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堕落の王【Web版】  作者: 槻影
Chapter9.簒奪(アワリティア)

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第二話:強欲の意味

 魔界のほとんどは平野だ。

 一部を除いて起伏はほとんどなく、荒れ果てた大地だけがただどこまでも広がっている。

 俺達の視力ならば真っ直ぐに引かれた地平線をはっきりと覗うことができるが、俺達の中ではそんなのは気にしている者はほとんどいない。


 そんな暇があったら少しでも欲望を満たす。それが悪魔の存在意義であり、価値なのだから。


 だが、同時に俺はこの魔界に長く君臨するもの程、幾ばくかの寂寞を込めて地を睥睨することを知っている。それは、悠久の生を生きた者だけが達する一つの境地なのだろう。


 魔界の地はそれぞれ地に満ちる力によって分けられる。

 即ち、それは長きに渡り、君臨する悪魔の王の力の影響を受けた結果であり、赤獄の地も曾ては強力な憤怒の魔王が君臨していた地だった。今は既にその魔王は討滅され、大魔王であるカノンに与する傲慢を司る魔王が統括する地となっている。


 序列第四位。

 卑慢のヴァニティ。

 禿頭(とくとう)の大悪魔、ヴァニティ・サイドスローンが支配する地だ。


 寡黙な男悪魔で、傲慢にして何も語らず、その腕っ節だけで跪かせてきた生粋の戦士でもある。

 傲慢は傲慢でも、ゼブルに食われた二人とは格が違う強靭且つ古参の悪魔だ。


 元同じ大魔王軍とは言え、別の魔王と出会う機会はほとんどねえ。

 俺も遠目でしか見たことがねぇが、俺を越える巨体に、それを構成する鋼鉄のような黒の筋肉は、悪魔が精神体故に肉体の見た目に力が比例しない事を考慮しても荒々しく、見るに明らかな覇者の気質を有していた。


 魔王は見るだけで魂の底から感じ入るものがあるが、それでもあの様は一万年以上生きていても滅多に拝めない類のものだ。実力は知らねえが、纏う雰囲気は大魔王軍に魔王多しといえども第一線級だろう。


 そして、もともと序列三位だった魔王でもある。


 序列が上がるやつもいれば下がるやつもいる。

 レイジィの旦那が上がったことにより四位に下ったのは、成し遂げた勲功からすれば仕方の無い事だと言えるが、同時に何故レイジィの旦那に抜かれたのか疑問に思う悪魔も多かったはずだ。

 序列と強さは必ずしも一致するわけじゃないが、その強さは恐らく大魔王軍の中でも五指にはいる。

 傲慢の性質上、強さだけだったらより序列の上の魔王よりも優っている可能性すらあった。



 軍属をやめる大きなメリットが在るとするのならば、それは自由が増える事だろう。

 どうしても軍を統率するとなると動く時間がなくなる。その代わり望外の宝具を下賜される事があるというメリットがあるが、今は観の時だ。そういう意味では、旦那の軍を抜けたのはやむを得ない選択だったが、運がよかったとしか言いようがない。


 大魔王軍は魔界の最大勢力だ。まだ全土を統一したわけではないとはいえ、天界側が最優先討滅対象として狙うとするのならばそれは大魔王、カノン・イーラロードの首に他ならない。そしてそれは大魔王軍側も周知の事だろう。


 赤獄の地は暑かった。

 まるで曾てこの地を支配していた憤怒(イーラ)の魔王の怒りを顕現するかのように、気温は他の地よりも五十度近く高く、悪魔の命に影響を及ぼす程ではないとは言え、ただそこにいるだけでじっとりとした汗がにじみだしてくる。


 血のような赤に燃える太陽を眺めながら、俺はただそれを待った。


 赤獄に存在する一つの街。

 燃える街。『灰岩』


 ヴァニティの支配する赤獄の地とハード・ローダーの支配する暗獄の地のちょうど境目に存在する小さな街だ。

 住人の数はそれほど多くなく、同時に、曾てはともかく、暗獄の地と赤獄の地が同じ大魔王の支配領となってからは戦術的な要所でもなくなったちっぽけな街だ。

 暗獄の地が別の魔王の支配領域だった頃は軍が駐留していたが、その賑やかさは既に過去のものとなっている。


 そんな忘れられた街を俺が訪れたのは、天使の襲来について情報を収集するためだった。


 といっても、俺は情報収集についてはほとんどド素人だ。


 だが問題ねえ。何一つ障害はねえ。

 俺は奪うことしかできねえが、人にも悪魔にも天使にも適材適所ってやつがあるんだぜ。


 薄汚いこの街唯一のカフェテラスは酷く閑散としていた。客は俺を含めて一人しかいねえ。その一人もこの暑さで参ってるのか、カーキ色のフードをかぶったまま突っ伏している。その有り様はそのままこの街の寂寥とした雰囲気を表している。


