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怪盗フェイクの大冒険  作者: 財油 雷矢


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第二話 Rose & Tips 第六章

 下りるエレベータの中は静けさに包まれていた。別に会話のネタがないわけじゃない。物珍しそうにエレベータの中を見回す振りをしながら、耳に集中する。

 動くときの音と時間で移動距離を推し量る。建物(これは人工天体なわけだが)の構造なんて知っているに越したことはない。

 隣のロザリンドも同じようにしているようだ。つま先で小刻みにカウントをとっている。

 手慣れているように見えるが、微妙に手慣れてない感じがする。やっぱり俺の同業者か? 俺――怪盗フェイクを利用したがっているみたいだが、それは何故?

 情報が少なくて考えるだけ無駄のような気がするが、仕事の関係上不確定要素は限りなく減らしたい。少なくとも彼女の意図が何、いやそれこそ“誰”なのかも知れないが、掴めるに越したことはない。

 大体においてロザリンド、って名前も本名かどうか怪しい。ある意味はまりすぎだ。年齢も不詳――まぁ、どんなに女が化けるって言ったって俺とジャニスの間くらいだろう。

 ペテンというかトリックに関しては俺なんかじゃあ太刀打ちできないほどの腕前だ。そして度胸もある。これだけ揃っていて、美人でプロポーションも恵まれているとなると人によっちゃあ天の不公平を恨みたくなるんだろうな。


 それはともかく…… ロザリンドが俺に、いや俺たちにとっての敵か味方か。俺たちのように借金返済の為にこんなことをしているのが他にもいるとは思えないが。

 彼女が同業者で、現金以外の物を狙っているのなら、そうかち合うことは無いだろう。

 もう一つ可能性があるとするならば、潜入捜査官という考え方だ。

 銀河連合警察(GUP)にはA級とB級の捜査官がいる。B級なら恒星系一つの担当、って事になっているが、A級ならその担当は宇宙全域。そして犯罪者が多々いるからには捜査官も同じように多々……それこそ一癖どころか二癖も三癖もある。だからロザリンドみたいな捜査官がいてもおかしくはないし、怪盗フェイクを追っていても…… おかしくは無いが、やっぱ仕事が仕事だから困る。

 俺の個人的希望は味方でないにしても敵対はしたくないな。やはり美人とは仲良くしたい。ちょっとしたトゲなんて適度なスパイスだ。それくらい刺激的の方がいいとは思わないか?

 いろんな思惑を乗せ、エレベーターは降りていく。




 重力式のエレベータなので大雑把にしか移動距離は分からないが、ジャニスが入手した構造図と重ね合わせて大雑把な位置を推測する。確か詳しいことが分からないエリアかな? 結構な広さがあるはずだが、倉庫とか機械区画とか適当に書かれていたような気がする。


『それにしれは大きすぎますけど……』


 とはジャニスの弁だが、確かにこんな作業用でもないエレベータが降りるような所ではないだろう。

 ……ホントに何が出てくるか。

 チン、なんて簡単に表現できる音じゃなく、どこか重厚なベルが鳴って箱が停止する。

 そして扉が開いて、その向こうにいた黒服が恭しく頭を下げる。


「…………」


 何か違うのかと思った。

 まぁ、装飾がワンランク違うくらいで、上のカジノと大差ない。

 ……そう思ってた。


「!」


 隣でロザリンドが身を固くする。それは一瞬のことですぐにちょっと思慮の足りなそうな笑みを浮かべる。俺もどうにかこうにか興味津々、みたいな表情を浮かべることができた。

 なんだろ? ひと言で表現するなら……人間のクズ。そんなとこだ。

 カジノでギャンブルに興じる奴らは身なりは立派ながら目は完全に腐っていた。何を見ても自分の得になるか損になるか。それしか見えない。ギャンブルで人の人生を狂わすほどの損をしても笑ってすませるが、自分の与り知らぬところでの損は1クレジットでも許せない。そんな身勝手なダブルスタンダードさえ垣間見える。

