第五話 誕生会1
沙耶と母さんに小町姉妹の誕生会の事を伝えたら、なんかめっちゃ乗り気になっていた。母さんと沙耶の性格を考えれば嫌な顔はしないだろうと言う確信はあったが、もっと淡白な反応だと思っていた。どんだけあいつの事気に入ってるんだこの二人。
完全におもてなしスイッチが入ってしまった二人がメインで事を進めてしまい、俺と河野の仕事は殆ど無かった。しいて言えば、二人の雑用である。楽なのはいいんだけど、立案者としていかがなものだろうか。姉妹の都合の事もあり、誕生日当日にはお祝いをしてやれなかったが、日を改め今誕生会が実現しようとしている。
「ただいま。言われてたケーキ買って来たぞ」
そんな訳で俺と河野は誕生日会当日にまで母さんと沙耶に使い倒されていた。帰りがけ、ショッピングモールにあるケーキ屋さんで予約していたケーキを取りに行っていたのだ。
持って帰るのに物凄い神経を使った気がする。人とぶつかったり、電車の揺れでケーキが崩れないように、抱えるようにして持って帰って来たのだ。駅をまたいでのケーキの持ち帰りは二度と御免である。
「あ!お兄ちゃんお帰り!ヨシ兄もちゃんいらっしゃい!」
玄関を開けて、帰り挨拶をすると我が妹が出迎えてくれた。
「こんにちは、沙耶ちゃん」
河野が沙耶に挨拶する。イケメンと言う奴は、なぜ挨拶するだけで絵になるのだろうか。
「お兄ちゃん、ケーキ滅茶苦茶になってないよね」
ひとしきり河野に愛想を振りまき終わった沙耶が、こんどは俺に声を掛けてきた。河野と話していた時よりも、声が一オクターブくらい低いのは気のせいだろうか。気のせいではないと思う。まあ、お兄ちゃんが好き過ぎてべったりな妹と言うのもそれはそれで心配なので良しとしよう。
「安心しろ。抱きかかえて持ってきたぞ」
そう言って。妹にケーキを渡す。
「ご苦労様。じゃあ、二人とも上がって」
妹に促されるままに家に足を踏み入れた俺の目の前には想像を超えた光景が広がっていた。
「うぇぇ……」
なんだここは?バイキングか何かか?決して広くはないリビングに、もとから在ったテーブル以外に、何処から引っ張り出したのか、もう一つのテーブルを連結させ、面積を増したテーブルの上に、所せましと並んだ料理の数々、母さんお手製の料理もあれば、どこかで買いそろえた出来合いものまであるのだが、その量と種類の多さはとてもではないが、普通のキャパシティーの人間が数人集まったところで食べきれるものではないと思う。
ただ、柔道部時代の仲間なら1時間で消せる自信がある。当時、県内の柔道強豪校に寮住まいで通っていた俺が柔道部で仲の良かった連中と仲間と食べ放題に言った時のことだ。料金システムはよくある90分て1500円位の店だった。元など取らせない。取れるものなら取ってみろと言わんばかりの値段設定に俺たちは真っ向から立ち向かった。皿に山のように盛られる米。その上に申し訳程度にかけられたカレー。別の皿には揚げ物がうず高く積み上げられ、他にもピザやパスタ等の料理が同じようにタワーとなった皿がテーブルへと置かれていた。
これだけ取りたい放題とって残したら、間違いなく追加料金である。従業員たちが目を光らせる中、俺たちは目の前に置かれた料理の前で静かに瞑目していた。そうして、誰かの口から発せられた「いただきます」の掛け声と共に俺達柔道部の面々は行動を開始した。
それからは獣たちの宴だった。理性をかなぐり捨て、純粋な食欲の塊となった俺たちは、皿に盛られた大盛の料理の数々を次々と平らげて行った。用意された第一陣は10分掛からず完食され、皆次の料理を取りに、料理がおかれた棚へと旅立っていった。
そんな事を続け1時間くらい経った頃、店側から待ったがかかった。その店の支配人だった。今日はいいけど、今度来るときは事前に連絡を入れて欲しいとのことだった。よく出禁にならなかったと思う。それどころか何度か通い詰めるうちにこっそりと代金を安くしてくれたりした。店長の話によると、いつの間にか俺たちの食いっぷりが名物みたいになっていて。一目見ようと来る客達が結構いるらしく。売り上げが伸びたらしい。その分を還元したいとのことだった。有り難うございます。
