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怪盗フェイクの大冒険  作者: 財油 雷矢


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第二話 Rose & Tips 第二章

 ここのテーブルはシンプルなポーカーだ。


 ポーカーのルールは分かるかな? 基本的には手持ちの五枚のカードで数字が並んだり、同じ数字やマークを集めて、より「上」の手を作った方が勝ちだ。

 セブンスタットという七枚のカードを使ったりするとか、色々細かいルールもあったりするが、このテーブルではごくごくシンプルに五枚のカードをもらって、一度だけ好きな枚数をチェンジできるものだ。

 カードをもらったとき、チェンジしたときと、手を見せる際に一枚一枚開く度にレイズ――つまりは賭け金をつり上げること。これに応じるか下りるか、はたまた更にレイズするかは個人の自由だ――できる。

 できた手とレイズの仕方の駆け引きが重要、ということだな。

 第一戦。配られた五枚は可もなく不可もなく。ハートの3・クラブの3・ダイヤの4・スペードのジャックにクラブの9というところだ。

 レイズもボチボチで済み、チェンジなのだが…… ここは二枚は確実に残して、あとはチェンジを二枚にするか、三枚にするか……


 まぁ、最初だから気楽にいくか。

 三枚チェンジ、と。

 お、コイツは……

 なんてこった。クラブの5にダイヤの3、そしてスペードの3。いきなりフォアカード(つまりは四枚同じカードが揃う手)とはな。

 ……気のせいか。なんか作為的な物を感じるが。

 まぁ、今後有利になるように、それなりに「駆け引き」ってものをしてみますか。

 こんなもんかな? という顔で安いチップを一枚レイズ。

 当然、お金持ちの皆様方はそんな安いチップで、みたいな感じで次々とレイズ。

 でもまぁ、いきなり入った若造を金に飽かせて潰すなんて美人の前では格好悪いとでも思ったのか、それとも余裕の所をあるところを見せようというのか(ある意味俺の予想通り)レイズは極端に上がらなかった。

 つまりは、俺が調達してきたチップよりは少ない、ってことだ。下手に上がりまくるとレイズに追い付けなくなって、どんなに手が良くても降りなきゃならないから一安心。

 一枚ずつカードを見せていく。ハートの3にクラブの3。ここで一枚クラブの5を挟む。

 そう、ここで俺がワンペアかツーペア(二枚組が一組か二組)か判断に困るところだろう。数字も高くないから同種の手なら勝てるだろう、そう見るはずだ。

 この程度でまだ降りるヤツはいない。順調に、そして様子を窺うようにレイズが行われる。


 さ、ここで引っかけ問題だ。

 ディーラー――つまりはロザリンドにすすめられるまま、次のカードをめくる。

 スペードの3。これでスリーカード(三枚同じ数字の役)は確定だ。次のカードを何と見る?

 単なるスリーカードを見るなら、3のスリーカードだ。同じスリーカードでも勝つのは簡単。他のプレイヤーもそこそこの手が出来ているようだ。この時点でフォールド(つまりは棄権することだ)するかどうかは手の強さとハッタリの自信による。

 読みとしては俺がスリーカードなのか、フルハウス(三枚と二枚の組み合わせ)か、はたまたフォアカードなのか。

 こちらの出し方が順番通りじゃないのも判断を鈍らせる。ここでさんざん考えさせておけば、後々有利かな?

 それこそホントに怖いなら俺の払えない所までレイズすれば良いのだろうが…… まぁ、それはしないな。

 さっきも言ったとおり、入ったばかりの若造を、とびっきりの美女の前で金の力で潰そうなんて野暮だろうし…… この程度の負けは大したこと無い、というのが理由だ。現実は厳しいねぇ。


 そこそこのレイズで――とは言っても、普通の一年分の生活費以上の金額だが――でコール。

 ラストのカード、ダイヤの3を開くと観客からもどよめきの声が上がる。

 ここで気になってロザリンドを見てみた。相変わらず妖艶な笑みを浮かべている。

 なるほど、な…… さては何かやったな。

 配られたカードも、三枚捨てないとフォアカードにならない組み合わせだ。しかもワザとローカード(数字の低いカード)配った感じがしないでもない。

 試されてるのか……?