 自分が正義の味方だと思ってる訳じゃないが、こんな状況じゃなかったら片っ端から殴りつけてる。

 そんな感じの腹黒ども――ある意味俺にとっての「お得意様」が並べていた。


 だが、俺たちが驚愕したのはそんなことじゃない。

 血の臭いがする。空気の洗浄や芳香剤なので消されてまず普通なら気づかないのだろうが、仕事上鼻は利く。それとも中の奴らは匂いに慣れて感じないだけなのだろうか?

 そう。この「下」からは血なまぐさい何かを感じる。一体ここで……


「!!」


 奥にステージのようになったところがだが、その後ろの壁に無数の跡がある。あれは一体何だ?

 ……ふと思い出したのが硬い物体に銃弾を何十何百と撃ち込むとあんな感じの跡ができる。たとえ防弾の物だとしても、無数に銃弾を叩き込めば嫌でも跡は出来る。多少綺麗にしても間違いなく残るわけだ。

 じゃあ、何の為にそれだけ撃ち込む必要がある? 的が壁に付いているわけじゃない。的を引っかけるような出っ張りも無い。

 あるとしたら…… 天井か。天井から何かを吊して……

 何を? そしてどうする?

 考えた最低の可能性を否定できない自分がいる。ロザリンドもその壁から目が離せないでいる。


「おや、あれが気になりますか?」


 無駄に笑みを浮かべたディーラー風の男が近づいてくる。慌てて驚いたような顔を繕って、軽薄そうなイメージで振り返る。


「あ、いや、あんなところにステージ、って何だろうな、って言ってたんですよ。」

「ええ、何かしら?」


 すかさずロザリンドも俺の言葉を受けて真剣な表情を浮かべる前に誤魔化して尋ねる。


「いやぁ、お客さん、実に運が良い。

 今日は見られますよ。素敵なギャンブルが……」


 思わせぶりな口調で言ってから、クックックと籠もった笑いを見せる。

 ……気分が悪い。今このにやけ顔に拳を叩き込んだら、と甘い誘惑が首をもたげるほどにムカつく男だ。

 どうも「カシオペア」に来てから我慢が多い。まぁ、折角我慢をしているのだ。時が来たらしっかり暴れさせてもらおう。どうせこのフロアにいる奴らを一人残らず叩きのめしたところで喜ばれるだけだろうし。


「……へぇ。」


 声に感情がこもらなかったのを、どうやら大したことないんだろ、みたいに受け止めたらしい。籠もった笑いが深くなる。


「そういう方には見て頂くのが一番のようですな。おっと、そろそろ始まるようで。」


 このフロアにざわめきが走る。どうやらこの男の言う「素敵なギャンブル」とやらは皆も注目する物らしい。


『それでは皆様、今宵のメインイベントとなります!』


 何か準備があるのだろう。さっきの男も奥へと下がっていく。


「……嫌な目。」


 ロザリンドが聞こえないような声でポツリと呟く。吐き捨てるような口調にちょっと安心した。よほどの女優じゃない限り、今の彼女の嫌悪感は本物だ。

 俺たちの味方かどうかはまだハッキリしないが、少なくとも「俺たちの側」の人間であるようだ。

 盗みや不法侵入は見事に犯罪だ。でも偽善と言われようとも俺は人を傷つけないように心がけている。……悪党の場合は要考慮、になってしまうがな。

 それに盗みに入るのも選んでいるつもりだ。善良な奴からは盗まない。……まぁ、金持ちなんて少なからずあくどい部分があるわけだが、その中でも痛い目に遭っても心が痛まないような奴を狙うわけだ。その分、懐に痛んで貰うわけだが。

