三十九話 しょうゆ、たべた
「いらっしゃいませー」
武器屋に着いた俺たちを出迎えたのは、明るく響く女性の声だった。
いつものおっさんのやる気の無いだみ声じゃない。
カウンターを見ると、そこには恐らく人族であろう女性が居た。
どこかで見たような気がする。
「……か、可愛い!」
女性は俺達を見て、いや、アルマとビビを見て突然叫びだした。
あ、思い出した。
たぶん初めてこの店に来た時、店員をしていた女性だ。
あの時の一度きりしか見たことが無かったので、完全に忘れていた。
「も、もっと近くで!」
女性はカウンターに足を掛け、乗り越えようとして居る。カウンターの横はあいているのだから回り込めばいいのに。
目線はずっと二人を見つめたまま外さず、最短距離を進むように、とうとうカウンターを乗り越え───落ちた。
「ふぎゃっ」
顔面から落ちた女性は奇声を発して動かなくなった。
俺たち三人は突然の奇行に戸惑うばかりで、助け起こすことも忘れていた。
「いやぁ、すいません、興奮しちゃって」
痛みで我に返ったのか、起き上がった女性はごく普通に謝った。
ただし、その距離はアルマとビビのすぐ目の前だ。
あまりにも近すぎる謝罪は、二人の上半身を仰け反らせている。
「プロプスト武具・鍛冶店へようこそー。私はウラ、よろしくねー」
「は、はい」
そばかすのある素朴な顔に似合わないにやけた表情をしながら、二人の手を取りぶんぶんと上下させる。
ビビはあからさまに嫌そうに返事をしているが、ウラと名乗った女性は気にした様子も無い。
「あの……ドワーフのおっさ……店主はどちらに?」
俺への挨拶は無いようなので、仕方なくこちらから声を掛ける。
以前店番していた時は普通だったはずだが……これが本性なのだろうか。
「ああ、親方? 奥で鉄打ってますよー」
ウラは俺の方をちらりとも見ずに答えた。
そう言われ耳を澄ますと、確かに店の奥からカンカンと音が響いてくる。
とりあえず用件を伝えれば呼んでくれるかな。
「武器の点検と手入れを親方にお願いしたいんですが……」
「点検?」
そこでやっとウラはこちらを振り向いた。
二人の手を離すと、カウンターの奥へと戻る。
今度は乗り越えたりはしなかった。どうやら仕事の話でやっと落ち着いたようだ。
「それじゃ、見るからここに出して」
女性はそう言ってカウンターをとんとんと指でつつく。
「……あなたが見るんですか?」
「こう見えても親方の一番弟子だからねー。腕はちゃんとあるよ」
言ってしまってから、ちょっと失礼な発言だったと気がついた。
明らかに見た目で判断してしまっている。
まあ、あの奇行を目の当たりにしてしまっているから、一概に見た目だけの判断という訳でもないか。
「失礼しました。これです」
俺は剣をカウンターに置き、アルマとビビにも置く様に促す。
「なかなか使い込んでるねー」
ウラはテキパキと点検をしつつも俺たちへ話しかけてきた。
手は止まる事は無い。
手慣れている様子から、腕があるというのは本当の事なのだろう。
「そんな可愛い格好してる割にちゃんと冒険者してるんだね」
「え、ええ、まあ」
そう言えば、二人は今日もメイド服だ。
もし今日冒険者ギルドへ行ったときに討伐にでも行く事になったら、その格好で行くつもりだったのだろうか。
ゴブリンの血は服についたら取れないし、さすがにそれはないか。普段の討伐のときも普通の格好だし。
ウラはビビと雑談しつつも、点検は順調に終わった様だ。
剣を鞘に納めている。
「うーん、ちょっと手入れした方が良さそうだね。急ぎ?」
「明後日には使いたいんですが」
「じゃあ、日暮れにでも取りに来て。それまでに終わらせとくよ」
ありがたい事に優先してやってくれるようだ。
「じゃあお願いします。親方にもよろしく」
「はーい。じゃあねぇお嬢ちゃんたちー」
「は、はい」
俺たちはウラに武器を預け、武器屋を出た。
あの店にあんな人が居たとは知らなかった。普段は何をしているのだろうか。
弟子と言っていたから修行でもしているのだろうか。
「な、なんか怖かったです……」
店から十分離れたところでビビがぼそっと漏らした。
隣のアルマも肩を抱いて一緒に震えている。
そんなに嫌だったのか。
「嫌と言う訳ではありませんが……目が、怖かったです」
「そ、そうか。まあ気にするな」
とりあえず安い慰めの言葉を言ってみたが、効果はない。
