五十一話 どらごん、じょうほう
その第一報は、朝早くにゲーラの町の冒険者ギルドへともたらされた。
『ノルデン領でドラゴンを目撃した。低空を飛行し、王都方面へ向かっている』
そこそこのベテランと言っていいほどには冒険者ギルド職員としての経験を持つ、マティこと受付嬢兼ギルド長補佐役のマティルデは『ドラゴンを見た』という情報だけでは動じたりはしない。
なにせ、ドラゴンは年に数回は目撃される。
そのほとんどは鳥を見間違えただとか、ドラゴンとは名ばかりのワイバーンなどの下位種を見て騒ぎ立てたものだ。
ワイバーンが相手ならB級以上の冒険者の対応は必要だが、迅速に、冷静に対処すれば被害はそこまで出ない。
最近にも一度ドラゴンの目撃情報があったが、すぐさま調査をしたところ群れからはぐれたワイバーンの幼体だったため、大きな問題は出なかった。
もし伝説に出てくるような本物のドラゴン、上位種が目撃されたとしても、たいていは超高々度の上空を飛行しているため地上に被害が出ることは無いと、高名な研究者が発表している。
しかし、この日の情報は、いつもとは違った。
ノルデン領で活動しているベテランの元冒険者からの確実な情報だった。
普段なら念のため調査依頼を出しはするが、信じたりはしない。見間違いか何かで済む話だ。
伝えに来たのはノルデン領主の使いの者だったが、領主の印が押された正式な書面を持って来ていた。冒険者とも領主とも面識があり、間違った情報は持ってこないと信用していたマティには疑いようはなかった。
その情報の内容も問題だ。
ノルデン領から王都領方面へ向かっているということは、ここ、ゲーラの町の上空も通るはずだ。
低空を飛んでいるのであれば、町に被害が出る可能性もある。
マティは信用の置けるパーティを何組かギルドへ連れてくるように他の職員に伝達すると、自身はギルドマスターへ報告するため、執務室へ向かった。
情報を持って来てくれた使いの若い男は夜通し馬を走らせたのか疲れ切っていたため、一通りの話を聞いた後、近くに居た受付嬢に介抱を任せた。
執務室まで歩いている中、マティは小さい頃から聞き及んできたドラゴンの伝説を思い出していた。
伝説では、ドラゴンは人類の敵だった。人族のみならず、獣人族や魔族も含めた、全ての人類の敵だ。
ドラゴンが地に降り立てば国が滅ぶと言われていて、実際にいくつも国が滅んできたと伝えられている。
ドラゴンに滅ぼされて全滅した種族も居たそうだ。
「まさか……ね」
執務室の扉の前で立ち止まったマティは、ひと呼吸置いてから扉を叩いた。
「入れ」
部屋の主からの返事はすぐにあった。
扉を開けると奥に設置されている大きな机には紙の束が山のように積まれ、その山の隙間から禿げた頭が覗いている。
ギルドマスターのバルツだ。
「緊急の報告があります」
「話せ」
自室に客が来たにもかかわらず、マティの方は一切見ようともしない。まるで魔物と相対しているかのように眼光鋭く手に持った書類を睨みつけたままだ。
似合わない、とマティはいつも思う。
元々は冒険者として活躍していたバルツは肌は日に焼けた色黒で体格も良く、細かい事が嫌いで大雑把な性格をしているが、何の因果かギルドマスターとなり日々部屋にこもって書類と格闘している。
「ノルデン領の領主様からドラゴンが王都領へ向かっているとの情報がありました」
マティはなるべく簡潔に、重要な情報だけをまず述べた。
バルツはせっかちであることは良く知っている。まずはギルドマスターが聞くに値する話だと判断してもらわないと「勝手にやっていろ」と、にべもなく対応される。
バルツはマティの話を重要案件だと判断したのかやっと書類から目を離し、マティを見た。
「聞こう」
新人の冒険者なら逃げ出してしまいそうな程の眼光がマティに向けられるが、長い付き合いですっかり慣れた彼女はさらりと受け流した。
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スープを食べ終えた『銀の剣』の二人と冒険者ギルドの職員の男は、落ち着く暇もない様子で王都へ向けて再度出発した。
何も食べずに夜通し馬車を走らせていると聞いたから、倒れないようにせめてスープを勧めてみたが、やはりというか、ものすごい勢いで完食した。
おかげで俺たちの分のスープまで無くなってしまったが、まあ緊急事態だからしょうがない。
俺は良いが、結局朝食抜きになってしまったアルマが可哀想だ。
「それで、どうするんですかー?」
聞いてきたのはコニーだ。
まだドラゴンがゲーラの街に近づいているという話しかしていなかったな。
俺はまず、『銀の剣』から聞いた情報を皆に伝えた。
ノルデン領から王都領へ向けてドラゴンが飛行しており、このままだとゲーラ上空を通過、そして王都へ到達する。
今の速度だと数日もかからずゲーラの町にドラゴンが現れるらしい。
ドラゴンが町を攻撃するかどうかは分からないが相手が相手だけに何が起こるかわからないとのことだ。
もしかしたらただの移動であり、ゲーラの町も王都も上空を通過するだけで済むかも知れない。
ギルド職員はこの情報を王都へ伝える為に派遣されたようだ。
たまたま『銀の剣』がギルドに依頼を受けに来ていたため移動中の護衛を依頼したと言っていた。
「逃げたほうが良いのでは無いでしょうか?」
「うーん、逃げるとなるとまた王都に……」
エレナは逃げたほうが良いと提案するが、ディーは腕を組んでうんうんと唸って否定的だ。
本当はすぐドラゴンの進路から離れた町にでも行きたいところだが、そのためにはまず王都に戻らなければならない。
王都に戻ったら捕まってしまうかも知れないが、俺達を危険に晒すのはどうかと言ったところで悩んでいるのだろう。
「一旦ゲーラの街に戻ろうと思ってる。冒険者ギルドで情報集めてから離れるか決める」
まず街に戻り、ギルドなどで情報収集を行う。『銀の剣』たちが町を出発してからある程度の時間は経っているし、何か新しい情報があるかもしれない。
最悪の状況ですぐに街を離れる必要が出たら、二手に分かれて補給と家の荷物を持ち出そう。
大急ぎで離れるなら夜通し馬車を走らせればいい。俺たちは御者が出来るやつが何人かいるし可能だろう。
馬を駄目にするだろうから申し訳ないが、背に腹は代えられない。
まあ情報収集の結果、逃げる必要が無さそうならそれで良い。
王都も結局すぐに出る事になったし、あっちへこっちへと忙しない事だ。
「準備出来ました。いつでも出発できます」
話し終わった頃にはアルマとビビが出発の準備を終えて戻ってきた。
「ああ、任せてしまって悪いな」
「いえ。それで、ゲーラの町へ戻るんですよね?」
それはドラゴンに対する不安からではなく、ドラゴンを見れるかも、という期待から聞いたようだ。
普段は論理的に思考するビビは、こういう時には好奇心に負ける。
俺は肺の息を吐き出すと、全員に目を向けて宣言した。
「ドラゴンを見ることは無い。危険なようなら何を置いてもすぐに逃げる。これは今回だけの事じゃなく、今後ずっと心に留めておくように」
ビビはちょっと不満そうだったが、それ以外のメンバーはしっかりと頷いてくれた。




