第一話 緋色の輝き 第一章
ひっそりこっそり第三作目です
ご笑覧のほどを。しばらくはストックがあるので……
俺の名前はジーク。本名は別にあるのだが、とある事情でこっちの名前を使っている。また、それ以外にももう一つ名前がある。まあ、そのうち名乗ることもあるだろう。
俺の仕事は…… 簡単に言うと金儲け。合法非合法は別として。できれば俺もまっとうな方法で金を稼ぎたいのだが、なかなか儲からなくて…… しょうがなく、ちょいとヤバい仕事もする事がある。
それというのも……
「ジーク! なにボーッとしてんの! そろそろ論理爆弾が爆発する時間よ。さっさと行ってきて。」
助手席でコンピューターの端末を操作しているジャニスが俺を怒鳴りつける。相変わらず気の強い娘だ。
長い栗色の髪を首のあたりでリボンでまとめている。髪と同じ色の瞳には意志の強さが宿っている。子供っぽい表情を残しているが、ハッキリ言って掛け値なしに美人だ。ただ、特に俺に対しては気が強すぎるのが珠に傷かな。
「ジーク!」
「へいへい。分かってます。」
観念したように首を振ると、車を降りた。そして今夜の目的地を視界に入れた。立派な造りの屋敷が見える。正面の門は固く閉ざされ、高い塀はありとあらゆるものを拒むように立ちはだかっている。
さてさて…… これに侵入しなければならないのか…… いつものことながらうんざりとすることがある。しかしそれはすぐに障害を乗り越えたことによる満足感へと変わるのだ。
やはり招待は受けていないが、他人様の家に入るわけだから服装はキチッと整えなくてはならない。マントの具合を見て、通信機と兼用になっているバイザーをつけた。
これが世間を騒がす「怪盗フェイク」の深夜の訪問時のスタイルだ。マントは特別製で、小口径のレーザーなら簡単にはじくことができ、バイザーは暗視装置や簡単なセンサーを内蔵しているものだ。
そう、ここまで言えば俺の仕事が分かったろう。ジーク=ホーンスタードは泥棒さんなのだ。それでも俺なりのポリシーがあって、悪人からしか盗まないようにしている。しかし、この悪人という奴は人様が汗水流して稼いだものを横から奪い取りため込んでいるという、なんとも外道なことをしている。
それを横からかっさらう俺はどうなんだって? そんなこといわれても困るが、これでも盗んだ金の半分は社会に還元して、残り半分を自分の…… 借金の返済のために使っている。
これなんだよなあ…… 俺が危ない橋を渡ってまでも泥棒をやっている理由は。
せっかくだからここで説明しておこう、俺の借金の理由を。そう、あれは半年ほど前のことだった……
「何年ぶりだろうか……」
この星独特の赤みがかった太陽の光を浴び、俺は宇宙港を出た。久しぶりに眺める故郷の風景は大きく変化していたが、その本質は変わっていなかったようだ。
手近なタクシーをつかまえて、郊外にあるわが家へと向かう。少し手前で降りて、最後の何百メートルかは歩いて行こうと思った。
街中と違ってこの辺は緑の臭いが濃い。樹々に囲まれた道を、幼いとき何度も昇った道を踏みしめた。
俺は八年ほど前、父親に反発して家を飛び出し、星々を巡る放浪の旅を始めた。それから数年して、今も師と仰ぐ人に出会い、その方に戦う術や生きる術を習った。普通なら十年以上かかる修行を、俺は素質があったらしく五年ほどですませ、つい最近師匠に「お前に教えることはない」と言われた。
それを期に俺は故郷に帰る決心をしたのだ。今になってみると、昔の父親に反発したのがあまりにもくだらなく思えてきた。帰ったらすぐ父に謝ろう、遅いかも知れないけど。
この緩い坂道を登っていくと、白い家が見えてくる。母親は俺が小さい頃亡くなったからあの家にいるのは親父だけだ。まさか、虚をついて再婚なんかしてないだろな。そんなふうに色々なことを考えながら一歩一歩進んで行く。
もう少しで家が見えて……こない。
あれ?
俺は不安に駆られて歩調を早めた。進んでも進んでも家が見えてこない。坂道の終点に達したとき、信じられないものを見てしまった。いや、その逆だ。見えなかったのだから。
なつかしのわが家があると思われた所には何一つなかった。わずかに土台の一部が残っているだけであった。
なにかしらの理由で撤去されたようだ。まだ跡は新しい。最近のことのようだ。
……はて?