 まぁ、いいや。どうやらこの目の前の分かりやすい幸運の女神が俺に興味を持ってくれている間は勝てるだろう。

 とりあえず俺のフォアカードに勝てる奴は誰もいない。まぁ、ハッタリ混じりで軽く肩をすくめてチップの山を受け取る。

 ちっ…… この程度で手ぇ震えるなよ、俺。




 まぁ、ちょっとした幸運のおかげで、俺の前にはちょっとしたチップの山が築き上がった。

 さてこれからどうするか。

 まだまだ夜は長い。たった一回の勝負で終えるのも格好悪いし、この程度の勝ちはまだまだ普通だ。さすがにフォアカードが出るというのは珍しいがな。


「次のゲームに参ります。」


 均等に――いや、俺に向ける視線が一瞬長かったか?――プレイヤー達を見回す。

 アンティ(ショバ代――というかゲーム参加代ってところかな?)を置く。

 まだ席を立つ奴はいない。というか、アレだけチップが残っているからなぁ……

 とりあえず、何時まで彼女のお眼鏡にかなっていられるかな?

 カードがまた俺たちの前に配られる。


 ……それから数時間ほど経過した。

 人は何度か入れ替わり、俺はそれなりに負け、それ以上に勝っていた。

 駆け引きの妙――というか、どうやら俺はこーゆー腹黒そうな連中とはいい勝負ができるようだ――もあったが、やっぱりカードの巡りがいい。

 これも目立たない程度に、しかもチェンジの読みを外さなければ、だ。

 時折ロザリンドが俺を探るように見つめてくる。

 もう彼女は単なる美貌のディーラーではない。蛇の毒を持った鋭いトゲを持つ薔薇だ。

 俺はその薔薇を握るか握らないか。そして彼女は刺すか刺さないか…… 気のせいか向こうの方が有利な気がしてきたぞ。


 ……いや全く、女は怖いねぇ。

 と、それどころじゃないな。

 時間はそろそろ五時。あと一時間ほどで「朝」となる。俺の目の前には最高額のチップが結構な山になっていた。

 元手がタダだったせいか、どうも自分の物って感じがしないし、更にいうとこれだけの金額を持ち帰ったらさぞかしマークされることだろう。派手に負ければそんなに印象には残るだろうが、マークはされまい。さて、どうするかな?

 ふと見ると、帰り支度を始めた人たちが多いのか、テーブルについていたのはちょうど俺だけだった。

 さすがにこれではゲームが始められないので、ロリザンドもカードをシャッフルしながら様子を見ている。

 悪い癖が出たかな?

 どうしても困難そうな目標があったらついつい頂いてみたくなってしまう。

 俺の口は俺の意に反して――いや、俺の意なのだろう、ある言葉を紡ぎだした。


「ロザリンド、って言ったっけ?

 あんたとは勝負できないのか?」




「お客様? 何かの冗談では?」


 表情を硬くしながらも、次の瞬間には完璧な笑顔になる。一応はちょっとでも動揺させたらしい。


「いや、本気だ。

 俺の名前はフェイク。知ってるかい? 奴は宇宙の宝をみんな狙っているんだ。

 ……君みたいな美女もね。」


 って、その正真正銘の本人が逆に嘘をつくというのもどうも虚しいが、しょうがない。どうも俺に関してはそういうイメージが広まっているようだ。

 身近な女の子一人にすら手出すのが怖いのにな。ま、あの娘は特別だが。


「あら、光栄ですわ。ミスタフェイク。

 ……私のチップを。」


 近くにいたウェイターにそう告げると、俺の山と同じくらいのチップが運ばれてきた。

 手慣れているところを見るとこういうことはよくあるようだ。


「さ、時間がありませんので、始めるとしましょう。」


 どうやら、雰囲気を見た感じ時間の切り替わりで人も交代するのだろう。それこそ客層もな。

 これからは一対一。相手をどれくらい出し抜けるか…… と、ロザリンドが新しいカードを一組用意し、そのビニールを解く。箱の封を、別のカードで切った。さすがに手慣れた手つきだ。