 椅子に座って待っていると、ゼータ・アドラーが小走りで近づいてきた。

 ゼータは男の悪魔としては酷く小柄だ。遠目で見ると、とても戦闘ができそうにねえ優男に見えるが、油断をすると手痛い目にあうことになるだろう。

 悪魔の形はその本質を、渇望を如実に表す。ゼータの容姿はその渇望を満たすためだけに創られた見せかけの形でしかねえ。それはゼータ・アドラーにとって最も強欲を成し遂げやすい形なのだ。


 だが、熱耐性は将軍(ジェネラル)級の悪魔である俺の方が騎士(ナイト)級の悪魔であるゼータよりも上だ。

 さすがにこの暑さには閉口したのか、肩で息をすると暑そうに額を腕で拭って報告した。


「はぁはぁ、デジさん。言われたとおり、集めてきました。やはり噂の通り、天使に討滅されたヴァニティの軍はこの街に一時的に逗留していたようです」


「……そうかい」


 それは最も最近に発生した天使の襲撃事件だった。

 数は五、被害は百。

 五体の天使が襲ったのはヴァニティの軍だ。軍は全滅。総数は百。多くはないが少なくもない。


 赤獄の地はその気温の高さ故に街が少ない。そう数は多くはないとは言え、軍を待機させるのならばそれなりの場を用意してやる必要がある。

 暗獄ほどではないとはいえ、赤獄は広大な荒野だ。飛竜を使ってもそう簡単に踏破できる地ではない。


「集めていた目的は?」


「表沙汰にはされていませんが……まぁ、牽制じゃないですかね? 集めていたとは言っても、卑慢のヴァニティの軍は全体でおよそ千人いるらしいですし……将軍級もいなかったとか」