建物は跡形もない。何か原因のヒントになるような物を目で探しているうちに、敷地の隅の方に小さなテントを発見した。
家がこれになってしまったとは考えにくい。では一体……?
そのテントに近づき、無造作に中をのぞき込む。
テントの中には一人の少女がいた。こちらに背を向けて……いただけならいい。見たところ、少女は着替えの最中だったようだ。
下着だけをつけたセミヌードというところだろうか。なかなかの脚線美だ。形のいいヒップからスラッと伸びた足がなんとも健康的だ。全体的にはまだ発育途中の感があるが、まだまだ成長の余地がありそうである。それでなくとも背中から腰にかけてのラインがなんとも艶かしい。
彼女はブラのホックを外そうとして何げなしに後ろを振り向く。……当然その時には俺とバッタリ目が合うわけだ。
人間、予想も出来ないようなことに直面すると精神的な麻痺状態になるという。こういう状況下ですばやく意識を回復できる者は闘いにおいて優位に立つことができる。
俺の鍛えられた運動神経はすでに次の相手の動きを予想し、それに対抗できるよう体を動かす。後ろに一歩下がり、そのまま横へとジャンプする。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一瞬遅れて激しい悲鳴の声とともに様々な物がテントの入り口から飛び出してきた。
ブラシを筆頭にドライヤー、置き時計、手鏡、小さな熊のぬいぐるみ等々。当たりどころが悪いと中身ごと頭が吹っ飛ぶような物がひとしきり飛ぶと、投げる物が無くなったせいか沈黙に包まれる。
……しばらくしてTシャツにパンツ姿というラフな格好の少女が辺りをうかがうようにテントから顔を出す。ここでまた俺と目が合った。
「ねえ、ちょっと。」
少女の声は(当然ながら)かたい。
「理由を聞かせてちょうだい。」
状況は俺の方が完全に不利なようである。
「わかりました。不可抗力であると認めましょう。」
俺の説明にその少女――ジャニスは一応納得したような顔をした。頭じゃ理解しているようだが、感情的には認めたくないのだろう。きっと。
「それはそうとあなたは?」
「俺の名はマシュー=ファイラスミッド。ここにあった家の住人だったんだけど……」
「ファイラスミッド?」
ジャニスは俺の言葉に過剰に反応した。
「もしかして…… ゼイラス=ファイラスミッドさんの親族か何か?」
親父の名だ。
「一応、俺の親父だけど……」
記憶の中の父親と、目の前の少女との関連がまるで思いつかない。実は隠し子で俺の妹だ、てことはないだろうなあ……
「本当ですか?」
「……は?」
「本当の本当にゼイラスさんのご子息なのですか?」
しつこいぐらいに念を押すジャニス。親父が何かしでかしたのか? 半分、少女の気迫に押される格好で俺は曖昧ながらも頷いた。
「なるほど……」
少し考えるような素振りを見せると、彼女は奥の方からブリーフケースを引き寄せ、その中から数枚の書類を取り出した。
「ええと……
あなたの父親であるゼイラス=ファイラスミッドはある事件を起こし、それによっていくらかの損害を国に与えました。それを私の父、ルゴール=メイスクランが肩代わりをしましたが、その直後、ゼイラスさんは行方をくらまし、返済が不可能となりました。」
「はあ……」
「とりあえず、土地家屋などを没収して返済に充てましたが、まるで追いつきません。
そこで、この近辺にて張り込みを行い、彼の関係者を探していたところ……」
「俺が通りかかった、というわけか。」
大迷惑な話である。親父がどっか行ってしまったなんて聞いてないぞ。第一、それならこっちの方が行方を知りたいところだ。
「残念ながら、俺は親父の行方なんか知らねえぜ。」
「いえ、違います。」
そう断言したあと、ジャニスは一枚の書類を俺に突きつけた。
「マシューさん。あなたには父親に代わって借金の返済義務があります。」
はあ?
