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夜空のハル  作者: 里村
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 おかしなことが起こり始めたのは、あれは夏の最盛期だったか。

 お盆明けに出社して、久々の業務に疲弊して帰宅すると、あるはずだった牛乳が残りわずかになっていた。冷蔵庫にはいつも牛乳がストックしてある。毎朝、カフェオレに入れるし、パスタもスープもホワイトソース系統で作ってしまうため、ついつい使ってしまう。

 その日も、翌朝の副菜もかねて野菜をたくさん使ったホワイトソースのパスタを作ろうと、材料を買って帰っていた。作りすぎたソースは冷凍しておけば、グラタンやスープに転用できるし、パスタも冷凍しておけば保存食としてはアリだ。作る気力のある時に大量に作っておくのが、莉子のここ数か月の習慣になっていた。

気を抜くと食べることを後回しにしてアルコールに手を伸ばしてしまうため、努めて、食べやすく自分が食べたいものが、常に家の中にあるように気をつけていた。そうしていないと、体重が減っていく。短期間に体重がみるみる減ると、いつもは挨拶程度の同僚や上司から声をかけられることが増えた。莉子にとって、その視線と干渉が、心外で疎ましく感じてしまった。

「牛乳、買って帰れば良かったかぁ…後でコンビニにでも買いにいけば良いか…」

 そもそも、食材を買って帰った日は荷物が多い。牛乳を買って帰る余裕は、自分の握力と筋力にはなかったと莉子は思う。未開封のが一本残っているため、料理と翌朝くらいは賄える。ただ、明日から、連休中に溜まった分の仕事をさばきながら、急ぎで出てくる仕事を想定すると、週末まで残業は必至。そうなると、帰りにコンビニに寄るのも億劫になるため、ストックは増やしておきたかった。お盆を過ぎても、暑さと日長は相変わらず続いている。ビールもなくなっているし…ついでに…、そんな風に考えを進めて莉子は料理に取り掛かることにした。

 明確な違和感を持ったのは、思い返せば、その日だったに違いない。

 牛乳が減っていく。わずかに、自分の予想とは少し早いという程度のスピードで。

 漏れたのか?夜中に起きて飲んで記憶がないのか?日中に牛乳どろぼう?そう言えば天井に隠れて他人の家に住んでた人いたなぁ…鉄筋コンクリートのマンションで天井への抜け道ないよね?いやいや鍵閉めてるし、閉まってるし。鍵持ってる人が犯人ってことは、管理会社の人?ないない、牛乳飲みに、毎日来ないでしょ?牛乳よりビール飲まない?この時期ならなおさら…。

 一人で考えてもラチが開かず、誰かに相談するにしても、奇妙で些細な出来事。ビールやワインが減っていくなら考え物だが、自分が飲んで少なくなっていると思っていた莉子は、アルコールよりはましか…と、その程度のことで考えるのをやめていた。

 人間は慣れるようにできている。

 莉子は、牛乳が減ることに二日程度で慣れた。慣れると、ストックを増やすことが、問題の解決となった。体重さえ増えなければ、エンゲル係数がこれ以上増えなければ、その程度で馴染むものだった。

 それから一週間ほど後のことだ。

気怠い体に言い聞かせるように夕食をビールで嚥下して、残業後の冴えた頭を鎮めようと、莉子はころんとソファーに横になった。少々はみ出る足を、二人掛けのソファーに丸めて、冷房の効いた部屋でブランケットにくるまれていると、おのずと眠りが落ちてきた。ビールのアルコール分と満腹感も、ほど良かったのかもしれない。いつの間にか、莉子は本格的に眠ってしまった。

 いつもは、どんなに体が疲れていてもベッドへ体を投げている莉子にとって、ソファーで朝まで眠るのは難しかったようで。ベッドとは違うスプリングの具合も体に馴染まず、意識が戻るのと同時に、腰の痛みと体のきしみを感じた。

 その時だった。

 わずかに、コトリという音が、確かに聞こえた。

 あくびをしながら、そろそろ目を開けようとしていたところでのその異音に、背筋が震える。目を開けるのをためらいながら、それでも、えいっと見開いた莉子の瞳に、ローテーブルに置かれたグラスが目に入った。

 日常的に使っているスタッキング可能な丈夫なグラスに、数センチほど入った牛乳。

 その横で、飲みかけのビールの缶が水滴をたたえてる。にもかかわらず、その牛乳は、さも、たった今入れられたかのように、そこに在った。

 牛乳問題が、思いもよらない角度で再浮上した瞬間だった。








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