 ……おっと、話がズレた。

 そんなわけで、非合法な仕事をしているが、人としては外れてないことに期待したい。俺としては出来るならば美女と事を構えたくないからな。


 何か準備が出来たらしい。

 カジノの連中の他に、客の数人がチップやカードを手に前に出て行く。他の客も近くのディーラーにチップとかを差し出している。


「……ジーク。」


 ロザリンドが小声で鋭く叫ぶ。周囲をさり気なく見渡していた俺だが、彼女の顔が険しくなったのに慌てて振り返る。


「……!」


 身体が反応するのを抑えることが出来たのはある意味奇跡だったのかもしれない。するするとステージに何か降ろされてくる。

 何か、というか誰か、というべきなんだろう。それは人であった。

 気を失っているのか眠っているのか。逆さ吊りになっても寝ているほど神経が太そうに見えないので、おそらく前者だろう。中年くらいの男が後ろ手にされて足をロープで縛られている。

 それが天井からミノムシ――って見たこと無いが――のように吊り下げられている。

 ……そして、前に出ていた客が手にしている物が目に入る。

 スナップノーズ――つまりは銃身の短い拳銃だ。命中率は低くなるが、取り扱いが楽になり、暴発などの危険性も下がる。実用的な目的に使わないのなら、短身銃の方が良いだろう。

 どうやら俺は現実逃避をしたいらしい。


「……くっ。」


 知らず知らずの内に歯を食いしばる。

 頭の中でいくつものプランが立てられては却下されていく。

 駄目だ。今の俺にはあの男を助ける手段がない。いや、あることはあるがリスクが大きすぎる。今回の仕事を失敗するだけじゃなくて、間違いなく俺の命もヤバい。


「ジーク……」


 そっと手が触れてくる。

 一瞬、いつも側にいる少女のことを思い出しかけて、今日は違うことに気づく。でも腕を伝わる温もりはジャニスを何処か思い起こさせた。

 その手の持ち主を振り返ると、あの妖艶な美女ではなく、心配げにこちらを見つめる少女にしか見えなかった。

 周りに分からないように力強く頷く。

 ロザリンドも同じく頷き返すと、それまでの心配げな表情を消して、淑女へと早変わり。中身は変わってないはずなのに、全くの別人のように見える。


「……悪趣味だな。」

「ええ……」


 表情には出さず、小さく呟きあう。


『それでは始めましょう! まずは揺らしてライトを消して挑戦でございます!』


 ステージのライトが消え、周囲の照明も次々とダウンしていく。急に暗くなったところで騒ぐ様子もなく、すなわち何度も何度も行われたイベントなのだろう。

 皆の視線がステージに向いているから、今ならあまり疑われずにこのフロアを観察することが出来る。この暗さが更に味方をしてくれるわけだ。

 まぁ、見とがめられても困らない程度に首を動かし、周囲に視線を投げつける。

 ……おや?

 ふと、そのステージの反対側の壁。その上の方の見下ろせる位置にガラス張りのいかにも、という感じのVIP席らしいところが見える。

 見えた。

 ガラスの反射でよく見えないが、その中に男が見えた。いた、見えたというのは語弊がある。一瞬だけ見えたのはその目であった。

 なんと言えば良いのだろうか? 今これから起きる光景も仕事だから仕方がない、と思うよりももっとつまらなそうな目の光。

 人の生死すら非現実の出来事にしか見えない。せいぜいゲームの駒を捨てたくらいの感慨しか無いのだろう。

 俺にはとても真似できない。

 というか、真似したら人として何かアウトだろう。仮に同じことができたら借金なんてすぐに無くなってしまうのだろうが、同時に一人の少女の笑顔を失ってしまうのは明白だ。

 どちらを選ぶか? なんて愚問中の愚問だな。金なんてこうやって頑張ればいつかは稼げる。女の子の本当の笑顔はお金でどうこうできるような物じゃない。ま、俺は元々「正義の怪盗」だしな。