「何だって?」
「もう一度、言いましょうか?」
「いやいい。」
……ちょっと待て。えらいことになったぞ。いきなり親父が行方不明で、しかも借金をこしらえていて、そして俺がそれを払わなければならない? ……里帰りなんかしなければ良かった。
「あのさ……」
「はい、なんでしょう?」
「俺さ、あまり法律とか詳しくないんだけど…… 払わなくてすむ方法ってないの?」
「そうですねえ…… ゼイラスさんを捕まえてくるか、別に支払能力のある人をさがしてくる…… ことぐらいでしょうか。」
両方とも難しそうだし…… どっちをとっても俺が返済を手伝わなくてはならないような気がする。
「参考として聞きたいんだけど…… 仮に俺も逃げ出したりしたらどうなる?」
「……参考としてですか?」
さっきまで事務的にしゃべっていたジャニスがニコリと年相応の笑みを浮かべた。
「そうですね。少なくとも私以外のしつこい追手がマシューさんをつけ狙うんじゃないんですか?」
げっそり。
何で俺になんだ? やっぱり里帰りなんかするんじゃなかった。
……ん?
「君以外…… って?」
「ええ、取りあえず、借金を返済してくれるという人に同行するように父に言われました。全部取り返すまで帰ってくるな、とまで言われました……」
そう言って寂しそうにジャニスは笑った。無理もない。この若さで半分勘当されたようなものである。さすがにこの娘をそのまま放っておくのは男としてのプライドが許さなかった。
「……分かったよ。俺が親父にかわってその借金を返してやる。」
と、口に出した時点で俺は後悔した。まだ借金がどれくらいあるかも確認していないことに気づいたのだ。
しかし、そんな思惑も無視してジャニスは顔をほころばす。
「あ、ありがとうございます。」
何度も何度も頭を下げる少女に俺は最重要視しなければならない問題をぶつけた。
「でさ…… 親父の借金っていくらぐらいなんだ?」
「は? ああ、ちょっと待って下さい……
私も正直なところどれだけ取り立てればいいのか知らなかったんです……」
ブリーフケースに頭を突っ込むような感じで書類を探し始める。少しして、お目当ての物が見つかったらしく、その白い手に一枚の書類が握られていた。
その紙切れに目を走らせるジャニス。
ふと、その目が止まり、体までもが硬直したように動かなくなった。俺もつられて身じろぎせずに少女の様子を見守る。
秒針が半周ほどまわった。
「……はい。」
ジャニスが卒倒寸前のような顔で俺に手の中の書類を手渡した。彼女にならって紙切れに目を落とす。
何かゴチャゴチャと書かれている。その中で一つの数字が俺をとらえた。
……はう。
俺も卒倒しそうになった。おそらくその数字は借金の金額を示しているのだろう。俺が想像していたよりも五つか六つは桁が違う。冗談に聞こえるがマジな話だ。
「何やったらこんな信じられないような借金が出来るんだ……?」
二人分の虚ろな笑いが小さなテントの中に響いた。
……俺、泣きてえ……
「さて…… 当面の方針ですが……」
「あのさ…… 逃げちゃダメ?」
「私も逃げたいです。」
はあ……
莫大な借金よりは逃亡生活の方が幾分ましのような気がするが…… 俺も口ではああ言っているが、一回取り交わした約束を簡単に反故にするわけにはいかない。
……俺って損な性格だこと。
しかし、真っ当なことをしても借金はカケラも払えそうにない。当然ながら借金には利子というものがある。利子を返すことすらままならない。
「泥棒にでもなるかなあ……」
「そんなぁ……」
俺の独り言の呟きにジャニスは律儀に返事をする。
「でもさあ、危険な仕事に手を染めるか、犯罪でもしないとねえ……」
ふう……
「ま、取りあえず…… 何か発掘でもしますか……」
「発掘?」
「そう。」
俺は答えながら家の跡地の方に足を向ける。見事に根こそぎやられているが、少しばかり希望が残っていた。
親父はそこそこ知られた科学者で、昔、趣味で隠し部屋を地下に作っていた。もし、そこが見つかってなければ何か役にたつ物があるかも知れない。
わずかに残っている家の部分と自分のあいまいな記憶を照合して、地下室のあったところを探すのだが…… 俺の記憶はよほど適当だったらしい、まるで見つからない。
苛立ち紛れにそこいらを蹴飛ばしまくりながら…… お?
