第三話:こいつの渇望と俺の渇望はぶつからねえ
「ミディアのお嬢ちゃんはよお――」
「……喧嘩を売ってる? 高く買うけど」
すでに前線基地は展開されている。
旦那の軍はちょっと例を見ねえくらいに優秀だ。司令官の俺も優秀だが、それ以前に一般の軍人悪魔の質が違え。大国の従軍経験のある俺から言わせてもらっても、やる気が違う。そりゃ戦力も高いわけだよ。
きっきっき、ここのトップは欲がないからねえ。強欲の俺がそれなりに満たされるだけの褒賞が出るんだ。そりゃ一般の悪魔からしたら相当な高給だろうさ。
国と国の境目の広大な丘陵地帯に展開された軍の数はおよそ千。第三軍のほぼ全てだ。
人族の軍隊と比べればそりゃ数は落ちるが、質はその比じゃねえ。悪魔のスキルはそれこそ、その千倍の人族を相手取ってお釣りが来るほどの戦闘能力を与える。
相手は暴食とその配下およそ三百。きっきっき、一軍の兵の数としては平均的だが、戦闘を魔王が務めることによる士気向上は馬鹿にできないねえし、ゼブルの軍も第五位だけあってそれなりに勇名を轟かせている。
軍の数の差は第三軍と比べれば、三倍近い差がある。普通にぶつかればまず押しきれる数だが、相手の魔王の存在が何よりもやばい。暴食はもともと範囲の殲滅に適したスキルが多い。魔王のそれがどの程度の範囲に及ぶか、俺には予想もできないが多大な被害を被るのは間違いねえだろう。
如何に相手の手の内を見るか、相手の性能を測るかが勝敗の切れ目となってくる。
きっきっき、まぁ、士気という点で言えばこっちも負けてないがねえ。なんたって、たった一人とはいえ、いつもは城を守っているミディア・ルクセリアハートがいるんだ。きっきっき、面だけはいいし、色欲だ。
もしかしたらおこぼれに預かれるかもしれねえからなあ。そりゃ士気も上がるってもんだ。
その肝心のミディアは、いつものしかめっ面で色気のかけらもねえ丈長の純白のローブをつけている。肌色が足りないねえ。まるで修道女みてえだ。
「――嬢ちゃんはよお、もっと色気のある格好をするべきだねえ。士気にもかかわらるぜえ?」
俺の心からの忠告を、嬢ちゃんは鼻で笑う。
「余計なお世話だ。デジ、何度も言うけど私は……そういった目で見られるのが吐き気がするほど嫌いなのよ」
確かに何度も聞いている。が、その発言はとても色欲を司ってるようには見えないねえ。何かの間違いなんじゃねえのか?
悪魔の欲は決して飾りじゃねえ。
クラスを得るとその職の道が開かれるが、これは通常、一本道じゃねえ。複数の道が枝葉となって分かれていて、どの道を歩むかは個々人の意志によって決まる。当然、どの道を歩むかによって使用できるスキルも決まってくる。
スキル系統樹ともスキルツリーとも呼ばれる基本的な概念だが、そういう意味で言うと、悪魔のクラスには8本のスキル系統樹がある。即ち、怠惰、強欲、色欲、憤怒、暴食、嫉妬、傲慢の原罪と一致している7本と、基本的な悪魔の能力を司る基本ツリーを合わせた合計8本
それははいわば運命の道標だ。それを順番に辿る事でより強力なスキルを得られるが、悪魔のクラスのスキルツリーはスキルを使ったり経験値を貯めれば前に進める、普通のクラスのスキルツリーとはちょいと違う。
悪魔のスキル系統樹は、欲を成すことによってのみ深淵を覗くことが可能な設計になっている。それは、それぞれのツリーの一番最初のパッシブスキル……自動発動スキルである『原罪の渇望』による枷だ。
そのスキルによって、俺らはただ単純にレベルを上げただけじゃ使えるスキルが増えねえ。
強欲を満たす事により強欲のスキルツリーを、色欲を満たす事により色欲のスキルツリーを成長させる事ができるようになる。
そういう意味言うと、お嬢ちゃんはちょっとばかりストイックすぎる。
きっきっき、そんなんで色欲のツリーを進められるのかねえ。色欲を司っていない俺にはさっぱりわからないが。
だがまあ、所詮こっちは素人か、口出ししないでおこうかねえ。余計な口出しして、まだ殺されたくねえしな。
「きっきっき、まあ、あんたの道はあんたのもんだ。せいぜいうまく戦うこった」
「言われなくても。褒賞は私がもらう」
「……おいおい、そりゃ聞き捨てならないねえ。軍を出したのは俺だぜ?」
いくら強いとはいえ、たった一騎で独り占めたあ、さすがに強欲の俺もびっくりだ。大体、あんたの力は……戦闘向きじゃねえだろ?
幻想魔影のミディア
悪魔の中で最も有名な連中は魔王だが、そうでなくても将軍級の悪魔となれば名も四方千里に轟く。
その名はレイジィの軍の中でも三指に入る程に有名だ。きっきっき、俺だって旦那の配下に加わる前から知ってるぜ?
なんで色欲の属性を持つ悪魔が堕落の悪魔の配下に加わってるのかは知らんがねえ。
たとえ戦闘向きではなくとも、並の悪魔が相手ならば圧殺できるんだろうが、今度の相手は並の相手じゃねえ。悪食の魔王相手では相手が悪いと言わざるを得ないねえ。
ミディアがちらりと俺の背後に佇むスロータードールに視線を向ける。
スロータードールはまだ名すらないにもかかわらず、すでに並の悪魔を遥かに超越した戦闘能力を誇っていた。俺の集めた希少な武具さえ装備させればまさに一騎当千。
如何に術者の力が異常かがわかるってもんだ。
だが、すぐに心底興味なさげにミディアがこっちを向く。
「武具なんていらない。宝具もいらない。お人形も必要ないし、地位もいらない」
「おいおい、それじゃあ何を欲しいっていうんだ?」
「私は色欲。欲するのは色のみ」
なるほどねえ……面白え。
その一言ではっきりわかる。こいつの容する原罪は、ただ単純に物や力を求めるこの俺よりも遥かに罪深い。
だが、いいだろう。こいつの渇望と俺の渇望はぶつからねえ。そういうことに今はしておいてやろう。
ビジネスパートナーとしてはこれ以上の踏み込みは……不要だねえ。
「俺とお前の欲望は競合しねえってことか。まぁ、いいだろ。その言葉、信じるぜえ? 後ろから撃たれて終わりだなんて一番興ざめだからなあ」
釘を刺す。
悪魔の軍勢なんざ、意志のぶつかり合いで簡単に味方が敵になるからなあ。
きっきっき、おまけにミディアは俺の軍入りを最後まで反対していた悪魔だ。備えはありすぎてもすぎるってことはねえ。
まあ、正面からの戦闘で言えば魔王級の武具を揃えた俺に勝てるわけがないがねえ。
せいぜい犬死にしないようにその力を発揮してもらおうかねえ。魔王を相手に自ら出ると啖呵が切れるくらい凄まじい力があるんだろお?




