第三話:別にニートなわけではない
自慢じゃないが、俺も別にずっと寝ているわけではない。
腹が減れば飯も食うし、掃除をしてもらう時はベッドからだって降りる。
そう、俺は働かないだけなのだ。別にニートなわけではない。
「……最低ですね。それを世間ではニートと呼ぶのですが」
「不労所得だ」
「いや、別にただでその生活をできているわけじゃないですよ!?」
俺にとってはただみたいなものだ。
別に頓着はしていないが、ベッドはできるだけふかふかの方がいいので掃除の時間だけはベッドから降りるようにしている。日替わりで寝室を変える案もあったが、廊下を歩きたくなかったので却下になった。そこまでしてふかふかのベッドを求めてねえよ。
悪魔に転生してよかったと思う最大の理由は、いくら寝ても寝起きに頭痛がしない事である。
俺は大きく伸びをしてベッドから起き上がると、大きながっしりした木でできた安楽椅子に腰をかけた。
お気に入りである。それなりに年代物で値打ちがあるらしいが詳しくは知らない。腰をかけて前後に揺らすとまるで揺りかごの中で揺られていた赤ん坊の頃を思い出す。そして眠くなる。
「おい、かけるものだ」
「はい。どうぞ、魔王様」
掃除をするために来たメイドが満面の笑みで毛布を渡してくる。
これだ。これこそが仮にも魔王と呼ばれる存在に相応しい対応というものだろう。
魔王というのはただ名ばかりでなく、臣下もいるし領地もある。
大魔王から下賜されたものだが、そんなのはどうでもいい。肝心なのは、この下賜された臣下達が皆俺の世話をしてくれるという事だ。
自慢じゃないが、俺は掃除も洗濯も料理もできない。俺にできるのは寝ることだけだ。
礼を言ってそれを受け取り、安楽椅子の上でそれに包まる。
そんな俺を、大魔王の手先が突き飛ばした。
椅子から凄い力で突き飛ばされ、身体が浮き、壁に頭から激突する。
馬鹿力だ。俺は吹き飛ばされる度に、遠い昔人間だった頃の記憶を思い出し、ここが異世界であるという事を実感するのだ。
だんだん、この女の俺への扱いが落ちていっているのは気のせいだろうか。
「ちょ……魔王様!? だ、大丈夫ですか!?」
「ああ」
「いい加減にしてくださいッ!!」
女が地団駄を踏む。それだけで結界に守られているはずの床がぎしぎしと軋んだ。
鬼のような表情だった。えっと、こいつが来てからどれくらいたったっけ。
メイドに脇を持ち上げられ、なすがままに椅子の上に設置される。
メイドはそのまま指を大魔王の手先につきつける。
魔王の臣民なので、当然メイドも悪魔である。属性は知らない。ついでに名前も知らない。
俺は他者の名前を覚えるのが苦手だった。基本的に余り興味がないのだ。
「いい加減にするのは貴方です、リーゼ・ブラッドクロス! いくらカノン様の直属の監察官とは言え、魔王様に対してその態度、不敬にも程があります!」
そうか。この女、リーゼって名前だったのか。
そう言われてみれば、初めてここに配属された時に自己紹介していたような気がする。
「はぁぁぁぁ!? あ、貴方達がそんなんだから、この魔王様はいつまでたっても働かないんですよ!?」
さすがに、その暴言には俺も口を出さざるを得なかった。
「いや、こいつらが居なくても俺は働くつもりはない」
「さすがレイジィ様!」
メイドがきらきらした尊敬の瞳で俺を見た。彼女は俺が彼女の名前すら知らない事を知っているのだろうか。
そして、彼女は一体俺のどこに尊敬しているのだろうか。
まぁ、全てはどうでもいいことだ。
俺は諦観の想いで眼を閉じた。
「ちょ……寝るなぁああああ! 今起きたばかりでしょおおおお!?」
「リーゼ、魔王様はお休みになられています! 静かにしなさい!」
「ああああああ! なんで貴方達、この魔王様にそんなに甘いの!? てか、なんでこんなのが魔王なの!? ただ寝てるだけじゃない!」
ああ、うるさい。
もう。何もかもが面倒くさい。
悪魔は多いが、魔王は少ない。
魔王か否かの判断基準は簡単だ。
クラス『魔王』
それの有無が魔王の分水嶺である。
クラスというのは、前世では存在しなかった概念ではあるが、簡単に言えば職業みたいなものだ。
クラスにつくことでこの世界の人間は様々な意味不明な超能力のような力……スキルと呼ばれるそれを何種類か使えるようになる。詳細は知らないし、どういう理屈で使えるのかもしれないし、本当にそんな理屈があるのかも俺は知らない。大切なのはクラスと呼ばれるものを手に入れることで、便利な力を使えるようになるというただ一点である。努力もせずに。
そして、転生者は特殊なクラスを振られるパターンが多い。勇者だとか英雄だとか、賢者だとかもクラスである。
俺の場合は生まれた時から『悪魔』というクラスを持っていた。
それが長年自堕落な生活をしていたらいつの間にか『魔王』というクラスに変わっていた。クラスが変化するのはよくある話らしい。誰かが上級職? とか言ってたような気がするがよく覚えていない。
ともあれ、俺は結局の所何の努力もせずに魔王になり、降って湧いたような幸運で意味のわからない力を自由に使う事ができる。
そういう意味では、この女の言う問いに対する答えは簡単だ。
ただ寝ていたら魔王になっていた。俺の意志じゃない
