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第一話 エネルギーの少ない男

 人間、上を目指せばきりがないのだ。

 そして上を目指すにあたって必須なのはエネルギーである。

 どれだけ才能があろうが、どれだけ運がよかろうがこれがないとどうしようもない。

 そして、どうやら俺にはそのエネルギーとやらを致命的に欠いているらしい。

「植物に生まれたかったな」

 植物ならば煩わしい人間関係や感情に左右されずに生きていられる。おまけに光合成が出来る。食べなくても生きていられるって素敵。

 ボソッと呟くその言葉を耳聡く聞きつけた顔立ちの整った青年が不快そうに眉を寄せる。

「またお前はそんな事言って……俺たちまだ高校生だぞ。今からそんなんで、十年後とかどうなっちまうんだよお前は……」

 いつもの様な俺の呟きに、いつものように苦言を呈する青年。

「本当にいいやつだなお前」

 思ったことをしみじみと呟いた瞬間に青年の表情が引きつった。

「なんだよ気持ち悪い」

 俺も言ってて思った。しかし、事実俺はこの男をいい奴だと思っている。

 家が近かったという縁もあるが、俺がこいつと友達やってられるのはこの男が並外れていい奴だからに他ならない。いい奴との表現は少し主観的すぎる気もするがまあいいだろう。

 普通の人ならば、早々に俺の事など見限って離れて行くのが常である。何をするにもエネルギーが足りず、動き出すことも出来ずに腐り続けた結果が今である。

 そのくせ、人生を謳歌してそうな人間を見ると時折羨ましくなるから殊更に始末が悪い。

 怠惰で卑しく、おまけに愚か、それが俺である。

「本当にそう思ってるんだよ。幼馴染とは言え俺みたいなのと十年以上も友達やってんだぜ。お前の面倒見の良さと懐の深さには頭が下がるよ」

「テツ、お前なぁ……」

 そう言って呆れた表情でこちらを見る青年。いつもの事だ。ちなみにテツとは近藤哲也こんどうてつやが本名である俺に対して河野付けたあだ名である。ともあれ彼との付き合いも十年を超えているのだ。俺の方も河野義輝こうのよしてるという気品溢れる名を持つ彼に対し、親しみを込めた愛称を呼ぶことは吝かでない。吝かではないのだが一度親しみを込めて「よっちゃん」と呼んだ時に本気で嫌がられた。それ以降やっていない。

 俺がしょうもない事を言って河野が呆れる。そして再びどちらからともなく益体もない話を切り出すのだ。それが俺の朝の登校風景である。

 怠惰で、退屈でありながらも居心地のいい俺の日常だ。

 そんなやり取りを経て学校までたどり着くと、俺と河野はそれぞれのクラスへと旅立って行く。

 クラスでの俺の立場はと言えば無いに等しい。低いとか高いとかそういったものでなく無いのだ。かといって別に奴隷扱いされているとか苛めを受けているというわけでもない。ただただ、クラスでは存在しないかのように扱われているだけだ。有体に言えばクラスで少し浮いているのだ。そのことに対して別段不満は無い。友達は居たらいたでいいけど、無理してまで作るものでもなし。友達の数が一部でステータスになるのは純然たる事実だが別にそんなものはどうでもいい。

 ただ少し困るのは、友達が少ない人間というのは傍目には特異な存在に映るらしく、時折変なちょっかいを掛けて来る連中がいる事だった。しかし、それも学年が上がり高校生活も二年目に差し掛かると、皆少し落ち着いたようで変にちょっかいを出されたりしなくなった、

 とりわけ、今年のクラスは善良だと言えよう。彼らは俺に干渉しない。互いに境界線を引き合いそれ以降は不干渉を貫く。なんと素晴らしい。

 彼らは彼らの青春を謳歌する事に全力を注ぎ、俺もそれは同様である。等と思ってはみてみても、別段俺は何かに打ち込むわけでもなく、友達百人作る訳でもなく。ただただ、ぼんやり窓の外を眺めて過ごす事のなんと多い事か。などとと取り留めも無い事を考えて居た俺はクラスの喧騒が耳奥に木霊する中、ただぼんやりと朝のホームルームが始まるのを待っていた。

