第三話 小町妹
「ここにもあったんだ、スーパー」
新天地を発見し、高揚した様子で声を上げたのは小町だった。
何時も降りるバス停より一つ手前で降りた俺たちは二郷市で一番大きいスーパーへとやって来た。
鮮魚、総菜、青果、精肉とどれも品ぞろえがよい。今日は卵が安い日なので、それを買って来いと、母さんから申しつかっていた。しかしこいつ、結局ついてきやがった。
「なんでお前ここまでついてくるの?」
「いいじゃん別に。知らないスーパーだったから視察に来たのよ」
取ってつけたような理由だな。
「タイムセールとか好きそうな顔してるもんな」
「どんな顔それ?好きだけど」
好きなんだ。
「ここは7時過ぎぐらいからだな。総菜と魚が半額になる」
「そうなんだ。今度来てみようっと」
「寿司は倍率が高いぞ、シールが貼られてから五分以内に目ぼしい寿司は消えるからな」
「ああ~わかる。お寿司一パック250円とかだとつい買っちゃうんだよね」
「俺は刺身の方が好きだけど」
「似たようなもんじゃん」
こいつ結構、大雑把なカテゴライズしてそうだな。
そんな話をしながら卵の売り場へと向かう。
「うわ1パック78円?安い!私も買って帰る」
めっちゃ喜んでるな。心なしか目がキラキラしてる。
「一人一パックだからな」
「分かってる」
お目当ての卵を無事に手に取り。レジで会計を済ませた俺たちは、少し伸びた帰り道を二人で歩いていた。
「そう言えば、小町って転校してきたとき、俺の事、どんなふうに聞いてたんだ」
何の気なしに聞くと小町は難しい顔をしていた。
「聞きたいの?」
「まあ、興味はあるな」
「結構エグイ言われようだったけど」
「そうなのか?」
「まあ、苛められても動じない位図太い神経してるキミなら大丈夫かな」
そう前置きして渋々と言った調子で話し始める。
「サイコパスとか人間の皮を被った悪魔とかあと表情変わらないから何考えてるのか分からなくて気持ち悪いとか、河野君の付属品とか」
「ハハ。すげえな、それ」
付属品って俺はストラップかなんかかよ。
「傷ついたりしないの?」
「別にどうでもいいな。それに見てる側がそういうふうに見たいなら、そいつにとって俺はそう言う人間なんだろうよ。そう言えば、初めて小町と話した時の事なんだけど、もしかしてお前もビビってた」
電車内でスカートを挟まれていた彼女に初めて声をかけた時のよそよそしい態度を思い出して聞いてみた。
「さんざんクラスの子たちに脅されたからね。正直、近づいてきたときは性犯罪に巻き込まれると思った」
「性犯罪……」
性犯罪でだけは捕まりたくない。
「いや、本当悪かったって」
俺が微妙にショックを受けたことを感じ取ったのか小町が気まずそうに謝った。
「まあ、俺もあの時見なかったことにしようかなとか考えてたしな。結局このまま見捨てたら恨み買いそうだからって理由で話しかけただけだしな」
「え、そうなの?てっきり親切でやってくれたと思ってた」
「何言ってんだよ。打算しかなかったぞ」
「うわー。好感度下がるわー」
「いらんわ、そんなん」
「でも、真面目な話キミさぁ。もっとクラスの人と接した方がいい気がするんだけど」
「河野みたいな事言うのなお前」
「だって悔しいじゃん。キミ、そんなに悪い人じゃないのに。いじめを返り討ちにしただけでみんな勝手にハブにしちゃって。そりゃあ、報復方法はかなりエグイけど。河野君だって同じだと思うよ」
「あいつは俺をくさやとか言いやがった男だぞ」
「は?くさや?」
「河野の話によると俺は口に入れるのに勇気がいるけど、食ってみると意外と旨い、らしい」
微妙に違うがニュアンス的にはこんなものだろう。
「ぶははは。何それ。それでくさや?ああ、でも確かにくさやだ。ぶふ」
なんかめっちゃ笑ってる。楽しそうでなによりである。
爆笑気味の小町とそれを冷ややかに見つめる俺。
そんな俺達の間に割って入る声があった。
「姉さん?」
姉さんって小町の事だよな?そう思って顔を確認してみたらなるほど、小町の妹である。
「同じ顔だな」