とにかく尋常じゃない位食っていた。ライスお代わり自由のステーキ屋に行けば肉一切れでライス2から3杯。同じようなラーメン屋に行けば、餃子一個で飯を何杯が平らげ、味噌汁代わりにラーメンを食っていた。ライスをお代わりするたびに、だんだんとライスの量が増えて行ったのが思い出深い。当時のスタッフの方々、本当にすいませんでした。
とにかくあの剛の者達であれば、おそらくいまの三倍あって余るかどうかと言ったところだ。まあ、牛丼屋で特盛の牛丼をわんこそばみたいに食う奴もいたからな。皆、親からの仕送りのほとんどを食い物につぎ込んでいた連中だ。元気かな、皆。
「凄い量だね」
唖然とした様子で呟く河野。気持ちはわかる。いつも食費を極限まで切り詰めて家の生活費を浮かそうとしている母さんがこんなに大盤振る舞いすることに驚いているのだろう。
別にうちは貧しくはない。だが、俺が中学時代に一年間ちょっとではあったが、私立の強豪中学へと通っていたのである。スポーツの特待生で入学したが故、授業料は免除されていたが、免除されていたのは授業料だけである。
毎月の仕送りや寮費、そして遠征費など、結構な金がかかったと思う。だから母さんは限られた家計をやり繰りして俺に部活動を続けさせてくれていたのだろう。部活動は金がかかるのだ。
今ではそんな必要も無くなったのだが、節約の喜びに目覚めたらしい母さんは今でもこうして節制を続けていた。多分、今までの貯金の使いどころだと張り切った結果がこの暴走気味の誕生会なのだ。
「凄いでしょ。おばさん、頑張っちゃった」
そう言って可愛らしく(と本人は思っているであろうしぐさ)片目を瞑って見せる母さん。年齢的に少し無理があるかもしれない。そんな俺の考えを見透かしたように、母さんは俺に鋭い視線を向ける。
「なにかしら哲也。何か言いたそうだけど……」
「……何でもない。なんかもうほとんど準備OKみたいだな」
機嫌を損ねると、明日からの弁当などの献立が寂しい事になりそうなのでお茶を濁すことにする。
「もちろん、いつ来ても大丈夫だよ」
ともあれ、家庭内の最高権力者である母と、それに次ぐ権力者である沙耶が恐ろしいほどのやる気を出した近藤家主催の小町姉妹の誕生会は、学生では到底実現できれない規模の誕生会が実現してしまった。
「俺、ちょっとあいつら迎えに行ってくるわ」
「あ、俺も行くよ」
料理が冷めてしまっても勿体ないのでそう言って家を出ようとする俺に続いて、河野も名乗りを上げた。
「あ、ヨシ兄ちゃんはゆっくりしててよ。お客さんだもん」
河野に甘い人間筆頭である沙耶がそんな事を言っていた。
「いや、俺だって一応言い出しっぺ側の人間だから。ちょっとは働かせてよ」
苦笑いしながら言ってから俺に続いて立ち上がった河野。
「別にいいぞ、二人して行くような用事でもないんだし」
俺が、家で待っているように言うと。河野は焦ったように耳打ちしてくる
「テツ……。頼むから俺にも何かやらせてくれないか?さすがに何もやらずにこの場に居るのは居心地が悪すぎるんだよ!」
そんなの気にする必要ないとも思うのだが、俺がどれだけ言っても河野は気にするのだろう。ならば、やりたいようにやらせて。楽しく参加させてやった方がいいだろう。
「そうか、分かった。じゃあ、行くか」
そう言って、俺は河野と家を出たのである。
小町の家の位置はおおよそ把握していたが、実際に行くのは初めてだ。歩いてすぐ近くにあるマンションの一室が小町の家だった。
「たしか、小町の家は201号室だったな」
「遠目では見たことあるけど、中に入ってみると結構すごいよな。このマンション」
河野がそう言うのも分かる。エレベーターホールには自動ドアが付いていて、来客の際はドアの横に着いた端末から部屋番号を選択し家主を呼び出す。そして呼び出された家主が自動ドアを開けて客を招きいれるシステムとなっている。恐らく不審者対策であろう。