「一応、ご確認を。」


 取り出したカードから数枚(広告やジョーカーが入っているからな)カードを抜き、スプレッド(帯状に開くこと)する。

 新品のカードなのか、数字とマークがきちんと並んでいる。

 特に問題はないな。そう判断して俺は頷いた。


「それでは、私ロザリンドがお相手します。」


 胸に小さく手を当てて一礼。

 手早くシャッフルし、カードを交互に五枚ずつ配っていく。


「これからは真剣勝負ですわ。ミスタフェイク。」


 と、意味ありげな笑み。なるほど、今までは色々やってたけど、ということかな? そしてこれからは、と。


「OK。美人にそういわれると、こっちも期待しちゃうな。」

「あら……」


 妖艶な、まるで自分の棘に人を誘う薔薇の笑み。


「退屈はさせませんわ。」




 配られるカードはさっきと比べると、少々心許ない。これも「真剣勝負」のせいなのか。

 一対一なので、相手よりも強い手かどうかの見極めと、自分の弱い手を強く、また強い手を弱く見せるかという駆け引き――というか、ハッタリが重要だ。


「コール。ショウダウン。」


 何度目かの声。

 二人だけでやっているから展開は早い。そもそもそんなに時間もないしな。

 お互いのカードを開く。一回の勝負を短くするために、カードを一枚ずつ開きながらのレイズはしないことにしたので、一気に見せあう。

 手は二人ともツーペア。けど、俺の方がハイカード(数字の高いカード)を持っていたので俺の勝ち。彼女がツーカードだとは読めていたが、俺のカードの方が高いと踏んで正解だったな。

 一回の勝負でお互いのチップの山の高さが変わるほどの攻防。

 運が良いのか悪いのか、彼女はデューラーとしてはともかく、ギャンブラーとして俺よりは落ちるようだ。僅かずつ天秤がこちらに傾いてきているようだ。目に見えて山の高さが違って見える。

 残り時間はあと十分ほど。

 俺なら……


「これで最後の勝負にいたしましょう。」


 ……と、向こうから言ってきやがったか。


「どうする? チップには差があるぜ?」


 ゲームとは無情な物で、もしこちらがあるだけのチップを賭けたら相手はそれだけのレイズに応じられないので、自動的に負けになってしまう。

 全てのチップ、ということにお互い了承すればいいのだが、これまで稼いだアドバンテージを最後の一回にチャラにするのは勿体ない。


「そうですね。考えておきますわ。」


 と、手早くカードをシャッフルし、五枚のカードが配られる。

 ……お、なんと。最後の最後で凄い手が来そうだ。

 スペードのキング・10・クィーン、ハートの9、そしてスペードのジャック。

 え~と、並べ替えればストレートの出来上がりだな。もしもハートの9を捨て、スペードが来たら…… いや、その前にスペードのエースが来たらロイヤルストレートフラッシュ(同じマークで10・J・Q・K・Aと揃った最強の手)か?!


 ……ここは勝負を決めるか。こんな手が来るなんてな。

 挨拶程度のチップをレイズして、カードを一枚交換。

 さすがにカードをめくるときは手が震える。ふざけるなよ、いつもこれ以上のスリルってものが…… いや、さすがに無いか。

 意を決してカードを……

 ……来たよ、スペードのエース。

 これでスペードのロイヤルストレートフラッシュ。


 さて考えよう。

 十中八九、この手は作られた手だ。

 普通にショウダウンすれば間違いなく俺の勝ち。

 ……分からん。ロリザンドは何を考えている? 俺を誘っている……?

 いや、それは絶対ない。根拠は無いが、俺の勘がそう告げている。それに…… あのタイプの美女は本当のことを言えばお近づきにならない方がいいタイプだ。

 悩んでもらちがあかない。勝負してみますか?




 最初のカードを同時にめくる。俺はスペードの10。彼女はスペードの2だ。

 彼女からのレイズで、自分の山の1/3ほどのチップをレイズする。俺も当然受ける。


 二枚目。

 スペードのジャックにハートの2。

 また同じくらいだけのレイズ。俺も同じだけの山を積み上げた。

 派手に高額なチップが動いているのと、このカジノでも目立つディーラーとの一騎打ちだ。自然とギャラリーも集まってくる。


 三枚目。

 スペードのクィーンにダイヤの2。

 ここまで来ると、ロイヤルストレートフラッシュの気配が濃厚になってきて、ギャラリーの熱気も高まってくる。

 逆にカードをめくっている俺たちの方が冷静なくらいだ。

 向こうは2のスリーカードは確定。

 もし俺のカードが幸運の女神様のお墨付きならば、相手の最高の手はフォアカードなので間違いなく勝てる……はずなのだが、何か引っかかる。

 彼女は残った1/3の山のチップを全てレイズした。これで俺がそれ以上のレイズで受ける、という手もあるが、それは無粋というか…… この雰囲気の中では危険極まりないな。