話を変えて意識をそらした方が良さそうだ。
「明日の依頼の事をコニーに話しに行こう。一応コニーの装備も買い足しておきたいから、その後は買い物だ」
オヤジの店に着く頃には昼も近い。
コニーに話すついでに昼飯も食べてしまおう。
「オヤジさんのご飯を食べるのも久しぶりですね」
「そうだな」
最近はコニーの料理ばかり食べている。
もちろん美味いから不満なんて無いが。
「コニーから聞いたのですが、最近オヤジさんが新作メニューを開発したらしいので楽しみです」
「へえ、どんな料理なんだ?」
「なんでも、王都で最近流行っている調味料を仕入れたとかで、それを使った料理らしいです」
新作か。
オヤジの事だ、きっとそれも美味いに違い無い。
今日はそれを食べてみよう。
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「こ、これは……」
「どうしました?」
オヤジの新作料理を一口食べた瞬間、俺は驚愕していた。
それは、俺のよく知る、以前はほぼ毎日食べていた味だった。
「――醤油だ」
「はい?」
俺のつぶやきに反応出来たのは、午前で食堂の仕事を抜けさせてもらって一緒に食事をしていたコニーだけだった。
アルマとビビは一口食べて固まった俺を見てぽかんとしている。
「ソイソースという調味料なのですが、ご存じだったんですか?」
「シェフを呼べ!」
「は?」
ソイソースって、もう完全に醤油じゃないか。
これはオヤジにどこから仕入れたのかを問いつめないといけない。
シェフを呼べとは言いつつも俺は席を立ち、カウンターへ身を乗り出す。
オヤジはカウンターの奥の厨房で調理をしている。
「オヤジ! このソイソースってどこで仕入れた!」
「あー、仕入れたのは王都の商人からだけど、元々は東の方にある島国から持ってきたんだって」
答えが返ってきたのは厨房からではなく、俺の後ろの方からだった。
給仕をしていたハンネさんだ。オヤジは何も答えず料理に集中している。
「東の島国……」
醤油があるという事は日本に似た文化を持つ国なのかもしれない。
是非行ってみたい。
懐かしの味を口にしてしまったせいで、今まで生きることに必死で忘れていた郷愁という感情が湧き出てきた。
日本に会いたい人が居るわけでも、どうしても戻りたい目的があるわけでもない。
でも、生まれ故郷というのは、特別なものだ。
せめて、日本に近い文化を持つ国があるというのなら、行ってみたい。
懐かしい文化に触れてみたい。
「なんかお姫様が気に入っちゃって、かなり遠くにあるのにわざわざ輸入を推奨しているとか」
「遠いって、どのくらい?」
「どのくらいかって聞かれると困るけど……かなり遠くよ」
「どうやったら行ける?」
「……もし行きたいのなら、いくつも街を経由して、長い時間掛けて行くしか無いわ」
ハンネさんいわく、馬車で大陸の端まで行き、そこから船で島に渡ればいいらしい。
言うのは簡単だが、とにかく遠いので時間が掛かる。
途中で魔物だって盗賊だって出るだろうし、馬車や食料の用意にも金が掛かる。
長期間街の外で過ごすのなら、馬の世話や馬車の故障への対応、武器の手入れも全部自分でしなければならない。
「……ありがとうございます」
「え、ええ」
ハンネさんにお礼を伝え、俺は席に戻る。
東の島国。醤油のある国。
行くには旅の資金を稼ぎ、旅に必要な様々な事を覚え、魔物の出る危険な道のりを長い時間掛けて進まなければならない。
でも、行きたい。
目の前の生活に必死だったが、ひとつ目標が出来た気がする。
元の世界に戻るなんてのは雲をつかむ様な取っ掛かりのない、出来るか出来ないかすら分からない話だったが、この世界に存在する国に行くのなら、不可能な話でもない。
「どうされたんです?」
「ちょっとね」
突然立ち上がってオヤジに突撃した俺を見て、コニーは困惑していたようだ。
何やら得体の知れない物を見るような目で俺を見ている。
「とりあえず食べたらどうですか。料理が冷めますよ」
「……ああ、そうする」
俺を暴走させたきっかけである懐かしい味の料理を忘れていた。
せっかくだ、考えるのは後にして、まずは目の前の料理を堪能しよう。
いつも美味いオヤジの料理は、今日は涙が出るほど美味かった。
俺はゆっくりと時間を掛け、最後の一口までしっかりと堪能した。