 そうして、ホームルームが始まる時間になる。いつものように教室の扉が開き担任の村岡先生が入室してきた。ただ、いつもと違ったのは、入って来たのは先生だけではなかったということだ。

 

 昼休みを迎えたわがクラスは、珍しく活気付いていた。彼らは一所に集まり、ある人物を取り囲んでいたのだ。何を話しているのかは分からない。分からないが、誰を取り囲んでいたかは分かっている。最近、この近辺に越してきた俺たちと同年代の女子生徒である。その影響で、学校も本日より、こっちへと移したらしい。無論編入試験をパスしてのことだろうが。

 有体に行ってしまえば転校生である。その見目の麗しさから入室後数秒でクラスの男子生徒を篭絡せしめた彼女は只今、クラスの女子たちに取り囲まれ品定めを受けている最中である。ここで下手を打ってしまえば学校生活を棒に振りかねないことになるので行動には殊更注意が必要なタイミングではないだろうか。そんな、クラスメイトたちの様子を横目で眺めていた俺の肩が叩かれる。

「テツ、飯行こう」

 河野だった。

「どこで食う?」

 河野の誘いを受ける意を込めて場所を尋ねてみた。

「学食で良いんじゃないか?俺今日、弁当持ってきて無いし」

 なるほど、はなから学食以外の選択肢等存在しないではないか。

 どっこいしょと席を立ちあがると、河野を連れ立って教室を後にした。   




昼休み~食堂




 昼食時、俄かに活気立つ食堂の一角、で俺と河野は向かい合って昼食を食っていた。

「それにしても、お前の教室、凄かったな。今日転校してきたって言う転校生の席だろあの人だかり」

 日替わり定食を食べていた河野がおもむろに口を開いた。

 ちなみに俺は母さんお手製の弁当を食べている。母さんの料理は今日も旨い。

「そうだな。凄かったな」

 俺がそうやって返すと、河野は面白そうに目を細めた。

「転校生、女子だってな。可愛いって学校中で噂になってたぞ」

 これが、この男の長所でもあり短所でもある。この男、とにかく好奇心が旺盛だ。気になること、面白そうな事を見つけてはこうして首を突っ込みたがる。仕方がないので河野の知りたい情報を教えてやるべく転校生の姿を想起する。

「肌の色は黄色人種の中では白い方だったな。髪型はボブ、髪の色は黒、目は大きくて目じりが少し下がっている。鼻筋は通っていた。口元は……」

「いや、そんなに淡々と特徴を教えられても。なんでもっと情動的な会話が出来ないんだよお前は」

「人にもの説明するのに、可愛かったでは参考にならんだろうが」

 それを聞いた途端、河野の口が意地悪く笑った。何を言いたいかは大体予想はつく。

「つまりだ、テツ。お前は転校生が可愛いと思っているんだな」

「そうだな」

「つまり、彼女はお前にとって魅力的だと」

「だから何だよ」

「付き合っちゃえよ」

「うるせえよ」

 予想通り過ぎて溜息が出る。

「向こうにだって選ぶ権利くらいあるだろ」

「だから選ばれる為にアタックするんだよ」

 そういいながら、バレーボールのスパイクの動作をする河野。そのアタックは違うだろ。

「いや、別に俺は彼女とどうこうなりたいとかは……」

「はいはい、また出ましたよ。テツのいや別にが。いいかテツ。お前は確かに面倒くさがりな上にこの上なく理屈臭くて関わるのも億劫な人間だ。恋愛には興味あるけどなんか面倒そうとか思って結局動かないお前の気持ちもよくわかる。おまけにそんな怠惰な自分を正当化する為の屁理屈を言わせれば右に出るものは居ない。正直、俺だってガキの頃からの腐れ縁じゃなければ付き合おうなんて思わない」

 突如として始まる人前での壮絶なディスリ。お前はどこぞのパワハラ上司か?