 その積み上げられたチップの山に更に観客も増える。注目されたくなかったが、否が応でも目立っている。


 ちょっと失敗したかな。

 が、そんな中でもロリザンドは隙の無い笑みを浮かべていた。自分の目の前のチップがないとしてもだ。自分のカードで勝てる自信があるのか? それとも……

 いや、止めよう。下手に考えてもしようがない。


 四枚目。

 次のカードでショウダウンだから、ここが読み所だ。相手の手と狙い。それさえ分かれば……

 スペードのキングにクラブの2。

 ギャラリーの熱気は最高潮に。

 そうだろう。端から見れば、確定フォアカードと、ロイヤルストレートフラッシュまであと一枚。

 最後のカードがスペードの9でもストレートフラッシュで俺の勝ち。エースなら文句無しのロイヤルストレートフラッシュだ。これに勝てる手はない。それ以外のカードなら、俺の負け。

 確率を考えれば5%ほど。だが俺は知っている。最後のカードがスペードのエースであることを。


「最後のレイズは……」


 ディーラー服の内側に手を入れて、その豊満な胸元を探る。

 抜き出された指先に一本の鍵。

 古めかしいウォード鍵。形状が特殊で、職人的技術が必要な精巧な鍵。

 こんな酔狂な鍵を使うなんて、よほど高級なところである。

 予想通り、その鍵にはカシオペア内でも最高級のホテルの刻印。そして一つの部屋番号。


「これでいかがですか?」


 何の鍵か? って聞くのは愚問だな。

 まぁ、強いて挙げるなら彼女の「心の鍵」ってところか?


「こいつは高いな。」

「ええ。」


 ……躊躇いも無く答えるとは、ね。

 まぁ、それがちっとも役不足でないところが恐れ入るところだが。


「ですから、お客様の残りのチップでは少々足りないかと。」

「へぇ?」


 バラのトゲが初めて俺を貫こうかと伸びてくる。

 頭の中で目まぐるしい計算をしているのを悟られないように平然とした顔で俺は小さく肩をすくめた。


「残念ながら俺の部屋のキーはフロントに預けてある。」


 ついでに言えばジャニスと同室だから、俺の部屋に招待するのは勘弁被りたい。……なんて事はおくびにも出さないがな。


「それも興味ありますけど……」


 ルージュを引いた唇が笑みにかたどられる。


「お客様に賭けていただきたいものは、」


 スッと得物を狙う肉食獣のような目。


「behind the mask.」


 歌うように語られた言葉は、一瞬とはいえ、俺の心臓を鷲掴みにするほどの威力があった。




 ビハインドザマスク…… つまりは「仮面の裏」。転じて素顔。そこから更に転じて「本性」の意味となる。

 人は見えない仮面を常に被っているからな。


「生憎と、この二枚目は仮面じゃないぜ。」

「ええ、知っておりますわ。」

「……少なくとも俺は美人のディーラー相手に鼻の下を伸ばしているような男だぜ。」

「そうかもしれませんね。」


 にべもない。


「君が俺に何を求めているか分からないけど、単なる偽物野郎だったらどうするんだ?」


 自分でも情けないと思うような事を言うと、彼女の目が更に鋭くなった。


偽物フェイクならなおさら私にとっては『本物』ですわ。」


 ……なるほど。こちらのご婦人は本気で怪盗フェイクって奴に用があるらしい。


「さて、お客様……」


 気のせいか、彼女との距離が離れたような気がする。


「コールなさいますか? それとも……」


 いや、違う。俺が僅かに身を引いたんだ。


「フォールドなさいますか?」


 その碧眼が俺を射抜く。

 ……いいだろう。

 こっちはスペードのロイヤルストレートフラッシュだ。天地がひっくり返ったって、俺が負ける要素は……

 いや、あるな。たった一つだけ。

 ロザリンドの最後のカードがオールマイティのジョーカーなら、本当に最強の手のファイブカードだ。

 ただ、一般的にジョーカーを入れることが少ないのと、このゲーム中に一度もジョーカーを見ていない。最初に抜いてたしな。

 ……じゃあ、何でさっきから「嫌な予感」が消えない?

 もし彼女の手がフォアカードなら、手を低く見せるために四枚目に別なカードを見せない? ジョーカーを「見てない」じゃなくて、「見せてなかった」という可能性は?