 ちょっと悦に入ったところに銃声が鳴り響く。肝までは冷えないが、一気に空気が鋭くなる……と思ったら、周囲の空気は全く変わらない。

 薄闇の中、揺れる身体目がけて何発もの弾丸が突き進む。

 暗がりで、目標が動いてなく、銃に慣れていない者が短身銃で撃つのだ。そうも当たるものじゃない。

 が、別に当てようとしたところに当たらなかったとはいえ、狙ったところから外れたに過ぎない。目標にある程度の大きさがあれば、流れ弾が当たる可能性はそう悪くない。


 ……そして得てして悪くない確率は結果として現れる。

 衝撃吸収素材の壁に当たって落下する銃弾の音に混じって、何かに突き刺さる鈍い音が聞こえる。

 聞き慣れているわけじゃないが、聞き覚えのある音。とてもじゃないが、自分の身体からは聞きたくない。

 そしてさすがに目を覚ましたのか、身をよじりながら苦痛の悲鳴を漏らす。それでも薬が効いているのか、その動きは鈍い。

 目隠しをされているから何をされているかは大雑把にしか分からないのだろうが、命の危険であることは痛みと銃声で十分過ぎるほど理解しているだろう。

 薬か何かで中途半端に痛みを消され、そしてあまり動かない身体が余計に恐怖心を増幅させるのだろう。その中年男は股間から湯気を上げながら、更に身体の何ヶ所から血が流れる。


「……ジーク、」


 触れたところから震えが感じられる。

 小さく首を振った。

 ……そうだ。別に俺は博愛主義者でもなんでもない。あんな見ず知らずの中年男を助ける義理も無ければ、そんなことに命を賭けるほど人生が退屈でもない。

 少し明るくなったところで、さっきよりも振れが少なくなった「的」を狙う参加者達。

 銃声が鳴り響き、その大半が壁と捉え、わずかな残りが的に突き刺さる。もう苦痛の声もほとんど聞こえない。左右に振られるせいか赤い物が周囲に撒き散らされる。

 しかし「的」の周囲にはご丁寧に不可視のシールドを張ってあるのか、いわゆる「お客様」が汚れてしまうようなことはない。


 ……すでに人として汚れきっているんだろうけどな。その汚れは焼いたところで残りそうなのが鬱陶しい。

 中年男の身体が痙攣けいれんを起こしている。もう長くないのだろうが、まだ生きている、ということだ。それでも出血量は多いし、外傷性ショック死の可能性もある。

 何発目か分からない銃弾。

 それがついに致命的な一撃を与えた。

 痙攣が一瞬止まると、別の痙攣へと変わる。 センサーでもつけられていたのだろう。おそらくは心臓が止まった瞬間にファンファーレが鳴り響く。


『おめでとうございます! 見事命中でございます。命中させた……』


 もう十分だ。胸が悪くなる。いてもたってもいられなくなって、俺は他のゲームに向かう振りをして背を向ける。俺の動きを察知したロザリンドも不自然にならないようについてくる。


