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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter10.飢餓(グラ)

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第二話:食欲が戻ったらなあ

 状況の転換はいつだって唐突だ。


 いくら知覚が途方もなく広い魔王(デーモン・ロード)といえど、未来を予想する事はできない。

 去年の僕はまさか飢えがなくなるなんて予想だにしなかったし、ここまで動けなくなるとも考えていなかった。


 渇望を抱く悪魔にとって、渇望とは生きる気力。其の意味を復活直後の僕はまだ解っていなかったのだろう。

 飢えのない世界はまるで夢であるかのように現実感がなかった。

 新たな世界ではあるが、それは僕にとって地獄と遜色がない世界でもあった。


 ただ偶然に辿り着いた赤獄にある小さな街。そこで僕は力尽きた。もう何もやる気が無くなり、その辺でカフェで倒れこんでどれだけの時が過ぎたのか、数える事すら忘れていた。

 計画は立てていたはずだ。だが、心の中にぽっかり穿たれた奈落がそれを許さない。

 何もかもつまらない。僕にとって食欲は耐え難き欲望と同時にこの上ない娯楽だったのだろう。

 行きずりの薄汚れた店のテーブルの上で突っ伏すという行為は怠惰の王を笑うことができない程に無為な事だった。


 初めは誰かが話しかけてきていたが、身動き一つしない僕の反応に飽きたのか、すぐにそれもなくなった。スキルもいくつかこの身に受けたような気もするが、僕の状態に反して研ぎ澄まされた暴食のスキルはその全てを無効化している。


 飢えはない。にも関わらず、力は未だ絶えることがない。力が減っていない。いや、むしろ何も食らっていないのに増加の傾向すらある。


 それは、僕が死の淵から戻って分かった数少ない事実の一つで、同時に驚愕すべき事でもあった。

 別に僕は力を得るだけのために食らっていたわけではないが、何もせずに力を得ることができてしまうのならば、それは僕が今まで成した事に意味がないということだ。


 ただ、うずくまり、静かに暗闇の中でその意味を考えていた。ずっと存在を揺さぶり続けていた渇望がなくなった今、考える時間は腐る程あった。


 後少しで何かをつかめる予感さえある。


 だが、今日はどこか周囲が騒々しかった。


 轟音。光。どこか懐かしい魔力の波動が世界に満ち満ちる。それを、僕の知覚が否応なしに感じ取る。


 何かアクシデントでも発生しているのか。悪魔とは言え、平時ならば街は静かなものだ。特に僕がたどり着いた街は主要都市でもない、ただの辺境の街だった。敵対する魔王と接している領ならばともかく、ここは前線でもない。そうそう襲われるようなこともない。


 だが、逆に言うのならば、たまにならば襲われるという事もあるという事でもある。大魔王配下の魔王の治める街を襲撃する命知らずの馬鹿は一定で出るもんだ。

 僕の五感に入ってくる情報は街が戦火に巻き込まれているという事を如実に伝えていた。


 しかし、周辺で巻き起こった力の発露も轟音も、身体にかかる負荷もまるで意味のない刺激だ。


 魔王である僕を傷つけられる程ではないし、どうせ――


 ――どうせ食べられないし。


 誰かが死んだのか、いくつもの力が消え、いくつもの力が大きく膨れ上がる。

 恐らく衝撃の余波だろう、身体をずっと支えていたテーブルが吹き飛び、身体が地面に投げ出される。それにもまた興味がない。

 地面に投げ出されたまま僕は、ただ万全と舌を出して地面の味をみた。


 ……不味くはない。決して不味くはないが、全く食欲がわかない。

 復活してから様々な食べ物を前にしてきた。だが、未だ僕の飢えは戻る気配がない。


 食べられなくはないが食べたくない。そんな感情は僕が生まれてこの方、ほとんど味わったことのない類のものだ。

 それは、怠惰の王に感じた類のものでもない。あれはマイナスの感情だったが、今僕が感じているものはきっと零だった。


 暴食を司らない悪魔でも、時間経過で空腹を感じるらしい。その情報から、自分の異常事態を楽観視していたが、今の僕にはこの状態がそういうレベルの問題ではないという身にしみて解っていた。