「俺は、お前を数少ない友人だと認識してるんだが、もしかして俺の勘違い?だとしたらすげえ悲しい上に恥ずかしいんだけど」

「数少ないってか。お前俺のほかに友達いねえだろうが」

「ああ、友達ってところは否定しないのね。少しほっとしたよ」

「てか、途中で会話を切るなよ。これからいい事言おうとしてたのに」

 こいつがこう言った前振りをする時、碌な事を言ったためしがない。

「いいか?お前はさっき言ったように付き合いの浅い人間から見れば、気難しいだけのクソ野郎だがな。それなりに付き合えばお前は面白い人間なんだよ。お前はあれだ、くさやだ」

「くさや……」

 やっぱり碌でも無い事だった。

「そうだくさやだ。くさやは一見、口にするのもはばかられる臭いだがな。食ったらうまいんだよお前は」

「くさやと俺を混同して語るな」

 それでは俺が臭いみたいではないか。

「ちなみにお前を言い表すのにくさやとビーフジャーキーとで迷った」

 どっちも保存食じゃねえか。だが強いて言うならば。

「どうせならビーフジャーキーのほうがよかった」

「何言ってんだよ。ビーフジャーキーは最初から旨そうだろうが」

 おっしゃる通りでございます。




放課後~帰路

                  



 放課後になると、学生の義務から解放された生徒たちが思い思いの時間を過ごす為に行動を開始する。

 あるものは部活へと、あるものは教室に残って談笑を、あるものは日々の活動資金を稼ぐべくアルバイトへと励み、あるものは目的もなく家路を急ぐ。

 俺も授業が終わった以上この場所にいる理由もメリットも全くないので家路に着くべく教室を後にした。因みに河野は部活動に参加するので帰りは俺一人だ。俺の家は、隣町にあるので電車を使用する。電車で十分程揺られたところが俺の住む町である。十年ほど前から開発が始まり、田んぼと畑が大半だった俺の町も今ではそれなりに便利な街へと変貌を遂げている。

 駅のホームに着くと、転校生が立ちながらスマホを弄っていた。

 どうやら転校生も電車を利用しているようだ。そんなどうでもいい情報を得た俺は、ちょうどホームに滑り込んできた列車に乗りこむ。そしてなんとなく気になって転校生の乗り込んだであろう方向に視線を移してみた。

「……」 

 なんか、ドアにスカートが挟まれていた。何とか挟まれたスカートを引き抜こうとしていたが強く引っ張って、切れることを恐れてかあまり力を込められないらしい。その奮闘ぶりを眺めていると彼女と目が合った。このまま視線を外して見なかった事にしようか本気で悩んだが、あっちがこっちを認識した以上それをやってしまうと、変な恨みを買いそうなので彼女に近づいて言った。

「スカート取れなそう?」

 俺が話しかけた瞬間、彼女の表情が一瞬強張ったがそれも一瞬の事で気まずそうに笑った。

「はい、ドアに挟まっちゃって」

 見ればわかる。

「それで、どこで降りるの?」

「二郷駅です」

 二郷駅って俺の降りる駅じゃねえか。待てよ、それじゃあこのドア……。

「しばらく開かないな。こっちのドア」

「ええ?」

 なんか凄く愕然とした表情をされた。別に俺は彼女に非情な宣告をする為だけに話しかけたわけでは無い。そんな顔されるのは心外である。俺だってこの状況をどうにかする心算くらいはあるのだ。

「少しだけドアこじ開けるからその隙にスカート引っ張り出してくれ」

 結局力業だが。

「わ、わかりました」

 彼女が同意したのを確認し、ドアとドアの間に指をこじ入れ徐々に力を込めていくと少しずつドアが開き、やがてスカートを引き抜くのに十分な隙間が出来る。走行中の列車でのドアの開閉は大変危険である。よい子は真似をしてはいけない。