「いかがでした?」


 さっき俺たちを案内した男がニヤニヤした笑みで近づいてくる。

 一瞬ロザリンドが腕を引いてなかったら、俺の拳はこの男の顔にめり込んでいたのだろう。忍耐は泥棒の必須条件だが、ここまで忍耐力を試されたことはない。

 こんな物を見せられたら「仕事」を片づけるだけで終わるわけにはいかない。またボランティアになってしまうが、見過ごせるほど俺の人生は満たされていない。

 自己満足だって言う奴もいるだろうが、それの何が悪い。所詮、俺は犯罪者。世の中のルールに従ういわれはない。


「……満足したか?」

「さすがに返す言葉が無いわ。」


 喧噪から離れると、それまでどうにか繕っていた仮面を外してガックリと俺に体重を預けてくる。


「ごめんなさい。私もここまでとは思わなかったわ……」


 ちょっと顔が青い。

 近くを通ったバニーガールに合図をして、シャンパンを二つ受け取る。


「飲めるか?」

「……バカにしないでよ。」


 気付け代わりかシャンパンを一気に空ける。社交界のレディとしてはいささか気品に欠けるが、俺はそんなこと気にするほどのジェントルマンでもない。


「落ち着いたか?」

「おかげさまで…… で、私を酔わせてどうするつもり?」


 顔色一つ変えて無いのに何を言うのやら。ちなみにジャニスだときっとあれだけでも酔って…… いや、止めておこう。あの娘の名誉の為にも。


「それだけで酔うならちょっと悪戯いたずら心を出したくなるけどな。」

「あ~らら、怖い怖い。あの子に言っちゃおうかしら?」


 おいおい…… と思いつつ、ちょっと困るかも。こう、焼き餅とかそういうのでは無いようだが、俺が年齢の上下を問わず(って限界はあるが)麗しい女性と親しくお話をしているだけで不機嫌になる。それで食事や仕事の手を抜く訳じゃないが、やはり精神衛生上良くないし、女の子が不機嫌な顔をしているのはどこか世界的損失のような気がする。


「先に断っておくが、あの子とは恋人でも何でもないんだぜ。」

「でも、だからって放っておけるような女の子でもないでしょ? どうしてあの子と二人でこんなところに来ていたか、なんて敢えて聞かないけどさ。」


 ……そこを突かれるとちょっと痛い。

 言われてみれば俺たち二人の関係も説明しづらければ、あちこち放浪している理由も説明しづらい。いや、言うのは簡単だが、それをするには俺が哀しくなるだけだが。

 多少のことは口を滑らしたとしても、俺の借金のことを知られるのだけはどうにか防がねばならない。


「……ねぇ、」


 色々哀しいことを考えていると、ロザリンドの声で現実に戻される。彼女はどこか潤んだ目でこちらを見上げてくる。


「少し飲まない?」


 こんな時に何を、と言いかけて、彼女の目が不安げに揺れ動いているのに気づいた。

 まぁ、その、なんだ。美女と飲むのは楽しいことだ。肩を抱いても特に手を払われるわけでもなく、そのままなすがままに付いてくる。

 ……思った以上に堪えているようだな。

 さっきまでの態度も無理していたんだろうな。アルコールの力で心の平穏を保つ、というのは本来は避けるべきなんだろうけど、今はそうした方がいい。


「きつめの何かあるかい?」

「昨日のあのが泣きますよ。」


 そう言いながらバーテンがスコッチのショットグラスをロザリンドの前に置く。俺の前にはシェイクしたウォッカマティーニ。まぁ、確かに目の覚めるような美女を連れているが、生憎とどこかに雇われた憶えはない。

 舌が焼けるようなスコッチを一気に飲み干すと、さすがにきつかったのかロザリンドが顔をしかめる。そこにすかさずバーテンがチェイサーを置く。

 ノドと舌を冷やすように冷たい水をチビリチビリと飲むロザリンド。さすがに一気飲みでアルコールが回ってきたのか、彼女の視線が揺れる。


「……あら、困ったわ。」


 酔いも手伝ってか、いつもよりも艶っぽくこちらにしだれかかってくる。狙ってか、偶然か、豊満な胸を押しつけてくるようにしてくるので、健全な男としてはたまったものじゃない。