つまり、夏休みの朝に友達の家に突撃して「あーそーぼ!」と言うわけにはいかないのだ。その間に何クッションか挟まなければならない。面倒な……。
俺は、部屋番号を入力すると、呼び出しボタンを押した。呼び出し音がなる。しばらく後にガチャリという音がして、端末から人の声がした。
「はい……。あら、もしかしてあなた達が近藤君と河野君?あらあら、まあまあ。マリちゃんから話は聞いてるわ。今からそっちに行かせるから待っててね……あ、それとも入ってくる?よかったらお茶でも……」
小町をもっと落ち着かせたような女性の声だった。話が変な方向に向かいかけた時に聞きなれた声が聞こえてきた。
「もうママ!何言ってるのよ!」
小町の声だ。受話器の前で何か喚いている。
「あら、マリちゃん。準備はもう出来たの?どうせだったらマリちゃん達の準備が出来るまで家でお茶でもごちそうしようかと思っているんだけどどうかしら」
どうやら、この声の主は小町の母親らしい。
「もう出来てるから。それじゃあ、行ってくるね」
「あら残念。今度連れて来てね。それで、マリちゃんの彼はどっちなの」
「……どっちも違うわよ」
「あらそう。残念」
インターホン越しに母と娘のやり取りがダダ漏れていた。今日も小町家は平和です、とでもいった所だろうか。やがて、母親に変わって小町の声がインターホンから聞こえる。どうやら受話器を奪ったらしい。
「……ああ、ゴメン、今行くから待ってて」
若干、疲れた声でそれだけ言うとインターホンはぶつりと切られた。
「個性的なお母さんだったね」
一連のやり取りを聞いた河野の感想がそれだった。
なるほど、俺や河野の母親と仲良くなりそうな人である。
待つこと数分。小町と小町妹が連れ立って自動ドアから出てきた。
「ああ、さっきはゴメンうちのママなんか変な事言ってたみたいで……」
小町は若干きまり悪そうに笑っていた。
「先日はどうも。今日は姉さんだけでなく私まで一緒に、ありがとうございます」
そう言い、頭を下げてきたのは小町妹である。
「こっちこそ、付き合ってもらって悪いな」
いくら姉の知り合いだからと言って、顔見知り程度の人間とあった事も無い人間しかいない場所に行っても居心地が悪いだけだろうに。俺の我儘に付き合ってもらって申し訳ないと思う。
「いえ、姉さんが世話になっている人たちですから。それに、この前の事のお礼も言ってませんでした。ありがとうございます」
この間、と言うのはあの日、初めて会った時の事だろう。
「こっちこそ、かなり出しゃばった真似をしたと思ってたから、そう言ってもらえると助かる」
「そうですか。それならよかったです」
「なんの話してるんだ?お前ら」
傍から見れば意味深に映るであろう俺と小町妹のやり取りを見ていた河野が訝しむような表情で聞いてくる。
「なに、大した話じゃない。ただちょっと小町妹の事情に深入りし過ぎただけだ」
「へえ、お前がねぇ」
俺の発言に河野が若干意外そうな顔をする。確かに普段の俺ならば必要以上に相手に深入りすることはしない。理由は面倒だからだ。一度相手の事情に深入りしてしまえば、その相手が抱える問題や境遇に対して俺自身が中立でいられなくなる。そいつが関わる問題に対して感情の折り合いをつける事が出来なくなる。上手く表現出来ないが、他人の事情に俺が心理的に拘束されるとでも言うべきか。兎にも角にもものすごく面倒な精神状態になる。
だから、むやみに人と関係を結びたいと思わないし、結ぶべきじゃないとも思っている。友達百人は素晴らしい反面、何処までも不自由でリスキーなのだ。大体、百人分も他人の事情を抱え込めるほど、俺の心広くないのである。
そう思っていたのだが。どうやら俺はあの時、冷静さを欠いていたらしい。軽い気持ちで、超えるべきでない一線を越えてしまった事を自覚してしまったのは、少し経ってからの事だった。結局の所、あの時俺は絆されていたのだ。俺と同じように怪我で苦しむ小町妹にも、そんな妹を少しでも楽にしてやりたいと考え、その為に顔を真っ青にしながら俺を利用しようとした小町にも。