「よし、引っ張れ」

 俺がそう告げた瞬間、彼女がスカートを軽く引いた。

「あ、抜けた」

 どうやら無事に抜けたようなのでこじ入れていた指をドアから離すと、ドアは小さな音を立ててあるべき姿へと戻った。

「そうか、よかったな」

 彼女のスカートがドアから解放されたのを確認し、立ち去ろうとした所で呼び止められた。

「あの、ありがとう。助かりました」

「ああ、いいよ偶然居ただけだから」

 そう言い残し今度こそ立ち去ろうとしたのだが、俺の企てはまたしても阻まれることになった。

「えっと、近藤君だよね。同じクラスの」

 何回かやり取りをして気安くなったのだろうか、彼女の口調が、敬語から変化していた。

「ああ、そうだけど。転校初日でよく知ってたな俺の事なんか」

「え?あ、うん」

 俺の指摘に彼女は気まずそうに視線を逸らす。ああ、多分クラスの奴になんか聞いたんだな。多分いい話ではないだろうし彼女も言いにくいだろう。

「そう言えば……名前なんだっけ?」

 話題を変えるつもりで何かを言おうとしたのだが肝心な彼女の名前を思い出せなかったので正直に聞いたところ、なんかムッととされた。

「小町真理恵って朝、紹介したじゃん」

 どうやら名前を憶えてもらえなかったことにムッと来ていたようだ。なるほど道理である。しかしこちらにも言い分はあるのだ。

「ああすまん。今生、話す事はないだろうって思ったからすぐに忘れちまった」

「いい性格してるね。キミ」

 なんだかますますムッとさせたようだ。まあいいだろう。

「じゃあ、俺ここで降りるから」

 そう言って出口の方へ向かった。

「もしかして、キミも二郷で降りるの?」

 キョトンとしながら尋ねる小町さん。

「そうだけど。ああ、そういえば小町さんもここで降りるんだっけ?」

 忘れてた。

「さっき言ったばかりじゃん。本当にいい性格してるよキミ」

 そんなやり取りをしつつ俺と小町さんはなぜかいっしょに二郷のホームへと降り立っていたのだった。


自宅前




「……まさか、ご近所さんだったなんてね」

「世間って狭いな」

 そんなやり取りをしていた俺と小町さんは目の前に建つ一軒家の前で脱力していた。

 その一軒家は俺の実家である。その隣には驚いた様な、居心地の悪そうな顔をした小町さんが立っている。簡単に言ってしまえば、小町さんが越してきたのは俺の家の近所だったらしい。それも歩いて行けるレベルの。

「同じバスに乗った時からまさかと思っていたけど」

「それでもこんなに近いってのはさすがに予想外だろ。ああ、でもそういえばちょっと前に母さんが、買い物中、近所に引っ越してきた奥さんと仲良くなったって言ってたっけ」

「それきっと、うちのママだわ」

 そんな言葉を交わしつつ俺と小町さんは顔を見合わせる。

「まあ、別にいいんじゃないか?」

 呟いた俺に小町さんが頷きを返してきた。

「そうね。別に困ることもないでしょうし」

 この事態に適当な落としどころを見付けた俺達二人。そろそろ解散という流れになりかけたのだが実際にはそうはならなかった。俺の家の玄関が開いて人が出てきたからだ。

「行ってきま~す」

 出掛けの挨拶の後玄関から現れたのは、我が妹、沙耶だった。

 玄関先で棒立ちの俺と目が合う。

「あ、お兄ちゃ、ん?」

 気安い感じで声を上げた沙耶のそれはだんだんと戸惑いを含んだものに変わり、最後の音を発した後は何秒か呆然と立ちすくんでいた。

 そして突如、フリーズ状態から回復したと思えば、猛烈な勢いで家の中へと引っ込んで行く。

 家に上がる際に乱暴に脱ぎ捨てられた靴が玄関が閉まるのを邪魔し、ドアは半開きの状態となっていた。半開きになった玄関の向こうからバタバタとした音の後に興奮した沙耶の声が聞こえて来た。