 言えばいいはずの「コール」の言葉が喉に張り付いて取れない。

 もし、俺の予想が最悪の奴だったら、どうすれば俺は「勝つ」ことができる?

 なんてな。よく考えれば俺に与えられた選択肢は二つ。


「ミスタ?」


 正々堂々と俺流の戦い方をすれば良かったんだ。

 ギャラリーもロザリンドも俺の次の言葉を待っている。


「フォールド。」


 チップにも仮面にも手をつけずに宣言した。決して大きなものではなかったが、興奮のうずの中、不思議と声が通る。

 が、次の瞬間、周囲の空気が凍った。

 そしてジワジワとどよめきと共に、金で買った地位程度の抑えた非難めいた声が聞こえる。

 それとは正反対に顔には出さないものの美貌のディーラーは動揺しているようだった。わずかに唇が震えているのが見える。

 しかし、それを超人的な意志力で押さえつけたのだろう。その表情は刹那の時間で消え、いつもの、そして美しくも作り物めいた笑みを浮かべた。


「よろしいのですか?」

「ああ、」


 俺の「賭け」はこっちが本番だ。さり気なく腕を滑らせる。


「さすがに……」


 彼女が俺の動きに気付いて止めようとするが、それよりも俺の方が速い。


「これには勝てないからな。」


 俺の指がカードをめくった。

 よりにもよって、別名フーリッシュジョーカーとも呼ばれるエキストラジョーカー(予備のジョーカー)か。色の無い白黒のジョーカーが俺を見て不敵に笑っている。

 おおっ、と静かな歓声があがった。

そして、ロザリンドはその「仮面」の下でどんな顔を浮かべていることやら。とりあえず「賭け」は俺の勝ちだ。これでジョーカーじゃなかったらちょっと恥ずかしかったな。

 まぁ、それ以前に「負け」だったのだが。

 ロザリンドは「仮面」の下でどんな顔をしているのやら……


「一生に一度出るか出ないかの手だったんだけどな。」


 と、今度は自分の最後のカードをめくる。

 スペードのエース。

 またギャラリーから歓声が上がる

相手がまだ動揺しているうちに、小さく肩をすくめてから自分の積んだチップの山を押し出す。

 そして、降りたために払わなくて良くなったチップから一枚だけ抜いて、


「……?」


 残りのチップも全て押し出した。


「あの、これは……?」

「面白いゲームだった。

 それに君のような素敵なレディにも出逢えたしね。どのみち俺の負けだったから、これはチップとして受け取ってくれ。」


 記念のポーカーチップを指で弾いてからポケットに入れ、席を立つ。そのまま振り返らずに降りる人の波に加わろうとすると、


「ミスタフェイク。」


 不意に呼び止められる。

 反射的に振り返ると、ロザリンドが立っていた。


「デートのお誘いかい?

 参ったな、二週間先まで予定がビッチリだよ。」

「いえ、」


 俺のそんな軽口を彼女は笑みであしらう。


「私もゲームを楽しませていただきました。」


 香りが強くなる。ふと口元に浮かんだ彼女本来の笑み。


「だから……」


 温もりまで感じられる距離。


「これはホンのお礼……」


 触れた香りと温もり。

 ホンの一瞬ではあったが、永遠を思わせるような感触。

 ……おっと、いかん。あまりのことに一瞬落ちそうになった。俺の今までの経験の中でも極上クラスの代物だった。

 しかも目を閉じる暇も与えなかった早業に、俺もただただ感心するばかりだ。

 いや、感心してどうする。

 まかりなりにもこの俺が「盗まれる」側になってしまうとはな。まぁ、盗まれた物は必ず取り返すというのが俺のポリシーだ。いずれ、ってな。

 そう訳の分からないことを考えていると午前六時、軌道エレベータの動く時間となった。気付くとロリザンドは見送りのディーラーやバニーガールと一緒にビールケースの中身のように整列していた。その顔はすでにディーラーのものに戻っている。

 エレベーターにも資本主義が根付いているのか、入場料(一応あったらしい)により目に見えて分かる差別がされている。

 俺のような貧乏人はそれ相応の。お金持ちは財布の中身を減らした分の待遇が待っているわけだ。


 ちなみに俺の所持金はポケットのチップ一枚。「カシオペア」から一歩でも外に出たら何の気休めにもならない程度の物だ。……ま、そんな金があったら、借金返済に回しているけどな。

 ……ふぅ。しかし夜通し起きていたからさすがに眠い。「仕事」となったら徹夜も少なくないけど、まだ気分が「仕事」に入ってないせいか眠いし疲れるのも確かだ。

 アクビの一つでもしたいところだが、それはジェントルマンに相応しい行動ではない。少なくとも人前で行って良いことではない。


「またのお越しを。」

『またのお越しを。』


 フロアマネージャー風の男の一声で、百名を超えると思われる従業員が唱和と共に一斉に頭を下げる。その中に、含むような声音が聞こえたのは俺の気のせいかな?