一度絆されてしまえばもう手遅れである。関わるまいと思っていても気になってしまう。良くも悪くも視界に入れば、目が引き付けられるようになるし。あいつらに何かあれば、どうにかしてやりたくなる。無論、俺にそんな力はないので無力感や遣る瀬無さを感じるような事も増えるだろう。これは、もはや避けようが無いことだ。正直こんな厄介なものはなるべくなら持ちたくないし関わりたくもない。だが同時に、今この状況が意外と気に入っている自分も存在するのだ。自分で言うのもなんだがどこまでも面倒な男だと思う。
近藤家
本来は姉妹二人を家に家に案内した事で俺の役目は終わりを迎えるわけではあるが、それとは別に断わっておくべきことがある。
「今からリビングに案内するが母さんと沙耶が張り切り過ぎて暴走気味だから今のうちに謝っとくわ」
そう、やたらと張り切ってしまった母さんと沙耶の事である。多分、先に言っておかないとホスト側とゲスト側の温度差が深刻な事になりかねない。
「そんなに張り切ってるの?」
「ああ、凄く。遠足前の子供並だ」
そう前置きし、小町姉妹をリビングに案内しようとドアを開くと破裂音とともに紙テープが降って来た。
「お誕生日……って、ちょっと!なんでお兄ちゃんが先に入ってくるのよ⁉タイミング狂っちゃったじゃない」
どうやら、小町たちが入ってくるのに合わせてクラッカーを鳴らす計画だったらしいが、初めに俺が部屋に入ったことでタイミングが合わなかったらしい。しかし俺はそんな計画、聞いていない。
「そういう事なら先に伝えとくべきだったな。連絡を怠ったお前の責任だ。俺に当たるな」
「妖怪屁理屈男」
沙耶の憎まれ口が聞こえるが無視する。そして今のは決して屁理屈ではないと思う。
続いて小町姉妹が部屋へと入り、最後に河野が入って来た。
「うわ、凄い。食べ物が一杯……」
「……」
テーブルの上にこれでもかと置かれた食べ物を見た小町姉妹が絶句している。自慢するわけでは無いが、名門調理学校を優秀な成績で卒業した母さんは料理が上手い。
高級店で出てきそうな見た目の料理から、大衆的な家庭料理までそつなくこなす。
最近では節約料理ばかり作っているが、本気を出せばそこらのファミレスなど目ではないものが食卓に並ぶことになる。今日がその本気だった。
しかし節約料理が旨くないのかと言うとそんな事は無い。母さんは趣味でブログに自分が考案した節約レシピを載せて紹介している。今ではそのブログが結構な人気ブログになっているのだ。実に多芸な母親である。ちなみに母さんにブログ収入はあるのか聞いたら、意味ありげに笑っていた。
「あら、真理恵ちゃんいらっしゃい。その子が妹さん?本当にそっくりね」
母さんが驚きの表情で、小町姉妹を見比べている。しかし母さんよく二人を見分けたな。
「小町真理恵の妹の楓です。本日はお招きいただき有難うございます」
母さんとは初対面である小町妹が礼儀正しく挨拶する。
「楓ちゃんね。哲也の母の絵梨です。エリちゃんって呼んでね」
そう言って可愛らしい(と本人は思っているに違いない)仕草で小首を傾げる母さん。見ているこっちはきつい。
「無理して呼ばないで良いぞ。おばさんとかのが言いやすいだろ」
言った瞬間、母さんに叩かれた。でも、さすがにエリちゃんは無いと思う。母さんの一瞬の早業を見た小町姉妹はしばらく目を瞬かせていたが、やがて可笑しそうに笑った。
「それじゃあ、そろそろ始めようよ。じゃあお兄ちゃん、音頭」
小町が俺に言ってくるが、俺はそんな事聞いていない。
「お前、段取りに関しては先に言っとけって……まあいいや」
文句を言いかけて口をつぐむ、元は俺が言いだしたことなのだ。本来運営は俺がやるべきことなのに、沙耶に任せっきりにしたのは俺である。厚意で手伝ってくれた人間に対していちいち重箱の隅をつつく様な文句を言うのは筋違いであろう。
飲み物を皆に行き渡たったことを確認すると立ち上がる。あまり長い挨拶は会場を冷やす事態になりそうなので、完結に済ますことにする。
「小町姉妹の誕生日を祝して、乾杯」