そうとしか言いようがないし、それ以上の答えも持っていない。
面倒だから口には出さないが。
女が焦れたように胸を張って荘厳な声で叫ぶ。
「魔王レイジイ・スロータードールズ! 大魔王様の直近、『黒の徒』の一員として、大魔王『カノン』の名の下に命じます! 軍団を率いて炎獄に向かい、敵対している魔王、グランザ・エスタードを滅ぼしなさい!」
「やだ」
何故、どうして、俺がわざわざどことも知れない場所に行かなければならないのだ。
「は? 大魔王様の名の下の命令を拒否するってんですか? 貴方は? それがどういう意味だかわかってるんですか?」
「……」
どうでもよかったので知らんと答えようと思ったが、面倒になったのでやめた。
性格の不一致。俺はこの女と分かり合える気がしない。無駄な事は嫌いで、面倒な事はもっと嫌いだ。俺が愛しているのは睡眠と暇であり、それ以外は割とどうでもいい。
ちょいちょいとこちらを見守るメイドを呼んで一言だけ言う。
「よは」
「……畏まりました」
メイドが恭しく頭を下げる。
そのままぱたぱたと足音高く出て行ったので、俺はようやく再び眼を閉じかけて、また頭を殴られた。
凄まじい膂力だった。お気に入りの安楽椅子が尻の下で砕け散り、床にみしりと罅が入る。
女の腕は細い。青瓢箪と表される俺と同じくらいの太さしかない。
が、ここはあくまでファンタジーな世界であり、見た目と力が比例していないのだ。
はぁはぁ目を吊り上げ、顔を真っ赤にする女をチラ見して、お気に入りの椅子がなくなってしまったので、俺はその場で横になった。
ベッドにはまだ入れない。これから干すのだ。そして、ベッドの上に這い上がるのも面倒だ。
女はその場で横になった俺を唖然とした表情で見た。
「……は、はぁ!? あ……貴方……そ、そこまでですか!? な、何とか言ったらどうです?」
非常に面倒な女だった。
特にすぐに暴力に訴えるのはよろしくない。ついでにこの女、カノンの直系だけあって並の悪魔よりも大分強い。悪魔はいくつかランクがあり、一般的な悪魔と魔王の他にもいくつかあるが、その中で言う魔王の一個前くらいのランク……将軍級の力くらいはありそうだ。この世界はファンタジーな世界ではあるが、品性と地位が見合っていない者がいる点では前世の世界と何ら変わらない。まぁ、実力的には見合ってそうだが……
面倒臭え。
「暴力反対」
裾を掴まれてガクガク前後に揺らされる。
頭二つ分ちっこい女に恫喝されている男の図が出来上がる。だが、所詮この程度で俺の眠りを妨げるのは……無理だ。
「は? この状態で眼を閉じる!? ありえない、ありえない、何なんですかこの魔王ッ!!」
ペシペシ頬を張られ、いい感じのボディブロウが入る。
アッパーで顎を撃ちぬかれそのまま蹴りが入る。流れるような動作は洗練されており、こいつが人を殴り慣れている事を連想させた。
こいつ……仮にも出向先の主に容赦がねえ。
衝撃の余波で羽毛布団が弾け、派手に中の羽が飛び散る。
カノンのやつに請求書だな……もっとも、やるのは俺ではないが。
だが、所詮この程度で俺の眠りを妨げるのは……無理だ。
別に俺が痛みに強いわけではない。ダメージがないのだ。
ここが日本と違う事で、前世よりも大分システマチックにできているこの世界には万物にHPと呼ばれる値が設定されており、これが減らない限り身体には傷がつかないし痛みもない。
普通や蹴りやスキル何かでHPが減るのだが、ここで頑強性による判定がかかる。簡単に言うとバイタリティ……VITが高ければ高い程ダメージが減る。
この世界は全てがパラメータでできており、それによって明確な格差ができる。面倒な事だ。
そして仮にも魔王である俺のVITはやたらと高かった。女の攻撃は尽く俺のVIT判定に阻まれ、俺の身体には赤ん坊に殴られる程のダメージもない。
そりゃ眠くもなるもんだ。
しかし鬱陶しい女だ。こいつの属性は一体何なんだ?
ほんの少しだけ興味が沸いた。
「お前、属性は……」
そこで俺はため息をついた。ごろりと寝返りを打って視線をそむける。
「と・ちゅ・う・で・と・め・る・なあああああああああああ!」
本当にやかましい奴だった。俺はそこまでお前に興味がない。
口を開くことは開くんだが、途中でどうでもよくなるのだ。
女の脚が無防備な俺の体幹を踏み抜く。顔をまるでサッカーボールのように蹴っ飛ばし、剣が俺の頬に押し付けられた。
刃物まで出してくるんじゃねえ。何も言うつもりはないが……
数分後、散々身体を動かして疲労困憊の大魔王の手下とノーダメージの俺だけが残った。
「はぁはぁ……この男……分かっていたけど……か、硬い……」
当たり前だ。VITが高くなければ周囲に邪魔をされて眠れない。
俺のVITはやたら高く、高温、低温、毒、麻痺などありとあらゆる属性、状態異常に極めて高い耐性がある。
別に生まれつきそういうわけではない、魔王のクラスが持つスキルにそういうスキルがあるのだ。
まぁ詳細は面倒なので今は省くが。
女が愕然と自身の手の平を見る。
「これが……『怠惰』の魔王……」
刮目して聞き、見て、感じるがよい。我が力を。
そして願わくば、もっと静かにしてほしい。きっとそれが全員が幸せになれる唯一の道であるはずだ。