蹴飛ばしている最中に一カ所、音が違うところがあった。何度かその周囲を叩いて音を聞き比べる。
やっぱり……
この真下には空間が広がっている。多分…… おそらく親父の作った地下室だろう。
しかし入り口らしきとことは見えない。よほど巧妙に隠されているか、どこか遠い別の所から入るのだろう。
俺は別な手段をとることにした。
「……ちょっと離れてて。」
背後にいるジャニスにそう言った後、俺は呼吸を整えて「気」を錬り始めた。ま、実のところを言えば「気」と呼ばれているものの正体はさっぱり分からん。そんなものがある、という認識だけである。便利だから使っているけど……
体内に何か力が溜まってくる。その力を右の拳に集中させる。
「ハッ!」
鋭い気合いの声が口からもれ、右手の力を一気に硬い床にたたきつける。一瞬のタイムラグをおいて床に細かいひびが入る。
一歩下がって様子を見ていると、そのひびが大きくなり、あっと言う間に地面に大穴が開いた。
「す、すごい……」
「あまり人前じゃあ使いたくなかったんだが……」
本気で俺はそう思っている。こんなことできたからって見せ物以外の何物でもない。ただし、自分の人生がかかっていると話は別である。
できた穴をのぞき込む。中は暗く、何があるのかさっぱり分からない。使い古された手段だが、手近ながれきを拾って穴の中に放り込む。一秒も経たない内に何か金属にあたるような音がした。
聞こえた限りだと何か大きな鉄板のようなものが下にあるようだ。しかも地面に平行に。この星の重力はほぼ一Gだから…… 石ころが一秒間に…… ええと…… 俺って頭悪いな。
「だいたいコンマ七秒位ですから…… 下まで二メートル半というところでしょうか。」
それくらいなら飛び降りても平気だな。俺はそう判断すると、ヒョイと穴から飛び降りた。
「マシューさん!」
上からジャニスの声が聞こえてくる。俺はポケットの中からマグライトを取り出し辺りを照らしてみた。俺がいるのはどうやらでっかいトレーラーの上らしい。更に三メートルほど下に床が見える。
「マシューさぁん。大丈夫ですかぁ?」
「別に、怪我一つしてないよ。」
ライトを上に向けるとジャニスが心配顔でこっちを見ているのが見えた。マジにかわいい娘だ。数年後が楽しみである。
「ジャニスも来てみるかい?」
「でも…… 高くありません?」
「大丈夫、俺が受けとめてやるから。」
「はあ……」
意を決したのか(おそらく)目をつぶってジャニスは穴から身を乗り出して、飛び降りた。
俺は修行の賜物か、暗闇の中でも他人の気配を察知することが出来る。手に持ったマグライトを口にくわえ、すばやく少女の落下してくる場所に体を移動させた。
「よっ、と。」
俺の腕の中に柔らかい肢体がおさまった。
「もう少し目を閉じててくれ。」
そう一言いうと、さっきライトで照らして障害物がないと判断したところにジャニスを抱えたまま飛び降りた。足首と膝で衝撃を吸収する。とっさのことで彼女は悲鳴をあげる暇もなかったようである。
半ば呆然としている少女を床に立たせ、俺はさっきまでいたトレーラーの検分に入った。相当大型のものである。操縦席を覗いてみる。ごくありふれたもののように見える。鍵はかかっていないようだ。さっそく乗り込んでみた。
ルームランプをつけると、暗闇に慣れかけた目に痛みが走る。しかしそれもすぐにおさまる。気づくと助手席にジャニスが入り込んでいた。
「ジャニス、グローブボックスを見てくれないか?」
「はい……」
ジャニスがグローブボックスを引っかき回している間に俺はキーを探した。不用心なことにイグニッションにキーがついていた。エンジンがかかるかどうか自信はなかったが、キーを回している。
かかった。
低いエンジン音とともに計器が息を吹き返す。どれくらい放置されたのかは知らないが、そんなことを感じさせない力強いエンジン音だった。
「マシューさん、これ。」
ジャニスが笑いをこらえるように、俺に何かを手渡す。それは一枚のIDカードとプラスチックペーパーだった。その紙には一言こう書いてあった。
『借金は任せた。 父より』
おい……
俺は頭を抱えた。やっぱり里帰りなんぞするもんじゃなかった。
疲れきりながらも今度はIDカードを見てみる。……ジーク=ホーンスタード? そのカードにはそう書いてあった。俺の全く知らない奴である。
「コンピューターの端末があれば照会できるのですが……」
口ぶりを聞くと、ジャニスはコンピューターに強いらしい。まあ、借金取りの娘だ、それぐらい詳しくてもおかしくない。
「……後ろのトレーラーでも見てみるか。」
俺とジャニスはトラクターから降りた。
「ほほう……」
「すごいですねえ……」
トレーラーの内部は大きく二つに分かれていた。後ろ半分には一台のエアカーとそれの整備用の部屋だった。残り半分は、コンピューターの端末や電話などを備えたリビングになっていた。そしてそこから直接前のトラクターに行けるように出来ていた。
リビングの設備を見ると、ここで生活ができることを前提に作られているようである。
「……マシューさん、あなたのIDカードを貸してもらえますか?」
端末を操作していたジャニスがこっちを振り向いた。彼女の言葉通りにカードを手渡す。カードを受け取ったジャニスは再び端末の方に向き直ると操作を再会する。しばらくして神妙な顔をして俺を呼ぶ。
「なした……?」
「ちょっとこれを見て下さい。」
ディスプレイには登録されている俺のデータが映し出されていた。何もおかしいところはないようだが……?