「お母さん!大変だよ!お兄ちゃんか女の子連れて来た‼すっごい美人‼なんで⁉」

 絶叫気味の沙耶の声から間髪入れずに何かをひっくり返したような音がした。その後、ドタドタと音がして沙耶と母さんが揃って玄関から飛び出して来た。一連の騒がしいやり取りを目の当たりにし、呆然と立ち竦む小町さんを母さんが見据えた。その視線の圧力にたじろぐ小町さん。そんな小町さんを追撃するようにつかつかと距離を詰めてゆく母さんは、小町さんの前まで来ると、これ以上ないくらいの笑顔で彼女に笑いかける。

「いらっしゃい。さ、どうぞ上がって頂戴」

 不自然なくらい優し気な声で言って、小町の背を押して家へと入れようとする母さん。

「へ?」

「あ?」

 なぜか、小町さんを家に上げようとする母さんに対して俺たちは戸惑いの声を上げる。

「母さん何を……?」

 声を上げかけた俺に対して、母親はきつい視線を向けてくる。

「あんたは本当に……。彼女さん連れて来るならあらかじめ言っておきなさいよ!」

「彼女さん?」

 その時になって俺は自身の母親がどうしようもない勘違いをしている事に気が付いた。

「あの、私は、その」

 小町さんも突然家に上げられそうになって狼狽しているらしい。それとも異常な歓迎ムードの母親を見てその勘違いを正すのを躊躇しているのだろうか。どちらにせよ申し訳ない。 

「いや、小町さんはその彼女とかじゃ」

誤解を正そうと口を開きかけた直後に今度は沙耶が割って入ってきた。

「ちょっと、お兄ちゃんそんなところで馬鹿みたいに立ってないで早く家入って。彼女さん部屋に通しなさいよ」

「いやだから……」

「ああ~じれったいな。早く、早く」

 その後、何を言おうとしても俺の言葉は興奮した妹と母親にことごとく遮られ、なし崩し的に、小町さんは俺の部屋へと上がりこむ羽目になった。すまない。



哲也の部屋

  



 俺の部屋は来客など想定されていない。故に汚い。布団は敷きっぱなしで、漫画、小説、ゲームと言った娯楽グッズは、おおよその置き場に乱雑に置かれている。そんなごちゃごちゃの部屋でに上がり込む年頃の乙女は、所在なさげに佇んでいた。

「なんか、本当にスマン。誤解解いてくるから。その辺座ってて」

「ああ、うん。……面白いお母さんだね」

 若干周りを気にしつつ腰を下ろしながら小町さんが言った。

「申し訳ない」

 小町さんにそう言い残した俺部屋を出ると、『近藤家史上始まって以来のお客さん』に出すお茶は緑茶か紅茶か、お茶請けは煎餅かケーキかで激論を交わしていた母娘のもとへと向かっていった。

 後に分かったことではあるが、沙耶に至っては、お兄ちゃんの一大事という事で、友達と遊ぶのを断ったらしい。沙耶と母さんもなんかゴメン。

 その後、俺の説明によって『小町さんは俺の彼女』という誤解は解けた。しかし何故か俺が悪者になった。実に理不尽だと思うが、それを言うとさらに追撃が来るのでやめておいた。そして誤解の解けた小町さんは速やかに開放、されるわけがなかった。今度は近所に越してきた女の子というのがお二人の琴線に触れたらしい。いまだに母親と沙耶に捕まり会話の相手をさせられている。

 始めこそ可哀そうに、などと哀れみの目で見ていた俺だったが、どうやら女子のコミュニケーション能力を侮っていたらしい。いや、彼女のコミュニケーション能力と言った方が妥当だろう。十分ほどで打ち解けていた。

 女同士の話に俺が入り込む余地はない。故に会話に華を咲かせる婦女子達を尻目に、俺は漫画本を持ち出し。少し離れた部屋の片隅で縮こまりながら読みふけることにした。

「変な勘違いしちゃってごめんなさいね。うちの馬鹿息子が女の子連れて来るなんて初めての事だったから」

「そうだよ。だってお兄ちゃんだよ。お兄ちゃんの隣にすごい美人さんが立ってるんだよ。何かの間違いかと思っちゃったよ。まあ、実際間違いだったみたいだけど。ヨシ兄ちゃんだったら女の子位連れて来てもおかしくないけどね」

