でしょう」
不安がる大臣もいたが、スニの実績が最後にはモノを言った。
その時、ちょうど明からの使臣が来ていて、兄は王としてその使臣をもてなさなければならなかった。すぐに治ると診断を受けた吹き出物の為に、大事を取るなどあってはならぬことだった。
その日、使臣をもてなす宴にまで臨席した兄上の吹き出物は、順調に悪化し、兄上は熱を出して寝込んだ。
後から聞いた話によれば、吹き出物とは、初期治療さえ巧くやれば、本当に恐るるに足らぬモノらしい。
しかし、俺の命を受けたスニは、まず初期の吹き出物を針でツツいて破裂させた。それが、悪化の第一段階。
本当は、針でツツくのは化膿してきた段階で施す治療だったのに、わざとそうしなかった訳だ。
そして、安静にしないといけないのに、それを言わず、兄上が使臣をもてなす宴に出席するのを止めなかった。
止めに、スニは吹き出物には大敵と言われていた、雉肉や鴨肉料理を供し続けた。
瞬く間に、兄上は病を悪化させ、天へ召された。
この時――臨終の間際に、せめて兄上が俺に世子のあとを託してくれたなら、俺は兄上の遺言に従ったかも知れない。
王位を諦め、誠心誠意、幼い甥の補佐に相務め、彼を立派な王に育てる、それで満足したかも知れない。俺にだって、幼い甥を可愛いと思う心が、ない訳じゃなかったのだから。
だが、俺が報せを受けたのは、兄上が完全に事切れたあとだった。
それを知った時、俺は涙がこみ上げるのを抑えることができなかった。
勿論、兄の死を悼んだ訳ではない。
兄上が、こともあろうに、甥の補佐を朝廷の重鎮達に託したと知ったからだ。――弟の俺ではなく、赤の他人に。
父も兄も、結局死ぬまで……死んでも、俺を認めてくれなかった。
ならば、もういい。
彼らの目がない今、俺はやりたいようにやるだけだ。
王位に就く為の努力だけは、甥が王位に就いた後も怠らなかった。
度々狩猟会と称しては、配下の者に武術の訓練をさせ、味方を増やし、時には明への使臣団に志願してまで、戦力と靖難の準備をして来た。
そして今。
景泰四年十月十日。
遂にその時は来たのだ。
俺は、自分を信じている。自分の準備は周到だったし、整ってもいる。
けれども、不安が過ぎらない訳ではない。
所詮、自分以外の者を信じるのは、とても頼りないものだ。もしかしたら、離反者が出るかも知れない。離反するだけならまだしも、王側の誰かに密告するかも知れない。
自分を信じているのと、失敗しない確率がゼロでないのとは、同義ではないことくらい、俺にも分かっている。
思わず足が震えた俺に、目聡く妻が気付いたらしい。
「旦那様」
一言、俺にそう声を掛けた妻が、そっと俺の肩に手を触れる。
振り返ると、彼女と視線が合った。柔らかく微笑した妻は、小さく頷いて見せる。
「大丈夫です。きっと、上手くいきます」
彼女の言葉には、勿論何の根拠もない。彼女自身も、確たる自信があった訳ではないかも知れない。
だが、嫁してきたその時から、彼女は俺を支え続けてくれた。
ある意味で、兄よりも父よりも、俺を信じ続けてくれた人だ。
「……そうだな。待っててくれ。きっと……」
きっと、近い将来、お前を必ず王妃にしてみせる。
そうは思ったけれど、それは口には出せなかった。
ただ、彼女を抱き寄せ頬に口付けして、踵を返す。
景泰四年――癸酉の年十月十日。
長い長い一夜に勝利した俺の活躍が、後世、『癸酉靖難』として、史書の中に刻印されていることは、言うまでもない。
【了】
©️和倉 眞吹2018 .
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脱稿:2018.02.28.
……言うまでもない、んですが、その後実の弟やら、肝心の元王だった甥っ子も殺しちゃうので、救いようのない悪党みたいに伝わってる後の世祖、こと首陽大君のコメディっぽい陶酔一人語りでした。
読了、有難うございます。
自己PRしようとして、わざとよぼよぼの背の低い馬に乗って、いざという時ヒラリと身軽に飛び降りる演出に使おうとした、なんて話も入れたかったんですが、どこで見た資料だったのか、探しても見つからなかったのでそれは入れていません。入れたかったなぁ……(何)。