「……はぁ、どうしちゃったんだろう……この僕がここまで何も感じないだなんて」


 こうなってしまうと俄然、悪魔ではなくなってしまったのかもしれない、などという自虐が真実性を帯びてきてしまう。

 これは嘘から出た真って奴なのかな……


 しかし、本当にどうしたものか……


 そんな事を考えたその瞬間、首根っこが掴まれ持ち上げられた。僕の身長はそれほど高くないので、大柄の悪魔なら特に苦労しないだろうけど、声一つ掛けられずにいきなりってのが凄い。

 ずっと太陽光を遮っていたフードが取れ、持ち上げてきた相手の顔が見える。

 頭頂に生えた巨大な巻角と、六つの目が特徴的な悪魔だ。それは、仲間を全て失った僕にとっては久方ぶりにあった顔見知りだった。

 レイジィの配下の強欲くん。僕が食らおうとして食らえなかった数少ない存在だ。

 だが、こうして曾て美味しそうだと思った相手を眼の前にしても今の僕では何も感じない。


 強欲くんの目が一瞬僕の顔を無感情になぞる。六つの目から出た視線が僕の視線とつながる。

 刹那の空白。強欲くんは何も言わないまま、無表情のままで、僕の身体が思い切り浮いた。


 投げられた。まるでボールでも投げるかのように容易く、躊躇なく。


 ひっどいなぁ……わざわざ持ち上げといて放り投げるなんて――


 回転でもかけたのか、くるくると視界が回る。凄まじい風、三半規管を揺らす衝撃に、特に何の感情もなく、僕は久しぶりに身体に力を入れると、タイミングを見計らって地面に着地した。

 衝撃を流しきれずにそのまま数メートル地面を擦り、ようやく止まる。ずっとつっぷしていたので、久しぶりの世界は視界に眩しい。


 例え渇望を失ったとしても、それは強欲くんには関係ない事だ。

 せめてものプライド。無様を表に出さぬよう、声を引き絞ったがその声はやはり、どこか疲れたような色が濃い。


「……やれやれ、酷いことをするね……知り合いに……」


「な、な、なんでこんな所にてめえがいるんだ!!」


「ふふ……なんでだろうね」


 あまりの狼狽ぶりに吹き出す。

 良い反応だ。良いリアクションをしてくれる。相変わらず悪魔悪魔している外見だ。強欲くんの姿形はもちろん、仕草も以前見た時と何ら変わらない。

 レイジィもこんな反応してくれたらいいんだけど……


「むしろ僕はなんで強欲くんがこんな所にいるのか気になってるんだけど……奇遇だねえ」


「こんな奇遇……いらねえ。旦那、本当に勘弁してくれよ……」


 嫌われたもんだね。ふふ、少しコレクションを食らっただけだってのに……心の狭い子だ。

 まぁ、今の僕にはそれすらできないだろうが。


 リアクションに救われ、ずっと最底辺を引きずりまわっていたテンションが少し上がってきた。


 ようやく僕は状況を確認した。


 鼻をひくつかせて匂いを感じ取る。

 強欲くんに、彼に背負われた一人の少年悪魔――これも強欲くんか。ふふ、感情奪取系の匂いがする。他の悪魔はいないね。エアーポケットのように、ここら一帯は空白地帯になっているようだ。


 だが、それよりも問題となっているのは敵だろう。

 敵……獲物、か。いい響きだね。


 視界を横にずらす。

 二人の彫像のような男。純白の神衣を纏い、一対の光の翼を背に背負う巨体。天の御使。昏い殺意を銀の目から放つ悪魔の天敵が、この魔界のど真ん中で何ら躊躇することなく佇んでいた。