「ふふふ……」


 耳元にアルコールの混じった熱い息がかかる。くっ、遊んでやがる……


「……残念。今回はちょっと本気。」


 疲れたように体重を、いや身をもたせかけてくる。


「お、おい……」

「運が良かったわね。今日ならきっとOKするわよ。」


 どこか薄い笑みでそんなことを言ってくる。


「実に魅惑的な誘いだけど、俺の流儀じゃないからな。」


 俺の言葉にロザリンドがクスリと笑う。


「そう言うと思った。でもね……」


 するり、と椅子から滑り落ちそうになるのを慌てて支える。


「ホント、ちょっと限界かも。」


 腕の中でくすくす楽しそうなロザリンド。イタズラっぽい笑顔ながらも、どこか夢見るような感じで俺を見上げる。


「さっき言ったこと、ホントにちょっとだけ本気、かも。」


 そう呟くとさすがに酔ったのか、くたりと力が抜ける。

 勘弁してくれよ……

 どこかに連れて行くわけにも行かないので、そのまま片手で支えながら「朝」になるまで時間を潰すことにした。

 ……バーテンの俺を見る目がとても暖かいのが気にさわった。




 結局「朝」になってもロザリンドの酔いは覚めずに、というか時折顔を上げては飲んでるからアルコールが抜けるはずもない。それでグラスが空になったらなったで新しいのを用意するバーテンもバーテンだ。……俺の回りには敵しかいないらしい。

 それはともかく、足下フラフラでまともに歩けないから俺が横から腰を支えるようにしてサポート。もうちょっと雰囲気のあるシチュエーションだったら良かったのだが。

 なんて苦笑しようと思って、俺はロザリンドが何処に泊まっているのか知らない。


 ……となると、俺はどうしたらいい?

 いや答えはすでに分かっているんだが、認めたくないだけだ。またややこしいことになってきたものだ。

 やれやれ、とため息を漏らしながら、車の助手席に彼女を押し込むとハンドルを握る。

 軌道エレベータを下り、来た道を引き返す。

 ああ、気が重い…… けどさすがに放置するわけにはいかない。ロザリンドもまだ淑女のプライドが残っているのか、人目があるところでは多少努力はしているようだ。でも俺たちの泊まっているホテルのエレベータの中では俺に身体を預けっぱなしだった。