「これはもう一枚のカード…… つまり、ジーク=ホーンスタードのデータなのですが……」
へ? なんか頭が混乱してきた。謎が謎を呼ぶ、という感じである。
「つまりってことは…… 俺のそっくりさんがいるのか、それとも……」
「あなた用の偽造カード、ということになりますね。」
むう…… 聞きかじりの知識だけど、確かIDカードというのは偽造できるようなシロモノじゃなかったような気が……
全くよくわからん。こんな手の込んだ物を用意しておいて親父は俺に何をさせようというのだ? それでも借金があるのは現実だし……
取りあえずこの瞬間。現在の俺、ジーク=ホーンスタードが誕生したわけだ。そしてそれから一月も経たないうちに世を騒がす怪盗フェイクも現れるわけだが…… まさか、借金のためとは夢にも思うまい。
……しかし、情けなくて涙が出そうである。
そんな昔を回想しているとジャニスの声が通信機兼用のバイザーから聞こえてくる。彼女の仕掛けた論理爆弾が爆発したそうだ。
俺はコンピューターに詳しくないからよく分からないが、それのおかげで警備システムのほとんどが機能を停止しているらしい。ま、これで安心して忍び込められるわけである。
塀を乗り越えようかとも考えたが、俺は正々堂々正面の門に足を向けた。普段は招待状を持っていない客には堅く閉ざされているが、今日はどうやらジャニスがどっかからか用意しておいてくれたらしい。電磁ロックが外れて人々に門扉を開いている。
俺はなるたけ音を立てないように──そう深夜は静かにしなければならないから──門をくぐった。
どうやらここの家の主人は機械まかせの警備システムに多くを頼っているらしい。警備員の姿も少ないし、番犬の姿は影すら見えないほどだ。こういう相手は楽でいい。コンピューターの天才であるジャニスがいれば入ってくれ、と言われているようなものだ。
半分拍子抜けした感じで意味なく大きく飾りたてられた建物に近づくことが出来た。
おいおい、この家、木造だよ。しかも天然の樹の。
その昔、人類が地球にへばりついていた時代は木造というのはさほど珍しいものでは無かったらしいが、今時、木で作った家などぜいたく以外の何物でもない。
確か、ここの家の本当の持ち主はどこぞの政治家ということだが、政治家というのは相当儲かるものらしい。少し分けてほしいものである。あ、今から少し貰い受けに行くんだっけ。
「ふむ……」
ハッキリ言って今夜の「仕事」は楽すぎる。いいのだろうか。物事が簡単すぎると要らぬ警戒をしてしまうものである。
「もしもーし、聞こえてますかあ?」
『感度は良好よ。どうしたの、フェイク?』
お仕事中の通信は互いに暗号名で呼びあうことにしている。傍受されていてもすぐに正体がばれることはないだろうし、何と言っても雰囲気が違う。
「今、屋敷の正面近くにいるんだが…… まるで人の気配がしないんだ。そっちのカメラに何か映ってないか?」
『ちょっと待って…… 何もいないようですが……』
屋敷内部に設置されている監視カメラの映像を拝借しているのだ。間違いではないだろう。それにしてもあまりの不用心さに自分の立場も忘れて腹が立ってくる。
まあいいや。俺は正面の分厚い扉をくぐり屋敷の中へと入っていった。