「牽制……きっきっき、ハード・ローダーへの牽制、か」


「大暴れしてますからね……他の魔王もピリピリしてると聞きますし……」


 傲慢独尊のハード・ローダーが魔王の上位陣を叩き潰し、序列一位となったのは記憶に新しい。

 そもそも、ハードは古き悪魔であり、同時に、将軍級にして誰もがその名を識る有力な悪魔だった。

 魔王に成り上がった以上、その傲慢故に序列の変動は必然とさえ言われている。


 目の前を遮る者を正面から尽く叩き潰し、味方からすら恐れられる魔王。

 それと相性が最も良くないのは、ある意味では同じ傲慢(スペルヴィア)の悪魔だろう。


 傲慢の悪魔は上下関係に酷く厳しい。特に同士ならば尚更だ。

 ヴァニティは直接ハードと剣を交えた事はなかったはず。

 傲慢故にプライドもあるだろう。警戒も当然……か。


 将軍級を抜き、たった一割では牽制になるとも思えねえが――


 ヴァニティは魔王の中では慎重派だ。

 傲慢を無闇にばら撒いたりはしねえ。そういう性格じゃない。

 だからこそ手柄を立てる機会が少なく、レイジィの旦那に序列を抜かれたのだから。


 きっきっき、重要なのは優秀な手駒ってなあ。


「戦場はこの街だったようですね。急遽襲来してきた天使に軍で対抗、善戦するも彼我に位差があり全滅、住人にも被害が出たようです」


「……なるほどねえ。まぁ、天使が悪魔の集落を狙う事はなくはねえが……敵は五体って言ったか? 五体で百人……相当な位差があるな」


 悪魔の戦いは数じゃねえ。

 ゼブルに俺の軍が食われたことからも明らかにわかるが、量よりも質が重要視される。

 それは天使との戦いにおいても同じ。そういう意味で五体の天使に百人の軍が食われるのは運が悪いとは言え、ありうる話だ。

 街を襲った天使の撃退に失敗し全滅……、手を出さずに街を見殺しにしたほうが被害が出なかったかもしれねえな。

 見たところ、この街の総人口は多くない。悪魔自体もともと数は人間程いないが、そんな悪魔の集落の中でも灰岩(この街)は小さい方だと言えた。


「ヴァニティはそれに気付き次第、即座に軍を派遣しましたが、ぎりぎりで取り逃したとか」


「……きっきっき、天使に虚仮にされるたあ、魔王様もさぞお怒りだろうな」


「全軍進撃の準備は万端との噂です……まぁ、天使がどこに逃げたのかわからないので、こちらからは出れないようですが……全軍、『剛真殿』に詰めているとの噂が」


 剛真殿は、ヴァニティ・サイドスローンの城だ。

 レイジィの旦那の居城が影寝殿だったように、魔王はそれぞれの居城を持つ。

 自らの城に軍を詰めさせるということは、次に出てきた際は魔王自らが軍を率いる可能性が高い事を示している。

 それだけ本気ってことだ。藪をつついて蛇を出すとはこの事だろう。


 しかし、どうにもゼータの語った話は腑に落ちない。


「……ヒット・アンド・アウェイか……いつから天使は戦術を扱うようになったんだ……?」


 神の御力を信仰する天使は基本的に自らの敗北を疑わない。

 故に戦術を必要としない。天使ってのは信仰を柱にした爆弾みたいなもんだ。一度発生したらその場の悪魔を殲滅するまで戦い、死ぬまでその動きは止まることがない。いや、なかったはずだ。


「きっきっき、本当に面倒だな……強烈なリーダーでも現れたか?」


 リーダーぐらいで天使が動きを変えるとは思えねえが……


 何を勘違いしたのか、ゼータが恐る恐る訪ねてくる。


「……デジさん、それは噂の魔王を殺す戦乙女(ヴァルキリー)の事を言ってますか?」


「言ってねえよ。いくら強えとは言え、天使が下位の種族である戦乙女(ヴァルキリー)の指示に従うとは思えないねえ」


 魔王を殺す珠玉の英霊の噂はもちろん知ってる。

 およそ三ヶ月前から猛威を振るい始めたとされる一体の戦乙女の話題は、もはや街中での噂の的で、それは今大魔王軍を大きく揺るがせている存在だった。

 むしろ被害なら、たかが百人の悪魔が殺されただけの話よりもそっちの方がよほどでかい。


 が、今回のこれは別件のように思える。魔王を殺す……殺せる死神が加わっていたのならば、街が今こうして存在しているわけがねえ。

 両方とも天界の刺客ってのは同じだが……それだけだ。


「デジさん、どうしましょうか?」


「きっきっき、天使を追うに決まってるじゃねえか。ゼータ・アドラー、ここが正念場だ」


 そんな事は考えるまでもない。

 そうだ。ここは分水嶺。

 まだ目撃されたのはたった五体だ。これは栄光への踏み台になりうる。

 軍属も悪くはねえが、やはり付き従うばかりじゃ面白くねえ。

 そもそも、天界の動きはここしばらく大人しかった。天使が散見することはあってもせいぜい単騎、悪魔が数体殺される程度のことはあっても、一つの軍が全滅という話は酷く久しぶりだ。


 これは始まりの狼煙であり、その瞬間にこそ好機が存在する。


 歴史が語っている。


 誰もまだ手をつけていないからこそ、『簒奪』の意味がある。


「しかし……百体を殺し尽くす天使が相手ではさすがに――」


「きっきっき、なーに、こっちにも切り札はある。なんとでもなるし、負けそうになりゃ逃げりゃあいい」


 ここは魔界。あくまで俺たちに有利な世界だ。

 引いてばかりじゃ何もできねえ。何も手に入れられないなら死んだほうがマシだ。

 バランス。そう、大事なのはバランスなのだ。


 街中を見渡す。

 名前通り、灰色の岩のような物質で構築された町並みは、簡素ではあるが天使に襲撃を受けたとは思えない程度に形を保っていた。


「ゼータ、しばらくこの街に滞在することにするぜ」


「……え? この街何もありませんよ?」


 そんな事は知ってる。

 汗を流しながら目をむくゼータに説明してやる。

 確かにここは暑い。長くいたい土地じゃねえが、悪魔にはやらなきゃいけねえ時ってのがあるもんだ。


「きっきっき、天使の力を見極めるんだよ。戦闘跡から何かわかるかもしれねえ。また、再び天使がこの地を襲撃する可能性だってなくはない。最終目標は大魔王様の首で間違いねえだろうが、まだ今回の襲撃の目的がわかっちゃいねえからなあ」


「……なるほど。しかし、天使が悪魔を襲うのに理由がいりますかね?」


「知らん。だが、どっちにしろ手がかりはほとんどねえんだ。無駄足になってもともと、何かしら手がかりが見つかりゃラッキーってもんだぜ」


 将軍級の悪魔と言ったって、足を使わにゃ宝具は手に入らねえ。


 簒奪とは狩りだ。追い詰め、他者から奪い取る。それこそが強欲の意味。強欲の証明。


 きっきっき、俺がその方法を教えてやるよ。

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