妹の方が少し目元がキツい感じだ。来ている制服は都内にあるスポーツで有名な高校のものである。
「あ、楓じゃん。ヤッホー」
小町は妹に向かってひらひらと手を振っている。
なるほど、彼女の名前は楓か。まあ、小町妹で良いだろう。
「何してるのこんなところで?」
小町妹は一瞬だけ俺を見て、その後すぐに興味を失ったように小町へと視線を移す。
「デート」
「卵持って?」
小町なりのボケに対して冷ややかに返す妹。どうやら、小町とは性格がだいぶ違うらしい。
チャランポランな印象の小町とキッチリしてそうな印象の小町妹。小町も初めは借りてきた猫の被ってたのにな。
「そうそう、卵デート」
「どんなデートだ?それ」
未だ、ボケ続ける小町に、一応突っ込んどいた。
「姉さんがお世話になってます。小町真理恵の双子の妹の楓です」
どうやら、印象通りのしっかりした娘らしい。
「真理恵さんにはいつもお世話になってます。友人の近藤哲也です」
挨拶されたので一応返しとく。しかし、双子か。通りで顔が同じだと思った。
挨拶が済んだのを見計らって、小町が会話に入って来た。
「そう言えばあんたこそ、帰り早いわね今日、病院だっけ?」
「そう」
「ふーん。どうだった?」
「もう少しかかるって……」
「そうかぁ。まあ、でももうちょっとで治るんでしょ?」
会話の流れ的に怪我でもしたんだろうな。
「そうだ、近藤君。この子、自慢の妹の楓です。陸上やってるの。凄いんだよ。スポーツの特待生で入って、全国でもかなりいいとこ行ったんだから」
「ほう、そりゃあ凄い」
本当に自慢なのだろういつものテンションの5割マシくらいで小町妹の事を説明してきた。
「そうでしょ。本当凄い子なんだから」
なんで、お前が偉そうなんだよ。
「やめてよ」
嬉しそうに妹自慢をする小町に冷たい声で言い放つ小町妹。
その声を聴いた途端小町の顔が強張る。
「楓……。で、でもほら、ギプスもとれたんだからもう少しすれば……」
「ごめん、私先帰る」
小町の言葉を遮ると、小町妹は足早に去っていく。その後ろ姿を、痛ましげに見つめていた小町だったが、やがてばつの悪そうな表情になって言った。
「ごめん、あの子少し前、結構大変なケガして。それでしばらく練習も試合も出られなくて。ちょっと焦ってるみたい。本当はあんな子じゃないんだよ」
「そうか、まあ、練習できないと不安になるからな。怪我はどこをやったんだ?」
「膝、らしいけど」
「膝か……スポーツやってると、膝はよく壊すから。ちゃんと治るのか?」
「ああ、うん、一応手術もうまくいったし。あと少しすれば、リハビリとかすればちゃんとできるようになるみたい」
そうか、また出来るんだな。
「それならよかった。今が踏ん張りどころだから。無理させるなってお前に言ってもしょうがないか……」
「ねえ、近藤君、何かやってたの?」
「え?ああ、中学の時だけどな俺も運動部に入ってたから」
「そう、その、なんで辞めちゃったの?」
小町の声がだんだんと遠慮がちになってる気がする。聞きにくいことを聞いてる自覚はあるんだよな。多分こいつ、俺が部活しなくなった理由もうすうす感づいてる。まあ、別にそんなにかしこまる必要もないんだけどな。
「よかったら聞くか?そんなに面白い話じゃないけどな。もしかしたら小町妹にも関係あるかもしれない」
「いいの?」
驚いたようにこちらを見てくる小町に頷いてから言った。
「俺の中ではある程度整理できた問題だしな。それで、聞くか?」
無言でうなずいてくる小町。
「それじゃあ、近くに公園があるからそっちで話そう」
夕刻~公園
日が沈みかけ、茜色に染まった公園はどこか寂し気だった。遊ぶ者が居なくなった公園には使用者を求める遊具たちが所在無さげに佇んでいる。それらの遊具を素通りして、俺たちは奥にあるベンチに腰掛けた。
「さてと、じゃあ話すか。なんかいざ話すとなると恥ずかしいな。これ」
なぜか、一人でどんどんテンションを張りつめていく小町。
「なんでそんなに緊張してるんだよお前は」
「あ、うん、ゴメン」
なんか顔色悪いけど大丈夫かこいつ?