 一人を複製したかのように瓜二つの、しかし共に強大な気配を纏うそれは、悪魔に取っての一種の恐怖の代名詞でもある。

 悪いことをしたら天使が来るぞ、ってね……ふふ


「天使二体……ふふ、天使の姿を見るなんて久しぶりだなあ……食べられないのが悔しいよ」


 不自然なまでに混じり物の一切ない純白の、光の気配。

 長久の時を生きている僕でもほとんどお目にかかったことのない上位天使のそのまた上位。


 『聖王(セイント・ロード)』のクラスの天使だ。


 あたりを侵食する光の気配は魔王の持つ『混沌の王領(アビス・ゾーン)』の正反対。

 天使の王のみが持つ『秩序の神域パラダイス・フィールド』のスキルに他ならない。


 神気は悪魔の持つ魔力を払う破邪の法則を持っている。

 僕らは天使の構成した領土の中では満足に力を振るえない。


 天使二体の視線は予期せぬ乱入を果たした僕を向いていた。

 そんなに見られても……僕の意志じゃないよ。ふふ、僕はただ投げられただけだ。

 ああ、投げられただけだとも。恨むならそこの強欲くんを恨むといいよ。


 魂を揺さぶる天使の殺意に僕の本能が刺激される。食欲ではない。それはきっと他の悪魔が戦闘本能と呼ぶものだろう。

 強欲くんが叫ぶ。


「ゼブル、一応忠告しておくが、逃げたほうがいいぜ! きっきっき、さすがに二人相手は荷がきついだろうよ」


 自分で投げておいて酷い言い草だ。

 だけど、それは見当違いってやつだよ。


「ふふ……誰にものを言ってるのかなあ?」


 僕は無敗の王だ。いや、レイジィに負けたからそれで一敗かな。

 十万年以上の時を生きて一敗。食らった数は既に覚えていない。敗走もなく、敗北もない。


 それは幸運だったということももちろんあるけれど、それ以上に僕の暴食(グラ)の性質が攻撃力に特化していたということが大きいだろう。


 スキルの発現は一種の高揚を伴う。僕は何も言わずに、久しぶりにそれを行使した。


 ――ふふ、悪いね、ヴァニティ。もらうよ。


 自身を中心に発生した闇の気が、神域を犯す。

 何もかもを喰らい尽くすような底知れない奈落、飢餓を思わせる暗黒の力は、張本人である僕の渇望が消え去っても尚、健在だ。

 天使二体の張り巡らせる聖域を一瞬で押し流し、白を黒で染め上げる。

 抵抗すら許されないそれこそが、飢餓を失った今の僕がそれでもまだ王である証。


 万物尽くを喰らい尽くし侵し尽くす暴食の悪魔の御業。


「信じられねえ……神域を食らっただと!?」


「ふ……食らってなんかいないよ。ただ、僕の方が強かった。それだけの事」


 神域を打ち崩された天使の銀の目が光を放つ。

 恐怖はない。ただ僕に対する戦意だけにぬらぬら光るそれは悪魔が戦闘時に抱くものと何ら変わらない。

 極光が手の平に集約される。魔界の太陽が放つ紅蓮のそれとは異なる白の光。詠唱もなく、其の速度は疾風迅雷の如く、流れるような動作はそれなりに撃ち慣れている事を思わせる。