「ヨシ兄ちゃん?」

「河野義輝君って男の子がね。近所にもう一人いるのよ。真理ちゃんと同じ学校よ。カッコいいんだから」

「そうそう。うちのお兄ちゃんと取り換えて欲しいよ本当に」

 ものすごい言われようである。まあ、いいや。

「あら、茶葉切らしちゃったわ。テツ、ちょっと茶葉買ってきて頂戴」

 家庭内で最大権力を保持する母親の一声である。俺に拒否権はない。

「あ、お兄ちゃん。私イチゴ大福食べたい」

 そして、そんな母親の威を借る妹。

「太るぞ」

「うるさい」

 俺が妹の今後を思いやって発した苦言は絶対零度の声になって帰って来た。いいさ、せいぜい後で風呂上りに体重計にでも乗ってその選択を後悔しろ。そんなお前の前で俺は美味しそうにハーゲンダッシュを平らげてやる。

「私もそろそろ……」

 買い出しを命じられた俺にあやかって退場しようと小町さんも立ち上がる。

「あら、そう?残念ね。もっとお話ししたかったのに」

「そうだよお姉ちゃんもっと居なよ。なんだったら夕飯も食べていきなよ」

 沙耶よ。それはいくらなんでもいろいろと飛ばし過ぎだ。

「さすがにそれは申し訳ないから」

「沙耶、いい加減にしろ。小町さん困ってるだろうが」

「うう、分かった。また今度遊びに来てね」

 俺に言われ、渋々といった様子で沙耶は引き下がった。なんでこいつこんなに小町さんに懐いてるんだよ。その愛想の10分の1で良いから俺に振りまけ。

「うん、またね」

 そう笑顔で返すと、小町さんは立ち上がり、今度こそ本当に家を後にした。


 小町さんと玄関を出た瞬間。俺は猛烈に謝った。

「本日は誠に申し訳ありませんでした」

 もう、今回の事は全面的に俺が悪い。正確には妙な勘違いをかました母さんと妹のせいなのだがまあいい。とにかく今は誠心誠意謝るしかない。

「いいって、最初はかなりびっくりしたけど楽しかったよ。沙耶ちゃん、可愛い妹さんじゃない」

 思いの他あっさり許してくれたな。しかし、最後の一文だけはいらない。

「沙耶が可愛いのは当たり前だろ」

 そう、沙耶は可愛くて当たり前である。そんな事はいちいち口に出す事でもあるまい。

「キミ、ひょっとしてシスコンかな?」

「違う俺はシスコンじゃない。シスコンではないが沙耶は可愛い。これは真理だ」

 沙耶の可愛いさは不変である。世界の共通認識だ。なんだったら時空だって超越してくれてもいい。

「シスコンの模範解答じゃんそれ……まあ、でもキミって結構いい人だよね」

「どうでもいい人?」

 女性が男を良い人と評するときは、その男が都合のいい人、どうてもいい人と言う話を聞いた事がある。

「それが無かったら結構いい気分で帰れたと思う」

 どうやら、またムッとさせてしまったようだ。申し訳ない。まあ、いいだろう。

「そうか、じゃあな」

「うん、また明日ね」

 こうして俺には美人のご近所さんが出来たのだった。

 俺の日常に投じられた一石が周囲にどのような影響を及ぼすかは分からない。何も起こらない可能性もあるし。何かが変わってしまう可能性もある。どっちに転ぼうと俺はその結果を受け入れるだけである。人生成るようにしか成らんのである。

 兎にも角にも今なすことは一つだった。茶葉とイチゴ大福そして沙耶への嫌がらせ用のハーゲンダッシュを調達することだ。俺は自分に課せられた使命を胸に、コンビニを目指すのだった。

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