 あ~ こほん。

 どんな金庫を前にした時よりも緊張する。

 コン。コンコン。コン。コン。

 単純なことだが、決めたリズムでドアをノック。小さな足音と共に、ドアの前に気配が現れる。


「ルームサービスです。スパゲティをお持ちしました。」

「……ジーク!」


 ドアが開くと、心配そうな顔を喜色に染めたジャニスが飛び出してきて、すぐに表情が固まる。


「と、とりあえず入るぞ。」


 ロザリンドの腰を抱えるようにして部屋の中に潜り込む。俺たちの仕事で目立つことは禁物だ。ドア前でゴチャゴチャやっているわけにはいかない。

 そのことが分かっているのか、不満げながらもロザリンドの半身を抱えて室内へと引きずり込む。


「とりあえず彼女を寝かすぞ。」

「……うん。」


 ジャニスが寝た後のベッドに寝かすのも悪いかだ、どうせ俺は昨日使ってなかったし……


「そっちはダメ!」


 えっとぉ……

 よく分からないけど、ジャニスが自分のベッドのシーツをめくったので、ロザリンドを寝かせようとする。が、当然半ば意識を失っている人間を寝かせるのは難しい。

 仕方ない。

 片手で身体を支えながら、もう片手を膝の後ろにあてて……


「できれば止めて。」


 強くは無いけど、有無を言わせぬ口調に思わず手が止まる。少し考えて、ベッドに腰掛けさせるようにすると、そのまま九十度回して横たえる。


「後は任せた。」


 これ以上、ロザリンドに近づいていたら刺されるかもしれない。それほどの危機感を感じながら、後ろを振り返らずにバスルームに逃げ込む。

 熱いシャワーで身体と心から疲れを流していく。この湯気と一緒に…… 部屋の中のゴタゴタも飛んでいってくれると良いのだが。




「そして事態はますますとんでもない方向にややこしくなっていた。」

「ジークぅ~っ!!」

「う~ん、いい抱き心地~」


 どういう経緯があったのか不明だが、ロザリンドがジャニスに抱きついて、その感触を楽しんでいた。……ちょっと羨ましい。


「……で、俺はどうしたらいい?」

「あら、あがってきたの。残念。」


 俺の姿を認めて、ロザリンドがジャニスを解放する。ふむ、これで俺がバスタオル一枚とかだったら、また騒ぎが大きくなっていただろう。


「で、ずっと酔った振りをしていたのか?」

「少しは油断するかと思ったんだけどね。」

「びっくりしました……」


 ちょっと思い出したのか、憮然とした顔を赤くしながら、ジャニスがコーヒーを三人分用意する。

 確かに酒は入っていたらしいが、そこまで酔ってなかったので、フリをして様子見をしようと思ったそうだ。


「まぁ、ホテルの部屋が分かっただけで収穫、ってことにしておくわ。」


 いや、ジャニス。そこでにらむな。

 それで俺がロザリンドを置き去りにでもしたら、それはそれで怒るんだろ?


「それより、一つ聞きたいことがある。」


 停滞しかけた空気に割り込むと、女性二人がこちらを振り返る。美少女に美女だ。実に眼福ってところだ。


「なんでジャニスに抱きついていたんだ?」


 こちらを見る目が、ジャニスがちょっと怒ったように、ロザリンドは楽しげに変わる。見事な好対照だ。


「気持ちは分かるでしょ?」


 ロザリンドが少女の方に視線を向けると、それに釣られて俺もジャニスの方を見る。いきなり二人分の視線を浴びて、顔が赤くなりうつむいてしまう。


「……確かに。」

「さっきも、あなたがシャワーに入ってから、こっち気にして、あなたを気にして、ともう見ているだけでいじらしくて。」

「それで思わず?」


 俺の言葉に大きく頷いて笑みを浮かべる。


「なるほど。」

「なるほど、じゃありません! なんですか二人して私をからかって……」


 う~って威嚇(?)してくるジャニスに見えないように、ロザリンドにこれ以上はダメ、と合図を送る。

 文句なしに可愛い娘なのだが、自分で今ひとつそれを理解できていないのか、褒め言葉はお世辞かからかいと考えちゃうのがジャニスの欠点というか困りごとだ。

 ま、でも……


「あら、何?」


 ……こういう風になられるのも勘弁だ。


「ねぇ、今失礼なこと、考えなかった?」


 滅相もございません。

 大げさに肩を竦めると、落ち着いたらしいジャニスがこちらをジト目で見てくる。


「なんか仲良くなってるし……」

「まぁ、一晩を共にしたからね。」


 ニッコリと火に油を注ぐロザリンド。


「ジークっ!」


 そしてとばっちりは俺に。何とも理不尽だ。


「あら、いてるの?」

「違います!」


 あおるなあおるな。後で「俺が」怖い。


「ま、どんなことがあったかは彼に聞いてね。シャワー貸して、って言ったら……」

「換えの服がないので無理です。」


 キッパリ。


「ジークの服でも……分かったわ。今日は戻る。今度来るときは着替え持ってきた方が…… って、もう! そんな泣きそうな顔しなくたっていいでしょ!」

「してません!」


 睨みを利かせてロザリンドの発言を封じたジャニスだが、逆襲を喰らって顔を真っ赤にしてどうにか反撃。でも一瞬鏡の方を見たってことはそういうことだったのか?


「ジークも黙ってないで何とか言ってください!」

「……あ~ 気を付けて帰れな。」


 俺としてはさっさと「原因」には帰って欲しい。後がどうなろうと、今は徹夜明けで疲れた身体を休めたいのだ。

 俺が面倒くさがったのを悟ったのか、ちょっとつまらなそうな顔で、それでも最後にヒラヒラ笑顔で手を振って嵐が去っていった。

 何か言いたげなジャニスに片手で謝罪しながら自分のベッドに横になる。まだ酒が残っていたせいか、眠りはあっさりと訪れた。


 さて、本気でどうにかしないとな。

 そんなことを思いながら。

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