 一瞬で看破する。白黒の戦争の記憶はまだ如実に残ってる。最近現れていなかったからといって、その性質はそう簡単に忘れる類のものではない。


 ああ、あれは――


 唇を舐める。食欲がないのに唾が出た。


 ――楽しかったなあ


 ぞくぞくするような高揚が足元から背筋を駆け登る。想起される記憶の全ては『美味しい』の一言にまとめられる。

 素晴らしい一時だった。なんで終わってしまったのか、とても惜しいくらいに。 


「ふふ……君達は『正義(ユースティティア)』の天使か」


「…………ッ!」


 力の集約から解放まで僅か数秒。速射性と悪魔を滅する高い攻撃力が特徴の属性。

 目を開けていられない程の凄まじい密度の光が放たれた。

 躱すまでもなく身体に大きな衝撃が奔る


 天使の力は悪魔のそれとは異なる。とにかく速い。

 まさに光に匹敵する速度。どんなに速度があっても逃げきれないそれは天の裁きの名に相応しい。


 相応しいのだろう。

 きっと。


「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」


「……!?」


 光が消える。


 笑いが止まらないよ。

 天使の面が、殺意に一瞬驚きが混じった。何故か逃げることなく路地の端っこに身をひそめていた強欲くんが目を見開いて僕を見ている。

 僕の身体には傷ひとつついていない。


「君達……馬鹿なんじゃないかなあ? 暴食(グラ)相手に放出系のスキルなんて……ふふ、『愚の骨頂』ってやつだよ」


 大きな穴が空いてしまった外套を脱ぎ捨てる。

 中に着ていた漆黒の魔衣は暴食のスキルで生み出した『食らう衣』だ。

 物事には相性がある。暴食は物理系の攻撃に弱いが魔法系の攻撃にはすこぶる強い。それは天敵たる『光』が相手でも同様。

 ブラックホールのように光を飲み干した黒衣は太陽の光を受けても、ただ黒かった。


 しかし……やっぱり美味しくなかったな。一万年前はあれほど美味しく感じていたはずなのに……


 凄く残念だけど、でも仕方ない。

 食べられなくとも、天使は悪魔と争うものだ。

 ふふ、僕もそのセオリーに一つ乗らせてもらおう。

 手の平を二体の天使に向ける。


「光を食らう闇を見せてあげるよ」


 其の言葉をきっかけにしたかのように、天使の翼から再び光が放たれる。


 だがその時には既に飢餓の波動を放っていた。じわじわと侵食するそれは、僕の魂が求める飢えそのものだ。最も長い間、僕につきまとい従ってきた呪縛でもある。


 光が濃い闇の中突き進むうちに、闇に食われ消え去る。

 無味無臭の味がエネルギーを伴って身体に変換される。初級のスキルに殺られる程、甘くない。


 身体から無数の『触手』を生み出す。二本の腕では喰らい足りなかったからこそ、生み出すことになった僕の『手』を。

 其の数、百。天使の手足の数はもちろん、強欲くんの手の数よりも遥かに多い。


 天使の表情が嫌悪に歪む。いい表情、いい表情だよ。


「じゃ、始めようか」


 十本を移動に。九十本を攻撃に。

 束ねられた触手を鞭のようにしならせ、天使を真横に払う。

 触れる気はないのか、二体の天使は同時にその翼から光を放ち、垂直に飛び上がって躱す。

 天使の売りの一つは、下級天使でも残らず持っているその天翼――機動力だ。

 そしてそれは、遠近問わぬ攻撃手段を持つ暴食(グラ)の悪魔と非常に相性がいい。


 真横に払うと同時に上空にのばした別の触手から、天使に向かって垂直に振り下ろす。

 別の触手を伸ばす。僕ほどになると、触手の数も『長さ』も自由自在、変幻自在だ。


 上空から振り下ろされたそれを天使がぎりぎりで真横に躱す。

 交わしたと同時に手の平から先ほどの倍はある巨大な光球(ノヴァ)が放たれた。 

 その数、数十。無数の破壊のエネルギーが町並みを変える。狙いを禄につける事なく放たれたそれは建物にぶち当たり、極光を放ち爆発する。

 地が大きく揺らぐ。地形を変えるほどの力。だが破壊力を上げれば速度は下がる。光よりも遥かに落ちる速度で迫るそれを躱せぬ道理はない。


 足元の触手に力を込め、地面を穿った。

 襲来する光球を尽く躱す。ゾーンの内部は全て知覚している。場所もわかり、速度も高くない光球など目を瞑っても避けられる。

 そのまま、筋肉の塊でできた触手の力を受け、僅か一歩で上空に浮かぶ天使の真下に移動する。もちろんその間も宙の天使を狙う『(触手)』は止めない。

 天は君達だけのものじゃない。その気になれば僕は蜘蛛の巣のように自分の手を張り巡らせられる。


 僕の食欲からは何も逃れられない。


「うげ……なんて無茶苦茶な事しやがる……」


 強欲くんが若干引きつった表情で呟いたのが微かに聞こえた。


 無茶苦茶?


 ふふふ……王の戦いなんてそんなもんだ。

 僕はむしろ君の主の方が無茶苦茶だと思うね! 今思い返してもあの味は忘れられないよ!