「まあいいや。話すぞ。
俺は子供の頃から柔道やってたんだけどな。まあ、自分で言うのもなんだがそこそこ強くてな。中学も柔道の強い学校に行ってそれなりに部活動に励んでたんだ。中学に入ってからもそこそこいい線行ってたんだ俺。一年で個人で全中に出場したりしてな。結構有望視されてたんだよ。それで、俺もゆくゆくはオリンピックだ、とか考えて結構熱心にやってたんだ。
で、二年の夏だ。乱取り中に、ああ、乱取りっていうのは実戦形式の練習な。それでどこまで話したっけ?そうだ乱取り中にちょうど練習相手が技を掛けてきたんだ。そん時踏ん張った瞬間、膝から変な音がしてさ。気が付いたら立てなくなってた。
すぐに病院に担ぎ込まれて即入院。膝の靭帯が切れてた。競技選手としてはもう出来ない言われて柔道選手としての俺は終了。
でもさ俺、実はその前から靭帯が断裂した方の膝ちょっと痛めてたんだ。大会前で、どうしても出たくてさ。もう治ったってみんなに言って隠してやってたんだ。焦って無理した結果、全部棒に振っちまった訳だ。こんなもんか。なんか話してみると呆気ないな」
そう言って、小町を見やると、なんか真っ青になってた。
「なんだよお前。大丈夫かよ?」
「その、ごめん」
「え?」
「その、辛かったんじゃないの?話してて」
そう言って小町は顔を伏せてしまった。
「もう自分なりに結構気持ちの整理も付いてるからそうでもないな。まあ、もう出来ないって言われた時は死にたくなったけどな。だから、無理はしないほうがいいかもな。本当に取返しが付かなくなってからじゃ遅いんだ」
「うん、わかった。この事、妹に話してあげて良いかな?」
「まあ、必要ならそうしてくれよ」
もともとそうなることも織り込み済みで話したし。じゃなかったら好き好んで不幸自慢などするわけなかろう。しかし、俺の答えを聞いても小町は伏せた顔を上なかった。そして暫しの無言の後、ぽつぽつと話し始めた。
「妹の怪我の話した後、キミの様子明らかに変わってたから、薄々分かってたんだ。スポーツと怪我でなんかあったんだって。だから、キミからそのことを聞き出せれば何か出て来るんじゃないかって。楓、陸上大好きで、本当に真剣にやってて。だから怪我して本当に参ってて。塞ぎこんじゃって、学校も休みがちになっちゃって。見てられなくて、楓の為になるなら何でもいいからっておも、思って」
初めこそ淡々とした語りだったが、話が進むにつれて冷静だった声は喉に何かがつかえた状態で無理やり絞り出すようなものに変わっていった。
「それで、それで、キミなら教えてくれるかもしれないって勝手に思って、キミが嫌な思いするのも分かってて、話、聞き出せる、可能性高める為に、申し訳なさそうな、声で、聴いてみたりして。ださ、打算的で、ずるいし、そしたらキミ本当に話し出しちゃうし。なんでも、いいから、情報、欲しいとか、最低だよ。本当……さい。ごめんなさい」
そこからはもう言葉ではなかった。ただただ嗚咽を漏らし続ける彼女に掛けられる言葉など無い。
これは、俺に対する懺悔でもあり、自己嫌悪でもあり、自己正当化でもあるのだ。
自分で落としどころを見つけるしかない。だから、俺にできるのこいつが納得するまで黙ってることだろう。
とか思ってみたものの正直かなりテンパってる。何せ俺は結構軽い気持ちで話してしまったからだ。
所詮はすでに過去の事だったので、何ならこれをネタにして酒を飲んでもいいくらいだ。無論未成年なので物のたとえとして受け取って欲しい。
お願いします。早く立ち直ってください小町さん。俺、人の悪意とかには鈍感らしいけど、こういう空気本当にダメみたいです。いっそのこと俺の頭にタライでも降ってきてほしい。
結局、小町はその後しばらく泣いていた。その間俺は借りてきた猫のようにおとなしく座っているしかなかった。ほんと、気か利かない奴ですんません。
小町のメンタルが安定してきたタイミングを見計らって口を開いた。
「まあ、その、なんだ。とにかくあれだ。さっきも言ったように、さっき話したことは俺の中ではもう終ったことなんだ。だから話しただけだ。ぜんぜん、悲壮な覚悟とかしてない。それに俺は今、こうやってダラダラしてるのも結構気に入ってるんだ。河野と馬鹿な話したり、あとお前と知り合ったりとか、柔道やってたらできなかったからな。だから、その、お前がそんなに気に病む要素は何処にも存在しない」
「うん、ありがと」
「おう」
短いやり取りの後に短い沈黙が訪れた。
「近藤君、なんか、喉乾いた」
再び沈黙を破った小町がそんなことを言い放った。
「は?」
「私、ジュースが飲みたいな」
買って来いってか?嫌だよ面倒くさい。
「自分で買って来い」
「じゃんけん」
どうやらじゃんけんで決めようってことらしいが、メリットのない勝負を何故俺が受けなきゃならんのだ。
「……」
無言を貫いて抵抗してみる。
「じゃんけん!」
なんだよ⁉やれってか⁉
それよりなんかこいつ退行してないか?駄々っ子かよ。
勝負を避けるほうがエネルギーを使いそうなので、渋々勝負に乗ることにした。
「分かったよ……」
それを聞いた小町が嬉しそうに笑っていたのが印象的だった。そんなにじゃんけんしたかったのかよ。
「じゃんけんぽん!」
掛け声に合わせて手を出す。結果はすぐに出た。
「行ってきます」
数秒後にそう言っていたのは俺だった。
「私お茶ね」
小町はどうやらお茶をご所望らしい。まあ、多分これが、俺とあいつの落としどころなのだろう。
しかしなぜ、それで俺がジュースを買いに行くのかを小一時間問い詰めたい。
抗議を込めた視線を送ろうと小町の方を見たら。なんかすげえすっきりした表情で手を振っていた。
「……」
まあ、いいか。
それからジュースを飲んで家に帰宅したとき。俺は重大な事に気が付いた。
「卵忘れた」
母さんに怒られた。