第二話:平和主義なんだ
正直に言わせてもらうと、初めに異世界に転生したと気づいた時に俺が第一に考えた事は、面倒だなあという、ただそれだけだった。
ただ、今は地球で面倒なサラリーマンをやっているよりも今の生活の方がよほど楽だと思っている。
これも日頃の行いがいいからだろうか。そうだ。そうに違いない。
そうでなかったら、俺は後数十年は働かなくちゃいけなかっただろう。数多に存在するその辺の労働者と同じように。まぁ、もしかしたら途中で面倒になって自殺したかもしれないが。
それに比較すると、異世界の生活は非常に楽だ。
まあ詳しくは面倒なので割愛するが、俺は異世界に生まれてただの一度も働いた事がない。それなのに、そこそこ快適な生活ができている。
期限のない怠惰。これ以上の快楽はないだろう。少なくとも清貧を尊ぶ俺にはこの程度の生活で満足なのだった。
「無職!? 働いたことがない!? こともあろうに、大魔王様の手足である魔王が、楽!? 自分が働いていないだけですよね!?」
今の唯一の頭痛の種は大魔王から派遣されてきたこの女だけである。
名前は知らない。どえらい美人である。しょっちゅうギャーギャー騒ぐ。特徴といえば、たったその三点である。その辺のモブにちょっと毛が生えた程度の女だ。
俺としては、ギャーギャー騒いでるだけで非常に迷惑だった。穏やかな俺の気性に合わないのだ。
大魔王が如何に嫌がらせに長けた性格をしているのかが分かるだろう。
「……で、なんだっけ?」
数多の転生者と同じように二束三文の悪魔として生まれ落ちた俺にとって幸いだったのは、この世界が非常に楽だった事だった。
命の価値がちょっとばかり低いが、少し頑張ればぐーたらな生活ができる。頑張らなくてもできる。
日本で働いていたのが馬鹿みたいだ。今だから言えるが、もっと早く転生したかった。
「勇者です。勇者! 勇者が攻めてきたんですよ! ほら、今こそ立ち上がる時です! さっさとベッドから起きてください!」
「……俺は平和主義なんだ」
俺には何故お前がそんなに元気なのか判らないよ。
両手を振り上げて主張する女を冷めた眼でみる。チェンジだ、チェンジ。もっとマシなの連れて来い。
いい加減、気持よく眠っている時に起こすのはやめて欲しい。変な時間に起こすからいつもいつも俺は睡眠不足なんだ。
やる気があるのは結構だが、やる気のない者の事も考えて欲しいものだ。
無駄にやる気満々でいつも無駄に遅くまで残業して課内のやる気を削いでいた上司の事を思い出した。名前は忘れたが。
「平和主義!? 魔王が平和主義!? とうとう脳に蛆でも沸いたんですか!? 勅命ですよ! 大魔王様の勅命!! この意味、理解してるんですか? 大魔王様から直に御命令をいただけるなんて凄い光栄な事なのに……」
理解している。光栄な事だ。
眠気には勝てないだけで。
「……チェンジだ。チェンジ。前いた怠惰の奴を連れて来い」
「え? チェンジ?」
「そ。お前、チェンジ。お前、うるさい。俺、嫌い」
「はぁあああああああああああ?」
女が大仰に眼をひんむいた。でこに青筋が浮いて見えるかのようだ。
目の前の女は悪魔である。
俺も悪魔だし、大魔王も悪魔だ。
だが、一口に悪魔と言っても、悪魔にも色々種類があり、属性で分けられている。
すなわち、数は忘れたがあれだ……ほら、地球でも神話とか宗教とか漫画とかその辺でちょろっと聞いたことがあるやつ。
えっと……ほら、破滅とか崩壊とか何かそんな感じの……7つとか8つとかあるやつだ。なんか偉そうだなおい。
「前任者は引退しました! 何か『怠惰』でいるのが情けなくなったようですよ!? わかってますか、この意味! 魔王様を見て、反面教師にしたんですよ!? ねえ!」
「そうか」
「そうか!? 感想が、そうか!? 一言? 一言だけ!? あー、もう。この男は!」
割とどうでもいい話だ。
そもそも、前任者の顔もあまり覚えていない。覚えているのはただ、こいつよりも静かだったという事だけだ。
俺は悪魔である。属性は『怠惰』
堕落と放棄、逃避と劣化、停止と衰退、惰性と憂鬱を司る魔王の一柱。
布団の中から大魔王の手先を覗く。
「そんなこの俺が……動くと思うか?」
「く……この男は……」
自慢じゃないが、俺はいくらでも寝ていられる男だ。これは悪魔だからとかじゃなく、転生前からそうだった。
生きるために仕方なく仕事をしていたが、休日はずっと寝て過ごしていた。だからいつどうやって何故死んだのかも覚えていない。
それはきっと、トラックに轢かれたり通り魔に刺されたりして転生してきた者達よりも幸運なのだろう。
まぁ、今となってはどうでもいいことだが。
まだぎゃーぎゃー喚く女に仕方なく指示を出してやる。
魔王というのも、王というだけあってなかなか楽ではない。
「カノンに伝えろ」
その一言で、女が静かになる。
なんだかんだこいつは職務に忠実であり、仮にも魔王の元に派遣される程度に信頼があり、同時に優秀だった。
言いたいことを言い終え、俺はようやく再び夢の世界に旅立とうと試みて、再度、女に布団を引っ張られた。
「ちょ……まだ何も言ってない!! なんで寝ようとしてるんですか!!」
「……察せ」
俺が全力を出せばこの程度の悪魔に睡眠が邪魔できるわけがない。
布団や腕や髪を引っ張られるのを感じながら、俺の意識は奈落の底、安寧の闇へと落ちていった。