 

 天使の意識が宙の手に向いた瞬間に、大きく地を蹴りあげた。

 機動に使っていた触手を攻撃に回す。真下から襲来する無数の触手に、一体が触手を牽制、もう一体の天使が手の平を僕に向けた。

 今までで最も強い光が手の平に集約する。


 ふふ、ここまで言ってもまだ放出系スキルに頼るなんて……

 もちろん、文句など言うべくもない。それの責任を払うのは君達だ。

 それに合わせるように両手を前に出す。


裁き光ジャッジメント・レイン


「空喰の闇」


 光と闇が再びぶつかり合う。

 光が闇を貫かんとし、闇が光を飲み込まんとする。それはある意味天使と悪魔の縮図だ。


 その光から感じるエネルギーは間違いなく王のクラスの代物で。

 それ故に還元される力も大きい。


 闇が光を飲み込み更に勢いを強くする。

 奪うことにかけて強欲(アワリティア)は天下一品だが、喰らうことにかけて暴食(グラ)の右に出るものはいない。

 それでも、コレほどのエネルギーならば喰らいきれないだろう。あくまで闇の力は光の力に一歩劣る。

 同格の王の力同士がぶつかれば悪魔が破れるのは必至で、それは僕も痛いほど知っている。


 だから仕向けている。無数の触手を。


「ふふ……よそ見は良くないよ」

 

 天使の手を真横から回していた触手が貫く。同時にこちらに向けられていた光の放出が方向をずらされ明後日の方向に破壊を及ぼした。

 天使の表情に一瞬怯えが見え、それが消えぬうちに僕の放った『喰らう闇』に飲み込まれた。


 声にならない悲鳴が天使の口から響き渡った。

 ぞっとするような絶叫。闇を通して天使の力が僕に流れ込んでくる。恐らく、今の彼は全身をすりおろされるかのような激痛を受けている事だろう。


 そのまますれ違い様にその顔面を手の平で掴みあげた。

 表情は見えない。だが、容易に想像がついた。それはこれまでもずっと向けられていた表情のはずだから。

 だから、僕はいつも通り感謝を込めて呟いた。


「ご馳走様」


 天使の巨体が一瞬で僕の腹の中の治まる。魔力の残滓だけが唇から僅かにこぼれ落ちた。

 やはり味はしない、か。力はちゃんと上がっているみたいだけど、味気なさすぎるよこれ……

 そのまま重力に従い、地面に着地した。喰らう衣を纏っている以上、砂埃などは付かないが癖でパンパンと衣の裾を払う。


 もう一体の天使は既にこの場にいない。解っていた。

 天使が『裁き光』を放った瞬間に逃走したのだ。もし、もう一体が残っていたなら、触手で手を撃つ事はできなかっただろう。そして、味方の逃走を受けても、裁き光を放った天使の感情は微塵も揺るがなかった。


 それはつまり、もともとそういう予定だったって事だ。


「ふ……物分かりが良すぎてつまらないな……」


 宙に浮かんでるならともかく、直線距離の飛行で天使に追いつく術はない。

 そもそも、味がないのに追う気も起きない。じわじわと身を焦がしていた戦闘本能、闘争本能は一体の天使を食らったことでそれなりに治まっている。


 以前の僕だったら眼の前の食料を追わないなんてありえなかったけど……まぁ、こういうのも悪くないんじゃないかなあ。


 瓦礫の山になっている町並みを見回し、角からこちらを覗いている強欲くんを見つける。

 相変わらず大した度胸だ。元敵、元魔王たる僕を眼の前にして、恐怖を抱かないなんて将軍級の悪魔でもそうそうできることじゃない。


 まぁ、それでも、所詮この強欲くんはそれだけの存在なんだけど……


「きっきっき、相変わらず馬鹿げた力だ……」


「ふふ……王と言っても、大した天使じゃないよ」


 魔王もピンキリなように、聖王もトップとダウンの差が激しい。

 その中でも先ほど出会った王は――小物だ。

 まぁ、それでもそうそう魔界で出会える存在(たべもの)ではないことは間違いないけど。


 僕は大きくため息をついて、自分の腹を撫でた。


 あー……食欲が戻ったらなあ。

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