 紐どころか棒で繋がっているんじゃないか、と思わせるほどの一糸乱れぬ動き。それこそもうちょっと低級の場所ならロボットを使っているのだろうが、ここ「カシオペア」の従業員は一人残らず人間だ。

 手で開けるよりも自動ドア。そして自動ドアよりも人がわざわざ開けてくれるドアの方が金がかかる。まぁ、そういうわけだな。

 きっと、重力制御と磁力で動くこの軌道エレベーターも可能なら人力で動かしたいのだろうな。


 下るエレベーターの、自分のエアカーの中で俺は色々考えていた。

 何かと言えば、彼女――ロザリンドの事を。

 美貌のディーラー。ただそれだけか?

 答えは否。

 俺は彼女から自分と同じ「匂い」を感じていた。俺と同じ「裏側」の人間の匂いを。

 ただ血の雰囲気は感じなかったので、それこそ俺と同じような「仕事」なのかも知れない。

 妖艶な微笑みが脳裏に思い出される。

 と、首を振ってそれを無理矢理追い出した。

 今考えるべきはこれからの「仕事」だ。

 この宇宙空間に浮かぶ巨大な金庫からたんまりと頂戴しなければいけない。問題はその後だ。

 壁一枚超えたら何もない宇宙空間。地上と繋がっているのは一定の時間しか動かないこの軌道エレベーター。

 俺の運動神経と戦闘能力はこれだけ大きい物相手だと役に立たない。やっぱりジャニスのハッキング能力を基にした方法を考えるべきだろう。

 さてさて、どうしたものか……

 ふっと小さな衝撃が、地上への到着を知らせる。これがファーストクラスなら教えてくれるまで気付かないのだろうな。やれやれ、これも「資本主義」か。

 存在しないはずなのだが、社会の裏側で確実に存在している身分制度を噛み締めながら、車を出す順番を待っていた。

 程なくエアカーは朝の冷たさの混じった空気の中に飛びだした。朝日が昇りつつある中、俺はホテルに向けて走り出した。




 この時間に帰る人々がいるのだから、フロントはちゃんと客を待ちかまえていた。正直なところ眠かったので、言葉少なく鍵を受け取り部屋に戻る。

 ジャニスが寝ているから出来るだけ音を立てないで鍵を開け室内に滑り込む。

 クローゼットの前でタキシードを脱ぎ、身軽な部屋着に換えると睡眠をとるために隣のベッドルームへ足音を潜め……


「あ、おかえり、じーく……」


 心底眠そうな声でジャニスがベッドに腰掛け肩から毛布をかけて起きていた。

ふにゃふにゃ危なげに揺れながら、半眼で俺を見ている。


「じーく。」


 ポンポン、と自分の座っている隣を叩く。寝ぼけているのかどうか判断がつかなかったが、言われるままに隣に腰掛ける。


「ず~っとしんぱいしたんだよ。ふとよなかにめがさめたらじーくいないんだもん。」


 ふら~ふら~と身体が左右に揺れる。


「なにかあったかとおもって、ずっとまってたらへいきなかおしてかえってくるし……」


 半眼のまま恨めしそうな視線を向けてくる。

 ぽすん、と少女の頭が俺の肩に乗る。


「こわいんだよわたし。ひとりになるのは。

 じーくしかそばにいないし、じーくしかたよれるひとがいないし……」


 肩に顔を埋めるようにして呟く言葉に、俺は少女の内面を少し知った。でも心の中にしまっておく。出来れば聞かないことにしておきたかったが、聞いてしまったからな。

 俺にもたれかかるジャニスの髪を撫でると、ゆっくりと上瞼と下瞼がくっつきそうになる。


「あ……」


 眠りに落ちる寸前の少女が、吐息のような声を漏らした。


「ばらのかおりがする……」

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