俺の声に続いて乾杯の声。こうして小町姉妹の誕生会は始まったのである。
母さんの料理は小町姉妹にも好評だった。美味しい美味しいとバクバク料理を口に放り込んで行く小町に対して黙々と料理を咀嚼する小町妹。やっている事は一緒なのに、対照的な反応である。ともあれ、両者に言いたいことは変わらない。
「よく食うな。お前ら」
太るぞ、とは言わなかった。どんな女子をも一瞬でナーバスにする魔法の言葉である。
「近藤君、美味しいよこの料理!」
俺の言葉などスルーした小町は偉く上機嫌である。
「凄いですね。お金取れますよこの料理」
そんな感想を淡々と述べたのは小町妹だ。
「まあ、母さんが作った料理だしな。当然だろうよ」
母さんの料理は上手いのは事実である。否定する気も理由も無いので素直に認める。
「近藤君。少し、かなりマザコンっぽい」
「シスコンでマザコンですか。重篤ですね」
小町妹がそんな事を言って来たのだが、俺がシスコンなどと言う根も葉もない噂は一体誰から聞いたのだろう。……小町しかいない。
「お前ら、俺を虐めて楽しいか?」
「結構楽しいよ」
実にいい笑顔ですね小町さん。
「いい性格してるな。お前」
何時か言われた皮肉をそのまま返してやった。
「そう?ありがと」
褒めているわけでは無い。まあ、小町もそれは分かった上で言っているのだろう。澄ました顔が実に憎らしい。
「大体お前だってこないだ妹の事、すっげえ自慢気に紹介してたろうが、俺がシスコンならお前だってシスコンだろうが」
「私のはほら、楓に対する愛だから」
「そうか」
「ちょっと、面倒くさくなったからって流さないでよ。恥ずかしいじゃない」
「姉さん、自分が恥ずかしい事を言っている自覚はあるのね少し安心したわ」
バツの悪そうな小町に対して小町妹が結構ひどい事を言っている。あと、俺は別に小町の話が面倒で流したわけでは無い。
「別に悪気があったわけじゃない。本当にそうか、としか思わなかったんだ。愛とかよく分からんから否定も肯定も出来ない」
時と場合と相手と自分の価値観によってその形を変えるのが世間一般で言う愛だ。不定形のカメレオンみたいなものである。何を言っているのだろう俺は、カメレオンが不定形になったらそれはもはやカメレオンではなく別の存在ではないか。
「キミは本当に面倒くさいなぁ」
「コミュ障って近藤さんみたいな人の事だったんですね。勉強になりました」
俺の言葉に対して、小町姉妹がぞれぞれの感想を口にする。ほっといてくれ。
「お姉ちゃん。お兄ちゃんは大部分はチャランポランなのに変な部分でクソ真面目だから付き合い方に少しコツがいるんだよ。ねえ、ヨシ兄ちゃん」
いつの間にか近くに来ていた沙耶が言った。女の子がクソとか言うんじゃありません。そして、沙耶に話を振られた河野は深々と頷いていた。とてつもない実感が籠った渾身の頷きである。
「そうだね。テツと付き合って行くコツは、寛容な精神を持つことだね」
なる程、それはもはやコツとは言えない。どうやら俺と付き合うことが出来るのは選ばれた人間らしい。尚向こうにも選ぶ権利がある以上、たとえ河野の言う条件をクリアしてもその相手が俺と付き合おうと思うかはまた別問題である。そう考えると中学時代の柔道部の奴らは得難い存在だったらしい。
「え?でも近藤君、面倒臭いいけど、良い人だと思うよ」
小町が言った。面倒臭いは余計ではないだろうか?
「小町さん、ありがとね」
河野が礼を言う。なんでお前が礼するんだよ。
「お兄ちゃんを宜しくお願いします」
沙耶、何を宜しくお願いしたんだよお前は。
「お前ら。俺はこの場合、喜んでいいのか?」
頗る不安である。
「笑えばいいと思うよ」
どこかで聞いた様なセリフを吐く河野。勘弁してくれ。
自分が話題の中心になる事など滅多に無い俺は、今の状況に若干の居心地の悪さを覚える。故に取るべき行動は一つである。
「飲み物切れそうだから適当に買ってくるわ」
そう、逃げるのだ。逃走も時には必要である。家を出た俺は、落ち武者の如く、近くのスーパーへと急ぐのだった。